現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展 作品解説(前編)
秋丸 知貴(本展企画者・美術評論家)
(特に記述のない場合、写真撮影は全て田邊真理)
はじめに
日本の伝統的感受性は、現代美術に何をもたらせるか? 同時代のアートシーンにおいて、君臨する西洋と台頭する中国の狭間に埋没しつつある日本は、何を独自なものとして世界に貢献できるか? 近年、未曽有の天災・人災が頻発する中で現代美術には一体何が可能なのか?
現代京都藝苑2021は、芸術と学術の総合イベントである。日本の伝統的感受性の今日的意義を追求し、現代美術の展覧会「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展を主イベントとし、献華式、二つの茶会、能舞舞踏、そして四つの学術シンポジウム等を開催した。
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展は、第一会場を両足院、第二会場をThe Terminal KYOTOで行った。展示テーマとして、鳥辺野に近い前者を「彼岸」、市街地にある後者を「此岸」とするのは、両者の間を流れる賀茂川を生死の境界と見なす京都古来のサイト・スペシフィック性を踏まえると共に、霊魂の顕幽循環を信じる日本の伝統的な死生観を醸し出す意図もあった。
両足院 唐門前庭
両足院
第一会場の両足院は、建仁寺の塔頭である。建仁寺は、禅宗と喫茶を中国から導入した栄西が創建した仏教寺院である。禅寺としては京都最古であり、京都五山の第三位の名刹である。古来、「建仁寺の学問面」と言われるほど学問研究が盛んであり、その中核を担う両足院は室町時代中期まで「五山文学」の最高峰とされていた。また、今日では現代美術の展覧会が積極的に開かれることでも有名である。「美と知」を追求する現代京都藝苑2021の舞台として、正に適した会場である。現代京都藝苑2015の第一回「悲とアニマ」展が神社の北野天満宮を会場としていたので、「悲とアニマⅡ」展は仏教寺院で開催することで、日本の伝統的な宗教文化の特徴である「神仏習合」を示唆する意味合いもあった。
大舩真言《WAVE #128》2021年
両足院の入口である唐門を潜ると、前庭には白砂と青松と緑苔に囲まれた踏石が長く続いている。最初に玄関で迎えるのは、大舩真言の《WAVE #128》(2021年)である。この作品の群青の岩絵具が生み出す光り輝く微細な虹彩は、庭先に広がる鉱物や植物の鮮明な白色・青色・緑色の微粒子と呼応すると共に、銀河にも清流にも感じられて、天(彼岸)と地(此岸)を繋ぐ象徴となる。緩やかに湾曲しつつ内発光するかのようなこの自立絵画作品は、異界に踏み込んだことを包み込むように感受させ、場を聖なる超常空間へと転換(シフト)させる「現代の金屏風」である。
左 近藤高弘《Reduction》2014年
右 近藤高弘《Reduction》2014年
枯山水庭園である方丈前庭を抜けると、京都府指定名勝庭園である池泉廻遊式の書院前庭が現れる。池を挟んだ両岸に、二体の人物像が座禅を組んで向き合っている。共に、近藤高弘の《Reduction》(2014年)である。両者とも顔が中空で、外宇宙を内宇宙に反転させている。禅の一つ境地が己を空しくして世界に溶け込む無心にあるとするならば、この両者の間には超精神的な木霊が共鳴している。西洋の立像が持つ動的活動性に対し、東洋の座像が持つ静的観照性を指摘した山折哲雄の『「坐」の文化論』(1981年)を援用すれば、ここには最も純化された現代の東洋的な瞑想感覚が息衝いている。
近藤高弘《鎮獣十二支》2021年
書院前庭の最奥には、六帖席の茶室臨池亭がある。その畳の上に、近藤高弘は《鎮獣十二支》(2021年)を外向きに円陣を組んで展示した。この作品は、古代中国で墳墓の守護のために置かれる副葬品の鎮墓獣を現代的に解釈した、十二支を象る十二体の陶製像である。床の間には、「金」文字で「真」を描き「鎮」を意味する近藤自筆の掛軸《真なる金》(2021年)も掛けられた。
茶会「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」
(写真撮影:勝又公仁彦)
近藤高弘 銀滴碗《波》2015年
(写真撮影:秋丸知貴)
近藤は、会期中の11月21日にこの臨池亭で茶会「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」を催した。用いた茶碗は、器自体が流動し結露しているかのような自作の銀滴碗《波》(2015年)である。来客は十二体の鎮獣から自らの干支像だけ取り出して床板に飾り、聖なる円陣が幻出する異次元の磁場の中に座り、一服の後瞑目しつつ近年の頻発する災厄の鎮静を祈念した。なお、この茶会は、水を貯える「器」という意味で茶碗と人体が相似形であり、それがまた屋外で向き合う顔面中空座禅像二体とも呼応することを示す趣向であった。これらは、「茶禅一味」の本家本元である建仁寺の塔頭境内という場所の固有性を尊重すると共に、芸術における宗教的・実用的要素を重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かすものであったといえる。
鎌田東二《合一(石巻市雄勝町石神社)》2014年
両足院の屋内に入ると、応接室の床の間には、鎌田東二の写真《合一(石巻市雄勝町石神社)》(2014年)が掛けられている。脇には、同じく鎌田の短歌「いのち立つ おのれ知りたる 山神の/巌(いわ)に書きたる 愛の碑文(いしぶみ)」が添えられている。朝靄の中で巨石の磐座に絡み付く人体のように艶めかしい巨大な神木は、大自然の凝縮として強い神性を感じさせると共に、生命の飽くなき逞しさも感受させる。なお、宮城県にある雄勝町は「日本一美しい漁村」と呼ばれていたが、東日本大震災後に巨大な防潮堤が建設されて往年の面影が失われたことも付記しておこう。
勝又公仁彦《eternal commons》2021年
勝又公仁彦《再び森が薫る》1991-1993年頃(2021年修復)
勝又公仁彦《eternal commons》2021年
この応接室の床の間で、鎌田の作品と共に設えられているのが、勝又公仁彦の《eternal commons》(1996-2021年)である。三宝に敷かれた米粒の上の枯枝と蝉の骸や、水晶、貴石、岩石、化石、貝殻、珊瑚、枝葉等からなるこの作品は、生命の循環を暗示すると共に大自然への畏敬の念も表している。また、《eternal commons》は別室にも続き、自然風景等を映した写真や動画が加わると共に、勝又が2021年に修復した巨大な絵画や写真の複合作品《再び森が薫る》(1991-1993年頃)とも組み合わされている。その濃密に描写された森林風景の中で一際目を引く黄色い裸体像は、外なる自然と内なる自然の魂(アニマ)の照応を象徴している。このインスタレーションは、作家の急逝した亡妹へ捧げられたオマージュでもある。
岡田修二《水辺76》2016年
本堂に入ると、何よりもまず岡田修二の巨大平面作品《水辺76》(2016年)が目を惹く。一瞬写真かと錯覚するが、スーパー・リアリズムの手法で描かれた紛れもない油彩画である。この連作で描かれているのは滋賀県の琵琶湖周辺の水辺であり、その豊富な水量が長大な琵琶湖疎水を通じて、飲料、用水、防火、発電等で隣接する京都の日々の暮らしを支えている背景がある。水面に浮かぶ枯枝や果実は、生命の帰趨とその絶え間なき循環を描示している。この作品は、年来岡田が提唱する近代西洋の支配収奪型とは異なる普遍伝統的な共生循環型の自然観を模索する「自然学」の一つの絵画的実践である。
池坊由紀《巡り――いのちが去り》2021年
その岡田の作品の右隣りの本堂中央では、内陣の前に池坊由紀の《巡り――いのちが去り》(2021年)が展示されている。これは、池坊が会期前日の11月18日に行った献華式で、本尊の阿弥陀如来立像に捧げた美術作品である。この作品で、池坊は華道本流の次期家元として、いけばなが仏への供花に由来するという文化的伝統に則りつつ、一人の美術家(ファイン・アーティスト)として観念(コンセプト)を重視している。
献華式
つまり、この作品は、黒く染めたシダレグワを∪型に設え、ツルウメモドキの無数の赤い実をあしらい、前に常緑の若松を立てたものである。展示構成上、これは第二会場のThe Terminal KYOTOの床の間で、白く脱色したシダレグワを∩型に垂らし、グロリオサの赤い花弁を一つ挿し、アンスリウムの茶色の枯葉で飾った《巡り――いのちが生まれる》(2021年)と呼応している。この一対で黒白や実花や若老を対比する円環構造について、池坊自身は「彼岸の作品は『命がもどっていくさま』、此岸の作品は『命が産み落とされるさま』を表現している[1]」と説明している。その意味で、これらはただ単に情緒的に美しいだけではなく、日本の伝統的死生観を表現する熟考された観念芸術(コンセプチュアル・アート)でもある。
ここで興味深い点は、この池坊の《巡り――いのちが去り》は他者との協同作業により完成する美術作品だったことである。つまり、この作品は、最後に池坊から委ねられた若松を鎌田東二が挿して完成した。これは、近代西洋美術が個人の制作による作品完結を基本原則とするのに対し、連歌的協働を本質的要素とする点で日本の伝統的感受性に基づくものであったといえる。
鎮魂能舞舞踏「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」
(写真撮影:秋丸知貴)
さらに、鎌田は会期中の11月21日にこの《巡り――いのちが去り》の前で、本尊に鎮魂能舞舞踏「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」を奉納した(演者:鎌田東二・河村博重・由良部正美)。これもまた、芸術における宗教的要素を重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かしたものだったといえる。
松井紫朗《ENTERING KINGYO-TABLE-STATION》2015年
この池坊の作品の右隣りには、松井紫朗の《ENTERING KINGYO-TABLE-STATION》(2015年)が展示されている。これは、机状の本体の天面に外部に張り出た回遊水路を持つ鉢が合体し、その水の中を生きた金魚が泳いでいる彫刻作品である。この脚付台状の形体は、近代西洋彫刻が人間の精神的産物を自然から分離するために要請する「台座」を「脱構築」(J・デリダ)する[2]、師匠筋に当たる小清水漸の「作業台」シリーズの問題意識を継承するものである[3]。また、生物を作品の本質的要素とする点で、近代西洋美術が作品を「死んだ自然(ナチュール・モルト)」(=静物)により構成するのとは別の表現論理を実践するものである(その点で、この「生魚」による美術作品は隣り合う池坊の「生花」による美術作品と同じ問題構造を持っている)。
松井紫朗《大黒》2021年
(写真撮影:秋丸知貴)
また、この松井の作品の鉢を泳ぐ金魚は、屋外の庭園の池を泳ぐ鯉と呼応している。さらに、方丈前庭に面して縁側脇の犬走に設置された天面に水を湛える松井の《大黒》(2021年)は、同じ縁側脇の犬走に元から設置されている大型の手水鉢と応答している。その点で、これらの作品には外界からの遮断的自律を基調とする近代西洋美術とは別の展示論理が働いている。
茶会「手に取る宇宙」
(写真撮影:秋丸知貴)
そして、松井は会期中の11月19日に、書院前庭のもう一つの茶室である如庵写しの水月亭で茶会「手に取る宇宙」を催している。この時、道具拝見で用いられたのは宇宙空間で密封されたガラスボトルである。これは、松井が2010年から13年にかけて、国際宇宙ステーション「きぼう」でNASAやJAXAと行ったプロジェクト「手に取る宇宙」で、実際に宇宙飛行士が船外で「宇宙」を詰めて持ち帰ったものである。この時、欧米から提案された他のプロジェクトが全て実用志向だったのに対し、この松井のプロジェクトだけ大自然(=大宇宙)に対する美的情緒の追求だった点も日本の伝統的感受性の現代的発露として極めて興味深い。
大舩真言《VOID δ》2012年
本堂の床の間には、大舩真言の掛軸《VOID δ》(2012年)が掛けられている。その濃紺の墨や岩絵具で描かれた画面中央が仄明く内奥に引き込まれそうなイメージは、日本の伝統的感受性である久松真一の「東洋的無」や河合隼雄の「中空均衡構造」を想起させずにはおかない。また、その手前には細い竹を交差させた結界が置かれ、その奥に広がる異界の深淵を覗き込むような「魅惑的畏怖(ヌミノーゼ)」(R・オットー)を覚えさせる展示構成になっている。
大舩真言《Reflection field――Kannonji, Omi》2021年
言わば、これはデカルトのいう近代西洋の「延長」的均質空間ではなく、鎌田東二のいう普遍伝統的な聖地の偏在としての多層多孔空間の象徴であり[4]、その意味で、その互いの明滅する濃紺の境界面を通じて、玄関の《WAVE #128》や、屋外の手水鉢の中で密かに佇みながら庭園、大自然、大宇宙と照応している《Reflection field――Kannonji, Omi》(2021年)と超常的に通交している。
入江早耶《青面金剛困籠奈ダスト》2020年
本堂から書院へ移る渡り廊下には、入江早耶の《青面金剛困籠奈ダスト》(2020年)が展示されている。入江の作風は、消しゴムで文字や画像を擦り取りそのダストを立体形成するもので、この作品では薬箱の印刷の消しカスから青面金剛が再構成されている。青面金剛は、日本の民間信仰である庚申待の本尊であり、元々疫病をもたらす魔であったがそれを鎮めるために明王として祀られたという由来を持つ。この作品では、憤怒の形相で邪鬼を踏み付ける三眼六臂の青面金剛は新型コロナ対策としてマスクや消毒液を手にしている。
大西宏志《瓦礫または停止した時計》2011年
大西宏志《TSUNAMI 2021》2012-21年
書院の手前の和室の床の間には、大西宏志の《瓦礫または停止した時計》(2011年)が崩れたように置かれている。大西は2012年にこの壊れて破損した時計を宮城県の南三陸町で拾い、それを載せている薄い正方形の硯石を雄勝町で収拾した。つまり、この両者はどちらも前年の大地震と大津波を経験した遺物である。また、畳の上に設置された《TSUNAMI 2021》(2012-21年)は、「悲とアニマ」初回展で北野天満宮の神楽殿に展示された同名作品の最新版であり、意図せずして松井作品の金魚と連歌的に呼応し、ディスプレイに映し出された金魚が何度も何度も津波に押し流されては再び蘇る場面を再生する映像作品である。
村井修撮影「関根伸夫《位相-大地》1968年」2016年
(写真撮影:成田貴亨)
関根伸夫《位相》1968年
(写真提供:秋丸知貴)
続く書院の奥の和室の床の間では、村井修により撮影された、もの派の出発点とされる関根伸夫の《位相-大地》(1968年)の写真パネルが飾られている。また、その左横の違い棚には、それより前に描かれた同じ1968年の関根の絵画《位相》が展示されている。当時、元々関根はこの素描が示すように位相幾何学の流体感覚を表現しようとしていたが、地面を円筒状に掘りその土を傍に同形状に盛り固めた巨大立体作品《位相-大地》の制作により、表現の力点における視覚的観念性から触覚的実在性への移行に開眼する。つまり、この二点は1970年前後に生じた日本概念派からもの派への主流転換を濃縮的に例示している。さらに、ここでは、その抽象的概念性から具体的即物性への志向こそが、高橋由一から岸田劉生を経て具体美術協会やもの派へと伏流する日本の伝統的な造形的感受性の反映であることが具示されている。
小清水漸《雪のひま》2010年
この文脈において、《位相-大地》の制作を直接手伝った小清水漸は、1968年以後日本の土着的(ヴァナキュラー)な造形的必然性を探る中で、彫刻作品を机状にして日常的自然に開き、近代西洋彫刻のようには時間的あるいは空間的に完結しない「作業台」シリーズを展開した。その一つの頂点が、書院の奥の和室全体に配置された《雪のひま》(2010年)である。つまり、この作品群では、本体が脚付台の形状であることで「台座」が脱構築され作品の内外の空間的境界が曖昧になると共に、天板の銀箔が酸化することで時間的完成も延長され続ける。さらに、天板の窪みに緩やかに嵌る様々な自然石を雪解け風景と見なすことで、「見立て」という日本の伝統的芸術効果が発揮され、しかもその「ひま」という概念が空間的間隔(隙)と時間的間隔(暇)の西洋的一義性ではない東洋的両義性を提示する構造になっている。
吉田克朗《触》1996年
また、同じく《位相-大地》の制作を直接手伝った吉田克朗は、同様の文脈で1968年以降、本来視覚的である絵画平面における立体的触覚性の批判的探求に乗り出す。その一例が、東洋的指頭画の現代的翻案ともいえる、木炭を指等で紙に擦り付け具象的かつ即物的な形態を描出する、付書院に飾られた《触》(1996年)である。
成田克彦《SUMI》1968年
そして、関根、小清水、吉田と親しかった成田克彦も、彼等の影響を受け、1968年から素材に人為的技巧を施すのではなく素材自体や炭化作用に内在する自然の成形的表現性をそのまま生かす彫刻作品を発表した。その実例が、同じく付書院に展示された《SUMI》(1968年)である。
[1] 『華道』日本華道社、2022年3月号、5頁。
[2] 稲賀繁美「作業台に座る石たちは、なにを語るか――小清水漸と『作品』」『接触造形論』名古屋大学出版会、2016年。
[3] 秋丸知貴「現代日本彫刻における土着性――もの派・小清水漸の《a tetrahedron‐鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に」『比較文明』第36号、比較文明学会、2021年、137-162頁。
[4] 鎌田東二『聖トポロジー』河出書房新社、1990年。
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