リーネ・マリー・トールセン 『植物に注目するということ―気候への関心に関わるアートと翻訳』

私たちが地球の生態系や気候の混乱について語り、関わるとき、なぜ植物が重要なのだろうか?

近年、気候変動、グローバル・エコロジー、アントロポセンに関連する様々な問題に取り組むために、多くの学際的な取り組みが行われている。地球の悲惨な生態系の問題が人々に意識され、世界が気候に関連して大きく変化する今、私たちが生き残るためには、「植物は、地球上で最も重要な共同生活者のひとつである」という自然と人間の共生的なとらえ方に、世界中の多くのアーティストや学者たちが共感し始めている。

リーネ・マリー・トールセン氏もこうした状況を追うデンマークの研究者である。末尾の彼女のプロフィールにあるように、彼女は「私たちが地球の生態系や気候の混乱について語り、関わるとき、なぜ植物が重要なのか」というテーマのもとに今日のアーティストたちが提起する事柄へと異分野の研究者たちを巻き込み、その中心的なテーマや問題について考察した、注目すべき展覧会「Moving Plants」※のキュレーターでもある。東アジアとヨーロッパの現代アートや、特に香港と日本でのフィールドワークを通じて、現代のアーティストたちが、彼らのローカルな、というよりも、その場所の環境に対するマインドやエコロジーへの関心のもとに、グローバルな気候問題にさまざまな形でナビゲートしたり、表現する方法に着目している。

今回、翻訳・紹介する彼女の論考『植物に注目するということ―気候への関心に関わるアートと翻訳(Noticing Plants – art and translations of climate concern)』は、2016年5月に大英博物館で開催された「人類学、気象、気候変動」と題した国際会議のために彼女が準備したものである。「Moving Plants」展に先行してエコロジーへの関心を強力に媒介する「マテルアル」として植物を採りあげ、今日のアーティストたちが気候と環境のポリティクスを求める動きの共通のプラットフォームであったり、地球の生態系の複雑な縺れ合いへの関心を喚起するものとして「植物」に注目するものである。この自然と人間の活動が織りなすハイブリッドな空間において、アーティストの活動はどのように理解されるのだろうか。eTOKIでの彼女の論考を翻訳・紹介することを快く許可してくださったリーネ・マリー・トールセン氏に心より感謝したい。

 

※「Moving Plants」は、展覧会の出展作家の一人である、写真家、渡邊耕一氏の作品に因んだタイトル。2017年の夏に、デンマークのルーネベークスホルム美術館にて開催された。渡邊氏とともに、この論考で言及されている岩谷雪子氏も日本から参加している。

 


 

はじめに

 

この論考は、デンマークのオーフス大学での博士号取得のための研究から出発している。その研究のフォーカスを一言で言うと、ヨーロッパと東アジアの現代アーティストたちが、グローバルな気候問題を、彼らのローカルな、というか、その地の環境問題にどのようにナビゲートし、表現しているのかという点にある。ケースサイトとして、ドイツ、フランス、香港、日本(香港と日本にフォーカス)で何度かフィールドワークを行い、組織的なアート・イニシアティブのほか、特定のアーティストとの関わりについてもリサーチしてきた。しかし、リサーチを開始してすぐに、これらの「スペース」にまたがるアーティストやアート・インスティテュートの関わり方がそれぞれ異なっていることが明らかとなり、たとえ明確に表現されてなくても、彼らは常にそのような関わり方の多様さに特に注目していることがわかった。

ヨーロッパのアーティストや美学の実践者は、グローバリゼーション、気候変動、アントロポセンなどの学術的に支配的な言説のなかで自分の作品を積極的にフーレームづけることに気を配る傾向があるが、いっぽうで、これらの言説は香港や日本では、全く異なっていることが多く、アーティストたちは、場合によってはあまりにも西洋中心的だと思われるこれらの概念を積極的に避けることがあった。*1それゆえに、例えば、気候変動や香港のアートについて文字通りに尋ねたとしても、ブリティッシュ・アーツ・カウンシルにしかたどり着くことはなかった。しかし、このことは単に、香港や日本に気候変動を意識したアート活動が存在しないというのではなく、むしろ、概念的に―そしてある程度物質的にも―別の形で成り立っているということなのである。

気候変動へのある種の懸念は、ほとんどアーティストたちが取り組む問題の背景に常に存在しているのだが、彼らが直接「気候変動」の活動に取り組むことは非常に稀なことである。

しかしながら、気候変動や「アントロポセン」のような一般的な概念が旅をするように移動する能力は限られているはずなのに、アーティストが注目する気候や環境に関わる「モノ」―あるいは「エコ-マテリアル」―は、もっと旅ができるようだ。実際、これらのエコ-マテリアルは、気候に注目するアートの実践について、現在作動している想像的な世界制作のようなものを含め、より多くのことを私たちに教えてくれるように思われる。よって、この論考で私は、言葉や概念のなかでつながりがあるとは思えないとしても、エコ-マテリアルという観点から、これらの現場とアートの実践とのつながりについて考え、形にしようと試みたい。

つまり、「地球規模の気候変動」や「人類の時代(アントロポセン)」などの一般的な概念から離れるということである。しかし、はっきりさせておきたいのは、これらの一般的な用語に関連性がないとか、無視すべきだとか、あるいは越えていくべきだとも言っていない。「気候変動」や「アントロポセン」という新しい概念の動員力を証明するものがたくさん存在すると思う。世界中で様々な形のアントロポセン・プロジェクトや学問が生まれている(例えば、Davis 2015、Swanson等々)が、むしろ、アートによる気候との関わりのグローバルなつながりがどのように存在するのか(Tsing 2005)、そしてこれらの関わりが気候変動の時代にどのように「想像的な世界制作」を行っているのかということを分析する別の方法を模索するために、しばらくの間、壮大なコンセプトから脱却するというだけのことである。

 

植物

 

環境への傾向を示すアートにおいて、気候や気候変動は、どこにでもあるようで、同時にどこにもないようにも見える。そのため、私が継続的に取り組んできた全体的な問題は、アーティストが気候問題に取り組むとき、「気候」とはどこに存在するのかということだった。環境問題の現場での実践と、よりグローバルな気候問題との間で、どのような翻訳や変換が行われているのだろうか?

もちろん、植物は移動する唯一の「マテリアル」ではない。それどころか、植物が美的なエコ-マテリアルとして興味深いのは、必然的にこぼれ落ちて、土壌や水、さまざまな形の「儚い」現象といった、他のエコ-マテリアルと結びついているからである。そのため、私が一緒に仕事をしているヨーロッパと東アジアのアーティストたちにとって―ヨーロッパでも東アジアでも―植物は、これらのスペースで展開される気候や環境に関する複数の問題にとってそれらをつなぐ、ある種の組織のように思われる。

 

栽培用植物

 

前述のように、香港で気候変動とアートについて尋ねたところ、ブリティッシュ・アーツ・カウンシルと一握りのヨーロッパのアーティストにたどり着いた。日本で同じことを尋ねたところ、面白いことに、英国、ロンドンを拠点とするアーティスト、デビッド・バックランド、そして興味深いイニシアティブである「Cape Farewell」訳註※1にたどり着いた。しかしながら、ヨーロッパ以外の気候変動に関わるアート活動には、全く近寄ることさえできなかった。

「気候変動」と「アート」は、リサーチを始めた当初、それぞれの場所で気候変動の影響に関心を持つアーティストにたどり着かせてくれるというよりも、ヨーロッパから文字通り旅してきているわけではない何かを確かめることから私を遠ざけようとする効果的なベールのような働きをしているという感覚を覚えた。ロンドンから東京に飛んでも、形式や意味が変わることのない、未分化で「グローバル」なアート・スペースの中を滑るように動いているように感じた。まるでアートと地球規模の気候変動、それに関連する問題が同じものであるかのように。もちろん、そんなことはないのだが、むしろ、世界的な気候変動から特定の問題を位置づけることへの翻訳と再配置があり、そして、その逆は常に異なっており、推移しているということである。

香港では、アート・ハブであるMake a Difference Lab(MaD)訳註※2のクリスタルとレイチェルとの会話のなかで、この問題が初めて明確に指摘された。MaDは、アーティストやキュレーターによって設立・運営されているハブで、アートには変化をもたらす力があり、現代社会を想像する新しい方法があるという信念に基づき、アーティストの差し迫った問題への取り組みを仲立ちしている。彼らが継続的に取り組んでいることのひとつに、香港における環境保護の怠慢と自然破壊がある。毎年、これらの問題に取り組んでいる香港のアーティストを招き、学校やユースクラブなどの幅広い層を対象に、ワークショップやイベント、さまざまな参加型プログラムを実施している。

私は香港で仕事を始めてすぐに、(多かれ少なかれ)幸運な出会いが重なってMaDにたどり着いた。以下は、MaDでの最初のミーティング後のメモからの抜粋である。

 

私の興味を正面から受け止めようと、彼らのアート活動に気候変動が影響しているかどうかを尋ねた。「は い、影響しています。香港は多くの問題を抱えているにもかかわらず、政府は何もしていません。それはとても重要な問題です」。二人はしばらく考えた後、クリスタルが「私たちはその言葉を使わないけどね」と付け加えた。[…]「え、「気候変動」という言葉は使わないんですか?」「No」とレイチェルが言い、クリスタルが首を振ったりうなずいたりしている間に、説明を引き継ぐ。「香港で気候変動について何かしたいと思っても、その言葉は使えません。「気候変動」はあまりにも遠い存在ですね。香港の人はそんなこと気にかけていません。ここには心配することがたくさんありますから!」。

[茘枝角、香港、2015年3月31日、Make a Difference Lab、クリスタルとレイチェルとの会話]

 

そして彼らは、複雑に絡み合い、曲がりくねった道を説明してくれた。それは、気候への懸念の「現実」―ローカルなもの―を表すものだった。もし私が気候に配慮したアートの実践に興味があるのであれば、私が尋ねるべきはアートと農業ということだった。過去7年ほどの間に、香港の多くのアーティストやクリエイティヴの実践者は、食品、汚染、ジェントリフィケーション、持続可能な環境のための政治に関連するあらゆる類の懸念を集積する場として、農業に注目してきた。彼らは主に、香港やヨーロッパ、アメリカでアートのトレーニングを受けた若い人たちだが、現在は農場で主に活動し、収入を得ている。彼らの多くは、農業を通して、地域の環境保護やより次元の高いグローバル・アートの世界といった多様なスペースを積極的かつ巧みに行き来する、社会貢献型のアーティストと呼ぶべき存在なのだ。しかし、彼らの活動は香港の大地にしっかりと根付いている。アーティストのひとり、ファーミング・コレクティブのL.E.A.FとSangwoodgoonのメンバーである連安洋は、手を編んで網目のような形を見せながら私にこう言った。「私は、農業は香港のあらゆる問題の中心にあると感じています」と。

彼は、農場では、他の人たちと一緒に、賑やかな都市の風景から、香港にまだ残っている田園地帯へと人々を引き寄せるために働く。北部の新界の山々によって養分を与えられ、守られた豊かな土壌で、健康的な「オーガニック」食材を大切に栽培している。健康問題や食の安全性が常に話題になるなかで、彼らは香港が都市化されていない自然や持続可能な食材生産の場所の可能性を示し、人々を魅了したいと考えている。しかし、これは環境、開発、住宅、食、健康などの持続可能な政治に依存するものなのである。

From L.E.A.F 04. March 2016. Photo by Line Marie Thorsen

 

私たちは、農業について、そしてそれが創造的で政治的な実践としてどのように機能するのかということを長時間にわたって会話した。彼は、香港人はそれほど大切だと思っていないだろうから、政治的な実践として話しているのではないと言っていた。私にとってそれはとても政治的な実践だと言うと、彼は同意して、そうだと言ったが、それは彼らが農業について話すやり方ではない。なぜなら、彼らは社会的な関与を目指していて、土地、食、環境、住宅、気候などの政治的なことについて考えていない人たちにも、自分たちの活動が印象に残るようになればよいと思っているからである。私は彼に、香港では、気候変動について語らないときにしか、気候変動に関わるアート活動は生じることはないのではないかと言った。彼はそのことについてもっと話してほしいと言い、それは面白いと思うと言った。彼はそれが真実であり、代わりに植物について話さなければならないかもしれないと言っていた(彼は少し笑った、まるで馬鹿げた発言のように)。

[大埔(林村)、2016年03月04日、L.E.A.F]

 

 

里山の植物たち

 

香港で農業用の植物を扱うにあたり、連安洋は日本の農業者であり哲学者である福岡正信からインスピレーションを強く受けている。2015年夏、日本の大規模な国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に、アート集団「センスアートスタジオ+香港の農民たち」とともに招待された連安洋は、環境破壊から抜け出す方法として、農業と食への関心に関する福岡の実践と哲学(福岡1978)を持ち寄った。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、新潟県の760km2のエリアに広がり、約200の中小規模の集落に約160のアート作品が設置されている。山間部の田舎であるため、アーティストは地域コミュニティや多くの農家の人たちと一緒に仕事をすることが魅力となっている。このような理由から、連安洋は越後妻有で一緒に仕事をすることになった松代の野菜農家で、福岡の自然農法(福岡 1993)について学び、経験を共有することに興奮していた。しかし、彼らが福岡のことや彼の農法を聞いたこともなかった、ということを知ると、彼は驚きとちょっとした失望を示した。松代の稲作農家は皆、福岡の著書の説明にあるような化学肥料と機械を使って湛水式の棚田で栽培している。連安洋が環境問題や福岡の方法―香港や台湾の有機農家の間で人気のある―について彼らに話そうとすると、すぐに退けられてしまったのだ。有機農法も自然農法も、松代の古い家族経営の農家にとっては、あまりにも型破りで、新しい時代のものに思えたのである。*2 環境問題は彼らにとって重要ではあるのだが、それは次第に都市化が進む日本社会においては、概して自然からのさらなる疎外という懸念のほうにいっそう視線が向けられていたのである。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のウェブサイトには、文明は「環境への態度を見直す」必要のある重大な分岐点に達していると記載されている(「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2014」)。「人間は自然に内包される」という包括的なコンセプトのもと、彼らは「[…]このような環境破壊を引き起こした」現代のパラダイムに疑問を投げかけ、「[…]人間と自然がどう関わっていくか―。その可能性を示すモデル」を仲立ちしたいと考えている。(「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2014」)。

このモデルでは、国際芸術祭の来場者は、その地域の豊かな自然や生活を身近に感じることができる。広大な敷地に作品が展開されるのもそのためで、現代社会の合理性や効率性とは相反する「徹底的な非効率化」が意図的に表現されている(「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2014」)。山間部の風景の中に広大なアートを展開するというモデルは、森や田んぼ、アート作品の間を移動する来場者に、時間だけでなく汗や労力も要求する。しかし、ここでの環境や気候への取り組みにとってキーワードとなるのは、農業ではなく、「里山」だ。山が養土や水、植物を提供し、それを農家が大切に育てるという、ほとんど神話のような自然-文化の風景なのである。*3

岩谷雪子も越後妻有で展示したアーティストの一人だ。彼女は、連安洋と同様に、出発点として里山というローカルな環境に関わっていくことに挑戦し、それは彼女にとっては、作品において実際にいつも行っていることである。つまり、実用的な植物や雑草、種を使って見事な彫刻を制作する。彼女は、展覧会に招かれた地域で、必ず地元の植物を見つけてくる。彼女は植物を見つけ、集め、自宅に持ち帰り、家の中で乾燥させながら、2ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、あるいは彼女がそれらの「キャラクター」を見極めるのに必要なだけ、それらから「気づき」を得て、それらを知ろうとするのである。彼女は、それぞれの植物には個性と形があり、それを見て、植物に形を与えるのが自分の仕事だと言う。そうすることで、人々が新たに植物を見て、それらに気づき、うまくいけばそれらを大切にするようになるのだ。

Iwatani Yukiko, Section of the work The Creatures Living Here, for the 2015 Echigo Tsumari Art Triennale.

Photo by Line Marie Thorsen

岩谷によると、私たちの世界が騒動のなかにあるのは、私たちの生活にいつも関わっている美しい「自然―あるいは植物」に気づき、大切に思うことを停止してしまったからなのだそうだ。それらは、四六時中私たちの生と交差するものなのだが、私たちは気づかず、気にも留めない。彼女はそれらの植物を形にし、私たちが気づいて関心を抱くように仕向ける。

彼女の作品のなかで植物の種が特別な役割を果たしているのは、そうした植物の好奇心をそそる性格のためでもある。彼女が言うには、「種はどこにでも存在するのが彼らの仕事なのだから」と。コンクリートで固められた東京の銀座にさえ、風に乗って漂ってきた種があった。それらのなかには、銀座にもある小さな土に定着したものもあった。このように、彼女が扱う種は、さまざまな形で空気や、それらが運んでくる自然、あるいは自然でないものも含め、あらゆるものへの関心を引き寄せるのである。私たちも種も、空気のような現象にどのように依存しているのだろうか、風や空気や気候の変化がどのように動いていて、そして動かされているのだろうか。

 

植物を経由して気候の縮図を描く

 

最後に、植物やその他のエコ-マテリアルを経由した気候との芸術的な関わりについて考えることが、すでに欧米の言説によってしばしば過度に決定づけられた特定の視覚的文化にひどく撓められた強固な概念を使って問い立て、調べる際に、私たちの想像力のレーダーの外にある、あるいは間にある重要な実践に気づかせてくれるものである、ということを示唆したい。

植物は、新しい想像力のつながりを生み出すという面で、現代のアーティストたちと絡み合い、また関与させられている―そして香港や日本でエコ美学的なマテリアルとしての植物に注目したことは、ヨーロッパやアメリカのアート活動においても、植物が中心的な存在であることの気づきをもたらしてくれた。私にとって植物は、私の敷地を横切ってエコ美学的なアートの実践を結びつけ、そのつながりを現わしてくれる。逆に、エコ美学的なアートの実践は、エコ-マテリアルとしての植物を介して、気候変動という幾分「空気のような(実体のない)」概念を翻訳し、縮図を描くよう積極的に働きかけてくる。このように、気候的に変化する世界を想像し明確にするために偶然出くわしては必要となる、翻訳と縮図の描写は、アーティストと植物の間の相互作用の中で生じてくるのではないかと思うのである。

 

原註

 

1 アントロポセンの概念は、つい最近、日本語に(批判的に)翻訳された(Morita 2016等々)。私の知る限りでは、広東語には翻訳されていない。

2 福岡氏によると、彼が著書の中で推進する「自然農法」は、化学肥料を使用するなど西洋の農法が導入される以前の、日本の伝統的な乾式稲作や季節ごとの輪作に一部基づくものである(Fukuoka 1978)。

3 日本における文化(作為)から切り離された自然の概念と歴史については、Jensen and Morita 2019を参照のこと。

***

‘Concept – Echigo-Tsumari Art Field’. 2014. Accessed August 31. http://www.echigotsumari.jp/eng/about/.

Davis, Heather, and Etienne Turpin. 2015. Art in the Anthropocene: Encounters Among Aesthetics, Politics, Environments and Epistemologies 2015. London: Open Humanities Press.

Fukuoka, Masanobu. 1978. The One-Straw Revolution. New York: The New York Review of Books.

———. 1993. The Natural Way of Farming: The Theory and Practice of Green Philosophy. Translated by Frederic P. Metreaud. Madras Bookventure.

Jensen, Casper Bruun, and Atsuro Morita. 2019. ‘Multiple Nature-Cultures, Diverse Anthropologies’. (Studies in Social Analysis, 9)

Klingan, Katrin, ed. 2015. Textures of the Anthropocene: Grain, Vapor, Ray. Cambridge, MA: The MIT Press.

Morita, Atsuro, Wakana Suzuki, and Liv Nyland Krause. 2016. ‘⼈新世の時代における実験 システム (Experimental systems in the era of Anthropocnene)’.

Swanson, Heather Anne, Nils Bubandt, and Anna Tsing. 2015. ‘Less Than One But More Than Many: Anthropocene as Science Fiction and Scholarship-in-the-Making’. Environment and Society: Advances in Research 6 (1): 149–66..

Tsing, Anna Lowenhaupt. 2005. Friction: An Ethnography of Global Connection. Princeton, N.J.: Princeton University Press.

 

訳註

 

1 ロンドン芸術大学(チェルシー・カレッジ・オブ・アート)を拠点とする国際的な非営利プログラム。アーティストを主導とし、科学者、コミュニティが共に活動する機会を生み出す触媒の役割を果たす組織。気候変動に対する緊急の文化的対応を生み出すために活動している。

2 香港を拠点とするコラボレーション・プラットフォーム。社会的課題への革新的なソリューションのために、分野を超えて相乗効果を発揮し、思考と行動のインスピレーションを与えることを目指す活動を行っている。

 

リーネ・マリー・トールセン プロフィール

オーフス大学環境人文科学センター(CEH)および大阪大学Ethnography Lab博士研究員。2014年以降、日本と香港を中心とした東アジアとヨーロッパにおいて、アーティストがどのように地球規模の気候変動をめぐる概念をローカルなエコロジーの問題に取り入れているかを研究。2017年には、デンマークにて「Moving Plants」という展覧会のキュレーションを行い、同名の論文集を編集。日本では、それ以前に2011年の東日本大震災の影響を受けたアート活動を研究。

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評者: (ITO Kenichiro)

初期モダニズムの美術批評研究、今日のアート・セオリー、キュレーション・セオリーから分野横断的なアート・カタリスト的活動に関心を寄せる。
学習院大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。同年、株式会社 資生堂入社。インターメディウム研究所アート・セオリー専攻修了。資生堂企業文化部へ配属後、資生堂企業資料館、資生堂ギャラリーの学芸員を経て、現在、資生堂アートハウス勤務。

His interests range from early modernist art criticism research, today's art theory, curatorial theory to cross-disciplinary art catalyst activities.
He graduated from Gakushuin University with a degree in Aesthetics and Art History, Faculty of Letters. He joined Shiseido Co., Ltd. Completed Inter-medium Institute Art Theory major. After assigned to Shiseido Corporate Culture Department, he worked as a curator at the Shiseido Corporate Museum and the Shiseido Gallery, and currently works at the Shiseido Art House.

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