悲しみを癒す生命の根源に触れる
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」
会期:2021年11月19日(金)~11月28日(日)
第1会場:両足院
第2会場:The Terminal KYOTO
先日、両足院で開催されている「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」の内覧会とアーティスト・トークを見る機会を得た。両足院は、京都五山の第3位に位置する臨済宗建仁寺の敷地にある14ある塔頭寺院の1つである。庭の美しい寺院としても知られ、特に藪内流5代目竹心紹智が作庭した池泉回遊式庭園「書院前庭」は、京都府指定名勝となっているほどの名刹である。また、例年「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」の会場にもなっており、今年、大書院は杉本博司が放電現象を撮影した「放電場」が襖絵として飾られたことが大きく取り上げられたので、ご存知の方も多いかもしれない。
両足院は、積極的に現代の芸術の発表場として提供しており、過去と現在、伝統と革新をつなぎ、新しい芸術表現が行われる場所としても大きな役割を果たしている。それはひとえに様々な対話や表現が行われたかつての寺院のような場所にする、という伊藤東凌氏(両足院副住職)らによる志によるものが大きい。
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展も、その流れに位置するといえるが、現代アートを 日本的な観点から見直す野心的な試みになっている。「悲とアニマⅡ」展は、両足院を第1会場、The Terminal KYOTOを第2会場で開催されており、それぞれ彼岸、此岸と位置付けられている。監修(統括ディレクター)に鎌田東二、監修・企画協力(ディレクター)に東京画廊の山本豊津、企画(キュレーター)に秋丸知貴という布陣で行われており、出品作家に、池坊由紀、入江早耶、大西宏志、大舩真言、岡田修二、勝又公仁彦、鎌田東二、小清水漸、近藤高弘、関根伸夫、成田克彦、松井紫朗、吉田克朗という錚々たる顔ぶれの作品が一堂に会した。残念ながら第2会場のThe Terminal KYOTOにうかがう時間がなかったのと、これだけの著名な作家について解説する力量はないことを断っておきたい。会期も限られているのでアウトラインだけ紹介しておきたい。
鎌田東二は、宗教学者であり、哲学者であるが、学際的な活動を行っており、作曲や小説、パフォーマンスなども行う多彩なクリエイターでもある。鎌田を研究代表者、宗教学者として著名な島薗進らを研究分担者として、2006年に日本学術振興会科学研究費補助金交付に採択された「モノ学の構築―もののあはれから貫流する日本文明のモノ的創造力と感覚価値を検証する」をテーマに研究する「モノ学・感覚価値研究会」が結成される。モノに命を見出す日本人の霊性などを研究するほか、感覚価値の形成、その芸術表現も視野に入れていたこの研究会は、必然的にアート分科会を生み、その中で積極的な活動を行っていたのが本展の企画者である美術史家の秋丸知貴である。
さらに、鎌田を中心に2011年「身心変容技法の比較宗教学-心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」が科研基盤研究Aに採択され、「モノ学・感覚価値研究」を継承し、表現のワザが研究されていく。
それらの理論と実践を兼ねた研究活動を経て、東日本大震災において、大きな犠牲を払い、現代文明の岐路に立たされた状況を受け、その慰霊を込めて、2015年に北野天満宮で開催されたのが「悲とアニマ―モノ学・感覚価値研究会」展であった。そこには「悲」から、アニマ(霊魂・霊性)に触れることにより生きる力に変えようという意図が込められている。また、アニマとは、ラテン語で魂を意味し、ユング派精神分析において、無意識において出現する元型を表している。つまり、無意識に潜り、神道的に言えば「御魂の恩頼(ふゆ)」が得られるような展覧会が企図されていた。
その際、「悲とアニマ」展だけではなく、「現代京都藝苑」というプラットフォームの中で、「日本的感受性」をテーマにし「素材と知覚 ―「もの派」の根源を求めて」「連続の縺れ」「記憶の焼結」という4つの展覧会(5会場)が開催されたのだ。特筆すべきは、その時「モノ学」の研究と根底的につながる表現である「もの派」を大きく取り上げていることだろう。そこでは、「もの派」の作家を扱う東京画廊の山本豊津が監修、秋丸知貴が企画を担当し、「もの派」を輩出した斉藤義重や高松次郎に加え、代表的作家である関根伸夫、河口龍夫、榎倉康二、小清水漸らが招聘されている。
「もの派」は、ミニマル・アートやランド・アート、アルテ・ポーヴェラと同時代性があり、現象学的な還元の表現として捉えられる一方で、日本的な自然観や禅的な要素があるとされる。突き詰めると、物体の中に魂を見出す、「日本的感受性」にいきあたる。それはアニミズムと言われることもある。これも「アニマ」から来た言葉である。
しかし、日本的宗教観はアミニズムの範囲には収まらない。まず、すべての自然、すべての物体の中に霊魂を見出すのではなく、聖地などの禁忌の場所と俗なる場所を切り分けているからである。そこにはモノや場に神聖なものを見出す、見分ける感受性があるといってよいだろう。あるいは、モノを配置、再配置することで、聖性を生むということも行われている。そのような日本的感受性、霊性から「もの派」を再評価しようという非常に意欲的な試みであったのだ。
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」は、それらの「現代京都藝苑」の展覧会の成果を継承し、新型コロナウイスのパンデミックで世界が大混乱し、多くの命が失われている昨今の状況や東日本大震災後10年というタイミングを見て、「悲とアニマ」展の続編として企図されたものだ。
「悲」や「彼岸」という設定がなされているが、慰霊と言った方がわかりやすいだろう。また、「悲」を悲しみとだけ捉えるのも早計だろう。ここには「大悲大慈」と言われるような、仏教的な慈悲心、すべての人々を救いたいという慈しみの感情が含まれていると考えたほうがよい。帰趨とは「ゆきつくところ」という意味だが、この世からあの世に行く、という意味もあるだろし、本来の姿に戻るという意図も含まれる。鎌田が「修理固成(つくりかためなせ)」という『古事記』の「国生み段」の言葉を引用したように、再生や再創造という思いが込められている。それでは、作家たちの表現を抜粋して紹介していきたい。
華道家の池坊由紀は、仏間の前で、逆さにしたしだれ桑の枝を「花器」に見立てた、自由花の形式で生け花のパフォーマンスを行った。もともと華道は仏教の供花をルーツにもっているが、さらに依代として神々を招く行為が起源にあり、死者に花を手向けることは、縄文時代の遺跡からもわかっている。そのような花を媒介とした日本人の営為を形にした。
画家の岡田修二は、襖絵3枚程度のサイズの巨大な絵画を展示した。岡田は琵琶湖湖畔を散策し、湿地帯の浅瀬に分け入りながら撮影した写真を基に、具象的な油彩画に仕上げている。もともとハガキサイズ程度の小さな湖面の状況を写したものだが、木の枝、枯れた葉が浮いた淀んだ水には、多くの生物が存在し、また、死骸が泥にまみれて湖底に埋もれている。古代湖の一つと言われる琵琶湖はその生物種も多様に存在し、多くの生命の輪廻が秘められているといってよい。その見えない微生物的宇宙が、拡大された画面によって展開されている。
人工素材のシリコーン・ラバーを使った抽象的な彫刻作品で知られる松井紫朗は、2つ空間が水でつながる大小2の器を展示した。テーブルの上に設置された《ENTERING KINGYO-TABLE― STATION》(2015)は、その名の通り「金魚鉢」であるが、一つの「鉢」に留まって滞留しないように、リング状の水路が取り付けられ、金魚が旅をできるようになっている。そして金魚とともに水も循環する。それは室内において小さな回遊式庭園をなしている。
もう一つは、屋外に設置されているが、両足院の床の高さに合わせて、高い台が組まれている。四角の器の一部に円筒状の二重底が組み込まれており、そこだけが器の底が見えない深い黒を称えている。水平と垂直の対比が透過および反射する水によって表現されており、これもまた水によって表された宇宙といってよい。それは、デュシャンを援用した、宇宙の空気を持ち帰る松井の宇宙プロジェクト「手に取る宇宙-Message in a Bottle」の問題意識ともつながるものだろう。
深い暗闇という点で、大舩真言の軸装された日本画法による作品と共鳴する。《VOID》と題された作品は、深い青や黒を思わせる岩絵の具が塗られており、平面でありながら、どこまでも続く暗闇のようにも見える。これらも波動やゆらぎ、天と地の間にある水の循環が意識されているが、「ある」けども見えないもの、空虚だけども充実しているものを感じる。それは無というより、むしろ「空」に近いものだろう。
松井が空虚なものを包む器、大舩が空虚そのものを表現したとしたら、近藤高弘は、人間の身体を魂の器と捉えた、顔のない陶製の座像《Redaction》(2014)を池泉回遊式庭園に展示した。池の端と端に向い合せに設置された作品は、まさに彼岸と此岸を感じる作品となっている。これらは2011年の東日本大震災後に、宮城の山中の登り窯で焼かれたものだという。そして、2014年に大きな津波が襲った閖上海岸の前に海を対峙して設置されて鎮魂を願った。まさに、「修理固成」された土による器は、魂の入れ物であり、海と土から身体が生まれ、魂が入れ替わることを示唆している。
そして、大書院には、小清水漸が拾ってきた石と、その形に合わせた金属の台による、《雪のひま》(2010)のインスタレーションが展開されている。「雪のひま」とは、降り積もった雪が、溶けだし地肌を表した隙間のことで、季語でもある。2010年に退官記念展の一環として発表されたもので、1983年に東京画廊の第2回展で発表された作業台シリーズの新作でもあった。「もの派」に連なる作家として知られる小清水だが、モノと人間との関係を問うモノの配置、再配置が主だった作風から、彫刻的な展開へ移行する際、「台座」としての作業台をモチーフとした。一方で、自然物である石そのものを作品として見せるために、そのフレームとして作業台=台座をつくったともいえるだろう。つまり、最終的に自然そのものに「何か」を見出すためのプロセスであり、やがて見えなくなる台座といってもいいかもしれない。実際、小清水は石一つだけで見せられるようになりたい、と述べていた。
大書院には、「もの派」を牽引した関根伸夫の「位相」シリーズや、その端緒となった《位相―大地》(1968)のを撮影した写真も飾られ、同じく「もの派」の成田克彦の 《SUMI》(1968)、吉田克朗の《触》(1996)も併せて展示されていた。彼らは物故作家であり、まさにここにはモノに込められた魂だけが残っているかもしれない。
また、写真家としても知られる勝又公仁彦が、自身の初期の平面作品や、モニター、様々な自然素材などを組み合わせたインスタレーションを構成しており、「生死」をテーマにした慰霊の空間とつくっており、様々な息遣いの痕跡を現わしていたことも印象的であった。
現代アートにおいて、近年、命を直接的にテーマにすることは少ない。社会問題や政治問題をテーマにすることはあるが、「私たちの魂がどこから来てどこに行くのか」という人間の生の根源的問いは、宗教的なテーマとして忌避されているといってよい。しかし、そこに踏み込まずして、根源的な表現をするのは不可能であろう。
仏教寺院で展示されていたということもあり、キリスト教の影響がある西洋文化や現代アートから漏れ落ちている日本的感受性を死者への慰霊、生命の循環、モノに見出す霊性などから作家が見出し、生命の根源に触れようとしている点が印象深かった。政治的にも環境的にも不確実な時代が続くが、我々が生きることの意義について感性のレベルで触れるということは芸術の原点なのではないかと思える展覧会であった。