企画趣旨
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展
2021年11月19日(金)~11月28日(日)
第1会場:両足院
監修:鎌田東二 企画協力:山本豊津 企画:秋丸知貴
第2会場:The Terminal KYOTO
監修:山本豊津 企画:秋丸知貴
出品作家:池坊由紀 入江早耶 大西宏志 大舩真言 岡田修二 勝又公仁彦 鎌田東二 小清水漸 近藤高弘 関根伸夫 成田克彦 松井紫朗 吉田克朗
ユング派分析心理学の重鎮エーリッヒ・ノイマンは、『芸術と創造的無意識』(1954年)で、社会における芸術家の役割について論じている。
まずノイマンによれば、創造的な人間は、個人的な無意識を超えて、全人類が深奥で共有している集合的無意識に通じている。集合的無意識は、宇宙の創造力の根源であり、「聖なるもの」(R・オットー)の源泉であり、様々な不可視の元型が司る領域である。
創造的人間は、この集合的無意識に沈潜し、元型を触媒として、彼の属する社会の求める「シンボル」(E・カッシーラー)を生み出す。シンボルは、精神的意味内容を感性的形式で表現し、認識と行為を支え、現実への適応を助ける。創造的な人間により可視化され具体化されたシンボルは、その社会に共有され、集合的意識を方向付け、それぞれの個人的意識に影響する。時代が移り変わり、社会の求めるものと既存のシンボルに齟齬が生じると、再び創造的な人間が集合的無意識に沈潜し、改めて元型を触媒としてその社会の求める新しいシンボルを作り出す。
こうした創造的人間は、宗教、思想、政治、経済、科学、技術、芸術等のあらゆる文化領域に存在するが、ある意味で最も重要で基礎的なのは芸術家である。なぜなら、シンボルの創出は、直観が論理に優越し、造形が言語に先行するからである。従って、文化社会はすべからく優れた芸術家を擁している。特に、造形芸術、音楽芸術、身体芸術は、言語芸術よりもより根源的な象徴的有意義性を有している。人類の文化的発達と洞窟壁画の成立が並行しているのは、故無きことではない。
ここで興味深いことは、ノイマンが西洋文明には二度の大きな転換期があると述べている問題である。つまり、中世から近代にかけては女性原理から男性原理への重心移行があり、20世紀以後は男性原理が過剰になり過ぎた揺り戻しとして再び女性原理が蘇りつつあるという。
ノイマンによれば、人類は「太母(グレート・マザー)」元型の強い中世までは無意識的領域にまどろんでいたが、次第に「太父」元型の強い近代に入ると意識を先鋭化し、合理的精神を発達させた。この合理的精神が、個人主義をもたらし、経済的資本主義や政治的民主主義を形成し、科学技術を誕生させた。これらにより、人類は無智蒙昧から解放され、飛躍的に物質的繁栄を謳歌することになった。造形芸術においては、主体的個人による客観的世界の把握を含意する、ルネサンス期における一点透視遠近法の成立がこれを象徴している。
しかし、次第に無意識から切り離された意識は肥大化し、世俗化を推進し、最高価値の喪失としてのニヒリズムを招来し、貧富の差を拡大し、自然環境を破壊し、機械化による人間疎外や破滅的な二度の世界大戦を発生させることになった。
この男性原理の過剰に対する補償として、戦前から戦後にかけて女性原理が再び強まりつつあると、ノイマンは見る。つまり、「太母」元型が再来することにより無意識的領域が活性化し、現世志向の強い近代精神により切り捨てられてきたアニミズム的・汎神論的心性が復興しつつあると説いている。まず、「恐ろしい母」の下で、キュビスムに代表される人体像の解体や、シュルレアリスムに典型的な悪夢的なイメージが台頭する。次に、そうした混沌と暗黒の中で、さらに「聖なる母」が顕現し、マルク・シャガールやヘンリー・ムーアに象徴されるような普遍的な慈悲や友愛の精神が目覚めようとしていると説明している。
ノイマンによれば、集合的無意識に内在する神聖性と向き合いつつ、個人的な意識と無意識を統合していく個性化こそが、今日あらゆる人間の課題である。
もちろん、こうしたノイマンの議論はやや強引なところがあり全てを首肯することはできない。それでもなお、私達が傾聴すべき部分も決して少なくはない。
新型コロナ禍や毎年発生する異常気象が、人新世における人類の自然コントロール願望に淵源を持つことを疑う者は、今や少数派であろう。ノイマンの用語で言えば、それは近代西洋的な男性原理の過剰による意識の肥大化の副作用である。そこでは、東洋、特に日本が古来大切にしてきた、森羅万象には魂(アニマ)が宿り、人間は大自然の一部に過ぎないという謙虚な自然観は見失われている。また、魂は此岸だけで消滅するのではなく彼岸との間で循環するのだから、この現世で傍若無人に振る舞うべきではないという深遠な死生観も忘却されている。いのちの帰趨は、母なる大地、母なる大自然、母なる大宇宙である。人間の力ではどうにもならない不幸な現実に強烈な悲哀を感じるとき、物質主義的価値観に目が曇る近代人にもそのことが思い出されるのかもしれない。
「内なる男性性」を確立すると共に、虐げられてきた「内なる女性性」(アニマ)を呼び覚まし統合することこそが、今求められているのではないだろうか?
2015年に北野天満宮で開催された「悲とアニマ――モノ学・感覚価値研究会展」に続き、「悲とアニマⅡ――いのちの帰趨」展は、東日本大震災から10年目の2021年秋に京都の二会場で開催される。第1会場である建仁寺塔頭・両足院では「彼岸」を、第2会場であるThe Terminal KYOTOでは「此岸」を象徴する展示を行う。
現代日本美術において、伝統的な日本の自然観や死生観がどのように表象されているかも本展の見所の一つとなる予定である。
秋丸知貴(現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ」企画者)
※初出 日本宗教信仰復興会議公式ウェブサイト「真空(論考)」2021年9月26日より転載。