「現代京都藝苑2021」開催報告 秋丸知貴評

 

始まりは、鎌田東二の霊感(インスピレーション)である。日本語の「もの」は、「物(モノ)」と「者(モノ)」と「霊(モノ)」を含意する。つまり、「もの」という一語に「物質的次元」「精神的次元」「霊的次元」が重なり合っている。この「もの」という言葉に込められた重層性を手掛かりとして日本の伝統的感受性の内容と意義を探るのが、鎌田の提唱する「モノ学・感覚価値」研究の主要な目的であった。

要するに、古来日本人にとって自然は、近代西洋科学が対象とする死せる無味乾燥な「材料」ではない。日本の伝統的感受性において、自然は全て人間と同類の「心」を持つ精神的存在であり、物質的にも人間と同等の価値を持つ「素材」である。なぜなら、本来人間を含む自然は全て、彼岸の「幽」界における「大霊(サムシング・グレート)」の分有であり、その個々の「霊」は此岸の「顕」界に物質化する際に「魂(アニマ)」となって宿るからである。古来、日本人はこの「霊魂」が顕幽両界を循環する死生観を育みつつ、自然においても人間においてもその「霊魂」の強い現れを神々として捉えてきた[1]

従って、「もの」という日本語を手掛かりに日本の伝統的感受性を探る試みは、「幽」界の存在を否定し、「顕」界だけが全てと見なすことで、飛躍的に物質的発達を遂げた代わりに、致命的な人間疎外や自然環境破壊をもたらした、理性的男性原理を偏重する近代西洋文明のマイナス面に対する補完要素となりうる。それが、「モノ学・感覚価値」研究の今日的意義だったと言える。

この鎌田の「モノ学・感覚価値」研究は科研費に採択され、日本の伝統的感受性を最も色濃く残す千年の古都京都で繰り広げられることになった。なぜなら、鎌田の在籍する京都造形芸術大学(現京都芸術大学)で出発し、後に転任した京都大学こころの未来研究センターを拠点としたからである。2006年にモノ学・感覚価値研究会が発足し、2009年にはアート分科会も誕生した。モノ学・感覚価値研究会及びアート分科会が精力的に研究会・シンポジウム・展覧会等を行う中で、一つの集大成として2015年3月に開催されたのが「現代京都藝苑2015」であった[2]

「京都藝苑」は、高橋博巳が提唱した学術用語である[3]。つまり、18世紀後半の京都において、売茶翁を中心として皆川淇園・上田秋成・大典・六如等の文人達と与謝蕪村・池大雅・伊藤若冲・丸山応挙等の画家達が一つの濃密な交流圏を形成したことを指す。現代の京都において、鎌田を中心として大勢の学者達と芸術家達が連携して展開したモノ学・感覚価値研究会及びアート分科会こそは正に「現代京都藝苑」と呼べるだろう。

この現代京都藝苑2015は、「悲とアニマ」展(北野天満宮)、「素材と知覚」展(遊狐草舎・虚白院)、「連続の縺れ」展(The Terminal KYOTO)、「記憶の焼結」展(五条坂京焼登り窯)という4つの現代美術の展覧会(5会場)から構成された。その美学・美術史上の意義は、次のようにまとめられる。

最も重要な点は、神社、町家、仕事場という日常生活に根差した空間で展示することにより、現代美術における日本の伝統的感受性の現れ方が浮き彫りになったことである。つまり、ゲオルク・ジンメル[4]やアンドレ・ジイド[5]が指摘するように、近代西洋の美術(ファイン・アート)は作品を人間理性の純粋な自律的完結物として自然や生活から切り離す。そのため、展示においては額縁や台座が強調され、日常生活上の機能連関が一切遮断された純粋空間(ホワイトキューブ)が要請されることになる。これに対し、現代でも日本の美術作品は逆に自然や生活との連続的性格が強く、人と物と場の相互作用が生み出す雰囲気が重要な意味を持つことが多い。そこでは、近代西洋の美術(ファイン・アート)が切り捨ててきた宗教性や実用性が濃厚に漂うことになる。このことは、出品作家達が皆あくまでも近代西洋由来の美術(ファイン・アート)の枠組みで作品展示したからこそ明らかになった特色と言える。

それらの中でも特筆すべきは、従来現象学的観点からばかり論じられてきた1970年前後の現代日本美術を代表するもの派が日本の伝統的感受性を強く成立要因としていたことや、そうした日本の伝統的感受性を21世紀の現代日本の美術家達も数多く共有していることや、それらの現代日本美術が生花・茶道・能楽等の日本の伝統的な芸道と親近性を持つこと等である。すなわち、谷川徹三が近代西洋の美術(ファイン・アート)を基準として嘆いた「芸術的隔離性[6]」の低さこそが、むしろ逆に現代日本美術の個性として、大西克礼の「パントノミー[7]」や鼓常良の「無框性[8]」の文脈で高く評価できるのである。

 

◇◇◇

 

そして、その6年後の2021年11月から翌年1月にかけて開催した「現代京都藝苑2021」は、これらの問題をより深め広く社会発信することを目指すものであった。主イベントである展覧会(会期:11月19日~28日)の出品作家については、存命作家は2015年の出品者から選抜し(池坊由紀・入江早耶・大西宏志・大舩真言・岡田修二・勝又公仁彦・鎌田東二・小清水漸・近藤高弘・関根伸夫・松井紫朗)、さらにもの派の吉田克朗と成田克彦を新たに加えた。

展覧会のタイトルは、「悲とアニマⅡ」とした。2015年の4つの展覧会の内、「悲とアニマ」を選んで続編としたのは、現時点においてそこに日本の伝統的感受性が最も現れやすいと考えたからである。つまり、感受性は本来自然であるために無意識的であり、それを意識的に表現しようとすると不自然になる。そこで、出品作家達には日本の伝統的感受性を直接表現しようと努めるのではなく、東日本大震災から10年後であり、新たに新型コロナウィルスという大災厄に見舞われた現在に感じていることをありのまま自由に表現してもらい、そこで自ずから立ち現われるものを提示することにした。

このことは、次のように言い換えられる。カール・ユング[9]やエーリッヒ・ノイマン[10]に倣えば、人は強烈なショックや絶望的な無力感を経験した時に、意識から無意識へ、さらに集合的無意識へと沈潜しやすくなる。もし日本の伝統的感受性が立ち現われるとすれば、それはこの集合的無意識の領域においてのはずである。また、集合的無意識は、彼岸へと繋がる聖なる領域であり、宗教や芸術を始めとするあらゆる創造力の源泉とされる。そこでは、人は様々な元型(アーキタイプ)を触媒として、此岸の自分や社会に欠けている要素を補償するイメージを獲得する。そうした元型の例として、共に「アニマ」と訳される「内なる異性」や「自然の魂」が考えられる。もし日本の伝統的感受性に基づいて近代西洋文明のマイナス面を補完する芸術的シンボルの創造を求めるならば、「悲」において「アニマ」と向き合うことはその有力な契機でありうる。これらが、「悲とアニマ」という詩的で抽象的な展覧会名を採用した意図であった。

この観点から、監修の鎌田東二の発案により、展覧会のサブタイトルは「いのちの帰趨」に決まった。鎌田はかねてより顕幽両界における霊魂の循環を「翁童論」として説いており[11]、それを言い換えた「いのちの帰趨」によりこの展覧会が死生観における日本の伝統的感受性のあり方をテーマとする方向性がより明確化された。これを受けて、監修の山本豊津の提案により、展覧会の展示構成は、第一会場である仏教寺院の両足院を「彼岸」、第二会場である町家のThe Terminal KYOTOを「此岸」と位置付け、出品作家がそれぞれ両会場に出品するという方式が定められた。これは、両会場の間を流れる賀茂川が古来京都では彼岸と此岸を分け隔てる意味合いを有していたというサイト・スペシフィックな文脈を生かすものであった。

個々の展示作品の解説については、現在準備中の図録に譲る。本稿では、特に日本の伝統的感受性という点で注目すべき作品に焦点を当てて紹介しよう。

 

図1 池坊由紀《巡り――いのちが去り》2021年

 

まず取り上げるべきは、展覧会初日前日の11月18日に、第一会場の両足院の本堂で本尊の阿弥陀如来に献華式を行った池坊由紀である。この献華式で、池坊は華道本流の次期家元として、生花の技法を用い、生花が仏への供花に由来するという文化的伝統に則りつつ、一人の美術家(ファイン・アーティスト)としてコンセプトを重視する《巡り――いのちが去り》(2021年)(図1)を展示した。この作品は、黒く染めたシダレグワを∪型に設え、ツルウメモドキの無数の赤い実をあしらい、前に若松を立てたものであり、第二会場のThe Terminal KYOTOの床間に展示した、白く脱色したシダレグワを∩型に垂らし、グロリオサの赤い花弁を一つ差し、アンスリウムの枯葉で飾った《巡り――いのちが生まれる》(2021年)(図2)と呼応するものであった。この一対で白黒や花実や老若を対比する円環構造について、池坊自身は「彼岸の作品は『命がもどっていくさま』、此岸の作品は『命が産み落とされるさま』を表現している[12]」と説明しており、正に日本の伝統的死生観を顕著に表象する概念芸術(コンセプチュアル・アート)だったと言える。

 

図2 池坊由紀《巡り――いのちが生まれる》2021年

図3 近藤高弘《白磁壷――カタチサキ》2021年

 

ここで興味深い点は、この池坊の作品はどちらも他者との協同作業により完成するものだったことである。つまり、両足院の《巡り――いのちが去り》では、最後の若松は池坊の示唆により鎌田東二が差して完成した。また、The Terminal KYOTOの《巡り――いのちが生まれる》は、花器である近藤高弘の《白磁壷――カタチサキ》(2021年)(図3)と組み合わされて完成した。これは、近代西洋美術が個人の美術家による完結を基本原則とするのに対し、連歌的協働を本質的要素とする点で日本の伝統的感受性に基づくものだったと言える。

なお、鎌田はさらに11月21日にこの両足院の《巡り――いのちが去り》の前で本尊に鎮魂能舞を奉納した(演者:鎌田東二・河村博重・由良部正美)。これは、芸術における宗教的要素を重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かしたものだったと言える。

また、近藤の《白磁壷――カタチサキ》は、焼成の過程で偶然に生じた割目を造形上の本質的要素とするものである。これは、高階秀爾[13]や山本健吉[14]が指摘するように、近代西洋美術の原則が人為による自然の一方的支配であるのに対し、それとは異なり人為と自然を協和させるものであり、その意味で人間と自然を同類同等と見なす日本の伝統的感受性の一つの反映だったと言える。さらに近藤は、両足院が日本に禅宗と喫茶を導入した栄西が創建した建仁寺の塔頭であるという文化的伝統に則りつつ、同じく11月21日に境内にある茶室臨池亭で自作の銀滴碗《波》(2015年)(図4)、掛軸《真なる金》(2021年)(図5)、陶像《鎮獣十二支》(2021年)(図6)を用いて茶会を催した。これも、芸術における宗教的・実用的要素を重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かしたものだったと言える。

 

図4 近藤高弘《波》2015年

 

図5 近藤高弘《真なる金》2021年

図6 近藤高弘《鎮獣十二支》2021年

 

これに加えて、もの派の関根伸夫の両足院における展示において、初期の絵画《位相》(1968年)(図7)からもの派の出発点である《位相-大地》(1968年)(図8)への展開が、表現の重心における「視覚的観念性」から「触覚的実在性」への転換であることが示された。そして、11月7日に京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催されたシンポジウム①「もの派の帰趨」において、その「触覚的実在性」の重視が自然を人間より下位の「材料」ではなく同類同等の「素材」と見なす日本の伝統的感受性に基づいていることが筆者により指摘された(登壇者:赤松玉女・小清水漸・吉岡洋・稲賀繁美・松井紫朗・近藤高弘・山本豊津・秋丸知貴)[15]

 

(撮影:成田貴亨)

図7 関根伸夫《位相》1968年

図8 村井修撮影《関根伸夫「位相ー大地」》1968年

 

また、もの派の小清水漸の両足院とThe Terminal KYOTOの展示において、《位相-大地》(1968年)の《垂線》(1969年)(図9)への影響が、やはり表現の重心における「視覚的観念性」から「触覚的実在性」への転換であり、それが日本の伝統的感受性への開眼に繋がっていることが、同じくシンポジウム①「もの派の帰趨」において小清水及び筆者により確認された[16]。そして、生活性を切り捨てないために厳格な台座を必要としない日本の造形的伝統を生かした、小清水の《雪のひま》(2010年)(図10)に至る「作業台」シリーズが、近代西洋美術の脱構築の点でジャック・デリダの『絵画における真理』(1978年)[17]における「パレルゴン」批判よりも早く実践されていることが、同じくシンポジウム①「もの派の帰趨」において稲賀繁美により指摘された[18]

 

図9 小清水漸《垂線》1969年

 

図10 小清水漸《雪のひま》2010年

 

なお、11月21日に両足院で展示作品を前に開催されたシンポジウム②「宗教信仰復興と現代社会」では、人間の心身の健康においては宗教の果たす役割が大きいことが論じられた(登壇者:水谷周・島薗進・鎌田東二・加藤眞三・弓山達也・伊藤東凌)。また、11月23日に京都大学稲盛財団記念館3階大会議室で開催されたシンポジウム③「日本人と死生観」では、そうした宗教の中でも日本の伝統的死生観の持つ意義が大きいことが議論された(登壇者:やまだようこ・鎌田東二・広井良典・一条真也・秋丸知貴)。そして、2022年1月9日にZOOMで開催されたシンポジウム④「グリーフケアと芸術」では、宗教と共に芸術もまた人間の心身の健康において非常に有益であることが討論された(登壇者:鎌田東二・秋丸知貴・松田真理子・木村はるみ・大西宏志・勝又公仁彦・奥井遼)[19]

「現代京都藝苑2021」企画者兼事務局長として、本イベント開催に当たり厚い理解をいただいた、共催の両足院、The Terminal KYOTO、上智大学グリーフケア研究所、シンポジウム①「もの派の帰趨」共催の京都市立芸術大学、協賛の株式会社サンレー、一般社団法人日本宗教信仰復興会議、京都伝統文化の森推進協議会、協力の村井修写真アーカイヴス(村井久美)、京都大学こころの未来研究センター、豊和堂株式会社に心よりお礼申し上げたい。

(本文・写真:秋丸知貴)

 

[1] 今なお日本では、地水風火等の自然力の強い現れは自然神として崇められ(巨石や巨木等)、偉業を成し遂げた人間は人格神として崇拝されている(菅原道真、徳川家康、明治天皇等)。

[2] 現代京都藝苑2015以前のモノ学・感覚価値研究会及びアート分科会の活動内容については、以下を参照。『モノ学・感覚価値研究(年報)』第1号~第10号。鎌田東二編著『モノ学の冒険』創元社、2009年。鎌田東二編著『モノ学・感覚価値論』晃洋書房、2010年。モノ学・感覚価値研究会アート分科会編『物気色』美学出版、2011年。

[3] 高橋博巳『京都藝苑のネットワーク』ぺりかん社、1988年。

[4] ゲオルク・ジンメル「額縁――ひとつの美学的試み」『ジンメル・コレクション』北川東子編訳、鈴木直訳、ちくま学芸文庫、1999年。

[5] アンドレ・ジイド『藝術論』河上徹太郎訳、齋藤書店、1947年。

[6] 谷川徹三『茶の美学』淡交社、1977年。

[7] 大西克礼『大西克礼美学コレクション3 東洋的芸術精神』書肆心水、2013年。

[8] 鼓常良『日本藝術様式の研究』内外出版印刷株式会社出版部、1933年。

[9] カール・グスタフ・ユング『自我と無意識の関係』野田倬訳、人文書院、1982年。

[10] エーリッヒ・ノイマン『芸術と創造的無意識』氏原寛・野村美紀子訳、創元社、2021年。

[11] 鎌田東二『翁童論』新曜社、1988年等を参照。

[12] 「華道家元池坊次期家元 池坊専好 活動の記録」『華道』日本華道社、2022年3月号、5頁。

[13] 日本文化会議編『東西文化比較研究――自然の思想』研究社、1974年における高階秀爾の発言を参照。

[14] 山本健吉『いのちとかたち』新潮社、1981年。

[15] この内容は、2015年2月28日に京都大学文学部新館第3講義室で行われた、関根伸夫と秋丸知貴による現代京都藝苑2015プレイベント対談「日本的感受性と日本近現代美術」において確認された。次の拙稿も参照。秋丸知貴「モノ学・感覚価値研究会アート分科会活動報告2015・『現代京都藝苑2015』を中心に」『モノ学・感覚価値研究』第10号、京都大学こころの未来研究センター、2016年、40-47頁。秋丸知貴「自然体験と身心変容――『もの派』研究からのアプローチ」『身心変容技法研究』第6号、上智大学グリーフケア研究所、2017年、76‐84頁。秋丸知貴「現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相―大地》(一九六八年)から《空相―黒》(一九七八年)への展開を中心に」『比較文明』第34号、比較文明学会、2018年、131-156頁。

[16] この内容については、次の拙稿も参照。秋丸知貴「Qui sommes-nous? ――もの派・小清水漸の一九六六年から一九七〇年の芸術活動の考察」『身心変容技法研究』第8号、上智大学グリーフケア研究所、2019年、118‐130頁。秋丸知貴「現代日本美術における土着性――もの派・小清水漸の《垂線》(一九六九年)から《表面から表面へ‐モニュメンタリティー》(一九七四年)への展開を中心に」『比較文明』第35号、比較文明学会、2019年、169-190頁。秋丸知貴「現代日本彫刻における土着性――もの派・小清水漸の《a tetrahedron‐鋳鉄》(一九七四年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に」『比較文明』第36号、比較文明学会、2021年、137‐162頁。

[17] ジャック・デリダ『絵画における真理(上・下)』高橋允昭・阿部宏慈訳、法政大学出版局、2012年。

[18] 稲賀繁美『接触造形論』名古屋大学出版会、2016年も参照。

[19] 各シンポジウムの記録については、現代京都藝苑2021公式サイトの「開催概要」を参照(http://kyotocontemporaryartnetwork.web.fc2.com/introduction2021.html)。

 

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展
2021年11月19日(金)~11月28日(日)
第1会場:両足院 第2会場:The Terminal KYOTO

シンポジウム①「もの派の帰趨――小清水漸の芸術を中心に」
2021年11月7日(日)午後1時~午後5時
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

献華式
2021年11月18日(木)午後2時~午後2時30分
両足院

アーティスト・トーク「悲とアートと宗教」
2021年11月18日(木)午後2時30分~午後4時30分
両足院

「手にとる宇宙」茶会
2021年11月19日(金)午前10時~午前12時
両足院 茶室(水月亭)

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」茶会
2021年11月21日(日)午前10時~午前12時
両足院 茶室(臨池亭)

シンポジウム②「宗教信仰復興と現代社会」
日時:2021年11月21日(日)午後1時~午後5時
会場:両足院

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」鎮魂能舞舞踏
2021年11月21日(日)午後5時15分~午後6時
両足院

シンポジウム③「日本人と死生観」
2021年11月23日(火・祝)午後1時~午後5時
京都大学稲盛財団記念館3階大会議室

シンポジウム④「グリーフケアと芸術」
2022年1月9日(日)午後1時~午後5時
ZOOM

「現代京都藝苑2015/2021」公式ウェブサイト

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評者: (AKIMARU Tomoki)

博士(学術)/美学・美術史・死生学・メディア論
1997年 多摩美術大学美術学部芸術学科卒業
1998年 インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了
2001年 大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了
2009年 京都造形芸術大学大学院芸術研究科美術史専修博士課程単位取得満期退学(2011年度学術博士)
2009年4月~2010年9月 日図デザイン博物館学芸員
2010年4月~2012年3月 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月~2013年3月 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月~2016年3月 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月~ 滋賀医科大学非常勤講師
2017年9月~ 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月~ 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月~ 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月~ 京都芸術大学非常勤講師
博士論文を基にした主著『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房・2013年)で、2014年度の比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)を受賞。

(『週刊読書人』WEBでも書評を掲載中 https://dokushojin.com/)

http://tomokiakimaru.web.fc2.com/

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