絵画は本当に死んだのか?「林道郎著『静かに狂う眼差し——現代美術覚書』水声社・2017年」秋丸知貴評

絵画の不滅性を示唆する美術批評の最先端の地平

林道郎著『静かに狂う眼差し——現代美術覚書』(水声社・2017年)

秋丸 知貴

絵画は、本当に死んだのか?

19世紀末前後にヨーロッパで、印象派からフォーヴィズムやキュビズムを経て幾何学的な純粋抽象絵画が生まれる。これに第一次世界大戦後のメキシコ壁画運動の影響が加わり、第二次世界大戦後すぐのアメリカで、巨大なキャンバス一杯に荒々しく抽象造形を描く抽象表現主義が誕生する。これを「線的(リニアー)」から「絵画的(ペインタリー)」への弁証法的発展による絵画媒体の独自効果の進歩的達成と評価し、パリからニューヨークへの芸術上の遷都を高らかに宣言したのが、戦後アメリカを代表する美術批評家クレメント・グリーンバークである。

こうしたグリーンバーグのモダニズム絵画史観は1960年代に入ると権威を増し、その影響下に1964年には、支持体の平面性と絵画的イリュージョンを物理的に合致させ、再び「線的」に絵画の純粋還元を推進したとされる脱絵画的抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクション)も生み出す。グリーンバーグに従えば、これにより絵画は進歩の最終目的地に到達したはずであった。

ところが、それに並行して台頭する全面単色絵画(モノクローム・ペインティング)との論理的不整合により、グリーンバーグの絵画理論は神通力を失う。続いて隆盛するキッチュなポップ・アートと三次元造形のミニマル・アートに挟撃され、さらに両者の後継動向であるコンセプチュアル・アートや新表現主義等にも排撃されて、アヴァンギャルドとしてのモダニズムの絵画は終焉した、と今日まで噂され続けている。

しかし、こうした一般に流布する「絵画の死」の神話に対し、絵画が持つ人間の感覚や想像力や思考のモデルとしての可能性の観点から再考を促すのが、本書の著者の林道郎である。本書は、林がこの観点からDIC川村記念美術館の所蔵品に新たな照明を当てるべく企画した「静かに狂う眼差し――現代美術覚書」展の記念出版物である。しかし単なる展覧会図録ではなく、展示作品以外も豊富に参照して企画上の問題意識をより深く掘り下げた独立した学術書となっている。

第1章「密室の中の眼差し」では、アンリ・マティスからリチャード・ハミルトンへの流れを軸に、近代において密室(アトリエや個室)が育んできた主体の客体に対する支配・逆支配関係が絵画にどのように反映しているかが考察される。

第2章「表象の零度――知覚の現象学」では、ジョゼフ・アルバースやジョン・マクロフリンを先駆として、絵画が日常的即物性に堕す危機を迎える1960年代に登場した、見るという営為自体や身体を通じた自己と環境の関係を省察する様々な芸術的試みが分析される。

第3章「グレイの反美学」では、マルセル・デュシャンやジャスパー・ジョーンズを起点として、ボードリヤールの言う「物の体系」を撹乱する、意味と情報の網目の外部を表象しつつ近代を逆照射する主に60年代以降の現代美術が読解される。

第4章「表面としての絵画――ざわめく沈黙」では、ジャクソン・ポロックやサイ・トゥオンブリーを代表として、19世紀から20世紀にかけて多様に展開してきた絵画における形式面での視覚的快楽と、それを成立させている支持体に根差した諸条件について検討される。

本書は、日本では十分に定着しなかったグリーンバーグの形式主義(フォーマリズム)的モダニズム絵画史観を十全かつ批判的に継承しつつ、さらに実作品に即して現代美術の理解に寄与する独自の視点を潤沢に供給する、貴重な本格的美術批評の実践といえよう。

 

※初出 秋丸知貴「林道郎著『静かに狂う眼差し——現代美術覚書』水声社・2017年」『週刊読書人』2017年10月28日号。

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評者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

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