生命の息吹を育む芸術
先日、両足院とThe Terminal KYOTOの2会場で開催されている「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展についてご紹介した。その際、両足院しか拝見できなかったが、本日、The Terminal KYOTOを見に行ったので、少しだけ感想を書いておきたい。
両足院は、先日記載したように、建仁寺の敷地内にある塔頭寺院であるが、東山に近いところにある。言わばかつての町はずれにあたる。それに反して、The Terminal KYOTOは、烏丸四条が最寄りの駅であり、現在の京都市内でももっとも中心部にあるといってよいだろう。ただし、1932(昭和7)年に建てられた総二階の町家を復元した建築であり、「うなぎの寝床」と言われる、約9mと狭い間口と比べて奥行が50mと長く、奥庭もある京町家の構造をよく残している。
「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展では、The Terminal KYOTOを「此岸」、すなわち「この世」に見立て、両足院を「あの世」に見立てた展示が企画されていた。出展作家は同じであるが、「この世」と「あの世」というテーマに沿って、出品作品が変えられている。
近年では、芸術祭などで古い民家などの日本家屋で現代アートが展示されることも増えてきたが、実は意外に難しい。そもそも、明治以降に輸入された西洋画を飾る場所は日本にはなかった。それらが飾られるようになったのは洋館であり、その後は、和洋折衷した家屋における応接間や書斎のような洋間であった。洋間は、基本的に家の手前にあり、客をもてなす空間を飾るために絵画が飾られた。しかし、日本家屋においては、応接間は奥にあり、和室に床の間が組み込まれていた。そこで掛けられるのは、絵画ではなく、掛軸である。つまり、根本的に、応接するための位置も、形も違うのである。
その後、美術館やギャラリーでは、「ホワイトキューブ」のような抽象的な空間がつくられていくが、実際に家やオフィスに飾るとなると、応接空間が主となる。しかし、洋間のない空間で現代アートを飾る場合は、様々な工夫を必要とする。The Terminal KYOTOが興味深いのは、呉服商が営まれていたため、前方の空間が商いのスペースとして見せる場所になっていることだ。
土間には、両足院とは対照的に勝又公仁彦がオーソドックスな写真作品を展示している。勝又は、都市の変遷や知覚テーマにした《Skyline》や《CITIES ON THE MOVE》、《Panning of Days》の3シリーズである。《Skyline》は、都市を俯瞰的な位置からパノラマ的な横長の画面で、建物群の輪郭線=スカイラインを捉えた写真だが、空の領域が多く、また天候の影響が大きいため、くっきりとした線が出るわけではなく、都市と自然が溶けあっているように見える。
逆に、没入的な位置から都市の交通網の眼と一体化する《CITIES ON THE MOVE》は、電車の中から都市を撮影した風景であり、遅いシャッター速度によって都市はストライプの線に変容している。あるいは、3枚組の《Panning of Days》は、異なる場所、異なる日時の光景が重層化されている。高瀬川の桜、銀閣寺の疏水、平野神社を撮影したものだが、Palimpseste(パリンプセスト)、すなわち二重露光のように上書きされた写真であり、「3Days in 14yeas」と書いているように、14年間のうちの3日間の変化が刻まれている。そのような様々な視点によって、今日の都市の生成流転が描かれており、もっとも大きな単位の「もののあわれ」といってよい。
呉服や布を見せていたであろう「見せの間」では、岡田修二が3点の絵画を展示していた。両足院とは異なり、花弁や茎を下方からうかがうミクロな風景を捉えている。それもまた生命の輪廻を感じる。
2階には、小清水漸が3つのシリーズを展示していたが、それぞれ印象的であった。特に心を打たれたのは、《無題(『えひめ雑誌』創刊号原画)》(1988)と、無題(『えひめ雑誌』第2号表紙原画)》(1988)である。この絵は、2枚の異なる絵だが、同じ「遺伝子」を物理的に持っている。実は、2つの絵は中央付近が円形にくり抜かれており、入れ替えられているのだ。2つの絵は独立しながらも関係を築いている。
小清水は解説の文章でこう述べている。「僕は、自分の子供が生まれた時、不思議な気分の高揚を感じました。一言でいうと、こんな感じです。僕が死んでも、生まれて来た子が僕の生を引き継いで生きていくのだという実感です。その時僕は、とても充足した気分で、自分の死を肯定することが出来ました。親子というものは、妙な関係です。同じDNAに支配されながら、別々の生を生きるのです」
これに極めて近い言葉を、情報学者のドミニク・チェンが、『未来をつくる言葉: わかりあえなさをつなぐために』(新潮社、2020年)の中に書いている。ドミニクは、自身の娘が生まれたことを受け、自分の死が予め祝福されているような気分になったと実感し、「予祝」という表現している。筆者は、そのことを思い出し、このような感情が、ある種の普遍性があるのだということを実感した。
さらに小清水は、床の間に飾られた《無題(『えひめ雑誌』創刊号原画)》(1988)と、無題(『えひめ雑誌』第2号表紙原画)》(1988)の前に、今年、オイルパステルで描いたドローイング《表面から表面へ―オイルパステル2021》(2021)を、床に大量に並べている。多くの日本人が、戦後においても最悪と言ってもよい日々を過ごした2021年に、この生命力あふれた、色彩豊かなドローイングを描いたことに、感銘を受けるしかない。おそらく、小清水はこのドローイングが敷き詰められた床のように描き続けたのではないかと思える。
また、もう一つの部屋には、高い屋根から逆円錐形の真鍮が、ギリギリ床に触れないように吊られている作品《垂線》(1969/2021)が再制作されている。逆円錐の真鍮は、鈍い光沢を放ち、静止しているように見える。しかし、よく観察すると、微妙に揺れている。外は雨が降っていて、風が吹いている。そう、この建物は生きているのだ。
The Terminal KYOTOには実は地下もある。戦前に建てられたこの建物には、防空壕があるのだ。2つの地下室には、それぞれ緑の光を放つ小さなキューブの固まりからなる、近藤高弘の《HOTARU》(2011)と、鼓動音からなる大宏志《Muyou》(2021)が展示されている。おそらく、かつて防空壕に入った人たちも、蛍のような小さな光を頼りに、暗闇の中を過ごしたのだろう。あるいは、暗闇において、ジョン・ケージが無響室で体験したように、心臓が強く響いていたのかもしれない。
日本の芸術は、決して環境や建物と無関係ではない。寒暖の差が激しく、湿度の高い日本、そして京都において、住まないと建物はすぐに傷んでしまう。自然を感じ、呼吸をするように、窓を開閉し、住み、使うこと。その生成変化する中にこそ芸術もある。「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展の「此岸」と位置づけられた、The Terminal KYOTO会場では、まさに芸術表現によって、生成変化することが、単なる「哀れ」なものではない素晴らしいものだと雄弁に物語っていたといえる。