印象派の絵画は、今日の私たちにとって最も親しみを感じるアートの一つだと言えるだろう。印象派に端を発したモダン・アートの多くは、いかにしてこのようなポピュラリティを獲得したのだろうか。モダン・アートの発展は、その関係した支持者たちが乗り越えようとした商業主義と切り離せない。モダン・アートの思想的擁護には、その初期の段階からアート・マーケットとの密接な関係性が存在したのである。
ロバート・ジェンセン『世紀末ヨーロッパにおけるモダニズムのマーケティング』は、1900年代初頭までの、このモダン・アートの勃興を美学的かつ社会的側面(経済、制度、イデオロギー)から分析した研究書である。
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筆者がこの本と出会ったのは、今から30年近く前のニューヨーク。Barnes & Noble書店の美術書コーナーで新刊として積み上げられていた本を「モダニズムのマーケティング」というタイトルを見て思わず手に取ったのが最初だ。目次と内容にざっと目を通しただけで、ヨーロッパ世紀末の芸術状況をテーマに、有名無名のさまざまなアーティストに加え、この時代の無数のギャラリー、批評家や叙述家、パトロンなどの名前が散見され、アートが有名アーティストとその作品から語られるのではなく、それらが関連する社会制度的な側面から語られる美術史スタイルと、美術史と社会学の越境的な性格をともなった、この書籍の魅力に取りつかれた記憶が残る。その頃90年代の日本では、欧米のニュー・アート・ヒストリーという新しい美術史研究が知られるようになり、歴史研究や作品解釈の方法論自体への関心が高まりつつあった。ジェンダー研究やいくつかの新しい作品解釈の実践となる書籍が翻訳されてはいたが、本書のようにモダン・アートの社会制度的なダイナミズムを扱った美術史の書籍は新鮮だった。加えて、『ディスタンクシオン』、『美術愛好』、『芸術の規則』などの書籍によって知られるピエール・ブルデューの美学的な社会学の、まさに美術史解釈への応用のようにも思えた。
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本書は、作品のフォルムやスタイルといったアートのマテリアリティからでなく、アートの展示と受容に関したマーケティングと文化の政治学的な見地からモダン・アートの規範(カノン)構築とその発展を追ってモダニズムの美術史を捉えるというものだ。
「モダニズムのアーティストたちの売り込みのために、彼らのディーラーや批評家、そして歴史家たちは、とりわけアーティストたちの歴史的正統性を必要とした。このような歴史編集的な企ては、印象主義のマーチャンダイジングの一部であると同様に、アート・ディーラーによる、個々の絵画に加えて、アーティストの全体的なキャリアまでをプロモートするための、しだいに洗練されてゆく策略だった。そうすることで、慣習的なパブリシティーによるばかりか、入念に組み立てられた展示や関係者個々の説得の仕方によって、潛在的なクライアントの投機的、そして/あるいは鑑識スキルにさまざまにアピールしたのである。つまりアートのアマチュアに対して。」*1
ロバート・ジェンセンは、19世紀半ばから世紀転換期に登場したデュラン=リュエルなどのディーラー(「イデオロギー・ディーラー」)を考察し、「回顧展」といったアーティストを権威づけるための制度的な構造分析を通して、新しいアートのアイデンティティ確立に導くマーケット構築の流れを追う。今日のアート・ワールドにまで強固に機能し続けるアートの規範(カノン)構築に焦点を当て、フランスと中央ヨーロッパにおいてモダン・アートが選別された要因を、アート・マーケットという象徴的価値市場における商業的成功と、そのための歴史的正統性の獲得のなかに見る。まだ価値の定まらない当時の「アヴァン・ギャルド」を構成するアーティストとそのグループの作品を市場に押し出すために、ディーラーたちは美術愛好家に対する新しいアートの正当性を説得するために歴史を論拠として提示する場を意識し始めた。
作品受容という側面において、従来の「アカデミー/サロンシステム」から「ディーラー/批評家システム」へのシフトが19世紀末に始まった。ジェンセンは、この時代におけるサロン芸術の衰退と公衆の美術愛好の拡大のなかでアートの価値の変化を促す要因としての「ディーラー/批評家システム」という概念、つまりアーティスト(作品)と受容者をつなぐ媒介者として場を運営するギャラリストと、価値の説得のためのストーリーを紡ぐ批評家の関係に着目する。
ところで、こうしたモダン・アートのマーケティングにおいて経済的に一番おいしいところを攫ったのは、当の「アヴァン・ギャルド」でなく、それに追随し印象派の「真の後継者」を自認していた反体制派のグループであった、というのは面白い。アート・ディーラーと親密に結びつきながら反アカデミックな芸術哲学とともにアーティストを選別する展覧会が行われ、このフレームの中で働くアーティストの共同体が出現した。ジェンセンは、この共同体を「ジュスト・ミリュー・インターナショナル」と呼ぶ。いわゆる折衷主義をいく中道派のことであるが、ジェンセンは従来の「アカデミー/サロンシステム」から「ディーラー/批評家システム」への過渡的な「マーケティング」モデルとして捉える。そして、このアーティストたちに共通する「分離派主義」を国際的なヨーロッパの現象として調べ、多様なアーティストの名前が挙げられる。ガリ・メルチャーズ、リーバーマン、クリンガー、ベナール、アンリ・ジェルベクス、アンデシュ・ソーン、ペダー・クロイヤー、ジョヴァンニ・ボルディーニ、デ・ニッティス、セガンティーニ等々、これらのアーティストは、イギリス、アメリカ、その他のヨーロッパ各都市の国際的展覧会に出品され、公式なサロンでの正当性とアカデミーでのメダル獲得を意のままにするとともに、「アヴァン・ギャルド」のために再構成されたマーケットをも巧みに利用するスキルで広範囲にアート・マーケットを独占した。このようなアーティスト配置のフレームワークは、19世紀モダン・アートのリヴィジョニズムの美術史に修正を加えるものだ。
ジェンセンは、この中道派(「ジュスト・ミリュー」)のフレームでホイッスラーを中心に語りながら、世紀転換期におけるアートのマーケティングのなかで当時の「アヴァン・ギャルド」は、商業的成功を求めながらも、実際は逆説的に、アーティストの独創性や気質という側面、自律した「インディペンデント・アート」といった美学的なレトリックによって訴求する、反商業主義的なゼスチャーを示していたことを指摘する。分離派のアーティストたちは、芸術の商品化にどっぷりと依存するいっぽうで、「アヴァン・ギャルド」と同様に、このマーケットへの依存状況を彼らは自己宣伝において否認したのである。当時の「アヴァン・ギャルド」と分離派に内在した、こうした二律背反は、今日でもファイン・アートの価値を高めつつ売り込むための、アートのインナー・ロジックを見るようで興味深い。
本書のさらに濃密な叙述は「印象主義の世界観の勃興」という章でクライマックスを迎える。ジェンセンは、20世紀初頭のドイツにおいて規範的な印象派を中心的ポジションに置くことでモダン・アートの階級確立を導いた文化的プロモーション活動と批評的解釈の相互作用を追っていく。このプロセスの中心には、マネと彼の後継者の成果を認めるフーゴー・フォン・ツュイーディ、リヒャルト・ムッター、ユリウス・マイアー=グレーフェの歴史編集があった。それは、実質的にオリジナルの印象派アーティストのためにではなく、「印象派の後の」アーティストたちのためのポジショニングをつくる「進歩的な」歴史観を組み立てることであった。これによって、印象派のフォロワーの分離派アーティストたち(「ジュスト・ミリュー・インターナショナル」)の優雅なポジションは破壊される運命を辿ることになった。このオリジナルの印象派の最終的な勝利は、1890年代半ばのドイツで応用芸術における新しいムーヴメント(アール・ヌーヴォー)と「モダニズム」へと発展する美学に架橋したベルギーのデザイナー、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルドと、彼に協力したマイアー=グレーフェ(美術批評家)、ハリー・ケスラー伯爵(ヴァイマール美術館のディレクター、外交官)、カール・エルンスト・オストハウス(ハーゲンのフォルクヴァング美術館の創設者)といったパトロンたちが準備したものだった。
これに続く章「マイアー=グレーフェの場合」では、マイアー=グレーフェのキャリアを辿りながら、ドイツで生まれた新しい美術史の誕生を考察する。それは、モダニストによって構築されたディーラー指向のモダニズムの美術史であった。ジェンセンは、この『現代美術発展史』の著者の人生の複数の糸を辿っていく。新しい装飾を支援し、商い、応用芸術による生活の刷新をプロモートした後に、彼はフランスとドイツのアート・マーケットを熟知し自己利益に結びつく知識をもって、物質主義によって品位を下げるような「絵画」を軽蔑した。マイアー=グレーフェは、絵画のフォルムの発展「ルール」に関するアートの見方に、エミール・ゾラから借り受けた批評原理であるアーティストの「気質」という概念を埋め込むことで非常に説得力のあるモダン・アートのストーリーテリングを達成した。今日我々が「モダニズム」と結びつける近代フランス美術の歴史基盤を築いたのは、フランス美術をドイツに輸入したドイツの解釈者だったのである。
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ジェンセンの『世紀末ヨーロッパにおけるモダニズムのマーケティング』は刊行からすでに30年近くが経過しようとする研究書だが、ヨーロッパ世紀末の芸術状況と文化の政治学を紐解き、モダン・アートの価値の規範がどのように構築されたのか、ということを我々が理解するうえで極めて有益である。最近では、フランソワーズ・フォスター=ハーンによる『テキストとディスプレイ』*2がこの領域の秀逸な研究として注目されるべきだ。この論考は、マイアー=グレーフェの『現代美術発展史』の刊行とその二年後にベルリン国立美術館で行われた「ドイツ美術の100年」展の相互作用を、この展覧会の絵葉書として制作された展示写真の分析とともに、批評家のテキストと美術館展示の視覚的演出が美術史の礎石へと融合変化した瞬間として見事に論じている。ジェンセンの『世紀末ヨーロッパにおけるモダニズムのマーケティング』は、こうしたモダン・アートのダイナミズムを解釈する美術史の展開において、美のあり方、アーティストの独創性と自律性を損なうことなく、アートの社会との複雑な絡まり合いを分析し、いかにしてアートがその価値を獲得していくのかというプロセスを説く書籍として今なお鮮明である。併せて、象徴的価値体系のなかでアート以外の付加価値をマーケティングすることのその仕方についても参考となる書籍であろう。
*1 Robert Jensen, “Marketing Modernism in Fin-de-Siècle Europe,” Princeton University Press, Princeton, 1994, P.3
*2 Françoise Forster-Hahn, “Text and Display: Julius Meier-Graefe, the 1906 White Centennial in Berlin, and the Canon of Modern Art,” https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1467-8365.12105