「今蕭白」が描いた龍に注目〜静嘉堂@丸の内「ハッピー龍イヤー!」

静嘉堂@丸の内(東京・丸の内)の企画展「ハッピー龍(リュウ)イヤー! 〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜」のプレス内覧会に参加した(2023年12月25日)。タイトルからもわかるように、本展は、2024年の干支にちなんで「龍」をモチーフにした作品を集めた企画展だ。出品作品は、静嘉堂文庫美術館の館蔵品のみで構成されている。本記事では、美術品を通して龍と向き合うことの楽しさ・面白さを少しでも伝えられればと思う。

※このたび能登地方を中心に発生した地震と津波につきましては、被災者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。ほかにも不幸なニュースが続き、日本はどうなってしまうのかとさえ思ってしまいます。しかし、世の中の活動を止めないこともまた大事なことだと思い直しました。展覧会名とはいえ、震災直後の記事に「ハッピー」という言葉を使うのに逡巡がありましたが、少しでも、また、小さくても幸福が広がることを祈りつつ、配信することにいたしました。

インド・中国・日本の神が融合

そもそも「龍」は古い時代から中国や日本の美術品の中では人気のモチーフだったので、実にさまざまなものにあしらわれてきた。まずはこの1点から。

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展示風景より、《青花黄彩雲龍文盤》「大清乾隆年製」銘 景徳鎮官窯 清時代 乾隆年間(1736〜95年) 静嘉堂文庫美術館蔵

龍のモチーフは中央に1つ、周囲に4つ。中空を飛んでいるような趣だ。怪物のような姿をしてこちらをにらみつけてはいるものの、半ば文様化されている。一方、すぐれたデザイン性を持つこともあって怖さが先立つことはなく、むしろ親しみをもって接したくなる。中央の龍の長い胴体が作り出している造形は、仮に龍が実在したとしてもありえなさそうで、なかなかユニークだ。

龍は水を司る神として語られることが多い。特に自然科学が未発達だった時代には、竜巻を見て脅威に感じながらも「神」だと思った人々もきっとたくさんいただろう。雨は特に農耕に必要な天の恵みゆえ、ありがたい存在でもある。龍が美化され、吉祥文様として受け入れられるようになったのもむべなるかな、である。

本展の解説パネルによると、「中国で生まれた“龍”は、前漢時代(BC3〜AD1世紀)には、その図様が定形化」され、「インド起源のコブラのような蛇神・ナーガも、仏教を介して中国に伝わり、龍(王)と翻訳され」たという。さらにこの解説では、「日本では(中略)縄文中期〜弥生時代(BC10〜AD3世紀)のころ、水源に繋がる蛇神があったと推定され、これが大陸渡来の龍に触れ、融合したと見られています」とある。インド・中国・日本にそれぞれ存在した「神」が融合し、絵にもなって親しまれているというのは、なかなか興味深いことではないか。どうせなら、世界の平和をも司ってほしいものである。

中国の陶磁器のモチーフになった例からは、身近に置いておくことで、お守りのように所有していたり、場に吉祥の空気をもたらす役割を果たしたりしたことが想像できる。親しまれるようになった理由としては、十二支の一つになったことも大きかっただろう。

ミニチュア芸術としてあしらわれた龍

日本でもたくさんの絵に描かれたほか、刀の(つば)や印籠のモチーフになるなど、なかなか身近な存在になっていたようだ。改めて、日本のミニチュア芸術の粋にうなる。ふだんは目につかないところにあっても、時々間近に引き寄せて鑑賞して目を喜ばせるといった楽しみ方もあったのではなかろうか。

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展示風景より、《黄石公張良図鍔鐔》後藤(無銘) 江戸時代(17世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

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展示風景より、《朱塗龍蒔絵印籠》 江戸時代(18〜19世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

江戸時代の浮世絵師、三代歌川豊国の錦絵《全盛見立三福神》は、3人の花魁が着ているゴージャスな着物が見どころだ。虎とともに龍が描かれているのは、真ん中の花紫が着ている着物だ。左の代々山の着物に大きく描かれた鯉は滝登りをしているところで、やがて龍になる。はたしてこんな図柄の着物が実在したかどうかはわからないが、この錦絵を鑑賞した男たちの目を大いに喜ばせたことが想像できる。ちなみに、右の花扇の着物には大津絵のモチーフである鬼と太鼓が描かれている。

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展示風景より、三代歌川豊国(国貞)《全盛見立三福神》 江戸時代(19世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

3人の花魁を大黒、福禄寿、恵比寿に見立てて「三福神」としているところ、真ん中の下に置かれた紙から、三代歌川豊国が尊敬していたという絵師の英一蝶が見上げているところなど、さまざまな要素が盛り込まれている

「今蕭白」が描いた屏風の迫力と奇想

龍、日本を駆けめぐる」と題された第3章で、六曲一双の屏風と八曲一双の屏風が並んだ展示ケースは、圧巻の展示風景を見せた。

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展示風景より、橋本雅邦《龍虎図屏風》(手前側)と鈴木松年《群仙図屏風》が並べて展示されたコーナー(ともに静嘉堂文庫美術館蔵)

1点は橋本雅邦の《龍虎図屏風》(明治28年=1895年、重要文化財)。岩﨑彌之助の出資で制作され、明治28年に京都で開催された第4回内国勧業博覧会に《龍虎》というタイトルで出品された作品だ。龍虎図は伝統的な画題だが、この絵が表す「動」の表現は、むしろ現代のアニメーションを見ているかのようですさまじい迫力を持つ。

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展示風景より、鈴木松年《群仙図屏風》右隻 明治28年(1895年) 静嘉堂文庫美術館蔵 左端では仙人が2羽の鴨と思しき鳥に乗っている!

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展示風景より、鈴木松年《群仙図屏風》左隻 明治28年(1895年) 静嘉堂文庫美術館蔵 左端では仙人が2匹の鯉と思しき魚に乗っている!

さて、雅邦の屏風と並べて展示された鈴木松年の《群仙図屏風》については、本展で最も注目度の高い作品として挙げておきたい。明治時代に京都画壇をリードしたという松年は、上村松園の師であることのほかは、近年はあまり評価されていなかった。しかし、《群仙図屏風》を目の当たりにして、強い筆致による迫力と「奇想」とも言うべきモチーフのあしらいに惹きつけられた。松年は存命当時、「今蕭白」と呼ばれていたという。まさに江戸時代中期の奇想の絵師の一人として知られる曾我蕭白のような趣をたたえているからだろう。

しかし、蕭白を思わせるインパクトとは別に、松年はおそらく西洋美術の影響を受けながら新しい境地を目指していたことが、この作品からはよくわかる。実際に向き合うと人物を描いた強い線の表現に目が行くが、背景として描かれた雲の描写もなかなか特徴的だ。施された陰影表現によって、古来の日本の文様的な雲ではなく、西洋的なリアリズムから生まれた臨場感を描き出しているのだ。また、屏風という立体物を媒体にしていることも手伝って、奥行きのある表現に成功している。

龍が描かれているのは左隻の右側だ。その龍に乗っているのは、西王母(古代中国の仙女)の娘、太真王夫人。龍に乗るのは定番で、手には琴を持っている。筆者が特に注目したのは、龍の表情だ。心なしか背中に乗っている太真王夫人のことを気にしているように見える。おそらく太真王夫人は天上でこのうえなく美しい音楽を演奏したことだろう。龍もまたその演奏を楽しんでいたのではないか。そんな想像を呼ぶのである。

この絵もまた、岩﨑彌之助の邸宅の一角を飾ったのだろうか。だとすれば、飾られた部屋は、エネルギーに満ちたに違いない。

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展示風景より、鈴木松年《群仙図屏風》左隻 明治28年(1895年) 静嘉堂文庫美術館蔵

中国と日本において、龍がこれほどにも身近な存在であり続けてきたのは、なかなか興味深いことだ。

※写真はプレス内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
※本記事は、ラクガキストつあおのアートノートに筆者が掲載した記事を転載したものです。

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【展覧会情報】
展覧会名:ハッピー龍イヤー! 〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜

会場:静嘉堂@丸の内(東京・丸の内)
会期:2024年1月2日〜2月3日
公式サイト(静嘉堂文庫美術館):https://www.seikado.or.jp/

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評者: (OGAWA Atsuo)

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩美術大学芸術学科教授。「芸術と経済」「音楽と美術」などの授業を担当。国際美術評論家連盟(aica)会員。一般社団法人Music Dialogue理事。
日本経済新聞本紙、NIKKEI Financial、ONTOMO、論座など多くの媒体に記事を執筆。和樂webでは、アートライターの菊池麻衣子さんと結成したアートトークユニット「浮世離れマスターズ」で対話記事を収録。多摩美術大学で発行しているアート誌「Whooops!」の編集長を務めている。これまでの主な執筆記事は「パウル・クレー 色彩と線の交響楽」(日本経済新聞)、「絵になった音楽」(同)、「ヴァイオリンの神秘」(同)、「神坂雪佳の風流」(同)「画鬼、河鍋暁斎」(同)、「藤田嗣治の技法解明 乳白色の美生んだタルク」(同)など。著書に『美術の経済』(インプレス)。
余技: iPadによる落書き(「ラクガキスト」を名乗っている)、ヴァイオリン演奏(「日曜ヴァイオリニスト」を名乗っている)、太極拳
好きな言葉:神は細部に宿り給う
好きな食べ物:桃と早生みかんとパンケーキ

https://note.com/tsuao/m/m930b2db68962

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