展覧会名:Remains
会期:2026年2月21日(土)-3月22日(日)
会場:PURPLE
静謐な空間に響く「被爆樹木」の静かなる鼓動と対峙する
京都・二条城に近い、古い街並みの面影を残す静かな路地。そこに位置するギャラリー「PURPLE」の扉を開けると、外の喧騒とは隔絶された、濃密な沈黙が支配する空間が広がる。2026年2月21日から開催されている写真家・勝又公仁彦による写真展「Remains」は、私たちが日常で見過ごしている「光」の正体と、その背後に潜む「歴史の残滓(ざんし)」を突きつける批評性を持った展覧会である。

[写真1] 展示会場にて
会場に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、剥き出しのコンクリート天井と冷徹な白い壁面、そしてそこに整然と、しかし圧倒的な熱量を持って並べられた鮮烈な色彩の木々の姿だ。暗い夜空を背景に、異様なほど鮮やかに浮かび上がる葉の一枚一枚、そして歪んだ幹の質感は、単なる風景写真の域を遥かに超えている。それは、この世界に刻まれた「見えない時間」の集積として網膜に直接訴えかけてくる。

[写真2] 会場風景
展示された作品群は、1945年の夏、広島と長崎で爆心地から約2キロ圏内にありながら、奇跡的に生き延びた「被爆樹木」たちを捉えたものである。勝又は、これらを過去の悲劇を物語るための「遺物」として扱ってはいない。むしろ、いまなお原爆という暴力的な出来事をその身に内在させながら、80年という歳月を呼吸し続けてきた「生身の現実」として提示している。この空間に身を置くことは、単に写真を鑑賞することではない。樹木という生命体が内包する、人類の歴史の深淵と対峙することに他ならない。
多層的な視線で「世界の構造」を解体し再構築する写真家の歩み
ここで、作家である勝又公仁彦の経歴と、その独自の視座について触れておきたい。勝又は1968年静岡県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、インターメディウム研究所(IMI)で学び、写真というメディアの構造自体を問い直す作品を発表し続けてきた。2001年に「さがみはら写真新人奨励賞」、2005年には「日本写真協会新人賞」を受賞。その作品は、東京国立近代美術館、世田谷美術館、沖縄県立博物館・美術館など、国内外の主要な美術館に収蔵されており、現代日本を代表する写真家の一人として確固たる地位を築いている。
彼のキャリアを俯瞰すると、一貫して「私たちが世界をどう見ているか」という認知の問題が中心に据えられていることがわかる。都市の景観を長時間露光で光の軌跡へと変容させた《Cities on the Move》や、空と地上の境界を曖昧にすることで空間の概念を揺さぶる《Skyline》など、彼の作品は常に視覚の既成概念を解体し、再構築してきた。
現在は京都芸術大学教授として教鞭を執り、理論と実践の両面から写真表現の可能性を拡張し続けている勝又だが、そのアプローチは極めて知的でありながら、被写体に対する底知れぬ敬意(あるいは畏怖)に支えられている。本作「Remains」においても、被爆という未曾有の暴力を安易な惨状の記録として消費するのではなく、樹木が内包する「光」と「時間」を凝視することで、その存在の「質」を浮かび上がらせている。これは、法学部出身という経歴が示唆するように、対象を多角的な論理で分析しつつも、最終的には写真という「物質的な像」にすべてを託す、勝又ならではのストイックな表現形態といえるだろう。
歪んだ樹皮に刻まれた「生存」の証と夜の呼吸が教えるもの
本展の核となる「被爆樹木」という存在について、改めて深く考察する必要がある。これらは、1945年の原爆投下時、爆心地近傍で熱線と爆風、そして放射線に晒されながらも枯死を免れた樹木である。被爆樹木には共通する身体的特徴がある。爆心地に面した側の幹は熱線で焼け焦げ、緊張した樹皮が剥き出しになる一方、反対側はその損傷を補うかのように膨張したり、異様に傾いたりしている。それは、破壊を受けた後も「生き抜く」という選択をした生命が、時間をかけて形成した特有の形態である。

[写真3] 展示風景
勝又は、これらの樹木を「夜」に撮影することにこだわった。展覧会と同名の写真集「Remains」によれば、撮影が行われたのは「樹々が昼間とはまた別の呼吸をする時」である。記念日の日中の賑やかさが静まり、重苦しくも切迫した熱気が残る街の中で、勝又は一つ一つの樹を見上げて回ったという。
下記の[写真4]を見てほしい。至近距離から捉えられた樹皮のテクスチャは、よく見ればもはや植物というよりは、火傷の痕跡を抱えた動物の皮膚を思わせる。勝又は夜の闇の中で強力なフラッシュ(人工光)を用いることで、昼間の太陽光の下では見落とされてしまう細部を、暴力的なまでの鮮明さで浮かび上がらせる。この「光」は、かつて街を焼き尽くし、生命を奪い去ったあの瞬間の閃光を想起させる。しかし、その光によって照らし出された樹木は、死の象徴ではなく、いまなお二酸化炭素を吸い、酸素を放出する「動いている生命」としてそこにある。私たちは、この歪んだ樹皮の中に、80年間絶えることなく続いてきた「代謝」という名のレジスタンス(抵抗)を目撃するのである。

[写真4]
美術史における「記録」と「表現」の境界を越境する批判的精神
勝又公仁彦の「Remains」を美術史の文脈に置くとき、そこには複数の写真の潮流が交差していることがわかる。まず挙げられるのは、ベルント&ヒラ・ベッヒャーに代表されるドイツ写真の「タイポロジー(類型学)」的な厳密さだ。被爆樹木という特定のカテゴリーを抽出・記録し、それらを並置することで構造を浮かび上がらせる手法は、極めて冷静で分析的である。
しかし、勝又の作品は単なる科学的記録には留まらない。そこには、1970年代にアメリカで台頭した「ニュー・トポグラフィクス(新しい地形学)」が持っていた、人間によって変容させられた風景に対する批判的精神が通底している。さらに、日本独自の叙情性や、アニミズム的な自然観すらも、彼のレンズは捉えているように思える。
同時代の作家と比較すると、その特異性はより鮮明になる。例えば宮本隆司は、代表作《建築の黙示録》において、解体される建築物や廃墟を捉え、都市の死と再生というダイナミズムを「静止した歴史の断片」として描き出した。一方、勝又は、不動の「遺構」ではなく、代謝し続ける「樹木」を対象としている。伊藤俊治氏が指摘するように、「実は樹木ではなく、世界の方が朽ち、ゆっくり消えてゆくように思えてくる」という、逆説的な生の実感が宿っている。。
会場の構成を見ると、作品のサイズや配置に意図的なリズムが付けられていることがわかる。等間隔に並んだポートレートは、一つ一つが個別の命の重みを感じさせると同時に、全体として一つの「森」のような集合体を形成している。鑑賞者はその間を歩くことで、個別の歴史(ミクロ)と人類の歴史(マクロ)の間を往復することになる。勝又は、写真を「過去を封じ込めるもの」としてではなく、現在と過去が衝突し、火花を散らす「回路」として機能させているのである。

[写真5] 展示風景

[写真6] 展示風景
「風景」としての戦争:自衛官の家系という背景がもたらす峻烈なリアリズム
勝又の表現が、他の平和を希求するアート作品と一線を画しているのは、彼が持つある種の「リアリズム」に起因しているだろう。美術評論家の秋丸知貴氏の指摘によれば、勝又は自衛官の家系という背景を持っており、幼少期から「防衛」や「国家」「武器」といった存在が身近にある環境で育った。この事実は、彼が「戦争」というテーマを扱う際、外部からの安易な反戦メッセージや教条主義的な美学に陥ることを許さない。
写真集「Remains」には、勝又が撮影の際、火のような赤い「国民車(フォルクスワーゲン)」で移動していたという記述がある。ナチス・ドイツの国策から生まれた車で、被爆地を巡るという行為。ここには、歴史の皮肉と、私たちが生きる文明が常に暴力と背中合わせであるという自覚が滲んでいる。「Remains」というタイトルが示すのは、単なる「残骸」ではない。伊藤俊治氏の言葉を借りれば、それは「原爆がこの世界に残し続けているものの総体」である。
下記の[写真7]に見られる、天を覆い尽くさんとする複雑な枝葉のパターン。その幾何学的な美しさは、現代人が享受している平和や文明が、他者の生命を奪い、傷つけた上に成り立つ「業の深さ」を内包していることを暗示する。勝又は、被爆樹木という存在を「被害の象徴」としてのみ描くのではなく、それを取り巻く世界全体の「歪み」を、その強靭な描写力によって暴き出しているようだ。この作品の前で、自分がその「業」の一部であることを、静かに、しかし峻烈に突きつけられる。

[写真7] 展示風景
ガラスの反射が映し出す「当事者」としての私たち
ギャラリー「PURPLE」での展示において、特筆すべきは作品の「物理的な現れ方」である。作品は丁寧に額装され、透明なガラスを介して壁に掛けられている。作品を注視すると、作品の黒い背景部分に、会場の照明や、鑑賞者自身の姿が微かに映り込んでいるのがわかる([写真8]、[写真9])。
通常、写真展示において「映り込み」は鑑賞を妨げるノイズとして忌避される。しかし、勝又の「Remains」においては、この反射すらも作品の重要な構成要素として機能しているのではないか。鏡面のようなガラスに映る「現代の衣服を纏った私たち」と、その奥に広がる「1945年を生き延びた樹木の闇」。この二つの層が視覚的に重なり合うとき、私たちは歴史の外部にいる「安全な鑑賞者」でいられなくなる。

[写真8]

[写真9]
人類が自らの上に投下した最大の火。科学者たちが「75年は草木も生えない」と断じた焦土で、それでも生命の回復力を示し続けてきた樹木。その生命の強靭さと対照的に、勝又が写真集「Remains」の中のテキストで危惧するように、私たちは今もなお「仲間割れや裏切りや責任放棄」といった、やりたい放題を繰り返しているのではないか。地球そのものが再び「火」と化そうとしている現代において、勝又の写真は、過去の遺産としての被爆樹木を、現在の私たちの生き方を問い直すための「鏡」へと変容させている。
デジタルカメラで撮影され、精緻なインクジェットプリントとして出力されたこれらのイメージは、情報の断片として消費されるインターネット上の画像とは決定的に異なる重みを持っている。そこには、光が物質(センサー)に定着するという、写真の原初的なプロセスの名残がある。勝又はそのプロセスを通じて、世界から「消えゆく記憶」を、逃れようのない「物質的な実在」として会場に繋ぎ止めているのである。
「場所」の記憶をアップデートする:京都という地で見る「Remains」の意味
今回の個展が広島や長崎ではなく、京都という地で開催されていることも意味深い。京都はかつて、原爆投下の有力な候補地であったという歴史的背景を持つ。二条城という歴史的建造物が至近にあるこのギャラリーで、被爆樹木のポートレートを見るという行為は、私たちが立っている地面の下に眠る「別の可能性としての歴史」を呼び覚ます。勝又は、撮影場所である広島や長崎の「地霊(ゲニウス・ロキ)」を、写真というメディアによって京都へと「移植」したのだといえる。
鈴木正雅和氏が指摘するように、被爆建物と被爆樹木は、どちらも「被爆遺産」であるが、決定的な違いは樹木が「生きている」ことにある。建物は劣化し、崩壊していく「負の遺産」だが、樹木は成長し、代謝し、新しい葉をつける。この「正のエネルギー」を、勝又はあえて夜の闇と人工光という「非日常的」なシチュエーションで捉えることで、その生命力を神話的な次元へと引き上げた。私たちが会場で目にするのは、悲惨な過去の証拠品ではなく、人類の過ちを見届けながら、それを自らの身体の一部として飲み込み、なおも光に向かって伸びようとする「巨大な意志」の肖像に他ならない。
残されたものたちが照らし出す、私たちの未来への航路
勝又公仁彦の「Remains」展は、一言で言えば、「静かなる挑発」である。会場に展示された作品群は、被爆樹木という、ともすれば政治的・感情的な文脈に回収されがちなテーマを扱いながら、そのいずれにも与(くみ)することはない。そこにあるのは、卓越した写真技術と冷徹なまでの観察眼、そして自衛官の家系という背景がもたらす峻烈なリアリズムによって濾過された、純粋な「存在」の提示である。
観賞者は、これらの樹木のポートレートを通じて、光が時間を超えて物質に定着する写真というメディアの神秘を再体験する。同時に、80年以上前に起きた惨禍が、今もこの国の「土」の中に、そして「生命」の中に脈々と流れ続けているという事実に直面する。伊藤俊治氏の「樹木ではなく、世界の方が朽ち、ゆっくり消えていくように思えてくる」という言葉通り、勝又が写し出すのは、過去を内包した「現在」そのものだなのだ。
美術史において勝又が果たした功績は、ドキュメンタリーという形式を借りながら、それを極めてコンセプチュアルな「認知の実験」へと昇華させ、「見る」という行為そのものを倫理的な次元へと引き上げたことだろう。勝又公仁彦が示す「Remains」の光芒は、混沌とする現代社会において、私たちがどこから来て、そしてどこへ向かうべきかを指し示す、確かな道標となっている。

ギャラリーが入居するビル
勝又 公仁彦 写真集『「Remains』 (発行:赤々舎 2025年12月5日)

🔳参考ページ
・PURPLE 公式サイト「Remains」 (最終確認 2026年2月26日)
https://purple-purple.com/exhibition/remains/ ・
・勝又公仁彦オフィシャルサイト「CV」 (最終確認 2026年2月26日)
http://www.kunihikokatsumata.com/cv.htm ・
・展評「勝又公仁彦 WAR REQUIEM I」KOKI ARTS(東京都千代田区)秋丸知貴評-美術評論+(最終確認 2026年2月26日)
https://critique.aicajapan.com/12812