魂の航海、「約束の船」に見た再生への祈り 奈良ゆかりの現代作家展 安藤榮作「約束の船 The Promised Journey of Souls」奈良県立美術館 黒木杏紀評

展覧会タイトル:奈良ゆかりの現代作家展 安藤榮作 約束の船 The Promised Journey of Souls
会期:2025年9月13日(土)-11月16日((日))
会場:奈良県立美術館

古都・奈良の静謐な空気のなかで、ひときわ強い生命のエネルギーを放つ展覧会が奈良県立美術館で開催されている。彫刻家・安藤榮作の個展「約束の船 The Promised Journey of Souls」である。本展は、東日本大震災で自宅、アトリエ、そしてそれまでの作品の全てを失い、福島から奈良へ移住した作家の魂の軌跡そのものだ。それは単なる震災の記録ではない。絶望の淵から立ち上がり、生と死、そして再生という根源的で普遍的なテーマへと昇華させた、力強い祈りの空間である。

鳳凰、再生への飛翔

この魂の旅路は、美術館のエントランスロビーで一体の巨大な彫刻と出会うことから始まる。吉野の檜が持つ神聖な気配をまとい、翼を広げる《鳳凰》(2016年)。高さ4メートルを超えるこの作品は、来館者を圧倒すると同時に静かな慈愛で包み込む。安藤にとって鳳凰とは、単なる伝説上の鳥ではない。「命や魂の再生のスピリット」そのものなのである。

《鳳凰》2016

作家は、震災で失われた多くの命、そしてその後も世界で傷つき続ける魂が、宇宙の大きな循環のなかで再び生まれ変わり、再生してほしいという切なる願いをこの《鳳凰》に託した。それは、京都・平等院の鳳凰がそうであるように、形を超えた「スピリット」の顕現なのだ。手斧によるダイナミックな削り跡は、不死鳥が炎の中から蘇る際の荒々しいエネルギーを感じさせ、この展覧会全体を貫く「生き直す」ことへの強い意志を象徴している。鑑賞者はまずこの場所で、破壊の先にある再生の物語へと誘われるのである。

《鳳凰》2016

3.11からの再生、奈良という土地で

安藤榮作は1961年、東京の下町に生まれた。東京藝術大学彫刻科を卒業後、1990年に福島県いわき市の山中に移り住み、2006年には同市の海沿いへと拠点を移す。そこで制作を続けていたが、2011年3月11日、その日常は一変した。東日本大震災の津波により、自宅とアトリエ、そしてそれまでに制作したほぼ全ての作品を流されたのだ。さらに福島第一原子力発電所の事故が、彼を第二の故郷から引き離した。作家は、「あの日以来、3.11という数字は僕にとってウェイクアップコールになった」と語る。この言葉は、彼の芸術家としての第二の誕生を意味する。

その後、奈良県天理市に拠点を移した安藤は、新たな創作活動を開始する。吉野の檜や楠といった奈良の木々を素材に、手斧で叩き刻むという原始的な手法で、内なる生命の衝動を木塊に刻みつけていく。その作品群は、喪失の痛みの中から、それでもなお生きようとする魂の叫びのように私たちに迫ってくる。

古代より多くの祈りを受け止めてきた奈良という土地が、安藤の制作に深い精神性を与えていることは想像に難くない。歴史と自然が息づくこの地で、作家は自身の内面と対峙し、魂の再生の物語を紡ぎ始めたのである。彼の制作は単なる自己表現ではない。「今の日本の気を守るために列島と天を光の柱で繋ぐための道具、ライトワークという意識でいる」と作家が語るように、その彫刻は大地と天を繋ぎ、傷ついた魂に光を届けるための祈りの媒体そのものなのだ。

第1展示室「営みの祈り」—失われた日常への追憶

最初の展示室に足を踏み入れた瞬間、胸が締め付けられるような、しかしどこか温かい感覚に包まれた。ここは「営みの祈り」と題された、失われた日々への追憶の空間だ。壁一面に広がるのは、水性ペンで描かれた無数のドローイング群《Life 福島》。原発事故により奈良に移住したときに、福島の生活の愛おしかったものを思い出しながら描いたものだ。

そこに描かれているのは、牛、ツバメ、猫、ありふれた家、自転車、干された洗濯物といった、かつて確かに存在した日常の断片である。一つひとつは素朴で何気ないスケッチだが、その集合体は、原発事故によって一瞬にして奪われた営みの豊かさと、それに対する作家の痛切な愛情を物語っている。その膨大な記憶の前に、ぽつんと一体の木彫《Being》が佇む。それはまるで、全ての記憶を静かに受け止める依り代のようだ。

第1展示室 《Life 福島》と《Being》

展示室の中央で、私たちの視線を釘付けにするのは、一体の犬の彫刻《ユイ》である。これは、津波で行方不明になった安藤の愛犬だ。今にも駆け出しそうな躍動的な姿で彫り出されたユイは、鑑賞者の前を横切り、壁面の巨大なドローイング《Life》と《光の川》の方へと向かっていく。その背景には、破壊された町の風景や、黒くうねる津波を思わせる抽象的な線描が広がる。

《ユイ》2020 、《Life》2017、《光の川》2017

「ユイの魂が光の世界に迷わずに辿り着けるよう、光の川がユイの前に現れた」かのように、スポットライトに照らされたユイの姿。楽しかった日々への追憶であると同時に、戻ることのない命への鎮魂の祈りそのものだ。鑑賞者は、作家個人の喪失の物語を通じて、あの日失われた全ての命に想いを馳せることになる。この空間は、胸に何かが混み上げてくるような静かな感動に満ち溢れている。

光の川を駆けていくユイ 《ユイ》2020、《Life》2017、《光の川》2017

《ユイ》2020、《Life》2017、《光の川》2017、《太陽》2016

第2展示室「3.11 光のさなぎたち」—魂の変容と文明への問い

続く第2展示室のテーマは「3.11 光のさなぎたち」。ここでは、震災というカタストロフを経て、魂が変容していく様が表現される。まず目に飛び込んでくるのは、天に向かって伸びる数本の木彫、《つばさ・福島》と《ひかりのさなぎ》だ。手斧による荒々しい削り跡が生々しく残るそのフォルムは、蛹のようでもあり、立ち尽くす人のようでもある。それは、死と破壊の中から新たな生が生まれ出ようとする力強い生命のメタファーだ。絶望の中で見出した希望の光、その萌芽がここにある。

中:《つばさ・福島》2017、右と左:《ひかりのさなぎ》2013

左・中:《ひかりのさなぎ》2013、右:《つばさ・福島》2017

そして、この展示室で圧倒的な存在感を放つのが、巨大な《福島原発爆発ドローイング》である。黒いアクリル絵の具を叩きつけるようにして描かれた無数の線は、制御不能なエネルギーの爆発と、それによって引き裂かれた世界の姿を克明に描き出す。歪んだ鉄塔、混沌の中に飲み込まれていく光景は、まさに地獄絵図だ。しかし、そのすさまじい破壊のエネルギーと対峙するように、一体の《Being》が静かに立っている。

《福島原発爆発ドローイング》2013-2019、《Being》2024

この作品は、人間が作り出した文明の暴力と、それでもなお失われない根源的な生命の尊厳との対比を私たちに突きつける。原発事故は、「どこかよその話だと思っていたことが自分の日常の次元に来てしまった」と作家は言う。だからこそ、この表現は社会問題の図解ではなく、彼の「自分事」として痛切なリアリティを持って迫ってくるのだ。

《福島原発爆発ドローイング》2013-2019、《Being》2024

第4展示室「宇宙の理〜魂の帰還」—ミクロコスモスへの旅

展示は、地上での悲劇から、より広大な宇宙の摂理へと鑑賞者を導いていく。第4展示室「宇宙の理〜魂の帰還」は、その移行を示す重要な空間だ。ここで私たちの前に現れるのは、《Being・魂の帆》と名付けられた作品である。2艘の舟が連結したかのような木彫の中央に、帆のように《Being》が立つ。その姿は、魂が肉体を離れ、時空を超えた旅に出る様子を想起させる。それは、最終室の「約束の船」へと至る、個の魂の旅路のようでもある。

《Being・魂の帆》2025

この部屋には他にも《コズミックフェイス》や《宇宙のポータル》といったタイトルの作品も並び、作家の意識が地球上の出来事を内包しながら、より根源的でミクロな、そしてマクロな宇宙の理法へと向かっていることを示している。3.11という極限的な体験は、皮肉にも安藤の芸術的視野を宇宙的なスケールへと押し広げた。個人の悲しみは、ここで普遍的な魂の物語へと接続される。

左手前:《コズミックフェイス》2025、右:《宇宙のポータル》2025、奥:《宇宙の帰還》2025

《宇宙の帰還》2025

第5展示室「約束の船」—未来へと漕ぎ出す魂の旅路

いくつかの展示室を経て、私たちはついに展覧会の終着点であり、出発点でもある第5展示室「約束の船」へとたどり着く。空間の中央に鎮座するのは、巨大な舟形のインスタレーション《約束の船》だ。様々な木材を組み合わせて作られたこの舟には、人間や動物をかたどった数多くの木彫が乗せられている。それらは、3.11で失われた命だけでなく、この世に生を受けた全ての魂の象徴だろう。

《約束の船 The Promised Journey of Souls》2025

《約束の船 The Promised Journey of Souls》2025

安藤榮作はインタビューで、人は皆「もう一度『生き直したい』」と願って、この世にやってくるのだと語る。その誓いこそが、彼にとっての「約束」なのだ。この船は、その約束を果たすための旅に出る魂たちを乗せている。死者を悼む鎮魂の舟であり、残された者たちが未来へ向かう希望の舟でもある。そして、鑑賞者である私たち一人ひとりもまた、この舟の乗組員なのだ。船は、悲しみも喜びも全てを乗せて、時空を超えた魂の海へと漕ぎ出していく。その壮大なビジョンは、奈良という、古来より多くの魂の往来を見守ってきた土地の歴史とも共鳴する。

部分 《約束の船 The Promised Journey of Souls》2025

興味深いことに、作家自身、この美術館特有の光沢のある床が、予期せず水面のような効果を生み、「うつし世と常世の境界が薄れ2つの世界が同時に見えたような」奇跡的な空間を現出させたと語っている。作品と場所が呼応し、安藤の芸術はここで人類史的な普遍性を獲得するに至る。

《約束の船 The Promised Journey of Souls》2025

絶望の淵から紡がれる、生の讃歌

安藤榮作展「約束の船 The Promised Journey of Souls」は、一人の芸術家が体験した壮絶な喪失と再生の記録であり、同時に、私たち全ての心に響く普遍的な生の讃歌である。手斧で木を刻むという、身体性と精神性が直結した行為を通じて、安藤は悲しみを希望へと転換させる。その作品は、傷つきながらも生きることの尊さを力強く肯定する。

福島から奈良へ。破壊から創造へ。絶望から祈りへ。それは、作家自身の魂の旅路であり、アートが持つ根源的な治癒の力と、未来を照らす光を私たちに示してくれる。彼の彫刻は、美しい鑑賞物であると同時に、世界を癒すための「道具」でもあるのだ。この展覧会は、私たち鑑賞者一人ひとりが、自らの内なる「約束」を思い出し、「生き直す」ための勇気を得るための、魂の寄港地となるだろう。

 

奈良県立美術館

 

 


参考情報

• 特別展「奈良ゆかりの現代作家展 安藤榮作 -約束の船-」公式ウェブサイト (最終確認  2025年10月11日)
• YouTube: 安藤榮作インタビューfull ver. (特別展「奈良ゆかりの現代作家展 安藤榮作 -約束の船-」奈良県立美術館) (最終確認  2025年10月11日)
• YouTube: 県立美術館 奈良ゆかりの現代作家展 特別展 「安藤榮作―約束の船―」 (最終確認   2025年10月11日)
• 奈良の木のこと: 奈良県立美術館で開催中!奈良ゆかりの現代作家展「安藤榮作 ―約束の船―」から見る吉野材の文化的な広がり (最終確認   2025年10月11日)
• 原爆の図 丸木美術館: 安藤栄作展 光のさなぎたち (最終確認   2025年10月11日)
• 美術運動/artmovement: 光が降りてくる ―安藤榮作の平櫛田中賞受賞に寄せて―  (最終確認   2025年10月11日)

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。