フジタナオミ展「ー端境の世界ー」
会期:2025年11月17日(月)-11月29日(土)
会場:天野画廊
大阪・空堀商店街の喧騒に寄り添う静謐な展示空間、天野画廊。2025年11月17日から29日まで開催されたフジタナオミ展「-端境の世界-」は、都会の喧騒を忘れさせるような、強烈な生命力と繊細な内省が同居する空間であった。一歩足を踏み入れると、目に飛び込んでくるのは、鮮烈な色彩と地層のように積み上げられた重厚なマチエール(質感)だ。本展は、長年「存在」や「記憶」という目に見えない領域を探求し続けてきたフジタナオミが、自身の根幹にある「端境(はざかい)」という、テーマをさらに深化させた展示となった。

会場風景
存在の境界線を無効化する、フジタナオミが描く「端境」という生成の場
展示タイトルに冠された「端境」とは、物事の境目や、移り変わる時期を指す言葉だ。しかし、フジタナオミが提示するそれは、単なる二つの状態の「中間」ではない。彼女にとっての「端境」とは、形あるものが崩れ、あるいは未知の何かが胎動し始める、もっともエネルギーに満ちた「生成の場」である。
ギャラリー正面を飾る大作《はじまりの扉》は、まさにその場を体現している。画面左側に沈殿する深いブルーと、右側で躍動する深紅の赤。それらが衝突し、溶け合う中央の領域には、マゼンタやシアンが火花のように散る。フジタは、この「混濁」の中にこそ真実が宿ると確信しているかのようだ。私たちが日常で無意識に引いている「自分と他者」「生と死」といった境界線は、彼女のキャンバスの前では無効化され、一つのうねりとなって観る者を飲み込んでいく。

《はじまりの扉》 227・3×291cm アクリル・オイルパステル・信楽土・パネル etc.
描くことは「感覚の変容」である ―― 奈良の地で育まれたフジタナオミの探求と足跡
ここで、作家フジタナオミのプロフィールに触れておきたい。奈良県在住の画家であるフジタは、長年にわたり一貫して抽象表現を追求してきた。彼女のキャリアは、特定の形式に縛られることなく、自身の内面にある言葉にできない「生」への実感や違和感を、ひたすらキャンバスと向き合い物質へと置換し続けてきた誠実な格闘の歴史である。
彼女はこれまで、大阪や京都のギャラリーを中心に、定期的に個展やグループ展を開催し、着実に制作の蓄積を重ねてきた。近年の個展「感じる世界」でも示されたように、フジタにとって描くことは単なる自己表現ではない。それは、自身の知覚が分解され、再構築される瞬間の物質的な振動を捉える行為である。鑑賞者は作品の前で、通常の視覚体験とは異なる「内的反応」を自覚することになる。彼女は常に「見えないもの」を捉えようと足掻き、そのプロセスを提示することで、私たちの心の奥底にある共鳴の種を揺さぶってきたのである。
「引き算」と「集積」が交差する地層 ―― 抽象絵画の概念を覆す肉体的な筆致
フジタの作品を語る上で欠かせないのが、その圧倒的なマチエールだ。彼女の制作は、アクリル絵具を塗り重ねるだけにとどまらない。パステルを擦り込み、時には一度塗り潰した層をペインティングナイフで激しく削り取る。この「構築と破壊」の繰り返しこそが、彼女の絵画に特異な深みを与えている。

《FLOWER》 18×18cm mixed media on panel
作品《ただいま》を克明に見れば、スクラッチされた線の跡や、記号のような書き込み、あるいは不意に現れるコラージュの断片が、幾層もの絵具の下から顔を覗かせている。これは、作家が作品と対峙した時間の記録であり、積み重なった記憶の地層だ。彼女の筆致は極めて肉体的であり、一見すると直感的な「動」の表現に見えるが、実はその下に隠された「静」の層、すなわち沈黙や虚無を、いかに色彩で包摂するかに心血が注がれている。この二面性が、彼女の作品を単なる装飾的な抽象から引き離し、強度のある「表現」へと昇華させている。

《ただいま》 46×46cm mixed media on panel

《ただいま_丘の上のおうち》 41×32cm mixed media on panel
空間をリズムで彩る断片的な記憶 ―― ミクロとマクロの宇宙的な呼応
本展において、大型作品と対比するようにリズミカルに配置された小品群もまた、重要な役割を果たしている。これらは、作家が日常のふとした瞬間に捕らえた「光の欠片」のようだ。正方形の画面の中に密集した削り跡や塗り重ねの痕跡は、まるで都市の区画図や、高速で移動する視線の残像のようにも見える。

展示風景 手前《ただいま》 mixed media on panel

展示風景
特に、三枚が並んだ構成では、左から《おさんぽ_night》、《おさんぽ_morning》、そして《ただいま》と、時間の移ろいや場所性の変化が示唆されている。しかし、それらは具体的な風景を描写するのではなく、あくまでその時の「感覚の温度」を抽出している。フジタは、描かれた部分だけでなく、描かれなかった場所――すなわち「虚」の空間――の重要性を深く理解している。このミクロ(小品)とマクロ(大作)の往来こそが、鑑賞者を飽きさせることなく、精神的な深淵へと誘う装置となっている。

左:《おさんぽ_night》、真ん中《おさんぽ_morning》、右《ただいま》
具象を解体し真理の「気配」を定着させる ―― 現代美術としての批評的価値
フジタナオミの作品は、純粋な抽象でありながら、どこか太古の記憶や自然の根源を想起させる。彼女は、何かを「描写」することを意図的に避けている。なぜなら、言葉や具体的なモチーフを与えた瞬間、その感情は固定され、広がりを失ってしまうからだ。彼女が目指すのは、具象を限界まで解体した先にある「気配」の定着である。
これは、記号化された情報に溢れる現代社会に対する、静かな、しかし強固な抵抗であると言える。作品《はじまりの扉》を前にした時、「これは何を描いているのか」という問いは意味を失う。その時初めて、自身の感覚を研ぎ澄まし、世界を直接的に「感じる」という、人間本来の営みを取り戻すのである。色彩が隣接する色を侵食し、再び覆われるその往復の痕跡は、画面に呼吸を与え、鑑賞者の身体感覚へと転換されていく。

《ただいま_辿り着いたおうち》 27.3×27.3cm mixed media on panel

《Living world》 18×18cm mixed media on panel
閉塞した時代を突破する色彩の光 ―― フジタナオミが拓く「端境」の先にある希望
天野画廊での本展を通じて改めて感じさせられたのは、フジタナオミという作家が持つ、表現に対する濁りのない誠実さだ。彼女は、自身の内面から湧き上がる衝動と、物質としての絵具が起こす化学反応に真摯に向き合い、映画のスクリーンのような、もう一つの世界を画面上に現出させている。
その迷いのない筆跡は、不確実な時代において、一種の救いとして機能している。色彩が衝突し、混ざり合い、境界が揺らぎ続ける様は、私たちが抱える矛盾や混乱さえも、一つの「美」として肯定してくれる。彼女の描く「端境」は、停滞ではなく、常に新しい何かが始まる予感に満ちている。この生命の律動こそが、フジタナオミの作品が多くの人々を引きつけ、離さない理由に他ならない。

展示風景
魂の震えを物質に刻印する、フジタナオミという稀有な「媒介者」
フジタナオミ展「ー端境の世界ー」は、抽象絵画が持つ純粋な力強さと、感覚の生成過程を描き出す真摯な姿勢が結実した展示であった。作家自身の長い研鑽と、自身の感覚を信じ抜く姿勢から生まれた作品群は、単なる視覚体験を超え魂を直接揺さぶるようだ。
彼女は、混沌とした「端境」に立ち続け、そこから掬い上げた「名前のない感情」を、キャンバスという物質に刻印する稀有な「媒介者」である。この空間で繰り広げられた色彩の対話は、自らの内面にある「端境」を見つめ直す、貴重な内省の機会となった。フジタナオミが放つ色彩の光はこれからも意識の深層を照らし続け、境界線の向こう側にある豊かな世界を指し示し続けるだろう。