
会場風景 画像提供:Gallery Nomart
地球と宇宙に触れる夢 “Dream of Touching the Earth and Cosmos”
会期:2025年11月1日-11月22日
会場:Gallery Nomart(大阪)
清涼な空間が誘う、宇宙的瞑想の場
2025年11月1日から11月22日まで、大阪のGallery Nomartで開催された植松奎二の個展「地球と宇宙に触れる夢 “Dream of Touching the Earth and Cosmos”」は、私たちを日常の重力から切り離し、存在の根源へと誘う静謐な空間であった。長年にわたり、関西のアートシーンを支え、国際的な視点を持つ作家の表現の「場」を提供してきたGallery Nomartのシンプルなホワイトキューブは、植松の作品と呼応し、一種の「宇宙的瞑想の場」に変貌していたと言える。

会場風景 撮影:筆者
ギャラリーに足を踏み入れた瞬間、まず感じたのは、張り詰めた空気と清涼な透明感だ。それは、作品が内包する普遍的な問いかけが、空間全体に浸透していることに他ならない。会場中央に鎮座する巨大な水槽、壁面に吊るされた真鍮板と石、そして無数の線が引かれたドローイング群。これらは一見、ミニマルな構成要素でありながら、その配置と関係性によって、ギャラリー空間を超越した広大な宇宙を現出させている。展示空間は、重力、水平、垂直、水、そして時間といった「見えない普遍的な力」を体感するための装置として機能していた。この深い感動体験こそが、植松奎二の芸術が時代を超えて私たちに訴えかける力の源泉である。

会場風景 撮影:筆者
「見えない普遍的な力」の探求者:植松奎二の軌跡
植松奎二(1947年、神戸生まれ)の芸術活動は、半世紀以上にわたり、「世界の構造、存在、関係をよりあらわに見えるようにして何かを発見したい。見えないものを見えるようにしたい」という根源的な問いを核として展開されてきた。その探求は、しばしば物と物との間に働く重力や引力といった普遍的な自然の力、そして根源的な物質と宇宙的な力への素朴な関心に焦点を当てている。
彼の初期の活動とキャリア形成は、極めて明確な道筋を辿っている。彼は1969年に神戸大学教育学部美術科を卒業、日本の現代美術の動向の中で自身の制作を始めた。その後、国際的な視野を求めて1975年にドイツのデュッセルドルフへ渡り、以降、ヨーロッパを拠点に活動を本格化させた。この渡独が、彼のアートが持つ普遍性と、ヨーロッパのコンセプチュアル・アートやミニマリズムとの接点を見出す上で決定的な意味を持った。
植松の芸術的な業績は、世界的な評価によって裏付けられている。彼は1988年のヴェネチア・ビエンナーレ(第43回、日本館)をはじめとする国際的な大舞台に数多く招聘されており、現在に至るまで国内外で精力的に展覧会を開催し続けている。彼の作品は、ニューヨーク近代美術館、ストックホルム国立近代美術館、カルティエ現代美術財団やピノー・コレクションなどをはじめ、世界中の主要な美術館や企業による芸術財団でコレクションとして収蔵されており、その芸術的価値が国際的に認められている証左である。
植松の作品は、一見するとシンプルで無機質に見えるかもしれない。しかし、その背後には、私たち人間が存在する「場」—地球、重力、そして宇宙—に対する深い洞察と問いかけが横たわっており、単なる形態の提示ではなく、知覚の再構成を促す哲学的な装置だと言える。現在も、欧州と日本を股にかけて活発に活動を続ける植松の存在は、日本の現代彫刻が持つ深遠な普遍性を世界に示し続けている。
空間を宇宙に変貌させるメインインスタレーション:《Axis-Longitude-Latitude》
本展の中心に位置するのが、新作インスタレーション《Axis-Longitude-Latitude/軸・経度・緯度》である。ギャラリーの白く明るい空間の中で、この作品は圧倒的な存在感を放ち、その静けさの中に宇宙的な広がりを感じさせる。

《Axis – Longitude – Latitude / 軸・経度・緯度」》 2025 画像提供:Gallery Nomart
作品は、アクリル製の巨大な半球体の器(直径150cm)に水が満たされ、そしてその水面中央には、宇宙からの贈り物である鉄隕石が床に設置された鹿児島・桜島の溶岩石にワイヤーで結びつけられ水面ギリギリに配置されている。作家は、「画廊空間に地球を表す『軸・経度・緯度』と地球の大半を占める水、と水平と垂直と重力、と宇宙からの贈りものとしての鉄隕石からなる作品が作られる」とコメントしている。

《Axis – Longitude – Latitude / 軸・経度・緯度」》 2025 画像提供:Gallery Nomart

《Axis – Longitude – Latitude / 軸・経度・緯度」》 2025 画像提供:Gallery Nomart
この作品の力点は、単なる素材の組み合わせではなく、それらの間に生まれる「関係性の詩学」にある。半球体の水面は、私たちに最も身近な「水平」の象徴であり、地球の水の表面、すなわち海や大洋を表す。その水平を破ることなく、溶岩石(地球内部のエネルギー)と鉄隕石(宇宙の物質)はワイヤーによって繊細に吊り下げられ、空間に固定されている。これらは「軸、経度、緯度」という幾何学的な座標の中で統合され、地球と宇宙の物質が、重力という普遍的な法則のもとに、たった一本のワイヤーで結ばれている様を視覚化している。

《Axis – Longitude – Latitude / 軸・経度・緯度」》 2025 画像提供:Gallery Nomart

《Axis – Longitude – Latitude / 軸・経度・緯度」》 2025 画像提供:Gallery Nomart
このインスタレーションの周りを歩き、水面に映る光の屈折や、微細な空気の振動によって揺らぐ水紋を眺める時、強烈な清涼感とともに、宇宙的な時間スケールの中に自身の存在を感じる。それは、数億年、数十億年という悠久の時を経て地球に辿り着いた隕石と、現在私たちが立っているこの「場」とが、水の水平面によって媒介され、一つの作品世界として統合されているからに他ならない。この静かで力強い作品は、私たち人間が常に地球と宇宙といった大きな力に囲まれ、その一部として存在していることを再認識させる、極めて詩的で感動的な試みである。
重力との対話が生む詩情:「落下の停止」と「停止の位置」
植松奎二の芸術の核心は、重力という最も身近でありながら、不可視の普遍的な力への探求にある。彼は重力を単なる物理現象としてではなく、人間の感覚の根底にある「無意識のうちにある感覚」、そして「この世界に宇宙にとっての最大の拘束条件」として捉えている。
今回の展覧会で展示された《落下の停止》シリーズ、特に《落下の停止・石一水平》《落下の停止・石一垂直》《落下の停止・石一交差》は、この重力との詩的な対話を具現化している。これらの作品は、石、真鍮板、そしてワイヤーという極めてシンプルな素材で構成されている。作家の言う「真鍮板とワイヤーと石だけで簡単に世界と関われる作品が作れないかと思った」という言葉は、最小限の介入で世界の根源的な法則を顕在化させようとする、彼の姿勢を端的に示している。

左:《落下の停止・石一水平》、中:《落下の停止・石一垂直》、右:《落下の停止・石一交差》 2025 画像提供:Gallery Nomart

左:《落下の停止・石一水平》、中:《落下の停止・石一垂直》、右:《落下の停止・石一交差》 2025 画像提供:Gallery Nomart
例えば、《落下の停止・石一垂直》では、細いワイヤーによって真鍮板の表面近くに石が固定されている。石は重力によって常に下へ落下しようとするが、ワイヤーの介入によって「その瞬間に停止させられている」かのような、緊張感あふれる状態にある。この「落下の停止」の状況を作り出すことによって、目に見えない重力の場そのものが、鑑賞者の意識の中に強烈に顕在化する。垂直や水平、交差といった幾何学的な概念は、重力によってこの世界に与えられた方向性の軸であり、作品は、その軸と、私たち人間の存在との関わりから生じる重力の場を鮮やかに浮かび上がらせる。それは、止まっているのに運動を感じるという、極めて東洋的な静観の美学を伴っている。

《落下の停止・石一交差》 2025 撮影:TAKUMA UEMATSU
また、《停止の位置》シリーズ、例えば《停止の位置一垂直》や《停止の位置一傾》なども、重力という普遍的な力を視覚化する試みである。これらの作品は、ワイヤーや釘によって固定された石や真鍮板が、あたかも空間に「浮遊」しているかのような錯覚を与え、鑑賞者に「もしワイヤーがなかったら」という仮想の状況を想像させる。目の前にある「安定」が、いかに繊細なバランスと緊張の上に成り立っているかを問いかけるのだ。重力という絶対的な力に逆らうかのように、あるいはその力を利用するかのように配置された素材の対話は、私たちに強い緊張感と、それゆえの静謐な美しさを感じさせ、作品が詩情を帯びる瞬間である。

《停止の位置―垂直・水平・傾》 2025 画像提供:Gallery Nomart

《停止の位置―垂直・水平・傾》 2025 画像提供:Gallery Nomart
思考の軌跡と未来への接続:ドローイングに刻まれた万博の夢
植松奎二の制作活動におけるドローイングは、彫刻作品の概念的な思考を二次元で視覚化する、極めて重要な役割を担っている。本展で展示された《宇宙に触れる/Touching the Cosmos》シリーズ(2021年)や、黒い紙に白線で描かれた一連のドローイングは、彼の宇宙観と思考の軌跡を垣間見せてくれる。

《宇宙に触れる/Touching the Cosmos》 2021 画像提供:Gallery Nomart

《宇宙に触れる/Touching the Cosmos》 2021 撮影:筆者
これらのドローイングは、手書きの線や点、幾何学的な図形によって構成されており、宇宙の広がりや運動、エネルギーの流れといった、不可視の現象を視覚的に捉えようとする試みである。例えば、《宇宙に触れる》の作品群に見られる、中心から放射状に伸びる線や、色とりどりの点が散りばめられた構図は、あたかもビッグバン後の宇宙の膨張、あるいは星々の誕生と消滅のシミュレーションのようである。ドローイングの線は、極めて直感的でありながら、厳密な法則性を持っているかのような錯覚を与え、概念と物質、視覚と知覚の間の緊張関係を、平面上で表現している。
そして特筆すべきは、植松の活動が、2025年大阪・関西万博という国際的な舞台へと接続されたことだ。本展のドローイングの中には、「Expo 2025 France Pavilion Touch of Spiral-Cosmos」と記された作品も含まれており、これは単なるドローイングに留まらない、未来への宣言と言える。植松は、万博の会期中、フランス館において3日間の展示「植松奎二 驚異の部屋―フランスから宇宙へ」を開催している。

《Touch of Spiral-Cosmos》 2025 「Expo 2025 France Pavilion Touch of Spiral-Cosmos」と記載された作品 撮影:筆者
この万博での活動の中心となったのが、本展にも通じるコンセプトを持つ作品《Touch of Spiral-Cosmos》である。この作品は、植松が長年探求してきた「地球と宇宙に触れる夢」の延長線上にあり、万博という「生命の輝き」をテーマとする祭典において、普遍的な生命の根源と宇宙の運動原理を提示しようとする試みであった。万博での展示は、植松の芸術的探求が現在進行形で国際的な注目を集め、私たち人間の根源的な問いを、グローバルな場で共有する役割を果たしていることを力強く証明している。

《Touch of Spiral-Cosmos》 2025 撮影:筆者

《Touch of Spiral-Cosmos》 2025 撮影:筆者

《Touch of Spiral-Cosmos》 2025 画像提供:Gallery Nomart
詩学としての彫刻:美術史における植松奎二の深遠なる意義
植松奎二の芸術が時代を超えて評価されるのは、戦後美術から現代に至る多層的な美術史的文脈の中で、極めてユニークな立ち位置を確立しているからに他ならない。活動の初期は、同時代的な日本の「もの派」の作家たち、例えば李禹煥や関根伸夫らが追求した「もの」それ自体と、それが置かれた「場」や「関係性」への関心と共鳴していた。しかし、植松は「もの派」の非言語的な表現に留まらず、自身の作品に哲学的な問いと物理的な法則を明確に導入することで、独自の彫刻概念を築き上げた。
「もの派」が「もの」をそのまま提示することで世界のあり方を問うたのに対し、植松は、ワイヤーや石といった最小限の物質を用い、「重力」「水平」「垂直」という目に見えない法則を、意図的な配置と緊張関係によって「可視化」する。これは、感覚を超えた普遍的な原理、つまり「見えないもの」を具体的な物質を介して知覚させようとする、より概念的かつ構造的なアプローチである。
1970年代以降のドイツでの活動は、ヨーゼフ・ボイスやミニマリズム、ポスト・ミニマリズムといった欧米の潮流とも共鳴しつつ、独自の道を歩んだ。ミニマリズムが形態の究極的な還元を目指したのに対し、植松の作品は形態の背後にある「力の均衡」や「関係性」を主題とする。ボイスが「社会彫刻」として概念を捉えたのに対し、植松は、重力という自然界の「見えない法則」を、石、木、ワイヤー、真鍮板といった物質を通じて視覚化するという、より彫刻的かつ詩的な方法を選択した。彼の作品は、自然科学と東洋思想的な静観性を融合させた、他に類を見ない普遍的な彫刻詩学を確立したと言える。
現代アートのシーンにおいて、植松奎二の意義はますます高まっている。AIやデジタル技術が生活を支配し、私たち自身の身体感覚や、世界との直接的な繋がりが希薄になりつつある現代社会において、彼の作品が提示する「重力に拘束された身体」「宇宙の物質との対話」「普遍的な秩序への問いかけ」は、極めて切実な意味を持つ。彼の作品は、単に目を楽しませる美術品としてではなく、私たちがデジタル化された世界では見失いがちな、身体と、その身体が置かれている普遍的な環境との関係性を回復させ、自己の存在を再確認するための羅針盤としての役割を果たす、高い批評性を内包しているのだ。
存在の根源を問う「場」としてのGallery Nomart
本展の成功は、植松奎二という世界的な作家の普遍的な探求と、その「場」を提供し続けてきたGallery Nomartの揺るぎないコミットメントによって成り立っている。大阪という地で、1992年の設立以来、Gallery Nomartは植松のほか、国内外の質の高い現代美術を積極的に紹介し、関西のアートシーンに確固たる視点を提示してきた。
単に作品を展示するのではなく、作品が持つメッセージや哲学を最大限に引き出し、鑑賞者との深い対話を促す空間を創造する。Gallery Nomartのシンプルな空間構成は、まさに植松の彫刻が追求する「最小限の要素で最大の普遍性を表す」という思想と完全に共鳴する。このギャラリーは、植松の作品が内包する「重力」「水平」「水」といった根源的な要素が、都会の喧騒から隔絶された静謐な環境の中で、鑑賞者の身体感覚と直接的に結びつくための、理想的な「場」を提供していると言える。植松奎二の芸術が、この地から世界へ向けて発信され続けることの意義は、計り知れない。

Gallery Nomart 画像提供:Gallery Nomart
宇宙的瞑想を終えて
植松奎二の個展「地球と宇宙に触れる夢」は、単なる美術展ではなく、私たち自身の存在と、私たちを包み込む宇宙の法則について深く思考させる、稀有で感動的な機会であった。Gallery Nomartの空間を舞台に展開されたインスタレーション《Axis-Longitude-Latitude/軸・経度・緯度》は、水と溶岩石と鉄隕石という対極的な素材を、ワイヤーと重力という見えない力で結びつけ、地球と宇宙の壮大な詩を奏でていた。この清涼で静謐な空間で、私たちは、重力によって運命づけられた存在であると同時に、水平、垂直、交差という幾何学的秩序の中に自らを位置づける知的な存在であることを再認識させられる。

会場風景 画像提供:Gallery Nomart

会場風景 画像提供:Gallery Nomart
植松の芸術は、半世紀以上にわたる探求を通じて、物質の奥に潜む法則や関係性を抽出し、それを最小限の介入で可視化する驚くべき能力を持っている。神戸大学で学び、1975年に渡独して以来、一貫して普遍的な問いを追求し続けてきた彼の活動は、1988年のヴェネチア・ビエンナーレ出展や、世界中の主要美術館でのパブリックコレクションによって、その普遍的な価値が証明されている。また、2025年大阪・関西万博のフランス館での展示活動は、彼の芸術的探求が現在も未来に向けて力強く接続されていることを示している。この展覧会は、私たちが自らの足元にある地球と、頭上に広がる宇宙に、いかに繊細で、しかし強固に結びつけられているかを感じさせてくれる、深い体験であった。植松奎二の芸術は、これからも私たちに、見えないものに触れるための「直観」と「夢」を与え続けるであろう。

美術家 植松奎二

展覧会 イメージ 画像提供:Gallery Nomart
Gallery Nomart | Exhibition 植松奎二 地球と宇宙に触れる夢 “Dream of Touching the Earth and Cosmos”