【ARTS STUDY 2025】 講座レポートVol.7|Artist Study2|生きるための芸術、繋がるための「場」:アーティスト稲垣智子が見つめる社会との接点

2025年10月24日、【ARTS STUDY 2025】シリーズの一環として開講された「Artist Study 2 稲垣智子(美術家)」は、アートと生活、表現と社会の間で格闘を続ける一人のアーティストの、驚くほど率直で人間味あふれる実践の記録だった。

「アーティスト」と聞くと、どのような姿を想像するだろうか。孤高の天才か、アトリエに籠る職人か。しかし、この日登壇した稲垣智子(1975年大阪生まれ)は、そのいずれとも異なる姿を見せてくれた。彼女は、英国の大学でアートを学び、インスタレーションや映像作品を国内外で発表する「美術家」である。同時に、社会助成金に応募し、ビジネスプランコンテストで優勝して絵画教室「ARTCA/アート力芸術教室」を起業した「経営者」でもある。また、神戸・岡本「OAG Art Center Kobe」を運営した「アートディレクター」であり、岸和田市で「アートコーディネーター」として行政とアーティストの間に立った「マネージャー」でもある。

講師:美術家 稲垣智子

そして2025年11月末、彼女は芦屋・山手町に新たな拠点「AOTO Art」をオープンした。一見、多岐にわたり、捉えどころのない活動。しかし、講座を通して見えてきたのは、そのすべてが「アーティストとしてどう生きるか」という切実な問いから派生した、一貫した「アーティスト活動」であるという事実だった。本レポートは、彼女が「インスタレーションから、ひらく場づくり」へと至った、必然の軌跡を追うものである。

演劇からパフォーマンスへ。そして「観客がいないと成り立たない」アートへ

稲垣のアートへの入り口は、少々ユニークだ。父親が画家であったためアートは身近な存在だったが、その影響が強すぎたためか、彼女が最初に向かったのは「絵ではなく演劇」だったという。中学から大学まで長く続けた演劇活動。しかし、次第に「自分にとっては現実ではない感じ」に違和感を覚え、自分には合わないと感じるようになった。

その違和感を胸に演劇を離れ、イギリスの大学へ渡った彼女は「パフォーマンス」という表現手法に出会う。そこには「アートのパフォーマンスにはどんな形も許される自由さ」「自分のままでも成立する面白さ」という発見があった。この「自分なまま」でいられるという感覚が、彼女をアートの世界へと本格的に導いた。パフォーマンスを記録するために映像を扱い、やがてその表現は映像インスタレーションへと移っていく。

講座で紹介された彼女の初期作品は、一貫して「境界」や「身体性」を問いかけるものだ。大学の卒業制作《グリーンハウス》は、温室をマジックミラーで制作し、鑑賞者の視線を撹乱する。鑑賞者は、温室の中の植物やパフォーマーを見る(あるいは、見られる)と同時に、鏡面に映る自分自身の姿とも直面させられる。

《グリーンハウス》2000年、インスタレーション、2000x2000x2000、温室、植物にペイント、プラスチックの植物、マジックミラー、センサーライト(稲垣智子公式HPより)

映像インスタレーション作品《春》(2004)では、石鹸で作られた白い彫像と、上から吊るされた色とりどりの造花が、映像とともに空間に配置される。映像と物理的な素材が一体となった空間は、鑑賞者の視覚だけでなく、石鹸の微かな香りや空間に響くオペラによる多感覚的な情報で包み込む。

《春》2004年、映像インスタレーション、2映像、サウンド、石けんの彫像、造花(稲垣智子公式HPより)

また、初期の代表作《最後のデザート》(2002/2003/2013)は、巨大なケーキと、そこで繰り広げられるパフォーマンスを記録した映像で構成される。甘美なケーキと口づけを交わすという儀式的な場面は、食べること、身体、愛、欲望といった根源的なテーマを浮かび上がらせ、鑑賞者一人ひとりの記憶や感性に結びついていく。稲垣氏は「一見そう見えるが、実は違う」というロジックを好む。それは、鑑賞者の固定化された視点や日常性を揺さぶり、現実の多層性を見せつける。

《最後のデザート》2002/2003/2013年、映像インスタレーション/ フォーマンス、映像、特殊加工された花、生菓子、食品添加物(稲垣智子公式HPより)

この「鏡」の多用は、彼女の原体験にも根差している。幼少期、父親に美術館に「たびたび行かされてた」とき、ターナーのような風景画に面白さを見出だせず、作品そのものよりも、作品を覆うガラスに映る「自分を見つめていた」という。その体験が、彼女の作品における「観客」の存在を決定づけた。

《Mirrors》2022年、映像インスタレーション、鏡8枚、シングルチャンネルビデオ(稲垣智子公式HPより)

「インスタレーションというのは、空間全体を作品とみなすもの。私が重要だと思っているのは『観客がいないと成り立たない』こと」。クレア・ビショップやイリヤ・カバコフといった批評家やアーティストの言葉を引きつつ、彼女は自身の作品と思想の核を明らかにする。観客がその空間に足を踏み入れ、作品と関係を結ぶことで初めて成立する芸術。稲垣の言葉を借りれば、インスタレーションとは「空間を芸術にしてしまう」行為であり、鑑賞者がその「臨界点」を体験することなのだ。この「他者(観客)の存在を前提とする」というインスタレーションの特性こそが、後に彼女が社会へと開かれた「場づくり」へと向かう、揺るぎない思想的基盤となっている。

「アーティストは霞を食べて生きている」わけではない。ハンブルクでの自問自答

アーティストとして国内外で活動を続けていた稲垣に、最初の、そして最大の転機が訪れる。2009年、大阪市とハンブルク市の友好都市プ記念展を機に、ドイツ・ハンブルクに1年間、アーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)で滞在することになったのだ。3階がすべてスタジオというとても広い、アーティストにとって夢のような環境。しかし、誰も知らない土地で、有り余るほどの「アートのための時間」を与えられた彼女は、逆に「私何もしてないんじゃないか」という強烈な焦燥感に襲われたという。

その1年間、彼女が自問し続けたこと。それは「生きていくことと、アーティストとして生きていくこと、そして生活していくこと」だった。これは極めて切実な問いだ。「アーティストって、かすみを食べて生きているわけじゃないので、どうやって食べていくのが正解なのか」「何が自分に合っているのかっていうのを考えました」

彼女は自身の作品が「インスタレーションはなかなか売れなさそう」「花や風景画と違い、あまり部屋に飾りたい作品じゃない」と冷静に客観視していた。だからこそ、「アートで生きていく」ことは、霞を食うような観念的な話ではなく、現実的な「生活」の設計を伴う問題として、彼女の前に立ちはだかったのだ。このドイツでの1年間が、彼女のアーティスト活動の第二章を決定づけた。「作品を作ること」だけがアーティスト活動ではない。「アーティストとして生きていく」ための社会的な基盤や繋がりを、自ら「作ること」もまた、重要なアーティスト活動なのではないか。

「こんなことしてちゃだめだ」震災と起業。アーティストが「場」を持つということ

帰国後、稲垣は一度、東京のベンチャー企業に就職する。彼女いわく、渋谷の「ギラギラした空気の会社」で、ビジネスの現実を学んだ。しかし2011年、東日本大震災が起こる。「そのときにこんなことしてちゃだめだと思った」―この直感が彼女を再び動かした。東京を離れ、大阪に戻る。そして、ドイツでの自問に対する一つの答えとして、彼女は「絵画教室」を始めることを決意する。画家であった父親のエッチングの刷り機があったことが、友人との会話から「絵画教室」というアイデアに繋がった。

しかし、当時の現代アート界の空気の中で、それは「かっこいい」選択ではなかったと彼女は率直に語る。「現代アートの人は、絵画教室を開いたりしないんですよね」。だが、彼女の視線は、もはや内輪の評価にはなかった。彼女はそこに、明確な「発想の転換」を見出していた。「絵画教室をやることによって、アーティストが食べていける土壌や基盤みたいなものを作れないかなと思って」―これは、ドイツで直面した「どう生きるか」という問いに対する、極めて具体的かつ社会的な「アーティスト活動」だった。

稲垣のユニークさは、そのアイデアを実行するプロセスにある。彼女は絵画教室「ARTCA芸術教室」を「起業」と位置づけ、社会助成の支援金やビジネスプランコンテストに応募した。そして、大阪府の中小企業診断士が選ぶビジネスプランコンテストで、なんと優勝してしまうのだ。「顧客数は200名を超えて」「関西から関東へ、そして全国へ展開」「日本を美術・芸術で、もっと教養ある豊かな社会へ」。当時の野心的なプレゼン資料を笑いながら紹介しつつも、「でも多分、制作活動をしていなかったら、できていたと思います」と彼女は言う。アーティスト活動との両立のために事業は縮小したが、この経験が彼女に「社会と接続する」ための実践的なスキルと、アーティスト仲間を支える「場」の運営という視点をもたらしたことは間違いない。

ARTCA/アート力芸術教室 HP

海外のAIRで見た「アートと生活」の近さ。そして日本での「場づくり」の必要性

「インスタレーションをやっていたから、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)に行けた」
稲垣は絵画教室の運営と並行し、作品制作のためのAIRへの参加も継続する。インスタレーションは現地で物を調達して作るので、輸送費のかかる絵画や彫刻より海外AIRに行きやすいというメリットがあった。このAIRでの体験が、彼女の「場づくり」への思いをさらに確かなものにしていく。

インスタレーションの経験は、二つの大きな変化をもたらしたと稲垣は語る。一つは「柔軟性の獲得」だ。AIRでは、予期せぬ制約に直面することが常である。しかし、そのような状況下で、コンセプトから素材、制作方法(単独か、コレクティブか)まで、あらゆる選択肢を柔軟に検討し最適解を選ぶことで、確かな「柔軟性」が身についた。この力は、その後の多様なコラボレーションや活動の幅を広げる原動力となった。

もう一つは「監督(ディレクター)的な役割」を担う意識の芽生えだ。大規模なプロジェクトでは、作家が全体を俯瞰し、異なる専門性を持つ人々を束ねる役割が不可欠となる。稲垣は、この経験を通じて「目的を持ち、監督、ディレクター的な役割を担える人物になる」ことの重要性を強く認識した。これは、現代アーティストの資質が、技術や表現力に加え、プロジェクトマネジメント能力にまで広がっていることを示している。

2022年は、カナダのウィニペグ(Winnipeg)市にあるAIR「MAWA(Mentoring Artists for Women Art)」(※1)に滞在した。ウィニペグは「とてもアーティストに手厚い、アーティストが生きていける街」だった。ウィニペグのアーティストは週3日ほどNPOで働けば、保険が完備され、スタジオ代も支給される。企業もアートへの出資が義務付けられており、アーティストが生活できるエコシステムが成立していた。

ニューヨークのAIR「アート・オーマイ(Art Omi)」(※2)は「本格的なアーティスト・トレーニングみたいな場所」で、キュレーターとのプレゼンや交渉が日常的に行われる。「オープンスタジオは昼から1時から始まって」「終わってからみんなと喋ってたら、みんながいくら売れたっていう話しをしてて」。「レジデンスで海外に行ってみると鑑賞だけでアートが終わらず、人、地域、時間とか関係を結ぶ場として成立している印象がありました」。

海外の「開かれた」アートシーン。それに比べて、日本の状況はどうか。稲垣は、日本の現代美術が「輸入的」であり、「文脈とか教育とか、『鑑賞習慣』そのものが育ちにくい」と冷静に分析する。ゴッホやモネには熱狂し、長蛇の列を作るが、今を生きるアーティストが提示する、時に「めんどくさい」参加を求める現代美術は、なかなか生活に根付かない。

どうすればいいのか。ハンブルクで芽生え、海外AIRで確信に変わった答え。それが「小さな場」を作ることだった。「そのときに、生活の中に文化を埋め込んでいくような小さな場作りをしたらいいんじゃないかなと思って」「芸術を地域に忍ばせるようなことができればいいなと思いました」。

「芸術を地域に忍ばせる」。なんと巧みで、優しく、そして戦略的な言葉だろうか。日常の中にそっとアートの「場」を置くことで、鑑賞習慣を育み、アートと生活の距離を縮めていく。彼女の次の「アーティスト活動」は、この「場づくり」へと明確にシフトしていく。

神戸での実践「OAG」と、芦屋での再出発「AOTO Art」

そんな彼女が「一目惚れ」したのが、神戸・岡本にあった、のちに「OAG Art Center Kobe(オーアーゲーアートセンター神戸)」になる建物だった。ドイツの団体が所有するその美しい場所が使われていないことに「もったいない」と直談判。「何度も」連絡を取り続け、ついにその門戸を開かせた情熱は、まさに恋に似ている。

OAG Art Center Kobe(オーアーゲーアートセンター神戸)、HPより

展覧会を行うホールだけでなく、クラス、AIRスペース、カフェ機能を備えた「複合的な循環のある施設」が始まった。それは、地域の人々や国内外のアーティストが交差し、学び、発表し、交流するという、文化的なエコシステムを創出する試みだった。多くの人が集い、アートに触れる場が生まれた。

OAG Art Center Kobe(オーアーゲーアートセンター神戸)、HPより

OAG Art Center Kobe(オーアーゲーアートセンター神戸)、HPより  All building photos by Takuma Uematsu

しかし、「資金が全然ないので自分で全部捻出しなくちゃいけない」「イベントごとに手伝ってくれる人はいるが、管理するのはすべて自分」。その運営は困難を伴い、疲労困憊していた矢先、建物売却の通告により、OAGは2025年8月に休業となる。「仕方がないと思いました」と彼女は当時を振り返る。しかし、燃え尽きたかに見えた彼女の情熱を、再び点火する出会いが待っていた。友人を通じて、芦屋・山手町に新たな場所が見つかったのだ。

2025年11月29日、ついにオープンを迎える「AOTO Art」。「芸術と生活を。」をテーマに掲げたこの場所は、アートに深い理解を持つ方が所有する一軒家だ。これは「芸術を通して日常を捉え直す試み」でもある。1階の「AOTO Space」は、人々が出会い、学び、創造する場。2階の「AOTO Project」は、「作品を『見る』だけでなく、くつろぎ、時間を過ごすこと自体が体験となる」という、新しい鑑賞の形を提案する場だ。これは、従来の受動的な鑑賞から、作品と共存し、時間を過ごす能動的な体験へと、鑑賞の概念そのものを転換させようとする試みである。芸術と生活を共にする「場」だ。

 

会場配布資料 AOTO Art 芸術教室

「芦屋の山手町で、ちょっと駅から遠い」からこそ、訪れた人が「自分自身とアートと過ごす場」になることを目指している。この新たな挑戦は、神戸のOAGでの経験と、彼女が貫いてきた思想の、見事な結実点となるだろう。それは、彼女の初期のインスタレーションが目指した鑑賞者の身体と空間の境界を揺さぶる試みの、社会的、日常的な拡張版とも言える。

アーティストの「生存戦略」:「自己表現」と「社会実装」の統合

稲垣のキャリアパスを俯瞰すると、現代アートが直面する課題に対する、非常に戦略的で新しい「生存戦略」が見えてくる。それは、「自己表現の探求」と「社会実装の場づくり」の統合である。従来のアーティストは作品の制作と発表に主軸を置いていたが、現代では、アートを支える社会的なインフラ(教育、流通、交流の場)そのものを、アーティスト自身が構築する必要性が高まっている。稲垣がインスタレーションの経験から獲得した「ディレクター的役割」と「柔軟な思考」は、この新しいニーズに見事に応えるものだ。

「ディレクター的役割」は、アーティストが単なる「作り手」に留まらず、「プロジェクトの設計者」となることを意味する。これは、異分野の専門家との協働や、資金調達、組織運営といったスキルを要求する。稲垣の場づくり(ARTCAやAOTO Art)は、このディレクター的役割の実践であり、自らの芸術的ヴィジョンを社会に具体的に埋め込むための器を自ら作っているのである。

そして「場づくり」という行為は、インスタレーションの理念の拡張だ。インスタレーションが非日常的な空間体験を通じて日常を再定義する試みであるならば、アートセンターの運営は、日常的な空間そのものにアートを埋め込み、利用者の意識を変容させようとする「長期的なインスタレーション」と見なせる。この統合戦略によって、彼女の活動は、単に「個人の作品」として評価されるだけでなく、「地域社会の文化資本」として機能する。このアートを社会に溶解させ、文化のインフラを自ら創出する姿勢こそが、稲垣が提示する新しいアーティスト像なのである。

講座風景

「何をやっている人?」その答えは「時間をかけたアートの循環」を作ること

講座の終盤、参加者から核心的な質問が投げかけられた。アーティスト、起業家、ディレクター、マネージャーと、多岐にわたる顔を持つ稲垣だが、彼女自身のアイデンティティはどこにあるのか。アートを広めたいのか、ビジネスをしたいのか、それとも意識を変革したいのか—。聴衆が抱いていたその根本的な問いに、稲垣は自らの歩みを率直に解き明かすことで答えた。

彼女は、すべてが「深く込み入っていて、難しい」と前置きしつつ、その原点が「最初は作品を作りたくて作品を作っていた」ことにあると語る。しかし、アーティストとして活動を続ける中で「食べていかなくてはいけない」という現実的な問題に直面した。

そして決定的な転機となった東日本大震災を経て、「やはり、自分がいいと思うことを仕事にしたい」という強い信念が芽生えた。彼女にとって「場づくり」は、単なるビジネスや社会貢献に留まらない。それは、彼女と同じように「アートを続けていく人」たちへの、具体的な支援であり、未来への投資でもある。

「アートを続けていく人がそこでアルバイトができるんですね。アートに携わって生活できることは、自信にもつながるんです」「先生になって教えることが成長につながっていく」。彼女の活動は、点ではなく、円を描いている。絵画教室の教え子が美大に進学する。数年後、稲垣がその美大に特別講師として呼ばれ、再会することもあるそうだ。「教室を卒業した子が絵を描いてたりするんですよ」「最近、現代美術に興味を持ってきたって言ってくれたりとか」。

「そうなってくると、自分がしたことがちゃんと今になって実ってきてると思える」「時間をかけたそんなアートの循環を作りたいと思っています」―この言葉に、すべてが詰まっていた。インスタレーション作品で「観客」を意識したアーティストが、ドイツで「生活」と直面し、日本で「社会」と接続するために「場」をつくる。そして、その「場」が新たな「仲間」を育て、そのサークルが巡り巡って、自身のアート活動や、未来のアートシーンそのものを豊かにしていく。稲垣智子の活動は、すべてが地続きの、壮大な「アーティスト活動」なのだ。

アートを「生活の臨界点」に置くということ

稲垣の90分間の語りは、あるアーティストが抱える苦悩と、それを乗り越えるための実践的な格闘の記録だ。彼女が示した二つの定義——「インスタレーション=空間の臨界点」「場づくり=生活の臨界点」——が、ずっと心に残っている。
「インスタレーションは空間の臨界点、すなわち空間そのものを芸術と見る考え方。そして、“場づくり”とは、生活の中でもっとも芸術に近づいた“生活そのものの臨界点”だと思う」。生活の臨界点―なんとスリリングで、なんと魅力的な言葉だろうか。

彼女が作ろうとしている「場」は、日常から切り離された高尚な神殿ではない。かといって、日常に埋没し、アートの力を失った空間でもない。私たちの「生活」が、ほんの少しのきっかけで「芸術」へと転移するかもしれない、そのギリギリの接点。それが、彼女が芦屋にひらく「AOTO Art」の姿なのだ。ビジネスコンテストで優勝するロジカルな思考と、「一目惚れ」で事を起こす情熱。その両極を軽やかに行き来する彼女の姿は、「アーティスト」という言葉の定義を、私たちの中で大きく揺さぶり、広げてくれる。

アートは難しい、自分には関係ない。そう思っている人こそ、彼女が「忍ばせる」芸術に、一度触れてみてほしい。稲垣智子というアーティストがひらく「生活の臨界点」は、私たちの日常を、今よりもずっと豊かに変えてくれる可能性に満ちている。彼女の新たな挑戦「AOTO Art」の門出を、心から応援したい。


注釈
(※1)
Mentoring Artists for Women’s Art https://mawa.ca/ (最終確認2025年12月2日)
(※2)
Art Omi – Art Omi https://artomi.org/ (最終確認2025年12月2日)
アーティスト・イン・レジデンス:Art Omi – Tomoko Inagaki | https://tomokoinagaki.com/blog/618/ (最終確認2025年12月2日)

参考リソース
• AIRと私 09:MAWA(Mentoring Artists for Women Art)滞在レポート | AIR_J:日本全国のアーティスト・イン・レジデンス総合サイト https://air-j.info/article/reports-interviews/air_and_i_09_tomoko_inagaki/ (最終確認2025年12月2日)
• アーティスト・イン・レジデンス@MAWA、ウィニペグ/カナダ – Tomoko Inagaki |
https://tomokoinagaki.com/blog/567/ (最終確認2025年12月2日)
• 稲垣智子作家HP:Tomoko Inagaki: https://tomokoinagaki.com/
• ARTCA 芸術教室: https://www.art-ca.com/
• OAG Art Center Kobe: https://oagartcenter.com/
• AOTO Art:11月29日オープンの芦屋にあるアートの場:https://aotoart.jp/

 

ARTS STUDY 2025 | アートの学びとつどい: https://cap-kobe.com/arts-study2025/

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。