
入江早耶展 純真遺跡(ロマンスいせき)〜愛のラビリンス〜 会場にて
■展覧会概要
兵庫県立美術館 注目作家紹介プログラム チャンネル10
入江早耶展 純真遺跡(ロマンスいせき)〜愛のラビリンス〜
会期:2019年11月23日(土・祝)- 12月22日(日)
会場:兵庫県立美術館ギャラリー棟アトリエ1、ホワイエ、美術情報センターほか
兵庫県立美術館が、独自の視点で選出した注目作家を個展形式で紹介する「注目作家紹介プログラム チャンネル」。記念すべき10回目となるこのプログラムに選ばれたのは、広島を拠点に国際的な活躍を見せる現代美術家、入江早耶である。
彼女が本展で提示したのは、「純真遺跡(ロマンスいせき)〜愛のラビリンス〜」と題された、極めてユニークで示唆に富んだインスタレーションだ。万葉の時代から語り継がれる悲恋の伝説をモチーフに、入江の代名詞ともいえる手法を用いて、現代における物語の新たな可能性を私たちに問いかける。それは、過去を消し去ることで未来を生成するという、現代の錬金術とも呼ぶべき試みであった。
消去と創出のパラドックス ― 入江早耶の芸術的実践
まず、入江早耶という作家の特異性を理解するところから始めなければならない。2007年に広島市立大学を卒業後、彼女は一貫して日常にありふれたモノを素材に、その存在の意味を問い直す作品を制作してきた。2012年の「第六回 資生堂アートエッグ」でのshiseido art egg賞受賞や、2014年の「岡山県新進美術家育成I氏賞」奨励賞受賞など、国内の主要なアートアワードで高く評価され、イギリスやドイツでの個展開催など、その活動は国境を越えて注目を集めている。
彼女の芸術の中核をなすのが、「印刷物を消しゴムで消し、その消しカスを素材として立体作品を制作する」という独自の手法である。これは単なる奇抜なアイデアではない。二次元のイメージを物理的に「消去」し、その行為の痕跡である消しカスを集め、練り上げ、元のイメージに関連する三次元の彫刻として「創出」する。このプロセスは、破壊と再生、不在と現前、平面と立体といった二項対立を軽やかに飛び越えていく。
入江の行為は、イメージが氾濫する現代社会に対する批評的な視線を含んでいる。私たちは日々、無数のイメージを消費し、その意味を深く問うことなく通り過ぎていく。入江は、そのイメージの一つを丹念に消し去るという、途方もない時間と労力を要する行為を通じて、イメージに宿る物語や歴史、そして私たち自身の記憶を一度解体する。そして、消しカスという、いわば「無」に還元された物質から、新たな形と意味を持つ存在を立ち上がらせるのだ。それは、対象への深い愛情と敬意がなければ成立し得ない、極めて詩的な営みである。美術情報センターの書棚にひっそりと展示された小作品群は、この手法の原点を雄弁に物語っており、彼女の制作の核心に触れる上で必見の展示であった。
悲恋のアップデート ―「菟原処女の伝説」の現代的再構築
本展の核となるテーマは、この兵庫の地に伝わる「菟原処女(うないおとめ)の伝説」である。万葉集や大和物語にも記されたこの物語は、二人の男性から同時に求婚された乙女が、板挟みの苦悩の末に自死を選び、二人の男性もその後を追うという悲劇だ。1300年以上もの長きにわたり、人々の心を揺さぶり続けてきたこの悲恋物語を、入江はどのように読み解き、現代に蘇らせたのか。

兵庫の地に伝わる「菟原処女(うないおとめ)の伝説」 写真撮影:高嶋清俊 画像提供:兵庫県立美術館
展覧会タイトル「純真遺跡(ロマンスいせき)〜愛のラビリンス〜」が、その解釈の鍵を握る。入江は、この伝説を単なる過去の悲劇としてではなく、現代にも通じる「愛の迷宮(ラビリンス)」として捉え直した。会場は、兵庫県内で収集された無数のダンボールによって構築された、さながら発掘現場のような「遺跡」空間となっている。この地で生まれた物語を、この地の素材で再構築するという試みは、作品と場所との間に強固な結びつきを生み出している。

純真遺跡(ロマンスいせき)〜愛のラビリンス〜 写真撮影:高嶋清俊 画像提供:兵庫県立美術館
鑑賞者はこの迷宮を彷徨いながら、物語の登場人物を象徴する3体のオブジェと対峙する。中央に立つ緑色の乙女、そして彼女を挟むように立つ赤と青の求婚者。彼らの身体は、消しゴムで消されたダンボールの印刷物の痕跡を留めており、その消しカスによってカラフルに彩られている。注目すべきは、そのディテールだ。赤の求婚者はイチゴや馬面、青の求婚者は急須や葡萄など、消されたパッケージに由来するポップなモチーフで飾られている。そして乙女は、頭上にチキンラーメンのキャラクターを戴き、その手は千手観音のように無数に広がり、求婚者たちが競い合ったとされる弓矢や、けん玉といった遊具を手にしている。

消しゴムカスのオブジェ。二人の求婚者と乙女
ここに、入江による伝説の鮮やかな「アップデート」が見て取れる。もはや彼女は、二者択一を迫られ命を絶つ無力なヒロインではない。多様な選択肢(遊具)を手にし、自らの意思で人生を謳歌する、能動的でパワフルな存在として再定義されているのだ。古代の悲恋は、現代の価値観、とりわけ変化した女性の社会的な立場を反映した、軽やかで少しコミカルな「ロマンス」へと昇華されている。因縁の争いは、まるでテレビゲームの対戦のように、ポップなアイコンの応酬として表現される。入江は、伝説に深く根差した「純真」さの核はそのままに、その外殻を現代的な感性で鮮やかに塗り替えてみせた。
過去を乗り越えるための「消しゴム」
入江早耶の「純真遺跡」は、単に古い物語を現代風にアレンジした作品展ではない。それは、私たちが過去の物語や歴史、あるいは個人的な記憶といったものと、いかに向き合うべきかという普遍的な問いを投げかけるインスタレーションである。作家がインタビューで語ったように、「もう少しさらっと流せるようになれば、もっと楽になれる」のかもしれない。入江の持つ消しゴムは、過去の呪縛を消し去り、私たちを「生きづらさ」から解放してくれる魔法の道具のように思える。悲劇さえも軽やかなロマンスへと転化させてしまう彼女の作品は、変化を恐れず、過去を乗り越え、未来を柔軟に再構築していくための、力強くも優しいエールなのである。