
寺岸遼佑展「触知図」
会期:2025年11月9日ー11月17日
会場:風アートプランニング
視覚優位社会への挑戦:触覚に訴えかける絵画の根源
現代アートの潮流がデジタル表現へと加速する中、寺岸遼佑(てらぎし りょうすけ)展「触知図」は、極めてアナログな手法で、絵画の存在意義を根源から問い直すものであった。2025年11月9日から17日までの会期中、大阪市北区天満にある風アートプランニングにて開催されたこの展覧会は、モニター越しでは決して得られない、絵画の生々しい物質性を体感する場となった。
ギャラリーの扉を開けた瞬間、その鮮烈な色彩と、キャンバスから湧き出るような絵具の立体感に、まず心を掴まれた。それは、単なる「見る」対象としての絵画を超え、身体的な反応を無意識のうちに引き起こす強い力を持っていた。作家は、ステートメントで「絵画はキャンバスであり絵の具のかたまりだ。そのことが愛おしいし、面白いと、今は感じている」と率直に述べている。この言葉は、彼の制作におけるパラダイムシフトを示しており、絵画を、観賞者と同じ現実空間を共有する即物的な存在として捉え直す視点を強く求めてくる。

左:《触知図/結晶世界》 2025年、右:《触知図/狂風世界》 2025年
「触知図」というタイトルが示す通り、寺岸が追求するのは、視覚だけでなく、触覚に訴えかける絵画である。デジタル情報が優位を占め、あらゆるものがフラットに消費される現代において、絵具の厚み、筆致の痕跡、光の反射といった物理的なテクスチャを強調する彼の作品は、世界のリアルな手触りを取り戻すことを促す批評的装置として機能している。
作家哲学とキャリア:行為の痕跡としての厚塗りの美学
寺岸遼佑は1988年大阪府生まれで、2011年に大阪芸術大学芸術学部美術学科油画コースを卒業している。彼のキャリアは2015年頃から加速し、「ART OSAKA 2015」や「KIAF 2015」(韓国・ソウル)など、国内外の主要なアートフェアで注目を集めた。その後も、東京や大阪のギャラリーで精力的に活動を続けており、現代抽象表現の担い手として着実に評価を高めている。
彼の制作における根幹にあるのは、「子どもが何にでも触ってみて、そこにあるのを確かめるような感覚で、私も自分の手で絵に直接触れながら作品をつくる」という制作哲学である。この直接的な身体的関与は、彼の作品の最も明確な特徴、すなわちアクリル絵具を多用した厚塗りの筆致となって現れている。作品群は、概ね白地のキャンバスやパネルを基調とし、その上にマゼンタ、赤、オレンジ、イエロー、そして深い茶色やマルーンなどの色彩が、大胆かつリズミカルな筆の動きの痕跡として残されている。
寺岸の抽象表現は、具体的なモチーフを排除し、色彩と物質そのものを前面に押し出す。彼は、絵画を「砂利に埋まった小石や小枝」のように、質感や色、手の痕跡に誘惑され、「触れてみたい」と思う絵として描き出すことを目指しており、このコンセプトが、彼の作品が単なる視覚的な美しさだけでなく、私たち鑑賞者の身体的な応答を期待していることを示し、彼の芸術的価値の核となっている。

展示風景
空間との対話:ギャラリーと作品が織りなす「触知図」の体験
会場である風アートプランニング(KAZE ART PLANNING)は、関西のアートシーンにおいて、現代美術に焦点を当てた企画を通じて、寺岸のような表現の根源を掘り下げる作家を継続的に支援している老舗画廊である。ギャラリーの白壁空間は、寺岸の作品の持つ色彩とテクスチャのコントラストを最大限に際立たせるためのニュートラルな背景として機能している。彼の作品は、キャンバスの側面にまで絵具の厚みが確認できるほど立体的な「かたまり」であり、この物理的な存在感が、清潔でフラットなギャラリー空間の中でこそ、より強く際立つのだ。
展示の妙は、作品の配置にも見て取れた。下記の図1のようにサイズの異なる複数の作品を、壁面に意図的に分散配置するインスタレーションは、個々の絵画間の余白を意識させ、壁面全体を一つの大きな「触知図」として再構成している。この手法は、絵画が壁という空間の一部であることを強調し、観客の動線と視線の移動を計算に入れた、空間全体を作品と見なす現代的なアプローチであり、観賞者がその場を歩き、作品と向き合う体験そのものが、寺岸の意図する「地図」を辿る行為となる。

図1
物質の構造と表現:色彩と筆致が語る感覚の集積
本展で展示された作品群は、筆致、色彩、そして絵具の粘度が織りなす、多角的な「触覚地図」である。観賞者はその構造的特徴を詳細に読み解き、その背後にある作家の哲学を感じ取ることができる。
寺岸の筆致は、単なる色を置く行為ではなく、絵具という物質に対する身体的なアクションの記録である。彼の作品に見られる厚塗りは、絵具がチューブから絞り出したかのようなボリューム感を持ち、パネル表面に明確な隆起を生み出している。この厚みは、光の角度によって変化する影を画面上に生み出し、絵画の二次元性を超えた彫刻的な要素を付加している。
下記図2の鮮やかなマゼンタの塊には、筆やヘラの筋(ストローク)がはっきりと残されており、作家の手の動きのスピードと力が直接伝わってくる。その筆跡はまるで作家が目の前で息づいているかのような、生々しい感覚を覚える。

図2
いっぽうで、下記図3に見られるように、一部の作品では、絵具が白地や他の色と混ざり合い、水彩画のような淡い浸透性を示しており、一律な厚塗りではなく、絵具の異なる状態を巧みに使い分けていることが、作品に複雑な表情を与えている。

図3
色彩の面では、赤、オレンジ、マゼンタ、イエローを中心とした暖色系のパレットが、彼の作品の中核をなしている。たとえば図4のような作品では、画面いっぱいに散りばめられた暖色の断片が、強い高揚感と生命のエネルギーを表現している。これは、感情や活力を直接的に視覚化する効果を持つ。

図4 《触知図/マズルカ》 2025年
また、図5では、鮮烈なイエローと濃いマルーン(茶色)が対比的に配置され、単なる明るさだけでなく、土壌や大地を思わせる深みと重厚感を生み出している。これは、彼の抽象表現が、自然界の物質的な要素にも接続していることを示唆している。

図5 《触知図/火星の土》 2025年
さらに、寺岸の作品は、色彩の塊と同じくらい、余白(白いキャンバス地)を重要な構成要素として用いている。例えば図6では、淡いピンクやベージュがかった筆致が多く使われ、絵具が置かれていない白い部分も、単なる背景ではなく、空気や光の空間として活性化されている。この余白によって、絵具の塊は重力から解放され、浮遊しているような感覚を生み出す。この疎密のバランスこそが、彼の作品のリズムを生み出し、鑑賞者に心地よい視覚的な動きを提供する。

図6 《触知図/ロンド》 2025年
美術史の文脈:抽象表現主義の身体性と現代の知覚
寺岸遼佑の作品は、20世紀半ばのアメリカ抽象表現主義、特にアクション・ペインティングの系譜と深く対話している。ウィレム・デ・クーニングやフランツ・クラインに見られる、画家のエネルギーと生の痕跡を絵画に焼き付ける手法は、寺岸にも通底する。
観賞者はその筆致から、熱量のこもった身体的な運動を想像し共振する。しかし、寺岸の表現は、抽象表現主義が時に内包した「悲劇性」や「壮大さ」からは距離を置いている。彼の色彩はより現代的で鮮烈であり、筆致も荒々しい衝動性よりも、制御された遊び心や洗練されたパターンを強く感じさせる。

展示風景
加えて、彼の作品が持つ、シンプルな構造と反復される要素はミニマリズム、高彩度の色彩と断片的なモチーフはポップアートの精神を想起させる。寺岸は、これらの歴史的な潮流から、「物質的な純粋さ」と「視覚的な即時性」を抽出し、現代の感覚をもって再構築したと言える。彼の作品は、単に美しい抽象画として消費されるだけでなく、デジタル時代における物質的なリアリティという、現代的な哲学的テーマを内包している。この批評性と審美性の融合こそが、寺岸遼佑の作品が現代美術において独自の価値を持つ所以である。
感覚の復権としての「触知図」が示す未来
寺岸遼佑展「触知図」は、現代美術の文脈において、絵画が持つ根源的な力を再確認させる説得力に満ちた展覧会であったといえるだろう。鑑賞者は、彼の作品を通じて、絵画が単なる視覚的な記録ではなく、作家の身体的行為と物質(絵具)が融合した、触れるべき「かたまり」であることを学んだ。
筆致の厚み、色の鮮やかさ、そして画面の余白が織りなす構造は、デジタル時代に失われつつある、身体と世界との直接的な接続を取り戻すための静かなる抵抗の表明である。彼は、抽象表現の歴史的な遺産を踏まえつつも、それを現代の感覚と、絵画の物質性への強い愛着をもって再構築した。
風アートプランニングで展開された寺岸遼佑展「触知図」は、今後の彼のキャリアの重要な道標となるだけでなく、現代の抽象絵画の進化形を示す、批評的かつ魅力的な展覧会であった。彼の作品を単なる「絵」としてではなく、五感に語りかける「触覚の地図」として読み解くべきであろう。今後の活躍が大いに気になる作家である。

風アートプランニングが入居(2F)する鉄道広告社ビル外観
TERAGISHI Ryosuke (@teragishi_ryosuke): https://www.instagram.com/teragishi_ryosuke/