【ARTS STUDY 2025】 講座レポートVol.8|音楽|3 – ②「Musurgia Universalis ーキルヒャーの音楽宇宙ー」17世紀の知の巨人が現代アートを照らすとき:アタナシウス・キルヒャーの「普遍音楽」と藤本由紀夫が共鳴する音響宇宙への旅

2025年11月7日、神戸にて開催された【ARTS STUDY 2025】の「音楽」講座第2回は、17世紀バロック時代の深淵なる知の世界へと誘う、時空を超えた知的冒険の場となった。今回のテーマは「Musurgia Universalis ーキルヒャーの音楽宇宙ー」。主役となるのは、17世紀ドイツ出身のイエズス会司祭であり、当時のあらゆる知識を網羅しようとした博覧強記の学者、アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602-1680)である。

アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602-1680) 出典:Wikimedia Commons: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Athanasius_Kircher.jpg

時空を超えた音響の冒険へ:現代アートの視点から紐解く17世紀の博覧強記

現代科学の視点から見れば、キルヒャーの学説の多くは否定され、歴史の彼方に忘れ去られた奇想のように扱われることもある。しかし、本講座において、その評価は鮮やかに覆された。講師を務めたアーティスト藤本由紀夫氏(ふじもと .ゆきお、1950年)は、キルヒャーの自由奔放で横断的な発想力や、世界を一つのシステムとして捉えようとする先駆的な思考こそが、現代アートの根源的な問いと深く共鳴していることを提示したのだ。本稿では、藤本氏の導きによって体験した、五感を刺激するユニークなワークショップや、キルヒャーの著書『普遍音楽(Musurgia Universalis)』の深遠な読解を通じ、音と宇宙、そして人間を結ぶ「普遍的な調和」の再発見がいかに刺激的で楽しい体験であったかを詳細にレポートする。

「Musurgia universalis」ハードカバー、ドイツ語版」 Image courtesy of Amazon.co.jp

見えない音を「見る」美術家:講師・藤本由紀夫が切り拓く知覚の地平

この壮大なテーマのナビゲーターを務めた藤本氏は、日常に潜む「音」や、空間における「響き」といった不可視な現象を、極めてミニマルな装置やインスタレーションによって視覚化・体験化させる作品で知られる。レコードやCD、オルゴールなどの既製メディアや日用品を用い、その機能や意味をわずかにずらすことで、鑑賞者の聴覚や視覚といった感覚の在り方を問い直す。ヴェネチア・ビエンナーレ(2001年)への参加をはじめ、国内外で高い評価を得ており、その哲学的なアプローチは現代アートにおける知覚の探求を牽引し続けている 。

藤本氏の作品世界の根底にある「世界に存在する見えないシステムや現象への好奇心」は、まさに300年以上の時を超えてアタナシウス・キルヒャーの精神と深く共振している。彼が語るキルヒャー論は、単なる美術史の講義にとどまらず、クリエイターがいかにして世界と対峙すべきかという、創造論そのものとして私たちの心に響いたのである。

講師:藤本由紀夫氏

講座の幕開けは、キルヒャーがその生涯の活動拠点としたイタリア・ローマに思いを馳せる、藤本氏ならではの心憎い演出から始まった。藤本氏は冒頭、「今回はちょっとイタリアにこだわろうと思って」と語り、受講者たちにイタリア産のワインとチョコレートが振る舞われた。

藤本氏の解説によれば、これには歴史的な文脈がある。カカオはもともと南米原産だが、スペインを経由してヨーロッパに伝わり、特にキルヒャーが活動した17世紀のイタリアでチョコレート文化として花開いた。当時のチョコレートは嗜好品というよりも薬としての側面が強く、砂糖が加えられることで現在のような形へと変貌していったという。私たちはワインの香りとチョコレートの苦味を舌で感じながら、キルヒャーが生きたバロック時代の空気を、味覚を通じて体内に取り込んでいく。これは、知識を頭だけで理解するのではなく、身体全体で世界を感じ取ろうとしたキルヒャーの姿勢を追体験する儀式のように感じられた。

そして、この日のハイライトとも言えるユニークな「実験」が行われた。1回目も参加した受講生からの差し入れがあり、音響熟成がコンセプトの日本酒が用意されていたのである。これは、丹波の酒蔵で製造されたもので、醸造タンクの中のもろみに特定の音楽を聴かせ、その振動によって熟成を促したという日本酒である。

「音楽振動って書いてあって」と藤本氏がボトルを示すと、会場には好奇心と少しの疑念が入り混じった笑いが起きる。果たして、音楽という空気の振動が、液体の味を変えることなどあり得るのだろうか。私たちは配られた二種類の酒を真剣な表情で飲み比べ、その微細な差異を探そうと神経を研ぎ澄ませた。「冷やしてある方がわかりやすい」「いや、常温の方が…」といった声が漏れる中、藤本氏は「お酒どうでしたか?分からないですよね?違いもあまり分からないし」と、いたずらっぽく笑いながら問いかけた。

講座の様子

しかし、ここで重要なのは「味が本当に変わったか否か」という科学的な結果ではない。藤本氏がこのワークショップを通じて私たちに伝えたかったのは、「音は単なる聴覚情報ではなく、物質に物理的な影響を与えうるエネルギーである」というキルヒャー的な世界観を、理屈抜きで体感することであった。キルヒャーがかつて、音の振動が宇宙の調和や人体の健康に作用すると信じたように、私たちもまた、目の前のグラスの中で起きているかもしれない「見えない変化」に想像力を巡らせる。

この瞬間、私たちはキルヒャーが真剣に探求し、現代科学が怪しいと一蹴しがちな「音の普遍的な作用」というテーマを、理屈抜きで、最も身近で懐疑的な「味覚」を通じて経験することとなった。この体験は、キルヒャーの好奇心が持つ、科学と神秘主義の境界線を曖昧にする、まさにその特質を象徴している。

17世紀の知の宇宙船:アタナシウス・キルヒャーの驚くべき時代と知識

アタナシウス・キルヒャーが生きた17世紀は、ルネサンスの知的好奇心と、デカルトやガリレオに代表される科学革命の萌芽がせめぎ合う激動の時代であった。キルヒャーは、この時代の知識のすべてを、一人の人間の中に集約しようとした最後の普遍的な学者であったと言える。彼はローマのイエズス会本部で、自らが収集した珍しい鉱物、動植物の標本、機械、そして世界各地からの文物を展示する「キルヒャー美術館」(博物館)を開設した。これは、当時の世界観を反映した、まさに知識の宇宙船のような場所であった。

ローマ学院のキルヒャー博物館 図版は「Turris Babel」(アムステルダム、1679年)に掲載 キルヒャー美術館 Kircher-Museum im Collegium Romanum 出典:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kircher-Museum_im_Collegium_Romanum.jpg

キルヒャーの著作は、彼の無限の好奇心を如実に物語っている。『地下世界』(Mundus Subterraneus)では地熱、地震、火山といった地質学的な事象を詳細な図解と共に解説し、『中国図説』(China Illustrata)では、当時のヨーロッパ人がほとんど知らなかった遠い東洋の文化や文字を紹介した。さらに、エジプトのヒエログリフ(象形文字)の解読に挑んだことは特に有名であり、彼の解釈は後世になって誤りであったことが判明するものの、その情熱と体系化の試み自体が、学問の境界を押し広げる重要なステップであった。

『中国図説』(China Illustrata) 扉絵 マテオ・リッチとアダム・シャールが中国の地図を持つ。上はフランシスコ・ザビエルとイグナチウス・ロヨラ  出展: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:China_Monumentis,_qua_sacris_qua_profanis_by_Athanasius_Kircher.jpg

藤本氏は、キルヒャーの知識が後年になって「ほぼ全否定された」という事実を隠さず提示する。しかし、そこで終わるのではなく、「彼の真価はその発想力と、好奇心に満ちた着想にある」と力強く強調する。キルヒャーは、現代の私たちが部門化された知識の中で見失いがちな、あらゆる事象を統合し、「世界を一つの連関性の中で捉えようとする」芸術的な哲学を持っていたのだ。この統合的な視点こそが、現代アートが目指す異分野の横断性や、知覚の再構成というテーマと強く結びつく。キルヒャーは、科学者というよりも、知識の境界線を自在に飛び越える「アーティスト」としての側面が強かったのである。

『普遍音楽』が描く壮大な宇宙図:万物を繋ぐ調和のシステム

講義はいよいよ本題であるキルヒャーの主著『Musurgia Universalis(普遍音楽)』(1650年刊)の深淵へと進んでいった。藤本氏がスクリーンに映し出した数々の図版は、精緻でありながらどこか奇妙で、見る者の想像力を強く刺激するものであった。

『普遍音楽』(Musurgia Universalis) 出展:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Musurgia_Universalis_1650_(112854344).jpg

キルヒャーはこの大著において、音楽を単なる芸術活動や娯楽としてではなく、世界を構成する普遍的な原理として位置づけている。藤本氏の解説によれば、キルヒャーは音楽を「宇宙の音楽(Musica Mundana)」、「人間の音楽(Musica Humana)」、「器楽の音楽(Musica Instrumentalis)」の三つの階層に分類した。天体の運行や四季の巡りが奏でる宇宙的な調和、人間の魂と肉体のバランスを司る生理的な調和、そして私たちが耳にする実際の楽器の音。これらすべてが、数学的な比率と振動という共通の法則によって結びついているという壮大なビジョンである。

「人間の音楽」(Musica Humana) 出展:Wikimedia Commons:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Musurgia_Universalis_1650_(112856206).jpg

「器楽の音楽」(Musica Instrumentalis) 出展:Wikimedia Commons: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Musurgia_Universalis_1650_(112862201).jpg

藤本氏は、キルヒャーが図版を駆使してこれらの抽象的な概念を視覚化しようとした点に着目した。例えば、人間の耳の構造を描いた図や、地球内部の空洞が共鳴する様子を描いた図などは、キルヒャーがいかに「見えない音」を「見える形」として捉え、体系化しようと腐心したかを物語っている。藤本氏は「キルヒャーは、音楽をただ楽しむためではなく、世界を理解するためのツールとして考えていた」と語り、その姿勢こそが現代のアートにおけるリサーチやコンセプチュアルな探求の先駆けであると指摘した 。

耳の構造 出典:Wikimedia Commons: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Musurgia_Universalis_1650_(112855755).jpg

特に印象的だったのは、キルヒャーの博覧強記ぶりが、時には事実と空想の境界を軽々と越えてしまう点だ。藤本氏が紹介した「牛の息を使った(奇妙な)自動オルガン」の図版には、驚きの声が上がった。これは、オルゴールと同じ原理でメロディーができるのものだが、藤本氏は「多分ですよ」と前置きしながら「牛の首の水盤に水をジャーッといれると牛は思わず『ウゥ』と、ゲップを吐き出しその圧力で空気が送られて音がでる」「機械だけじゃない、斬新的な」と語る。グロテスクでユーモラスな架空の楽器である。藤本氏は、このような一見荒唐無稽なアイデアの中にこそ、音響を物理的に制御し、あらゆる発生源をシステムに組み込もうとするキルヒャーの飽くなき探求心、あるいは狂気にも似た情熱が現れていると分析した。

牛の息を使った自動オルガン 出典:https://www.dougberch.com/wp-content/uploads/2008/08/fludd-scary-pipes.jpg

サイコロが奏でる未来の音楽:「アルス・マグナ」とアルゴリズムの予言

講座の中盤、藤本氏はキルヒャーの著作の中に、現代のデジタル技術やAIによる創作を予見するような驚くべきアイデアが含まれていることを紹介した。それが「アルス・マグナ(Ars Magna Consoni et Dissoni)」、すなわち「サイコロ作曲法」である。これは、あらかじめ音形やリズムが記された断片を用意し、サイコロを振って出た目に従ってそれらを組み合わせることで、誰でも音楽的に破綻のない曲を作ることができるというシステムである。藤本氏は「音楽を、何でも記号化して、サイコロ振って、音楽作るっていうのは、キルヒャーが世界で最初にやったことなんです」と、その革新性を強調した。

アタナシウス・キルヒャーの『オルガヌム・マテマティクム』で使用された音楽棒の図版。オルガヌム・マテマティクムとは、キルヒャーによって考案された教育機械(一種の計算装置)を開設した書籍、または装置自体。 Kircher’s Arca Musarithmica 出典:Wikimedia: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Organum_Mathematicum_Music_Sample_Columns.png

アタナシウス・キルヒャーのアルカ・ムサリティミカ(音楽の箱舟)。『ムサルギア・ユニヴェルサリス』(1650年)の挿絵。この装置は音楽の素養がない者でも4声部のポリフォニック(多声音楽)賛美歌を作成できる。 Kircher’s Arca Musarithmica (Musical Ark) 出典:Wikimedia: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kircher-ark.jpg

17世紀において、音楽は神への奉仕や人間の感情表現の手段であったはずだ。しかしキルヒャーは、そこに「偶然性」と「自動化」という概念を持ち込んだ。作曲家個人の内面や才能に依存せず、数学的なルール(アルゴリズム)とランダムな要素(乱数)によって作品を生成するこの手法は、まさに現代のコンピューター・ミュージックやジェネラティブ・アートの原点と言える。

藤本氏自身もまた、作品制作において「作家の意図」を消し去り、システムや現象そのものに語らせるアプローチを多用するアーティストである。例えば、無数のレコードプレーヤーがただ回転し続けるインスタレーションや、サイコロを用いた作品などは、キルヒャーの「アルス・マグナ」の現代的な実践とも解釈できる。藤本氏は、キルヒャーが目指した「個人の感情を超えた普遍的な音楽」の可能性が、300年の時を経て、ジョン・ケージの「偶然性の音楽」や、現代のテクノロジー・アートへと脈々と受け継がれている系譜を鮮やかに描き出した。私たちは、キルヒャーという過去の巨人が、実は未来から来た預言者のように、現代アートの最前線を照らしていることに気づかされたのである。

「美術館の遠足」とシュトックハウゼン:現代に継承されるキルヒャーの遺伝子

講義の終盤、話題は藤本氏自身の具体的な活動と、現代音楽の巨匠カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)へと展開した。

藤本氏は、1997年から2006年まで西宮市大谷記念美術館で10年間にわたり開催された展覧会シリーズ「美術館の遠足」について触れた。このプロジェクトは、美術館という空間を単なる展示場ではなく、体験の場として捉え直し、観客との長期的な関係性を構築しようとした試みであった。藤本氏は、5回目の開催時に美術館側から記念の「プレゼント」が配られたという心温まるエピソードを披露し、アートが日常の時間の中に溶け込み、記憶となっていく過程の重要性を語った。これは、キルヒャーが博物館を作り、収集した文物を人々に公開することで世界への知の扉を開こうとした啓蒙的な姿勢と重なるものである。

そして、藤本氏は次回講座のテーマでもあるシュトックハウゼンについて、「音楽っていうと、とっぴな音楽から外れてると思うけど、実はシュトックハウゼンはど真ん中なんです」と力強く語った。電子音楽や空間音響を駆使し、従来の音楽の概念を解体・再構築したシュトックハウゼンは、一般には難解な前衛音楽家と見なされがちである。しかし、ドイツ文化において彼は、バッハやベートーヴェンといった正統な音楽史の継承者として位置づけられているという。

なぜなら、シュトックハウゼンもまた、キルヒャーと同じく、音を物理的な振動や数学的な構造として捉え、宇宙的な秩序を音楽によって表現しようとした「普遍音楽」の探求者だからである。藤本氏のこの指摘により、17世紀のキルヒャー、20世紀のシュトックハウゼン、そして21世紀の藤本由紀夫という、時代を超えた一本の太い線が繋がった瞬間であった。彼らは皆、既存の枠組みに囚われず、「音」という現象を通じて世界の真理に触れようとした、同志なのである。

知覚の扉を開くアートの旅:キルヒャー的宇宙への招待

本講座「Musurgia Universalis ーキルヒャーの音楽宇宙ー」は、単なる知識の伝達を超えた、極めて刺激的な体験であった。私たちは、藤本由紀夫氏という稀代のアーティストのフィルターを通すことで、一見難解で古めかしいキルヒャーの思想が、いかに瑞々しく、現代的な可能性に満ちているかを知ることができた。

イタリアワインとチョコレートの味わい、音響熟成酒の微妙な味の揺らぎ、そして牛の息を使った(奇妙な)自動オルガンやサイコロ作曲法の驚き。これらすべての体験が、私たちの固まりかけた「音楽」や「アート」への概念を解きほぐし、知覚の扉を大きく開け放ってくれた。

キルヒャーが夢見た「すべての事象が音でつながる宇宙」は、決して過去の遺物ではない。私たちが耳を澄ませば、日常のノイズの中にも、機械のハム音の中にも、そして静寂の中にも、普遍的な調和の響きを見出すことができるのだ。この講座を通じて、私たちは「世界を聴く」ための新しい耳を獲得したと言えるだろう。藤本氏が示したように、アートとは、見慣れた世界を未知のものとして再発見するための装置であり、キルヒャーが示した飽くなき好奇心こそが、そのための最良の羅針盤となる。

「キルヒャ-の世界図鑑: よみがえる普遍の夢」ジョスリン ゴドウィン (著), 川島 昭夫 (翻訳) 出版社:工作舎 発売日:1986/4/1 単行本:311ページ Image courtesy of Amazon.co.jp

ドイツ・バイエルン州のガンゴルフィ公園 (Gangolfipark)にあるアタナシウス・キルヒャーの記念碑 出典:wikimedia https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gedenkstein_zu_Ehren_von_Athanasius_Kircher.jpg


「ARTS STUDY 2025」は、アートを「つくる」だけでなく、「みる」「しる」「かんがえる」といった多角的な視点から学び、集うためのプログラムである。C.A.P(特定非営利活動法人「芸術と計画会議」)が主催し、半年間を通して多様な分野の専門家を講師に迎える本企画は、芸術を通して世界の成り立ちや人間の感覚を再発見するための知的な実験場といえる。第一線で活躍するアーティストや研究者から直接話を聴くことができる貴重な機会であり、単なる知識の詰め込みではなく、自らの思考を揺さぶる「体験」としての学びが得られる。

ARTS STUDY 2025 | アートの学びとつどい​ https://cap-kobe.com/arts-study2025/

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。

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