「超現実」はいかに日常を侵食したか:視覚芸術から広告、ファッション、インテリアまで、シュルレアリスムの「拡大」を問う 「拡⼤するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」 大阪中之島美術館 黒木杏紀評

会場風景:プロローグ ルネ・マグリット「アンケート」『シュルレアリスム宣言』誌12号・挿画、マルセル・デュシャン 《瓶乾燥器》 1914/1964年 (シュワルツ版ed.6/8) 京都国立近代美術館

拡⼤するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ
会期:2025年12月13日―2016年3月8日
会場:大阪中之島美術館
視覚芸術を超えて社会全体に浸透した「超現実」の軌跡

2025年12月13日から2026年3月8日にかけて、大阪中之島美術館で「拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」展が開催されている。本展は、アンドレ・ブルトンが1924年に定義づけた「シュルレアリスム(超現実主義)」という芸術運動が、いかにして絵画や彫刻といった純粋な視覚芸術の領域を超え、広告、ファッション、インテリアといった日常に密接した応用芸術、そして社会全体へとその影響力を拡大していったのかを、包括的に検証する画期的な試みである。

第一次世界大戦の凄惨な状況を目の当たりにし、理性への絶対的な信頼に基づく近代の合理主義を批判したシュルレアリストたちは、無意識や夢、そして「偶然の出会い」に着目し、精神分析学の影響のもと、理性によって分断された世界を統合する「より高次の現実」を求めた。ブルトンの定義によれば、シュルレアリスムとは「これまで無視されてきたような種々の連想における高次のリアリティと、夢の全能性への信頼に基づく」ものであり、彼らの創造行為は、表現の様式に留まらず、私たちの世界観そのものを変革しようとする運動にほかならない。

マルセル・デュシャン 《帽子掛け》 1917/1964年 (シュワルツ版ed.6/8) 京都国立近代美術館、ルネ・マグリット「アンケート」『シュルレアリスム宣言』誌12号・挿画、マルセル・デュシャン 《瓶乾燥器》 1914/1964年 (シュワルツ版ed.6/8) 京都国立近代美術館

本展の企画の骨子は、シュルレアリスムが誕生から約100年を経た今なお、私たちの美意識や欲望の深層に影響を与え続けている巨大な構造を解体し、その真の姿を再構築することにある。当初は文学的な傾向として始まったこの運動が、オブジェ、絵画、写真といった視覚芸術から、最終的に日用品のデザインにまで深く食い込んでいった軌跡を、表現の媒体をキーワードとして辿る。日本国内に所蔵される多岐にわたるジャンルの優品が一堂に会した本展は、シュルレアリスムの「拡大」の歴史を体感する、稀有な機会となった。

マルセル・デュシャン 《瓶乾燥器》 1914/1964年 (シュワルツ版ed.6/8) 京都国立近代美術館

芸術家が現実を異化し「超現実」の扉を開いた驚異的なオブジェ群

シュルレアリスムの哲学は、まずオブジェ(客体)との関わりからその扉を開く。第1章 オブジェ—「客観」と「超現実」の関係 の展示空間は、白を基調とした広々とした空間に、白い台座の上に配された多様なオブジェが、客観的な存在感を際立たせている。アンドレ・ブルトンは、オブジェの発見こそが「ここで正確に夢と同じ役割を果たしている」と述べており、日常的な事物に偶然性や違和感を持ち込むことで、私たちが疑う余地なく現実だと認識しているものの中から、より上位の現実である「超現実」を露呈させようとした。

第1章 オブジェー「客観」と「超現実」 の会場では、無機質な白い壁に単独で吊るされたマルセル・デュシャンのシャベル《折れた腕の前に》や、台座に据えられたジャン・アルプの流線型の白い彫刻《植物のトルソ》は、「デペイズマン(転置)」の効果を最大限に発揮している。ブルトンは「不可思議はつねに美しい。どのような不可思議も美しい。それどころか不可思議のほかに美しいものはない」と語ったが、この章に並ぶオブジェたちは、日用品の「機能」を剥奪し、「超現実」との遭遇を通じて、私たち鑑賞者の想像力を、ためらいの感情という麻痺から解き放ち、新たな創造へと勇気づける力を持っているのだ。これらのオブジェは、後の応用芸術における「異化」の技法の源流であり、私たちの無意識を刺激するシュルレアリスムの最も直接的な表現媒体である。

マルセル・デュシャン 《折れた腕の前に》 1915/1964年 (シュワルツ版ed.6/8) 京都国立近代美術館

右:ジャン・アルプ 《植物のトルソ》 1959年 大阪中之島美術館

また、フランシス・ピカビアのドローイングと蝶のコラージュ作品《黄あげは》(1926年)のように、複数の素材を組み合わせて「超現実」的なイメージを生み出す手法は写真と親和性が高い。

フランシス・ピカビア 《黄あげは》 1926年 大阪中之島美術館

この章では、メレット・オッペンハイムやサルバドール・ダリ、マン・レイといった作家たちが手がけた、実用性を超越したオブジェ群に圧倒される。

サルバドール・ダリ 《回顧的女性胸像》 1933/1977年 公益財団法人諸橋近代美術館

左:マン・レイ 《贈物》 1921/1970年の再制作 (ed.8/11) 横浜美術館、右:マン・レイ 《不滅のオブジェ》 1923/1965年の再制作 (ed.79/100) 横浜美術館

無意識の深淵を探りオートマティスムから幻視へと至る視覚芸術の革新

シュルレアリスムの運動が文学から視覚芸術へと本格的に拡大したのが、この第2章 絵画—視覚芸術の新たな扉 が示す領域である。1919年のアンドレ・ブルトンによる「自動筆記」の試みから始まったように、シュルレアリスム絵画は、既存の論理や形式、そして理性のコントロールから逃れた、新たな創造の可能性を追求した。

ここには、シュルレアリスムを代表する作家たちの絵画が展示されており、鑑賞者はベンチに座りながら、夢と現実が交錯する世界に没入することができる。マックス・エルンストはダダ時代からのコラージュ技法を進化させ、潜在意識下のイメージを表現する。

また、アンドレ・マッソンは心ゆくままに描く「自動デッサン」、ジョアン・ミロは不定形な線や図形をカンヴァスに描くオートマティスムの手法に取り組み、深層心理からの発露を試みた。対照的に、サルバドール・ダリやルネ・マグリット、イヴ・タンギーらは、伝統的な絵画技法を駆使しつつ、深層心理や夢想を反映した精密で幻想的な光景を画面上に構築した。

第2章 絵画—視覚芸術の新たな扉 展示風景

特にルネ・マグリットは、本展のメインビジュアルにもなっている《王様の美術館》(1966年、横浜美術館所蔵)と大阪中之島美術館のコレクションである《レディ・メイドの花束》(1957年)が並列で展示されており、山高帽の紳士のイメージを通じた視覚的なパラドックスによって、目の前の現実の不確かさを私たちに突きつける。《王様の美術館》は、青い人影の輪郭に夜の風景が投影されており、また《レディ・メイドの花束》の紳士の背中に女性像が切り抜かれたような作品は、人間の内面と外面、存在と非存在といった根源的な問いを視覚化している。

左:ルネ・マグリット 《王様の美術館》 1966年 横浜美術館、右:ルネ・マグリット 《レディ・メイドの花束》 1957年 大阪中之島美術館

さらに、イヴ・タンギーの作品《失われた鐘》(1929年)に見られる有機的な形態が漂う荒涼とした風景は、非現実的な空間構成によって、「超現実」のビジョンを私たちに体験させる。この章は、シュルレアリスムが、フランスに留まらず世界各地の芸術家に影響を与え、視覚芸術の可能性を広げた革新的な過程を示しているのだ。

イヴ・タンギー 《失われた鐘》 1929年 豊田市美術館

マン・レイが牽引した光と影の実験、「写しとる」役割を逸脱したイメージの変容

写真というメディアは、機械的な記録性を帯びながら、シュルレアリスムの想像力が最も開花した分野の一つである。第3章 写真—変容するイメージ では、マン・レイを筆頭に、写真技術を駆使して日常的なモチーフを斬新で謎めいたイメージへと変えた各国芸術家の試みが示されている。写真の誕生は19世紀前半だが、シュルレアリストたちは、被写体をそのまま写すという本来の役割を超え、写真術を20世紀美術の主要な表現手段として確立した。

会場には、マン・レイがカメラを使わず印画紙の上にモノを置いて感光させる技法、いわゆる「レイヨグラフ」の発展形や、「ソラリゼーション」といった、光と影を逆転させることで既視感のないイメージを生み出した作品群が並ぶ。レイヨグラフは、対象の影のみを焼き付け、その物の本質的な存在を問い直す、まさに「超現実」的な表現技法であった。

会場風景 マン・レイ作品

この章の白眉は、ヴォルスに代表される、肉のクローズアップ写真《美しい肉片》(1939年)だ。本来、グロテスクあるいは生々しい素材を、写真という客観的なメディアで捉え、視覚芸術として昇華することで、生の根源的な欲望を喚起する。

ヴォルス 《美しい肉片》 1939年 個人蔵

ヴォルス 《美しい肉片》 1939年 個人蔵

また、編まれたマネキンの身体に帽子や羽根飾りを組み合わせたヴォルスの写真作品《無題》は、人間の身体とオブジェの境界を曖昧にし、身体のオブジェ化という後のファッションや広告への展開を予期させる。

ヴォルス 《無題》 1937 / 1979年の再プリント 横浜美術館 後期展示

これらの写真作品は、現実を忠実に記録するという写真の客観性を揺さぶり、「変容するイメージ」を通じて鑑賞者の無意識に強く訴えかける。シュルレアリスムはマン・レイを通じて、後にファッション写真や広告写真といった応用分野にも決定的な影響を与えることとなり、写真史におけるその役割は極めて大きい。

日常の風景に不穏な違和感を挿入し消費者の欲望を煽るデペイズマン

シュルレアリスムが社会へと「拡大」していく上で、最も明確な接点となったのが広告の分野である。第4章 広告—「機能」する構成 は、1930年代後半から『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』といった影響力のある雑誌を通じて、シュルレアリスム的表現が、商品という「客体」にどのように適用され、購買意欲という「欲望」を喚起したかを示している。

この章の中心的な手法は、第1章 オブジェ—「客観」と「超現実」の関係 の項でも触れられた「デペイズマン(転置)」である。日常的なモチーフを場違いな場所や状況に置くことで生じる違和感は、見る者の目を一瞬立ち止まらせ、記憶に深く刻み込む。展示会場には、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』誌のポスターなどが並び、特にサルバドール・ダリがデザインした広告や、ハンス・シュレーガーのポスターなどが、この手法を巧みに用いている様子が見て取れる。左側の壁に並ぶ《黄道十二宮》モチーフの連作ポスターは、一見すると機能的な広告デザインでありながら、潜在意識に訴えかけるような象徴的なイメージを内包している。

左:サルヴァドール・ダリ《黄道十二宮》大阪中之島美術館、右3枚:『ハーパース・バザー』誌 大阪中之島美術館寄託

マックス・エルンストは、コラージュの手法を説明する中で「それまでは平凡な広告ページにすぎなかったものが、私のもっとも秘密の欲望を露呈するドラマと化したのである」と述べており、シュルレアリスム的技法が、広告を単なる情報伝達から、無意識の欲望に働きかける「ドラマ」へと変貌させたことを示している。デペイズマンがもたらす不穏な感覚や謎めいたイメージは、当時の消費社会において、合理的な選択ではなく、感情的、あるいは衝動的な欲望に基づいた消費行動を促す強力なツールとして機能し、今日の広告表現の基礎を築いたのだ。

身体をオブジェとして捉え直し装飾の裡に抑圧された欲望を喚起する試み

ファッションこそ、シュルレアリスムの思想が身体という最も個人的な領域にまで浸透したことを示す、最も劇的な例である。第5章 ファッション—欲望の喚起 の展示空間は、黒い壁を背景に劇的にライトアップされたマネキンが配置され、左側の黒地にプリント柄の装いが、「欲望の喚起」というテーマを象徴するかのように劇的なコントラストを生み出している。シュルレアリストたちは、服をまとう人間の身体、そして服をまとうためのマネキンを、オブジェの一つとして捉え、身体のオブジェ化を通じて抑圧された欲望を解放しようとした。

左:エルザ・スキャパレッリ 《イヴニング・ドレス》 1935年夏 公益財団法人 京都服飾文化研究財団、エルザ・スキャパレッリ 《イヴニング・ドレス》 1937年頃 京都服飾文化研究財団、右:サルヴァドール・ダリ 《引出しのあるミロのヴィーナス》 1936/64 諸橋近代美術館

この分野で最も重要な人物は、デザイナーのエルザ・スキャパレリである。彼女はシュルレアリストたちと深く交流し、彼らとのコラボレーションを通じて、ファッションの世界に「超現実」を持ち込んだ。スキャパレリの作品群は、日常の衣服の「機能」を破壊し、遊び心と不穏さを同居させる。第2章の赤い柄のドレス《イヴニング・ドレス「サーカス・コレクション」》も、見る者に強い視覚的インパクトを与え、身体の変容を促す。

エルザ・スキャパレッリ 《イヴニング・ドレス「サーカス・コレクション」》 1938年 島根県立石見美術館 前期展示

ガラスでできたロウソクの炎を模したエルザ・スキャパレッリの香水ボトル《香水瓶「スリーピング」》は、単なる日用品の範疇を超え、奇妙な聖性を帯びた存在として鑑賞者に語りかけてくる。

エルザ・スキャパレッリ 《香水瓶「スリーピング」》 1938年 ポーラ美術館

また、ファッション誌『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』では、デ・キリコやダリが表紙を手掛け、マン・レイやタバールらがファッション写真を撮り、身体と衣服の関係、そして「美」の定義そのものを揺るがした。この章は、シュルレアリスムが単なる芸術様式ではなく、身体と精神に直接働きかける「生き方」であり、装飾という文化的行為の裡に潜む人間の深層心理と欲望を表現したことを示している。

展示風景:エルザ・スキャパレッリのコスチューム・ジュエリーの展示

合理主義への反動から生まれ日常空間の安定した秩序を転覆させる奇妙な造形

シュルレアリスムによる「拡大」は、私たちの最も私的な空間であるインテリアにも及んだ。第6章 インテリア—室内空間の変容 は、デ・キリコやマグリットの絵画に見られるような不穏な室内空間を現実化させようとする、シュルレアリストたちの試みを追う。第一次世界大戦後の合理主義や機械主義のユートピアに対する反動として、彼らは日常生活の安定した秩序を転覆させることを目指した。

展示空間は、黒い壁の中に低い位置に家具が配置され、絵画作品と有機的な形態のオブジェが共存することで、一種の「超現実」的なサロンを再現しているようだ。サルバドール・ダリやメレット・オッペンハイムは、家具や寝具をデペイズマンの対象としてオブジェ化し、その機能と役割を剥奪した。

展示風景:第6章 インテリア—室内空間の変容

また、アメデ・オザンファンやシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビジェ)らは、貝殻や石、骨といった自然の形態を作品に採り入れた。世界恐慌が起こり新たな戦争の影がせまる不安の中、合理主義や機械主義的ユートピアに対する反動が背景にあったと考えられる。それらは、「バイオモルフィズム(生体形態論)」と名付けられた。

シュルレアリストのパトロンであったエドワード・ジェイムズのインテリア・デザインへの関与もこの章の重要な論点である。日常空間に持ち込まれた奇妙な造形は、私たちが慣れ親しんだ環境を異化し、常に「超現実」との遭遇を促す刺激的な場へと変容させる力を持っている。それは、イサム・ノグチをはじめとする後世のデザイナーにも多大な影響を与え、造形美と精神性の融合を試みるデザイン思想の礎を築いたのだ。

左:ポール・デルヴォー 《立てる女》 1954-56年 姫路市立美術館、中:ポール・デルヴォー 《女神》 1954-56年 姫路市立美術館、ポール・デルヴォー 《乙女の行列》 1954-56年 姫路市立美術館

時代と領域を越えてなお現代を揺さぶり続けるシュルレアリスムの巨大な影響力

「拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」展は、シュルレアリスムを歴史の一ページとしてではなく、現代社会に脈打つ創造的な衝動として提示することに成功している。第1章から第6章までを一巡することで、アンドレ・ブルトンが定義づけた「夢の全能性への信頼」に基づく哲学が、いかにして視覚芸術という核から、商業的な広告、個人的なファッション、そして私的なインテリア空間へと、感染力の高いウイルスのように拡大していったのかを具体的に理解できる。

特に、これまで本格的に検証される機会の少なかった応用芸術の領域に光を当てたことで、シュルレアリスムが単なる「表現の様式」ではなく、社会全体に対して変革を迫る「創造行為」であったことが強く裏付けられた。ルネ・マグリットの絵画が示す視覚のパラドックスから、エルザ・スキャパレリのドレスが喚起する身体のオブジェ化、そしてデペイズマンによる広告表現に至るまで、その核にあるのは、合理的秩序に対する抵抗と、無意識という未知の領域への飽くなき探求である。

本展は、シュルレアリスムの発生から100年近くが経過した現代においても、その思想と手法が、いかに現代のデザイン、消費行動、そして日常的な美意識に深く根ざしているかを痛感させる展覧会である。この展覧会はブルトンが目指した「高次のリアリティ」を再発見し、自らの日常の中に潜む「不可思議」の美しさを捉え直す機会となるだろう。

 

拡大するシュルレアリスム視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ

 

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。

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