
宮永愛子 ≪色 -color of silence- (パリ)≫ 2010年 家具、ナフタリン、ミクストメディア © MIYANAGA Aiko Courtesy Mizuma Art Gallery
宮永愛子:なかそら-空中空-
会期:2012年10月13日(土)~12月24日(月・休)
会場:国立国際美術館
時間は絶えず流れ、記憶は移ろう。だが、それは完全な消失を意味するのだろうか。現代美術家、宮永愛子(1974年生まれ)は、ナフタリンや塩、樹脂といった特異な素材を用い、気配や時間そのものを可視化する試みを続けてきた。2012年、完全地下型というユニークな構造を持つ大阪の国立国際美術館で開催された個展「なかそら-空中空-」は、彼女のそうした思索の集大成であり、鑑賞者を自己の内面へと誘う、静謐かつ深遠な旅路であった。本展は、変化し消えゆくものの中にこそ存在する、永続的な価値と生の循環を詩的に描き出した秀逸なインスタレーションであった。
儚い日常の断片と深層への階梯
展示は、鑑賞者を仄暗い空間へと導くことから始まる。全長18メートルにも及ぶ透明なケースに収められているのは、かつて誰かの日常の一部であったであろう、辞書や靴、ぬいぐるみなどをかたどったナフタリンのオブジェ群だ。これらはすでに昇華を始め、その輪郭を曖昧にしながら白い結晶となってケースの内壁に付着し、微細な光の粒子と化している。作品《なかそら-透き間-》である。失われた記憶のパズルピースを探すように、鑑賞者は朽ちていくオブジェの中に自らの過去を重ね合わせる。その隣には、天井から床へと垂直に伸びる透明なパイプの中に、糸で編まれたはしごが吊るされた《なかそら-はしご-》が静かに佇む。ここでも昇華したナフタリンが再結晶し、はしごに霜のように付着する。このはしごは、我々の意識を記憶の表層から、さらに深い無意識の領域へと導くための象徴的な通路なのだ。

宮永愛子 ≪waiting for awakening -clock-≫ 2011年 ナフタリン、ミクストメディア ©MIYANAGA Aiko Courtesy Mizuma Art Gallery
不在が映し出す内なる宇宙
次に現れるのは、アクリル樹脂の透明な塊の中に、原寸大のナフタリンの椅子を封じ込めた《なかそら-waiting for awakening-》だ。作品に取り付けられたシールを剥がせば、椅子は「呼吸」を始め、ゆっくりと昇華し、やがてはその姿を消すという。樹脂の中で眠りにつきながら、覚醒の時を待つこの不在の椅子は、鑑賞者自身の内面を映し出す鏡となる。そして、展覧会の核心部である《なかそら-空中空-》へと至る。広大な暗室に木立のように柱が林立し、そこには無数の蝶をかたどったナフタリンのオブジェが、標本のようにケースに収められている。暗闇に白く浮かび上がる蝶たちは、すでに羽の一部が欠けているものもあり、その姿は心の奥底にしまい込まれた、忘れ去られた記憶のメタファーだ。幻想的な光景の中で、鑑賞者は自らが失ったもの、大切にしてきたものは何かという根源的な問いと対峙させられる。

宮永愛子 ≪Quartet -butterfly-≫ 2011年 ナフタリン、はしご、ミクストメディア ©MIYANAGA Aiko Courtesy Mizuma Art Gallery
景色の源流と涙の結晶
暗く内省的な空間を抜けると、視界は一気に開ける。吹き抜けの明るい空間に、天井から床へと川のように広がるのは、全長33メートルにも及ぶ壮大なレース状の布、《なかそら-景色のはじまり-》だ。近づいて見ると、それは金木犀の葉から葉脈だけを丁寧に取り出し、気の遠くなるような手作業で貼り合わせて作られたものであることがわかる。一枚の葉という「個」の記憶が連なり、壮大な生命の歴史という「全体」を形成する。それは、父や母、祖父母へと連なる生命の川を遡り、自らの存在の源流をたどる旅でもある。そして最後に、ぽってりとしたガラス瓶に満たされた《なかそら-20リットルの海-》が置かれる。これは美術館の傍を流れる堂島川の水を汲み、蒸発させて得た塩の結晶だ。人が一生に流す涙の量ともいわれる20リットル。悲しみや喜びとともに流される涙が結晶化し、新たな存在として昇華する様は、感情の解放と再生を静かに物語っている。

宮永愛子 ≪景色のはじまり≫ 2011 金木犀の剪定葉6万枚、ミクストメディア 380×1,500cm 写真:宮島径 ©MIYANAGA Aiko Courtesy Mizuma Art Gallery
消滅から生まれる存在の確かさ
宮永愛子の「なかそら-空中空-」は、単に美しいだけのインスタレーションではない。それは、鑑賞者の心理的なプロセスに寄り添うように巧みに設計された、思索の空間である。仄暗い空間での自己との対峙から、明るい場所での解放へ。ナフタリンの昇華と再結晶という物理現象を、記憶の忘却と再生、そして生命の循環という普遍的なテーマへと昇華させた。消えゆくもの、不在のものを通して、逆説的に「いま、ここにある」存在の確かさを浮かび上がらせる彼女の手法は、観る者一人ひとりの記憶と共鳴し、極めて個人的な物語を紡ぎだす。日常の喧騒から離れ、美術館の静寂の中で作品と向き合う時間は、我々が普段意識することのない、自らの内なる声に耳を傾ける貴重な機会を与えてくれる。本作は、現代社会が見失いがちな、ゆるやかで深遠な時間の流れを体感させる、稀有なアート体験であった。
初出 「現代アートのレビューポータル Kalons」2012年12月31日公開