時空を超えて、夢を見るためのアートと信仰「杉本博司-春日神霊の御生・御蓋山そして江之浦」
「特別展 春日若宮式年造替奉祝 杉本博司―春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦」
会期:(前期)2022年12月23日(金)〜2023年1月29日(日)・(後期)2023年1月31日(火)〜2023年3月13日(月)
会場:春日大社国宝殿
現代美術家、杉本博司の作品展というだけではなく、杉本のキュレーションといってもよい特別展 春日若宮式年造替奉祝「杉本博司-春日神霊の御生・御蓋山そして江之浦」が、春日大社国宝殿で開催されている。近年、杉本は小田原の沿岸部の広大な敷地を買い取り、江之浦測候所と言う名のもとに、日の運行に沿って建造物を建設し、古代から現代までのアートを体験できる空間を制作していることはよく知られている。それが奈良にある春日大社とどのような関係があるのか?展覧会にともなって2月4日に開催されたトークイベント「杉本博司と春日神霊の美術・奇譚」において、さまざまな「奇譚」が開陳された。
杉本博司の作品は、世界中の海を、空と海で上下二等分にして撮影した「海景」シリーズやアメリカの古い映画館を映画1本の時間露光させて撮影した「劇場」シリーズ、三十三間堂の内部に林立する千体もの観音菩薩立像を、朝日の下で捉えた「仏の海」など、コンセプチュアルな写真作品といった範疇を超えて、どこかスピリチュアルといってもいい佇まいをもっているのが特徴だろう。
杉本博司は、西海岸で写真を勉強し、東海岸に移住して、早々にアメリカ自然史博物館の動植物を大型のモノクロカメラで本物のように撮影した「ジオラマ」シリーズの1点が、当時のMoMAの写真部門ディレクター、ジョン・シャーカフスキーに認められ、買い上げられている。しかし、当時すでに画家のパートナーと結婚し、子供も生まれていた杉本の家の財政は厳しく、画材を買うか、写真機材を買うかで喧嘩し、離婚を決意するほどの状態だったという。そこで、当面の危機を回避するため、古美術商を始めたという。パートナーの方は、資生堂の出身で、古美術に対する見識とネットワークがあり、杉本は言われるがままに日本に買い付けに行き、無事に店をオープンにこぎつけたという。オープン初日には、イサム・ノグチを含めた大勢の人が訪れ、ほとんど売れてしまう。そこから、杉本はたびたび日本に古美術の買い付けを行う中で、実践的に日本美術の審美眼を磨いていくことになる。日本美術の大規模コレクションを誇るメトロポリン美術館をはじめ、NYの著名な美術館に納入するほか、多くのコンセプチュアル・アーティストが、杉本の顧客になったことは、日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」でも明かされていた。
苦肉の策であった古美術商が軌道にのり、現代アートの作品にも思わぬ影響を与えていく。それは完成度の高い古美術が、何百年もの時を経て受け継がれているように、自身の作品が残酷ともいえる時間の淘汰に耐えられるかという尺度をもったことである。そして、杉本は古美術の名品と自分の作品を並べて鑑賞し、勝るとも劣らないように制作を続けてきたという。杉本は、明治以前の古美術を扱い、近代以降の作品を扱っていない。近代以降の「日本画」が、ある意味で西洋文明や近代化に毒されていて、アウラを失っているのは皮肉なことであろう。開国後、急速に西洋美術を輸入した日本は、江戸時代までの国宝級の絵画や彫刻を安い価格で大量にアメリカのコレクターに売ってしまう。それらがもっとも集められたのがメトロポリタン美術館というわけである。逆に西洋の模倣になった油画や近代化した「日本画」は海外に認められにくいものとなった。
そのような理由もあってか、近現代の作品はほとんど注目していないという。その意味で、杉本は近代をスルーして、価値と精度の高い日本の古美術と現代アートをブリッジしているといってもいいかもしれない。実際、古美術と自身の作品を組み合わせた作品もあり、杉本はそのことをややユーモアを込めて「現代古美術」と語っていた。
もう一つ、古美術との共通性として大きいのは作品のインスピレーションを夢で見る、ということだろう。古代人にとって「夢告」は、現実と同じくらいの意味を持ち、夢見の場所と知られる奈良の長谷寺など、夢を見るために代参することも行われていた。古代人は、夢を見ることで、神仏や遠く離れた人、亡くなった人と交流を重ねていたのである。つまり、コンセプトのような人智による観念的なことではなく、着想から制作までがスピリチュアルな行為なのである。それも古美術の制作態度に近いだろう。確かに、近・現代のアートにおいて、フロイト・ユングの影響は大きく、無意識や夢診断といったものを取り入れているとも解釈できるが、それが個人的な無意識や夢、あるいは集合無意識といったものとも質の異なる、もっと研ぎ澄まされて、還元化されているのが特徴であるし、表面的にはコンセプチュアル・アートのように見えるところでもあるだろう。
さて、杉本の作品が国際的に評価されるようになり、高額で取引されるようになったことから、古美術商は無事に廃業するが、同時に、古美術のコレクターとしてそれ以降も古美術と関わっていくことになる。その中で、なぜか気になり集めていたのが、春日神に関するものだったというのだ。
今回の国宝館での展示は、杉本が集めた貴重な古美術のコレクションと、杉本の写真作品を中心に構成されているが、確かに白鹿に乗った春日神の神像や、春日参詣曼荼羅などが陳列されている。実は、春日大社の主祭神の一柱である武甕槌命は、藤原氏(中臣氏)の氏神で、常陸国(茨城県)にある鹿島神宮から勧請してきたものだと言われている。その他に、香取神宮の神である経津主命、藤原氏の祖神である天児屋根命、その妻神である比売神の四柱を合わせて、春日神という。
さらに、天児屋根命と比売神に間に生まれた子が、「若宮」と言われ、1003(長保5)年3月3日に誕生したとされる。それが本展の「御生(みあれ)」の意味する一つでもある。1135(保延元)年には、御社が創建され、翌1136(保延2)年9月から、長雨による飢饉や疫病から人々を救い、天下泰平・五穀豊穣を祈念して「春日若宮おん祭」が始まる。その後、900年近く一度も途切れることなく続いている。毎年、「お旅所」では、神楽、東遊、細男、田楽、猿楽、舞楽など次々と芸能が奉納され、春日神と共に信仰が厚い。
武甕槌命は、ご眷属である白鹿に乗って、常陸国から大和までの道のりを渡ってきた。奈良の鹿は、その時に武甕槌命を乗せてきた白鹿の子孫とされる。だからこそ奈良の鹿は現在でも天然記念物として手厚く保護され、1000年以上前に独自に分岐した遺伝子型で、周囲の自然の鹿とは遺伝的にも異なるという研究が発表されたことも記憶に新しい。杉本は、小田原測候所は、まさに、鹿島神宮から春日大社まで、武甕槌命が移動しきた道のりの線上にあると指摘する。冬至・夏至のラインを元につくられた江之浦測候所は、レイラインの上にあるとされる、イギリスやアイルランドの遺跡に似ているのではないかという。
今回の展覧会は、そのような春日大社に感じてきた縁から、春日大社を勧請して分社を置きたいと、杉本が願ってきたことに端を発する。しかし、春日大社の花山院弘匡宮司は、かつてアメリカの美術館などにも分社をしたことがあるが、維持されなくなっている。昭和50年頃以降は、分社はしておらず、もし分社をするならば、神主を置き、朝な夕なの御祭りをしなければならない、と伝えていたという。互いの信頼関係が醸成されるなかで、江之浦測候所に、神主の資格を持つものを配置し、月次祭、例大祭などの神社に不可欠なお祭りをすることを条件に勧請されたという。それが江之浦測候所内に設営された「甘橘山 春日社」である。
その意味では、まさに分社ともいえる江之浦測候所から、春日信仰の宝物が春日大社に里帰りするのが、今回の展覧会というわけである。杉本しか持ってない春日若宮のみを描く異例の春日若宮曼荼羅や、杉本の慕う『夢記』を書き続けた明恵上人の肖像、さらに、『夢記』の一部を軸にしたものなど、杉本ならでは貴重な品々が並ぶ。実は、明恵上人もまた自身の寺に、春日社を勧請していたとのことで縁がある。そこに春日大社の持つ膨大な美術品が合わせて展示されており、杉本によってキュレーションされた、国宝・重要無形文化財群といってもよいだろう。現代アーティストの中で、杉本の他に誰がこのような真似ができるだろうか?
特に、微細な彫刻で知られる現代美術家の須田悦弘に特別に依頼し、室町時代の春日神鹿像の上に、新しい鞍や蓮台の彫刻を乗せ、さらにその上に、杉本の「海景」を元にした五輪塔を乗せた、新旧のコラボレーションとなる作品など、杉本が収集したコレクションだからこそできる試みがなされているのも注目だろう。それらは、かつて古美術と並べて劣らないようにしたという杉本作品を超えて、時空を超えた融合になっている。杉本は、明恵上人が春日社を参拝する『春日権現験記絵』を見ていたとき、盟友の解脱上人が春日明神を勧請する場面を見て「現代というこの世に春日神を勧請したい」という願望を抱いたという。その夢は、2022年3月27日の遷座で叶うこととなった。そして、春日若宮式年造替の年ともなった2022年、春日大社国宝殿で宝物の里帰りと共に、展覧会を開催することになったというわけである。まさに奇譚であり、春日神に導かれたようである。
国宝殿の1階の入口には那智の滝をモノクロ撮影して軸に仕立てた、『那智滝図』(2012)が迎え、中に入ると今回撮り下ろしたという春日大社の写真を元にした六曲一隻の屏風『春日大宮暁図屏風』(2022)と『春日大社藤棚図屏風』(2022)が飾られている。春日社の国宝や重要文化財が展示されている、2階までの通路には、ガラスの五輪塔の中に、杉本の海景シリーズを組み込んだ『光学硝子五輪塔』が13基並んでいる。
いっぽう、日本最古と称される若宮境内の神楽殿には、江之浦測候所にある甘橘山春日社から、海を越えて伊豆半島を望む『甘橘山春日社遠望図屏風』(2022)と、「海景」シリーズの中で日本を撮影した『日本海 隠岐』(1987)が置かれ、高額な美術としては考えられない展示になっているが、驚くほど空間にフィットしている。
気候変動が激化し、自然や生態系、人間の以外の生物をモチーフにしたり、アニミズムを含めたキリスト教以外のさまざまな宗教や信仰をモチーフをすることは増えているが、ここまで深い理解と洗練して展開している例は日本でもほとんどないだろう。宮司も、当時の日本で最大の都市である平城京のすぐ近くにありながら、御蓋山やそれに続く春日原生林の木々が切られなかったのは、そこに春日神への信仰があったからだと指摘する。自然の中に神や人格を見出す、日本の信仰、文化が、今日の社会や地球環境に示唆するものは大きいだろう。
春日若宮おん祭は、すでに900年近い歴史を持つが、杉本の江之浦測候所も5000年先を見越しているという。産業革命後、急速に環境は悪化しているが、それも300年程度の歴史しかない。アートが信仰と分離して純化していったのも150年程度の話である。人中心の社会が限界を迎えた今、尺度を延ばして、広義の神や自然、生物との関係を考える上で、芸術における夢見の重要性について改めて提示しているといえるのではないだろうか。