痕跡を追跡して意識を彫る「葭村太一の彫刻」三木学評

痕跡を追跡して意識を彫る

関西のアートシーンと葭村太一が彫る場所の記憶
葭村太一は、主に木彫をメディウムとするアーティストである。しかし、木彫の形をとるのは、制作工程の後半であることもあるし、制作された木彫を含めた映像作品がつくられ、インスタレーションとして一緒に展示されることもある。葭村がどのようなものを刻もうとしているのか解き明かしていきたい。

葭村は大阪芸術大学を卒業後、ディスプレイデザインなどの仕事や画塾の講師をしていたが、独学で木彫を学び、現代アートの作家として活動を始めた。現在は、大阪の北加賀屋にある共同スタジオ、Super Studio Kitakagaya(SSK)に入居し、精力的に発表をしている。特に近年、個展、同じくSSKに入居する現代アーティスト、前田耕平との二人展のほか、芸術祭やアートフェアでの出展も多く、ご存知の方もいるかもしれない。特に、住宅の中に描かれた落書きや、街の中に描かれたグラフィティなど、人が残した痕跡をなぞるよう木を彫り、制作した匿名に人達の意識の中に入り込みながら、3次元の木彫作品にすることで知られている。2次元を層にしたような2.5次元的な彫り方は、描いた人が裏側を想像していなからでもある。そのような意識に介入し、その構造そのものを彫っているともいえる。

SSKオープンスタジオ2022 左下のスペースが葭村のスタジオ

私は2022年10月、毎年1回開催されている、SSKのオープンスタジオのキュレーターとして招聘され、それを機会に葭村をはじめとした入居アーティストと長時間話す機会を得た。もともと造船街として栄えた北加賀屋の造船所の倉庫を改装したSSKは、日本では最大規模の共同スタジオで、特に葭村のような規模の大きな作品を制作するアーティストが使用できるスタジオは少ないため、大阪だけではなく、関西でも貴重な場所になっている。SSKや近隣にある大型現代アート作品の収蔵庫MASKを含めて、千島土地株式会社が所有しており、2004年以降、現代アートや文化活動に積極的な支援を行っている。SSKは建物や土地は、千島土地株式会社の所有し、入居者の窓口やマネジメントは、2011年に創設したおおさか創造千島財団が行っており、家賃が安く抑えられ、施設だけはなく、広報も含めて手厚いのが特徴だろう。

ラボ&ギャラリーでの葭村の展示。手前

元造船業関係者の文化住宅をリノベーションした複合文化施設、千鳥文化に描かれていた「にゃろめ」の落書きから彫刻にした葭村の作品。

とはいえ、家賃以外に一定の金額を毎月支払うのは、固定給のないアーティストにとって負担であることは間違いない。そのため入居しているアーティストは、葭村だけではなく、活躍している若手中堅が多いのも特徴だ。オープンスタジオの前後もそれぞれかなり忙しく、葭村に関しても、続けざまに3つの芸術祭に参加し、同じSSKに入居している画家、谷原菜摘子のために、木彫の額の制作も同時進行で行っていた。

私は、葭村が参加していた大阪の上町台地で開催された「オルタナティブ・ロマン」、奈良の近鉄学園前駅付近で開催された「学園前アートフェスタ2022」、奈良の天理市で開催された「はならぁと2022」に行って作品を見る機会を得た。「はならぁと2022」は2011年から奈良県下の様々な場所で毎年開催されており、すでに12年目になる。空き家利用の側面もあるので、奈良の古い街並みが残る場所が主に開催場所となっている。奈良県民にとってもこのような機会がなければ行かない場所が多く、特に通常古い民家などは入ることはできないので、貴重な体験を提供している。

それとは逆に、「学園前アートフェスタ2022」は、近鉄学園前駅周辺の新興住宅地を中心とした芸術祭で、それぞれの建築の歴史は新しい。しかし、美術館ではない住宅地、民家で展示をしているという点では共通しており、アートを介して、新旧の住宅地をめぐる面白い試みになっている。特に、学園前は奈良県の新興住宅地としては、もっとも富裕層が多い。特にメイン会場の一つである淺沼組記念会館は、もともと住居であり部屋数も多く、住宅にアート作品が飾られるシミュレーションになっていることも興味深い。葭村はそれらの場所の持つ歴史や記憶の痕跡を丁寧に読み取り、形にしていった。同時に、それぞれ別の芸術祭に出品しながら、全体として大きな輪郭を描くように制作していたことを強調しておきたい。

上町台地をめぐる現代美術展「オルタナティブ・ロマン」 西への祈りを東に向ける

《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022) 展示風景 撮影:笹原晃平

上町台地は、現在の大阪の住民にとってそこまで馴染みがあるわけではないかもしれない。しかし、かつて大阪は上町台地しかなかった。というのもそのほかは、ほとんど海だったからだ。その半島の北端あたりに、難波宮(飛鳥時代と奈良時代にあった都)があり、瀬戸内海を海路にした交易の拠点となっていた。その後、石山本願寺が作られたころはまだまだぬかるんでいたが、豊臣秀吉の時代には、大坂城の城下町ができて、埋め立てられていった。基本的には南北に延びる上町台地沿いに主要な建造物があり、生國魂神社や愛染堂、四天王寺などもそうである。現在、寺が集積しているが、寺が分散していると、反乱が起きた際の要塞になるので、松平忠明による大坂城の再建の際に一か所に集められた。それは京都の寺町も同じ事情だ。明治以降、アジア最大の軍事工場、大阪砲兵工廠ができたが、空襲で壊滅的な被害を受けた。戦後は難波宮が発掘されたり、法円坂住宅や大阪ビジネスパークができたり、上町台地という大阪中心部の唯一の台地を巡って、さまざまな政治・文化・経済の交流や衝突が生まれてきた。

つまり、「オルタナティブ・ロマン」は、上町台地という日本の中でももっとも歴史のある場所の1つでの展覧会いうことになる。キュレーターは笹原晃平で、7月までは同じくSSKに入居していた。多くの協働作業による作品を制作しているアーティストであるが、キュレーターとしてアーティストと一緒に展覧会自体をつくることもある。限られた場所、制限の中で編成を考えて、展覧会を構成することに長けている。今回は、上町台地をテーマに、巨大彫刻やアートフェア、社会実装などのアート活用とは異なる現代美術展を「あり得たかもしれない小説」(=オルタナティブ・ロマン)と捉え、それぞれが上町台地をめぐる歴史と逸話に介入する形で異なるストーリー性のある作品をつむいだ。残念ながら開催期間が短く、ほとんど見ることができなかったのだが、葭村が展示していた旧住友佐衛門茶臼山本邸土蔵は見ることができた。大阪市美術館敷地内にある土蔵であり、元は江戸時代からの大阪の豪商、住友家の土蔵で、慶沢園とともに、15代住本吉左衛門(号は春翠)が建てた邸宅の後を残す貴重な建築であるが、内部の一般公開はされてない。

《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022) 展示風景

そこに葭村は《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022)というインスタレーション作品を展示した。葭村は、上町台地の西側の端にあたる下寺町に訪れたとき、崖に積み上げられた石像や墓石群を見て、いくつかの首が落ちた仏像を発見したという。下寺町とは、天王寺区の位置する南北約1.3kmの細長い町で、25もの寺が集積し、天王寺七坂の6つまでがここにある。

大阪はもともと上町台周辺を起点として、西に広がった平野で、大阪湾・瀬戸内海に夕日が沈むことから、西方浄土の信仰がある。特に四天王寺は、日想観という、沈む夕日を見ながら極楽浄土を観想することが行われてきた場所でもあり、西門にある石鳥居からは、真西に夕日が沈む春分秋分の「彼岸」には、太陽が枠内に入ることでも有名だ。そのようなこともあって、大阪では西方向は、極楽浄土があるという、聖なる軸となっていることが多い。

《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022) 展示風景 撮影:笹原晃平

葭村は、何等かの理由で首のない仏像の落ちた理由を、朝日を見るために仏像自体が首を動かしたのではないかと考えたという。確かに下寺町の仏像は、西に集められていることもあり、本来なら永遠に朝日を見ることはないだろう。そこから、首のない11体の仏像の顔を想像して、上町台地の切り株から、木彫をつくることになる。そして、ある日の早朝、11体の首を箱に収めて、上町台地を上り、北に向かって歩いて、難波宮跡まで歩く。そして朝日が東に見える生駒山から出たときに、11体の首に朝日を見せるというパフォーマンス映像を制作した。旧住友佐衛門茶臼山本邸土蔵に展示されたのは、首を制作した切り株、11体の仏像の首、そして映像によるインスタレーションである。

《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022) 展示風景 撮影:笹原晃平

制作された映像は、葭村自身が登場し、11体の首を箱に収めて肩から紐で吊って歩いていく。そのコースが非常によく練られていて、上町台地のロケーションがよくわかるようになっている。上町台地のことを熟知しているか、あるいはリサーチを重ねてコースを決めたのだろう。また、映像のフレーミングも計算されている。

《十一ノ首ト東ノ朝日ヲ見ニ行ク》(2022) 展示風景

最終的に、基壇が再建されている難波宮跡にたどり着き、その上に登った時、朝日が差し込み、仏像が光を浴びて映像は終わる。まるで、昔話の奇譚や能の演目のような作品であるが、奇譚や能であるなら仏像はそこで成仏して消えたかもしれない。そのようなことを思わされる作品であった。上町台地は台地と夕日と信仰が強く結びついた場所であるが、それらの痕跡をたどりながら、朝日に反転して台座に乗せることで、木彫と身体を新しい形で結び付けたといえるだろう。その意味では、葭村の作品は木彫だけがメディウムではない。自身の身体を通して、痕跡を辿って形にしているのである。

「学園前アートフェスタ2022」 生態系の痕跡

《HABITAT》(2022)展示風景 撮影:葭村太一

「学園前アートフェスタ2022」では、葭村は旧福本家住宅で展示を行った。「学園前アートフェスタ2022」は、近鉄学園前駅周辺12か所で開催され、中心となるのは帝塚山学園や淺沼記念館である。学園前の名前の由来は、帝塚山学園から来ている。帝塚山学園は、大阪の帝塚山にある帝塚山学院の創立二十五周年記念事業として、1940年に創立された経緯を持つ。大阪の帝塚山は、もともと船場商人が多く住む高級住宅街であり、もともと子女教育の教育機関として設立された帝塚山学院創設にも多くの資金を提供している。学園前が高級住宅街になったのも無関係ではないだろう。大阪が工業都市化し生活環境が悪化したため、船場商人は別荘のあった芦屋や阪神間に移住する。もう一つの流れとして学園前がある。つまり、阪神間も奈良の高級住宅地の起点は、帝塚山といってよいだろう。

天井板の足跡 《HABITAT》(2022)展示風景 撮影:葭村太一

淺沼記念館は、1892年に創業した建設会社、淺沼組の創業者一族の住宅跡を、記念館として開館したものだ。淺沼組は、創業は1892(明治25)年になるが、そもそもの歴史の由来は、元禄時代から始まる普請方の家系で、柳澤家に使えていた。1724(享保9)年、柳澤吉里が甲斐国甲府藩より、大和国郡山藩に転封した際に随伴し、明治維新後も学校や寺社建築などの造営に関わるようになる。いっぽう、目の前にある大和文華館は、近畿日本鉄道の社長であった、種田虎雄が創設した美術館で、初代館長を美術史家の矢代幸雄が務めた。建築は、数寄屋建築を刷新した吉田五十八が設計しており、日本におけるDOCOMOMO150選に選ばれている戦後モダニズムの名建築の1つである。

アライグマの木彫 《HABITAT》(2022)展示風景 撮影:葭村太一

イタチの木彫 《HABITAT》(2022)展示風景 撮影:葭村太一

いっぽう旧福本家住宅は、どのような由来があるか知らないが、少し小高い丘の上にある豪邸で、崖の上に懸造の数寄屋のある、非常に面白い造りをしている。家の周りは鬱蒼とした庭木に覆われ、宅地造成前の学園前の様子を彷彿とさる。葭村は、旧福本家住宅をリサーチした際に、抜け落ちた天井板に動物の足跡を発見し、新興住宅地に人間ではない生態系があることを知る。それは葭村の住んでいる大阪市の家の庭にも出てくるアライグマだったという。

さらに、天井板を持ち帰り、SSKのスタジオに置いていると、イタチが新たな足跡をつけるというハプニングがあった。そこでアライグマとイタチを木彫に仕上げ、学園前で出会うというインスタレーション《HABITAT》(2022)を展示した。アライグマはアニメに見られるようなかわいいイメージとは異なり、成長すると気性が荒くなり、農作物を荒らして生態系を破壊するため、現在、特定外来生物に指定されている。それも人間による生態系の操作の影響ともいえるものだろう。

葭村は、これまで住人が描いた痕跡を物質的な実体のある木彫にして留めてきたが、今回は、人間ではない生物の痕跡を新たに刻んだといえる。それは遺伝子検査のように、わずかな痕跡から像にする技術に似るが、葭村はそれを実体化することで、鑑賞者に強くその存在を意識化させる。また、人間が与えた生態系の影響と同時に、それらの生物が織り成す現在の生態系の提示ともいえるが、それによって人間の意識も変化を遂げるだろう。

「はならぁと2022 過去から未来に向かう波に乗る

旧サーフショップ「Daddy’s surf office」 撮影:長谷川朋也

「はならぁと2022」のメインエリアとなった天理市では、商店街にあった旧サーフショップ「Daddy’s surf office」で展示を行った。まず海に囲まれた日本の中でも、数少ない海がない都道府県の1つである奈良県にサーフショップがあったのが驚きである。天理市はご存知と通り、天理教の教会本部があり、多くの信徒が住んでいる。天理駅から教会本部までの道に長い商店街がある。その商店街沿いのいくつかの旧店舗が「はならぁと2022」の会場となった。

旧サーフショップ「Daddy’s surf office」1階 《Daddy’s Revival》(2022)展示風景 撮影:長谷川朋也

地方の商店街は、90年代以降特に大型のスーパーマーケットの進出の影響で、シャッター通りになることが多いが、天理市の商店街の場合少し赴きが異なる。天理教の信徒用が着る衣服を含めて、スーパーマーケットでは代替が不可能な店があり、独自の生態系がある。そういう意味で昭和を凍結させたような空間でもある。サーフショップも天理教の信徒を含めた篤い支持があったから営業できていたのだろう。葭村は汎用的な店舗ではなく、サーフショップの痕跡を形にするために、サーフボードを木彫でつくりあげた。

旧サーフショップ「Daddy’s surf office」1階 《Daddy’s Revival》(2022)展示風景 撮影:長谷川朋也

大小2枚の精巧に制作されたサーフボードは、木でつくられているため非常に重いが、古代ポリネシア人が乗っていたサーフボードの原型は木製であるためサーフィンの起源をさかのぼる行為でもある。それらを元サーフショップのオーナーと共に、オーナーが初めてサーフィンをした三重県の浜に行き、実際にサーフィンをするシーンを撮影した。それらは重くてなかなかうまく乗れない様子であったが、彼らもまたサーフィンの原型をたどることになったといえるだろう。会場の1階にはそれらの映像とサーフボード(ロングボード)が展示された。店舗全体を使ったインスタレーション作品は、《Daddy’s Revival》(2022)と銘打たれ、看板も新たに木彫でつくられ、当時のフォントに似せたTシャツなども販売されていた。

旧サーフショップ「Daddy’s surf office」2階《Daddy’s Revival》(2022)展示風景 撮影:長谷川朋也

店舗の2階には、サーフボード(ショートボード)を担いで、葭村がひたすら山へ登る映像が上映され、サーフボートとサーフボートを担いだリュックが展示されていた。映像では、葭村がサーフショップ跡から天理教本部、物部氏の祖神を祀る石上神宮、禊が行われていたという高さ約23メートルの桃尾の滝を越えて、源流を遡りなら、標高498メートルの大国見山までたどり着く過程が追われている。大国見山はピラミッド型をしており、上まで登ると、天理市街だけではなく、奈良盆地、生駒山系まで一望できる。そこで映像は終わる。

《Daddy’s Revival》(2022)展示風景 撮影:長谷川朋也

大国見山は、国見とついているように、おそらくそこで大和を拠点にした最初の政権が、国造りについて検討した場所だろう。日本最古とも称される石上神宮は、記紀神話の最強の神、建御雷神が使った霊剣、布都御魂(ふつのみたま)が祀られていることでも知られている。政権中枢の人々がいた場所であることは間違いない。つまり、上に上に登るにつれて、過去へ過去へと遡るような映像になっており、最後にサーフボードを置いたとき、そこに幻視されるのは、奈良盆地が湖であった太古の風景である。

《Daddy’s Revival》(2022)展示風景 撮影:長谷川朋也

約7000~6000万年前は縄文海進による海上水昇がピークであり、大阪平野は上町台地の一部を残してほぼ海だった。縄文海進とは、19000年前の最終間氷期後の温暖化による海上水昇のことで、暖かい黒潮が内陸深くまで押し寄せていた。大阪平野だけではなく、奈良盆地も海に沈んでおり、春日山から、石上神宮を経由して、三輪山を結ぶ日本最古の道、山辺の道は海岸沿いの道だったというわけである。上町台地もその時の半島の痕跡である。その後、海岸線は後退していき、湾が閉じられ、それぞれ大和湖、河内湖として淡水化する。最終的に沼地化を経て平野や盆地になるというわけである。

それは太古のことのように思えるが、気候変動、地球規模の温暖化により再び海水上昇がはじまっている。すでに世界では多くの国が沈みつつあり、サーフボートで奈良盆地を眺める行為は過去のことであるとともに未来のことを示唆している。かつて台湾からはじまり、西ハマダガスカル島、東はイースター島までカヌーで航海した民族を、オーストロネシアと呼ぶが、その子孫はポリネシアに多く住んでいる。日本列島にもまた渡ってきたとされており、日本語の音韻体系にポリネシア語との共通性が見られる。そこで古代ポリネシア人が波の乗る技術、サーフィングをルーツとするサーフィンの原型も使われていたとことだろう。

葭村は、「地球にやさしいエコロジカルな芸術祭」と銘打たれ、2020年から環境問題をテーマにした「はならぁと」において、奈良の記憶を掘り、同時に未来に警鐘を鳴らすことをサーフィンを用いて行ったのである。その意味で、葭村の視野はすでに過去の痕跡から、形のまだない未来へと向けられているといえるだろう。しかし、それは葭村が両方、人間が向ける意識の問題ということでは変わらない。おそらくもっとも葭村の関心のあるのは、意識の形なのではないか。そして、人々から忘れられた意識、関心のなかった意識を、実体化することで刻んでいるのである。その意味で、鑑賞者の私たちに刻まれ、変容した意識の形も、葭村の彫刻なのだ。

三木 学
評者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究者、美術評論家、ソフトウェアプランナーほか。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹─色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員、大阪府万博記念公園運営審議委員。

Manabu Miki is a writer, editor, researcher, and software planner. Through his unique research into image and colour, he has worked in writing and editing within and across genres such as contemporary art, architecture, photography and music, while creating exhibitions and developing software.
His co-edited books include ”Dai-Osaka Modern Architecture ”(2007, Seigensha), ”Colorscape de France”(2014, Seigensha), ”Modern Architecture in Osaka 1945-1973” (2019, Seigensha) and ”Reimaging Curation” (2020, Showado). His recent exhibitions and curatorial projects include “A Rainbow of Artists: The Aichi Triennale Colorscape”, Aichi Triennale 2016 (Aichi Prefectural Museum of Art, 2016) and “New Phantasmagoria” (Kyoto Art Center, 2017). His software projects include ”Feelimage Analyzer ”(VIVA Computer Inc., Microsoft Innovation Award 2008, IPA Software Product of the Year 2009), ”PhotoMusic ”(Cloud10 Corporation), and ”mupic” (DIVA Co., Ltd.).
http://geishikiken.info/

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