マリー・クワントは楽しく革命を起こしちゃった!階級差ありの60’sロンドンだからこそ生まれたファッションとは?

マリー・クワントとアレキサンダー・プランケット・グリーン。
この20代のスーパーカップルが、1955年のロンドンでブティック「バザー」を開店したところから ファッションブランド「マリー・クワント」の物語は始まった!

まてよ、本当の意味での始まりはもうちょっと前、 ゴールドスミス・カレッジで二人が出会い、彼らの間で「化学反応が起こった」その時みたい。
デザイン力と時代を読む才能にあふれたクワントと、 マーケティングと広報の才能に長けたプランケット・グリーン。彼らがその青春を思いっきり楽しみながら、自分自身が着たいと思うアイテムをデザインして販売したことが革新的なファッションにつながり、1960年代イギリス発の若者文化「スウィンギング・ロンドン」を牽引することにもつながったという夢のような物語。

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「マリー・クワント展」(2023年1月29日まで開催)を訪れたら、60年代ロンドンの楽観的で活気に満ちた空気にどっぷり浸かってしまいました。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館から来日した約100点の衣服を中心に、小物や写真資料、映像などが、渋谷にロンドンの一角を出現させています。

ここでは、 展覧会での体験と、『マリー・クワント』展の公式図録「時代を変えたミニの女王 マリー・クワント」に書かれていた内容を織り交ぜながら、クワントの革命と魅力についてお伝えします。

マリー・クワントの遊び心そのもののような会場

【貴族と中流階級の幸福な化学反応】

マリー・クワントが、西洋の伝統や階級文化に縛られた旧来的な価値観とは異なる、若々しさや躍動感にあふれるデザインを生み出すことができたのは、もちろんクワントの才能あってのこと。でも同時に、最初からロンドン高級住宅街の目抜き通りであるキングス・ロードにお店を開き、爆発的な人気を呼ぶことができたのは、後に夫となるプランケット・グリーンが貴族出身だったことと無縁ではないでしょう。

プランケット・グリーンの両親は、おしゃれな上流階級出身者で、親戚にも著名な作曲家や哲学者がいました。彼らの周辺にはエレガントなボヘミアンスタイルと知的な政治活動が融合した雰囲気が漂っていたそうです。

そんな文化背景と資産を持つプランケット・グリーンとクワントは、ゴールドスミス時代に付き合い始め、ロンドンの中心部やチェルシー地区でランチをしたり、バーに行ったりと、頻繁に遊んでいたとのこと。 何しろ、プランケット・グリーンの母親はチェルシー地区に 住んでいたというのですから、 彼にとっては「庭」。 セントジェームスにあるクアリーノでシャンパンを飲みながら豪華な食事をしたり、クラリッジスホテルのバーに行ったり、などなど、うらやましー!

ロンドンの目抜き通りで遊ぶ二人

彼らが特によく通っていたパブ「フィンチ」には、若い建築家、画家、ミュージシャン、映画監督といった刺激に満ちた人々が多く集まっていたそうですから、2人もデートがてら、様々なインスピレーションを得たのではないかなと思います。

想像するに、プランケット・グリーンにとっては、子供の頃から囲まれていたような人々だったかもしれませんが、中流階級出身で特に華やかな社交的つながりなどない日々を過ごしてきたクワントにとっては珍しい人々もたくさんいたのではないでしょうか。
そして、とびきり、ハイセンスなデザインやコンセプトに触れることが多い一方で、堅苦しい伝統やジェンダーのステレオタイプに縛られているつまらなさも感じたかもしれません。
そんな体験は、オートクチュールとハイストリートファッションの隙間を絶妙に狙った、彼女独自のスタイルをひらめかせるきっかけになったのではないでしょうか。

いずれにしても、 巷のパブでは 出会えないような富裕層や第一線で活躍する人々に会えたはずです。 中でもパブ「フィンチ」で出会った実業家のアーチー・マクネアは超重要人物。やはり若くしてキングスロード128番地の2階つき店舗を買い取り、人気のコーヒーバー「ファンタジー」を運営していたという強者です。3人は意気投合して、夫とマクネアがデザイナーのクワントを支えるという体制がスタート。この男性二人が5000ポンドずつ投資することで、キングス・ロードにブティック「バザー」を出店することができたのです。

ブティック「バザー」のイメージ

【マリー・クワントの革命とは?】

さてさて、 ここからはクワントの革命がどんなものだったか、 実際のファッションアイテムから 読み取ってみましょう。

【公爵夫人もタイピストも同じ服を狙う】

まず、 パリの高級注文服がファッションの中心だった当時、一般家庭の若者向けのアイテムが並ぶ「バザー」は珍しかったという背景があります。シルクのカクテルドレスや毛皮の裏地付きのレザーコートなどとても買えない若者たちに、 むしろそれより何倍もかっこいいミニスカートのドレスやパンツなどを普通に手が届く値段で販売したのです。
「バザー」には一度に入りきれないほど 若者が詰めかけ、「公爵夫人とタイピストが同じドレスを買おうと押し合いへし合いしています」とクワントは語ったといいます。
公爵夫人が一目でわかるほど、60年代のロンドンでは、 階級差がはっきりしていたのですね。 争奪戦にはタイピスト強そう!笑
二人が争ったドレスは、 例えばこんな感じだったのでしょうか?

会場にはこれと似たデザインのドレスを着たクワントが、夫と踊っているパーティー風景がありました。

何てクールでセクシーなんでしょう!
そして動きやすく楽しそう。
これでしたら公爵夫人も高級なロングドレスをかなぐり捨てて、 ゲットしたいと思ってしまうのも無理はありません。
「階級意識のない、誰もが着られるもの」でかつ「社会に対する態度の表現」になっていた。 こんなファッションは当時初めてで、 まさに革命だったのですね。
でも当のクワント 本人は「 この階級社会にファッションで革命を起こしてやる!」 と息巻いていたのではなかったところがまた魅力。
夫のプランケット・グリーンもノリノリですね。
彼のファッションも気品と色気に満ちあふれてステキ。
まさにファッションアイコンに なるべくして、階級差を軽々と飛び越えて一緒になったスーパーカップルですね!

【伝統的なエプロンを最新のファッションに】

ツイードのベストとスカートのアンサンブル 1962年 V&A: T.38:1 to 3-2013

こんなユニークなスタイルも見つけました。
こちらは、「ピナフォア」と呼ばれていますが、 まさに西洋の伝統的なエプロンである「ピナフォア」をベースにデザインしたもの。
典型例としては、 「不思議の国のアリス」の、アリスが着ている衣装を思い浮かべてみてください。

昔ながらのピナフォア Portrait of a girl with a doll in Denver, Colorado.※写真はWikipedia のパブリック・ドメイン より

マリー・クワントの「ピナフォア」は、 ドレスの下にストライプのシャツと水玉のネクタイを合わせてなんともおされ~! テキスタイルコレクターのエリザベス・ギボンズは、当時、「ロンドンでも着るのにちょっと勇気が必要だった」と言っています。

とにかく、 当時の女性達が外出する時の洋服は、今からすると想像以上に動きづらいものが多かったようです。 だからこそ、クワントが次々に発表する、 動きやすく安価でかつスタイリッシュなデザインに、 皆が魅了されたのでしょう。

こんな風に大股に歩くことだってできるようになりました!

それにしても女性が大股で歩くことが珍しかったのですね。走るなんてありえなかったのかな?

それでこんなにステキに ロンドンの中心街を走っているクワントと夫の 写真が大きな意味を持っていたのですね。

誰もが憧れる、 現代的カップルのシンボル!マリー・クワント&アレキサンダー・プランケット・グリーン!

【ミニスカート登場】

ミニスカートやタイツって、今ではよくあるファッションアイテムですよね。でも、 60年代はスカートがヒザ丈より短いなんてとんでもなかった!
そんなスカートを履いて通りを歩いていたら、ひどい罵声を浴びせられても仕方がないくらいだったようです。
そんな時代に、 クワントは自らデザインしたミニスカートをはいて広告に登場し、瞬く間に流行らせました。 「ミニの女王」と呼ばれるゆえんです。
1950年代後半から、 イヴサンローランやクレージュのようなクチュールコレクションでも膝上丈のスカートが登場し始めましたが、 ガツ~ンと短くお手頃価格のミニスカートを発表したのがクワントで、実際ミニスカートを履いたのはクチュールメゾンの顧客ではなくクワントのような若い女性や街にいる女子学生たちだったそうです。
日本でのミニスカートのイメージといえば、 80年代から90年代のバブル期ディスコのお立ち台に乗っていた女性たちがインパクト大でしょうか?

マリー・クワントのミニスカートのディスプレイ。 右端から左端にかけてどんどん裾が短くなっていますね!

【労働者階級出身のモデルが登場!】

そしてこの流れで登場した人気モデルがツイッギー。
1967年にミニスカートで来日して話題となりましたのでご存知の方も多いのでは?
足が細長く人形のような顔に、まつ毛を大げさに描き込んでいたのでクワントの遊び心あふれる中性的なデザインにぴったりだったそうです。1966年にツイッギーが登場したことで、クワントとはスカート丈を膝よりずっと上に引き上げたとのこと!
そしてここで強調したいのが、ツイッギーが労働者階級出身だったということ。

「1950年代は、上流社会の女性たちがモデル業を独占していたので労働者階級出身でコックニーなまりのあるツイッギーが登場したことはとてつもなく新鮮だった」旨が展覧会公式図録に書かれています。

ここからも、 クワントがデビューした時代は、いかに階級がくっきりと分かれていたかが推し量れますね。
だからこそ、あらゆる階級の 女性を一緒くたに虜にしつつ誰でもアクセスできるようにしたマリー・クワントのデザインは革命だった!

ベストとショートパンツのアンサンブルを着るツイッギー 1966年 ※こちらはフォトスポットになっていますので撮影可能です!

クワントは、1966年に36歳の若さで大英帝国勲章(OBE)受章。 この時にも、自身が手掛けたジャージー素材のミニスカートで式典に臨み、世界中のニュースになったというのですからさすがです。

当時のイギリスのように、 はっきりとした階級差が目に見えるわけではない日本ですが、 貧富の差や教育の格差、ジェンダーギャップによるストレスはそこかしこに渦巻いています。そんなストレスを軽やかに飛び越え、ファッションで楽しくシェアできるという考え方やスタイルを、 この展覧会をきっかけに取り入れてみるのも良さそうです。

マリー・クワント スタイルを意識しながら、 会場での解説パネルや図録の翻訳監修を担った服飾史家の中野香織さん(写真右)とパチリ。 こちらはフォトスポットですので写真撮影が可能です。 皆さんも是非!

デイジーのロゴあふれる ミュージアムグッズ売り場も楽しい!
こんなアイテムをゲット。

紅茶が入っているのですが、飲み終わってからこの黄色い缶に小物を入れて持ち歩きたい! もともとはクレヨンを入れて売っていた大人気のアイテムとのこと!

【展覧会概要】
展覧会「マリー・クワント展」
会期:2022年11月26日(土)~2023年1月29日(日)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1
開館時間:10:00~18:00(金・土曜日は21:00まで)12月31日(土)は18:00まで
※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:1月1日(日・祝)
入館料:一般 1,700円、高校・大学生 1,000円、小・中学生 700円、未就学児 無料

※主催者の許可を得て作品の撮影をしています
【参考文献】
『マリー・クワント』展の公式図録「時代を変えたミニの女王 マリー・クワント」

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評者: (KIKUCHI Maiko)

アーティストと交流しながら美術に親しみ、作品の鑑賞・購入を促進する企画をプロデュースするパトロンプロジェクト代表。東京大学文学部社会学科修了。
英国ウォーリック大学「映画論」・「アートマネジメント」両修士課程修了。
2014年からパトロンプロジェクトにて展覧会やイベントを企画。2015年より雑誌やweb媒体にて美術記事を連載・執筆。
特に、若手アーティストのネームバリューや作品の価値を上げるような記事の執筆に力を入れている。

主な執筆に小学館『和樂web』(2021~)、『月刊美術』「東京ワンデイアートトリップ」連載(2019~2021)、『国際商業』「アート×ビジネスの交差点」連載(2019~)、美術出版社のアートサイト 「bitecho」(2016)、『男子専科web』(2016~)、など。

主なキュレーションにパークホテル東京の「冬の祝祭-川上和歌子展」(2015~2016)、「TELEPORT PAINTINGS-門田光雅展」(2018~2019)、耀画廊『ホッとする!一緒に居たいアートたち』展(2016)など。」

https://patronproject.jimdofree.com/

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