李禹煥の作品には境界がない。
どこまでが作品で、どこからが作品でないのかが、あまりはっきりしないのです。
それは、屋内でも屋外でも同様。
李禹煥の作品がある場所はみな、壁も床も天井も、空も木も建物も、作品と無関係ではいられなくなります。
そしてその効果は、「人」にも例外なく及ぶのです。
国立新美術館で始まった、李禹煥の大規模な回顧展に足を踏み入れる人々は、次々と出現する作品と何かしら関係を持つことになります。
意識的にそうなる作品もあるのですが、無意識にそうなる場合もあります。
作品がある空間に人が入ることでその全体の景色が「変化する作品」に見えたり、自分自身も気づくと作品に呼応していたりする状況が出てきます。
そんな会場を巡っているうちに、デジタルアートのように分かりやすくインタラクティブではないけれど、李禹煥作品は、アナログで静謐なインタラクティブアートなのだという実感が湧いてきました。
デジタルアートですと、「あっ、今手を上げたから動物が動いて色が変わったんだ!」などと周りの人にも自分にもインタラクション(相互作用)が目に見えますが、李禹煥作品とのインタラクションは、そこまで直接的ではありません。目に見えない内的なものもたくさんあるからです。
今回は、初期から直近までの大規模な回顧展だからこそ気がつくことができた、李禹煥作品とのさまざまなインタラクションを、「シェア型」と「自分独占型」に分けて紹介していきたいと思います。
シェア型のインタラクティブアート
展覧会は、1968年に出品された李の初期の代表作から始まりました。
近年の、余白たっぷり絵画とは対極的な、カンヴァスの隅々までピンクの蛍光塗料を用いた三連画に驚いていると、同じ頃に制作された立体作品も登場。ガラス板の上に腕で抱えられるくらいの大きさの石が置いてある《関係項:Relatum》シリーズの最初期のものです。
この《関係項》シリーズは、60年代に誕生して以来、2000年代の最新作に至るまで、様々なバリエーションをつけつつ進化してきました。
最初は、見て鑑賞する作品でしたが、その後、見るだけではない作品に展開。
一度、テレビでこのシリーズの作品を制作している場面を見たことがあるのですが、機械で石を数センチくらい持ち上げて、ズシっとガラス板の上に落としていました。
「それは、こんなふうに落としたら割れるでしょう!」というちょっと当たり前の出来事なのですが、これが作品としていろいろな美術館に飾られてきたと思うと不思議ではありませんか?
この《関係項》シリーズが、世界中で美術作品として評価されているのは、1968年頃に生まれた美術家グループ「もの派」の中心人物であった李の論考に支えられているからに他なりません。
《関係項—鏡の道》
そして《関係項》シリーズの2021年バージョンとして登場したのがこちらです。
石畳の上に、10mの鏡の道、そして真ん中の両脇には石が置かれてなんとなく門のようです。今回、鏡は割れていません!石は、鏡を割らないように注意深く両脇立ち、私たちを招くように開いています。
初日に訪れたために、鏡がピカピカであまりにも神々しかったので、少し距離を置いて見ていたのですが、観客の一人がスタッフに聞くと、鏡の上を歩いても良い事が判明。
しかも、グッドタイミングで登場した李さんが、颯爽と鏡の道を歩き始めたので、周りにいた人々も、いそいそとそれに続きました。
なんと素敵な光景なのでしょう!
そしてなんと素敵な体験の共有!
まず、人が鏡の道を歩くことで、作品には動きと音が生まれます。
ザクザクと砂利を踏みしめる音が聞こえ、先ほどは天井しか写っていなかったので静止していた鏡の上に、歩く人々と映り込んだ姿が動きます。
周りから見ている人からも、作品と体験者がインタラクト(相互作用)していることが分かるし、そこにもたらされた変化自体が作品になっていることが感じられます。
また、自分自身も歩いてみることによって、先に体験した人々が見たであろう鏡に映る光景や踏みしめる足の音などを追体験して感覚をシェアすることができます。
これは、「『作品』と『人』」、「『作品』と『体験者を見る人』」、「『先に体験した人』と『後に体験した人』」が様々な相互作用を引き起こしながら共有するシェア型の「インタラクティブアート」なのだと思い至りました。
そうは言いながら、実は同時に「自分独占型インタラクション」も起きているのです。
それは、作品と自分にしか分からない1対1の相互作用。
1対1の相互作用とはなにかと言うと、例えば鏡の道を歩いている時に見える「鏡に映った自分」とか、両脇の石の門をくぐった後に「くぐる前とは違う次元を感じる」といった体験している本人にしか分からない感覚です。
この「自分独占型インタラクション」がより強い作品については後程ご紹介しますが、こちらの作品に関しては、「シェア型インタラクション」の性質がより強い者としてご紹介しました。
《関係項―アーチ》
シェア型のインタラクティブ作品としては、屋外の大型作品もありました。
《関係項―アーチ》で、李がヴェルサイユ宮殿にて2014年に制作した《関係項―ヴェルサイユのアーチ》の六本木版です。
やはりこの作品も、人々がアーチをくぐり抜け、自分も同じようにくぐり抜けることで、シェア型のインタラクションを体験することができます。
そしてこの作品からは、前述の李の言葉にあった「こうして表現は作ることと作らぬこととの関係へと進んだ」の意味が分かりやすく伝わってきました。
作品として作られたものは明らかに、ステンレス制のアーチや石などでできた部分なのですが、李が作っていない六本木の空や、木や、ビルも作品に影響されて大きく様相を変え、作品と切り離せない情景として私たちの経験に刻まれます。
この状況に関連して李は「ヴェルサイユの丘の広場にはステンレスで大きなアーチを作った。そこを通ると作品の対象性ではなく周りの空間があらたまって新鮮に見える。(中略)私は自分から出発して他者や外部と関係し、自己を超える表現を開いた」と述べています。(「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」展公式図録より引用)
彼の作品に「境界がない」と感じるのはそのためなのだと納得した一文です。
彼の作品に「境界がない」と感じるのはそのためなのだと納得した一文です。
アートと禅問答?!自分独占型のインタラクティブアート
他者からも見えるし、 同じような体験を共有できる「シェア型のインタラクティブアート」はわかりやすく楽しいのですが、李の作品には、作品と自分にしか分からない1対1のインタラクションを楽しめるものも多数あります。
こちらは、 分かりやすくはないのですが、 より私的で強烈な体験として記憶に刻まれるものと感じました。 そんな体験ができた作品をいくつかご紹介します。
《「対話」「応答」そしてウォールペインティング》
まずは、「対話」シリーズと「応答」シリーズです。
グラデーションが美しい 四角いストロークがいくつか描かれていますが、 八割がた余白。
ほとんど余白で静寂なのに、 空間を支配するほどの存在感がある 作品です。
これらのシリーズが展示されている、白い壁に囲まれたセクションに入ると、キャンバスの上だけが作品なのではなく、空間全体が作品なのだなと感じます。
その瞬間から実は、作品と自分とのインタラクション/相互作用が始まっているのです。
ここからは、自分と作品との極めて私的な世界になるのですが、例えば、
白い空間に包まれている自分と、立体的に浮かび上がってくるようなストロークの存在に意識が集中してきます。
近づいてみるとわかりますが、実際このストロークは、かなり分厚く描かれているので、立体的なキャラクターにも見えてきます。「対話」シリーズは、二つのストローク同士が話しているように見えるかもしれませんし、そうすると自分もその対話に加わるような体験ができるかもしれません。「なぜ君は灰色なの?」「なぜ境界がもやもやとしているの?」などと問いかけてみたり。。。
しばらくすると、もやもやとした境界線や、うねるグラデーションから放たれるバイブレーションを感じるかもしれません。またこの余白や配置からリズムを感じたり、さらに進んで音まで聞こえたり。
このような相互作用は、それぞれの人の中で個性豊かに展開されていると想像できるのですが、それをシェアすることはかなり困難なので、「自分独占型」のインタラクティブアートと名付けてみました。
そして次の作品は、このキャラクターのようなストロークが、ついにキャンバスから独立して、壁に鎮座していました。そのため今度は一対一の禅問答的なインタラクションを体験することができました。
《対話─ウォールペインティング》
写真から伝わるでしょうか?
もはや、壁からも飛び出して自由自在に浮遊しているようなストローク。
近づいたり離れたり、くるりと回転したり、作品とダンスをするように対話することができるかもしれません。
はたまた、ギュスターヴ・モローがサロメの一場面を描いた絵に出現した、聖ヨハネの浮遊する生首のように見える瞬間があるかもしれません。
私はこれを、「禅」的な「インタラクティブアート」ととらえてこれからも鑑賞し、可能な限り伝えていきたいと思います。
【展覧会基本情報】
タイトル:国立新美術館開館15周年記念 李禹煥
会期:2022年8月10日〜11月7日
会場:国立新美術館企画展示室1E
住所:東京都港区六本木7-22-2
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10:00~18:00(金土〜20:00) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:火
料金:一般1700円/大学生1200円/高校生800円
巡回
兵庫県立美術館:2022年12月13日〜2023年2月12日
※各会場で一部展示作品が異なる
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