都市のスケールと記憶を組み込んだ美のパッサージュ
構想から40年を経て形が与えられた美術館
2000年代は、日本でも新築の美術館建築が多数建てられている。特に金沢21世紀美術館(2004年)、地中美術館(2004年)、豊島美術館(2010年)などは世界的な評価も高い。しかし、近年は京都市京セラ美術館(2020年)、弘前れんが倉庫美術館(2020年)など、新築ではなく、既存の建築を改修した美術館が一つのトレンドとなっている。それは既存建築の評価が上がったこともあるだろうし、予算が減少したということもあるだろう。
その中で久しぶりに、新築の美術館として都市の中心部に建つのが大阪中之島美術館である。しかしその歴史はすでに半世紀以上ある。1983年の大阪市政100周年記念事業基本構想から約40年、1990年の近代美術館建設準備室が設置されてから30年余り経つ。美術館(ハコ)がなくコレクション(モノ)だけのある「準備室」として機会があるごとに一部が公開されてきた。財政難のため計画が頓挫するのではないかと危ぶまれていたが、2013年に中之島に美術館を建設することが決定、2016年に公募型設計競技(設計コンペ)が行われた。
コレクションだけで6000点を超える近現代の良質なアート・デザインの作品を見せるために、どのような形を与えるべきか?日建設計大阪オフィスや槇文彦率いる槇総合計画事務所の案を退けて、コンペで選ばれたのは、遠藤克彦建築研究所が提案した黒い直方体(ブラックキューブ)のプランであった。このプランがコンペで通ったとき、実際に中之島に建築として現れたらどのようになるのか、関心を持った人も多いだろう。
竣工した大阪中之島美術館は、黒い直方体が宙に浮いたような外観を持っている。南北の通り抜けと巨大な吹き抜けが特徴的な内部は、プラチナシルバーのルーバーで全面的に覆われており、『2001年宇宙の旅』のモノリスと宇宙船の内部のような、サイバーな印象を抱く。今回、大阪中之島美術館の建築関係者向け内覧会の招待を受け、建築家の遠藤克彦氏の解説で、開館間近の美術館を案内してもらう機会を得た。実際見た感想ともに設計の意図を紐解いてみたい。
シンプルな外観と複雑な内部空間を備えた「ブラックキューブ」
美術館は、黒で覆われた直方体となっている上、一部しか開口部がなく、外界から閉じられているように見えるが、中に入ると印象は様変わりする。大阪市が提示したコンペのテーマが「パッサージュ」であったこともあり、入場料を払わなくても1階・2階は通り抜けでき、レストランで食事をしたり、ミュージアムショップで買い物をしたり、アーカイブ情報室で調べものをしたりできるようになっている。パッサージュは、フランスの屋根付きの商店街、つまりアーケードのことである。つまり、美術館だけではなく、都市の交流や賑わいを演出するインフラとしての機能を持つことが求められていた。現在はまだミュージアムショップだけしかオープンしていないが、1階のレストランとインテリアショップがオープンすると近隣のオフィスからの需要も見込め、さらに賑わいを見せるだろう。
2階にのぼると、巨大な吹き抜け空間があり、外周は全面ガラス張りで、外の風景と連続性がある開放的な空間になっている。プラチナシルバーのルーバーに覆われた内壁もデジタル空間のようなサイバーな印象を持つが、天窓からは自然光が降り注ぎ、北側には「芝生広場」なども見え、人工と自然、内と外が溶け合うように計算されている。4階の展示室に行ったり戻ったりするには長いエスカレーターを使うため、吹き抜けの空間を斜めに交錯する形になっており、スリットのような開口部と合わせて、ダニエル・リベスキンドの建築のような印象も受ける。極限までシンプルにした外観の形と比べて、内部空間は極めて複雑な操作がされているといってよい。
4階までは長いエスカレーターで昇り、そこから5階に行くには短いエスカレーターに乗り換える。近年の美術館は、エレベーターで上階まで垂直に上げて、そこから階段を下って観覧する構造がよく採用されている。しかし、観客が広い空間で芸術作品を鑑賞するために訪れると、一転、狭い空間に見しらぬ人と押し込められるため、気持ちが寸断されてしまう。大阪中之島美術館では、長いエスカレーターを昇る過程と、期待感や昂揚感を連動させることで、移動をうまく演出に使っている。また、移動の過程で、吹き抜けの見える角度が連続的に変わるため、空間の新しい発見がある。これも余裕のある敷地と空間だからこそ可能なことだろう。大阪中之島美術館では、1階、2階、4階、5階の通路を「パッサージュ」と名付けているが、これらのエスカレーターも立体的なパッサージュといえるだろう。
建築のモジュールと都市のモジュール
遠藤によると、1.1mを高さ方向の基本的なモジュールにしたという。モジュールというのは機能単位のことで、身体サイズと黄金比を組み合わせた「モジュロール」という概念をル・コルビジェが打ち出したこともあり、建築においては建築を構成する最小単位として使われる。1.1mというと幼児の身長になるが、幼児と関連がある。ベランダなどでは幼児が外に落ちないように、高さ1.1m以上の手すり壁、さくまたは金網をつくることが建築基準法で規定されているからだ。遠藤はこの1.1mを一つの単位とし、それを敷衍させて、巨大な黒い直方体をつくりあげた。
それは極めて綿密な作業で、内部空間の様々な構成要素から、外観に至るまで緻密に組み上げられている。例えば、6mという5階展示室の天井高はギルバート&ジョージ、搬入用エレベーターはフランク・ステラなど、所蔵している作品のサイズから決められている。4階は4mとやや低いが、日本画などのより厳密な温度・湿度を求められる展示ケースが設置されている。4階の一部は、黒い壁面で覆われており、中之島の近隣にあった「具体美術協会」(具体)の活動拠点であった、「グタイピナコテカ」が黒壁の蔵を改装していたことに由来している。おおよそ4階は近代、5階はサイズが拡大する現代に対応させたのであろう。収蔵庫も当然、6000点以上の作品が入らなければならない。
最終的に完成した黒い直方体の美術館は地上5階、軒高は約34mとなっている。展示室を内包しているため、軒高34mに対して5階建てはかなり各階の天井高に余裕がある。ただ、高層化が進む近年の中之島の中で、34mは低く感じるだろう。しかし、この高さは大阪、ひいては日本の都市が近代化する過程において重要な尺度である。道を挟んで東側にあるダイビル本館の低層階と比べるとほぼ同じ高さだということがわかるだろう。ダイビル本館は、1925年に竣工したダイビルを解体した跡に建てられたが、低層部の外壁やエントランスはダイビルの素材やデザインを保存している。ダイビルは、8階建てであったが、軒高は約31mであったのだ。約31mとは、戦前においては百尺であり、1919年に公布された市街地建築物法(建築基準法の前身)の都市部における高さ規制の上限なのだ。
大阪において最初に百尺規制の上限まで建てた建築は、御堂筋沿いに1923年に竣工した堂島ビルヂングであるが、地下1階地上9階建てであった。その後、幅員が拡張され、大阪のメインストリートとなった御堂筋沿いに百尺の建築が立ち並んでいく。建築基準法において、上限規制が百尺を超えてからも、御堂筋沿いは百尺が維持され、戦後の美しいスカイラインを形成するようになる。つまりこの高さは、大阪の都市、建築の高さの基準として、現在でも大阪の人々の身体感覚の中にある。
近年、御堂筋の高さ規制も限定的に撤廃され、スカイラインも崩れつつある。また、中之島は急激に高層化している。その中で、近代都市の「百尺」というスケールが、大阪中之島美術館において大きな塊となったことになり、空間自体が都市のスケールの記憶を留めるモジュールとなっているのだ。また、大阪中之島美術館にも所蔵作品のある、大阪を代表する洋画家、小出楢重は、随筆『上方近代雑景』において、屋根瓦の街並みを「黒く低い屋根の海」と記した。近代において、建築の色は、テラコッタやスクラッチタイルの茶色からモダニズム建築の白に変わってくが、黒は近世の記憶でもある。
モダニズム建築の拡張、21世紀の高床式倉庫
大阪中之島美術館は、ポストモダンや近年の3次元曲線の建築に反して、モダニズム建築を極限まで突き詰めているように思える。箱型の建築は、軒高を低くしたままでも、展示空間を最大限に広くとれる。さらに、柱を最小限にするために、建方時に仮設柱という施工時のみに必要な柱を立ててから全体を組み上げ、建方完了後に仮設柱を撤去していた。そして、可動壁を効果的に使うことで、大小の作品から、インスタレーションまで様々なタイプの展示が可能になっている。黒い壁面も突飛なアイディアに見えて、極めて合理的な選択になっている。全体をガラスカーテンウォールや白い壁面にすると太陽光を反射してしまい、反射光害を生む可能性があるからだ。逆に、プレキャスト工法で張られた黒いコンクリート壁は、ウォータージェット加工で凹凸がつけられており様々な角度の光を吸収する。2階部分は、ピロティのようになっており、外壁をなくし、ガラスで覆っている。
いっぽうで、大阪中之島美術館は、4階、5階が展示室、ある種の高床式倉庫になっている。中之島はもともと北の堂島川と南の土佐堀川に囲まれた中州であり、南海トラフ地震によって浸水することも想定に入れなければならない。そのためには、展示室は、必然的に上階層に置かなければならない。その上で、内部を吹き抜けにして、広がりを持たせている。言わば、湿気の多い日本で普及した高床式倉庫を巨大化したものであり、現代的なアレンジともいえる。
ありそうでないため比較する建築を挙げるのは難しいが、対比的なのは円形のガラス張りで、四方に出入口があり、まさに開かれた構造を持つ金沢21世紀美術館だろう。ただし2階はほとんどがガラス張りで開かれているので共通点もある。一番コンセプトが近いのは、ル・コルビジェが設計した国立西洋美術館かもしれない。国立西洋美術館も直方体で構成されており、内部は「スロープで昇っていく渦巻き形の動線」が特徴である。これを拡張し、スロープをエスカレーターに置き換え、一筆書きのよう回転しながら展覧会全体を見ることが出来るようにしている。
つまり、21世紀的なサイバー空間や宇宙船のような意匠を称えながらも、実は、極めてオーソドックな美術館をモデルに、最新の耐震構造や新素材、複雑な設備を内包する現代建築の可能性を追求したのが大阪中之島美術館の設計意図ではないだろうか?そしてそれは、見事に成功しているように思える。新しさと古さが同居し、場所のスケールを呼び起こしている。
上階層は黒い壁面に覆われているように見えるが、5階は南北、4階は東西に「パッサージュ」に続く開口部があり、周辺環境を眺められるようになっている。江戸時代は広島藩の蔵屋敷で、前面に「舟入」があり、川から直接荷揚げできた記憶は、2階から続く「芝生広場」に残されている。道を挟んで東隣にあるダイビル本館(旧・ダイビル)は、大阪商船(現・商船三井)などの出資で建てられており、船を意識してつくられた。堂島川から眺めれば角に丸みがあり船のように見える。
大阪中之島美術館も、蔵屋敷の蔵のようにも見えるが、4階の「パッサージュ」や展示室ロビーから吹き抜けを見ると、船の中にいるような気分になる。巨大な客船に乗っているような独特な安堵感と昂揚感を地上で得られるのだ。単なる通行路ではない、美を通じて地理や歴史、精神の旅のパッサージュが演出されている。ゆったりとしていて、それでいて賑わいのある空間は、これから都市の美のパッサージュとして多くの人々の記憶を宿していくだろう。