激変するアートワールドを記述する方法
ギルダ・ウィリアムズ、GOTO LAB監修『コンテンポラリーアートライティングの技術』(光村推古書院、2020年)
ひとえにアートライティングとは何か、どのように書くべきかと問われても非常に難しい。今日、アートに関する文章は、アートのフォームや掲載される媒体の種類が爆発的に増えているため、何を持ってアートライティングとするか、どこに、どのように書くべきかは現在進行形の課題だからだ。つまり暗中模索の最中というわけである。
本書の著者ギルダ・ウィリアムズは、20年以上にわたりアートに関する文章を書いてきた美術評論家であり、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ等でアートライティングの講義をする教育者でもある。本書では著者が長年かけて得た、今日の激変するアートワールドを記述するノウハウが、惜しげもなく開陳されている。1章では、アートライティングの目的と批評史、2章では原則的なハウツー、3章では様々な形式に合わせた戦略が提示されている。
著者も指摘しているように、西洋美術史と比較して、アートライティングの歴史は極めて浅い。批評が誕生したのは、17世紀~18世紀であり、ほんの数百年の出来事に過ぎない。それはとりもなおらず、教会や王侯貴族といった一部のパトロンのために描かれた芸術作品が、フランス革命後の民主化によって、新興の資本家や富裕層のためのものに移行したことと関係がある。さらに、勃興するアート市場の中で、印象派をブランディングし、高額商品に引き上げた画商、ポール・デュラン=リュエルが活躍した時代、新しいメディアとして台頭した新聞や雑誌の評論はアートの価値を左右するものになった。富裕層、ニューメディア、自由市場の誕生が、評論、すなわちアートライティングを要請したといってよいだろう。
著者は、今日に新たなアートライティングが必要とされるのは、「ウェブのオープンアクセスと境界の完全な崩壊」[1]による新しい民主化に伴うアートワールドの勃興と関係しているとみている。オンラインアートジャーナル『e-flux』のような新しいアートメディアの台頭と、ボリス・グロイスやヒト・シュタイエル、フランシス・スタークのような新しいタイプの書き手の登場はまさにその状況を映し出している。
印象派以降、芸術作品は一目で素人でもわかるような、写実的な作品とは異なるため、その解説、評論は欠かせないものとなっていく。さらに、デュシャンによるレディメイドの発明後、「美しい」「創作物」といった芸術作品の最低限の条件すら覆され、アートの証明は言葉の補助なしに不可能になる。その系譜は現在でも続いており、今もなってなお、芸術作品のためのライティングは必要不可欠なばかりではなく、重要性を増している。
ただ、芸術作品のためのライティングといっても媒体によって方法が異なる。分かりやすい例でいうと、新聞、学術誌、専門誌が挙げられるが、それぞれ書き手の職業が異なる。新聞は記者、学術誌は研究者、専門誌は評論家ということになり、それぞれ報道、論文、評論という形で書き方も変わる。報道はより客観的で正確さや速報性を求められる。論文は学術的な裏付けと文脈、参照文献、新しい視点が求められる。評論は、著者自身の独創的な解釈や評価が求められる。媒体が変われば読者も変わり、誰に向けて書くかによって、同じ作家や作品でも記述方法が変わってしまうのだ。
さらに、今日のアートワールドでは、多くの役割や媒体が次々と登場している。本書では、「アートを文章のテーマとするすべの人」[2]と定義し、「アーティスト、ディーラー、キュレーター、批評家、ブロガー、クンストワーカー、ジャーナリスト、歴史家」[3]など多くの肩書の人々を含めている。さらに、今日ではアートの批評家以上にキュレーターが公的な役割を担っているし、ディーラーやコレクターの知名度が上昇したり、数多くの新しい職種も誕生している。それはひとえにインターネットとグローバル市場によってもたらされたといってよいだろう。かつてない規模のアートフェア、世界各地で勃興する芸術祭、新しいオンラインジャーナル、プレスリリース、アーティストのステートメント、キャプション、ブログ、SNS等々、数えればきりがなく、これからも増えていくだろう。新しいメディアには新しい記述方法が必要だ。本書は、それに対応するためのアートライティングのノウハウを実例を挙げながら提示している。
特に、オスカー・ワイルドやヴァルター・ベンヤミンといった批評史に名を残すライターやボリス・グロイス、ヒト・シュタイエルといった、現在のアートシーンの中で大きな影響を与えているライターの言葉や作例、それらの解説があるのも嬉しい。アートがどのように記述されているかを知ることで、今日のアートに理解が深まるようになっているのだ。
ただ、そのようなダイナミックに変化するアートライティングにもプリンシプルはある。第1章「役目な:なぜコンテンポラリーアートについて書くのか」には、『The New Yorker』誌のベテラン批評家、ピーター・シェルダールの以下の一文が引用されている。
「良いアートライティングの第一原則は、芸術作品をより有意義で、より愉快にするための真摯な試みであること、そしてアートと人生にそれをもたないときには存在しなかった「より良い何か」を与えること」[4]
そして、「書くときは「より良い何か」を加える、この一文を心に留めておけば、良いスタートがきれずはずです」[5]と述べる。多くのアートライティングが、難解なアートと鑑賞者に対する橋渡しではなく、むしろさらに難解にし、嫌悪感を増幅させる装置になっていることを考えれば、何度でも反芻すべき一文だといえるだろう。
さらに、アートライティングの基本的な機能は、「説明(文脈づけと描写)」と「価値づけ(評価と解釈)」[6]であると述べる。説明とは、簡単に言えば、事実に基づく客観的な情報、価値づけはそれに基づく解釈、良し悪しの評価といったところだが、著者が指摘するように明確な境界はない。ただしその機能を認識することが重要なのだ。例えば、「批評家としての私の仕事は、読者が[アートから]少しでも多くを得るために必要となる文脈を提供することである」と批評家・哲学者のアーサー・C・ダントーの言葉が紹介されている。
アートは視覚的で直感的に理解できるものから、知的で複合的な背景を知って理解できるものに変わっている。そのために言葉の助けが不可欠である。そのことを著者は、以下のように完結に述べている。
「モダンアートの出現以来、重要な新しいアートとは、瞬間的な理解から抵抗するもの、と考えられています。ほとんどそのように定義されているといっても差し支えないでしょう」[7]
「説明がなければ、鑑賞者が置き去りにされるだけではありません。その意味を決定するための何らかの枠組みがなければ、アートのシステムで牽引力をもちえなくなる危険があります。その観点から言えば、鑑賞者も作品も、言葉による特別な支えがない限り、ハンディキャップを負っているようなものです。」[8]
しかし、本書の序論では、経験の浅いライターは、以下のような間違いを繰り返していると指摘している。
「・文章が曖昧で、構造が不十分であり、専門用語が多い
・語彙は想像力に欠け、アイディアは未開発
・欠陥ある論理と寄せ集めの知識
・鑑賞経験に基づかない仮設。経験が無視されている
・作品の背後で主張されている意味、もしくは他の世界との関係を、説得力をもって伝えることに失敗している」[9]
さらに、2章において、以下のようにしてはいけないことを具体的に解説している。
「・抽象的で難解なアイディアを、別の抽象的で難解なアイディアで「説明」しない。」[10]
「・抽象的な言葉は控えめに」[11]
「・ジャーゴンを避ける」[12]
「・比喩の混合を避ける」[13]
すでにお気づきの方もいるかもしれないが、多くのアートライティングは、この失敗例のサンプルのようになっているように思える。本書にはそのことを証明するようなプロジェクトが紹介されている。2012年夏、ウェブサイト『Triple Canopy』に、アーティストのデイヴィッド・レヴィ―ンと社会学博士課程のアリックス・ルールは、「IAE(インターナショナル・アート・イングリッシュ)」というエッセイを公開する。これは『e-flux』に掲載されたプレスリリースをコンピューターによって言語学的分析を行い、その傾向を抽出したものだ。それは「IAE」と命名され、以下のようにまとめられた。
「・即興名詞を習慣的につくりあげる(「視覚の」は「視覚性」というように)
・ファッショナブルな専門用語を打ち出す(トランス、インボリューション、プラットフォーム)
・プロト~、パラ~、ポスト~、ハイパー~といった接頭語の乱用」[14]
このエッセイは、なんだか不思議な用語を乱用するアートワールドに対する強烈な皮肉で、賛否両論を巻き起こしたという。2012年時点のことで少し古いが、日本のアートライティングでも大いに心当たりがあるだろう。
このようなアートライティングの「ヘンテコさ」からどうすれば抜け出せるのか?本書は、アートライティングの実例を挙げながら、見事なアートライティング批評かつ建設的な提案になっている。今日のアートは言葉を助けなくしては理解できない。しかし、その言葉がアートをさらに難解にし、鑑賞者から遠ざけているとしたらまったく意味がない。
コンテンポラリーアート市場の脆弱な日本では、現時点では残念ながらこのような本は望めない。ライティングテクニックも未成熟だといってよいだろう。しかし、今日、勃興する日本のアート市場の中で、また世界と連動するアートワールドの中で、アートライティングを必要とする人々は急速に増えている。本書は、そのための一助となること間違いない。
本書は、編集者・クリエイティブディレクター・ギャラリストとして活躍する後藤繁雄が教鞭をとる京都芸術大学のゼミ、「コンテンポラリーアートストラテジーゼミ」「通信大学院生」からなるGOTO LABのメンバーによって監修されている。大学・大学院のゼミでこのような本を翻訳、編集することは極めて実践的で大きな教育効果が認められるだろう。巻末には、現代美術図書のコレクションも掲載されており、実践のための実用性が徹底されているのもありがたい。このようなアートライティングの教育を受ける機会がなかった世代やアートライティングを担う、現役のライターにとっても大いに参考になるだろう。
[1] ギルダ・ウィリアムズ『コンテンポラリーアートライティングの技術』GOTO LAB監修、光村推古書院、2020年、p.49。
[2] 同書、P.14。
[3] 同書、p.10。
[4] 同書、p.21。
[5] 同書、同頁。
[6] 同書、p22。
[7] 同書、p.28。
[8] 同書、同頁。
[9] 同書、p.10。
[10] 同書、P.86。
[11] 同書、P.88。
[12] 同書、p.110。
[13] 同書、P.123。
[14] 同書、p.11。