新しい時代の「死者の書」
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 AUTUMN
「チェン・ティエンジュオ展「牧羊人」」
会期:2021年10月5日(火)—2021年10月31日(日)
会場:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
https://gallery.kcua.ac.jp/
2021年10月5日(火)—2021年10月31日(日)まで、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 AUTUMN」の一環として、パフォーマンス、映像、デザイン、ファッション、電子音楽、宗教などを横断し、ハイブリッドにリミックスする「中国ミニレニアル世代の旗手」とされる、チェン・ティエンジュオの日本における初展覧会「牧羊人(ムーヤンレン)」が京都市立芸術大学ギャラリーで開催されている。
「カラフルでグロテスク、キッチュなイメージを用いて、アジアの心霊主義、LGBT、イコノグラフィー、舞踏、ヴォーキングについて直接的に言及し、消費主義や超越主義といったテーマに触れながら我々を取り巻く道徳的態度の崩壊と信念との間を接続する」といったプロフィールを読むと想像がつかず、混乱するしかないが、「ヤバい」から是非見た方がいいという忠言に従い、先日見に行ってきた。少し時間が経ったので忘れかけている箇所もあるが、確かに現在の日本にはない強烈な表現であったことは間違いない。映像作品がたくさんあり、全部見ることができなかったが、少し考えたことを記しておきたい。
「ミレニアル世代 / ミレニアルズ」とは、1981年以降生まれで、2000年代初頭に成人または社会人になった世代の総称だ。今の20代前半から40歳程度にあたる。20代前半以下のZ世代の前のY世代とも言われ、もっとも特徴的なことは、デジタル技術やインターネットに10代から親しんだ「デジタルネイティブ」と言われることだろう。中国にとっても例外ではなく、むしろ、歴史上もっともインパクトをもたらした技術革新であったかもしれない。ベルリンの壁崩壊の一因として、西側のテレビ放送を受信でき情報が流入していたことにあるとされるが、中国におけるインターネットは、それを上回る影響があったのではないか。長らく情報統制されていた国が、海外の情報を大量に、リアルタイムかつ交流可能な状態で取得できるようになったからだ。
チェン・ティエンジュオも例外ではなく、海外生活に憧れ、第一次留学ブームの風に乗り、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズに留学する。ロンドンの音楽やファッション、クラブシーンなどの影響から、すべてをリミックスしていく自身の表現を獲得していく。帰国後、経済成長を遂げる中国で複数の展覧会を開催しているが、一応の共産主義国で、宗教的な伝統の切断が過去の様々な場面であり、精神文化は不安定といってよいだろう。チェン・ティエンジュオは、祖父母や親戚が亡くなったこともあり、死と生について考えるようになり、チベット仏教に帰依するようになったという。それ以降、チェン・ティエンジュオの作品は、宗教的モチーフを、CGで描いたり、人々が変容するパフォーマンスを行ったり、聖と俗、伝統と最新技術をミックスして表現されている。
ただし、宗教的モチーフはチベット仏教だけではない。インドのヒンドゥー教やバリ・ヒンドゥーのトランスダンスなども使われており、特徴的な儀礼を持つ様々なアジアの宗教もミックスされている。バリ島のトランスダンスと現代のトランスダンスが、分割された画面に交互に出て来て、両者の共通点と相違点が浮き彫りになる映像や、ガンジス川のようなところで、神々のようなメイクと体を白塗りにペイントされた人々が日本の舞踏のようにエロティックに踊る映像などが流されている。そこには中国の過剰な経済成長に伴った、極端なエロスとタナトスが見え隠れする。
そこに感じるのは、ミレニアル世代の新しい表現というよりは、既視感だ。信仰や宗教的な飢えが日本でもっとも大きくなったのは、現在のような「失われた30年」を経た現在よりも、「Japan as Number One」と言われGDP世界2位だった80年代である。中沢新一がチベット密教での修行体験と現代思想を融合させた『チベットのモーツァルト 』を著したのは1983年のことだったし、それ以前の1972年には藤原新也がインドの強烈な写真とエッセイによる『印度放浪』を著している。さらに、日本人が置き忘れた土着的身体は、舞踏という形で土方巽らによって1960年代から見出されているし、横尾忠則によってキッチュなポスターになっている。日本が精神文化を振り返るようになったのは、学生運動が敗れたことによって、現実ではなく精神の方に救いを求めたからということもある。経済成長によって、現実と精神との乖離がもっとも激しくなったのが、1980年代であろう。膨れ上がった資本は享楽的な文化をつくる裏で、生や存在の不安によって様々な表現となったり、オウム真理教の地下鉄サリン事件のような悲劇をもたらす温床ともなった。
チェン・ティエンジュオに感じる既視感は、少なからず日本が通ってきた道だからだろう。だから、コンピューターグラフィックスなどを多用した最新の表現でありながら、どこか古臭く、懐かしく感じる。そのような様相とは少し違うのが新作である映像作品《The Dust》だろう。 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、「世界全体が崩壊していくような気持ちになった」と述べる、チェン・ティエンジュオは、人間の出てこない作品を構想する。動物や他の生き物、かつて人間が作った機械だけが存在するという終末的な世界観が三面の映像で表現されている。チベット高原と思われる大自然の風景が、ドローンで撮影したであろう俯瞰な視点によって流れ、そこにいるのは、動物に加えて、高速道路や自動車、重機であり、それらが破壊され、燃えていく。あるいは、風葬の跡に残された骸骨や、大量の骸骨が積まれた墓であり、寺院である。さらに、神々がクローズアップされ、メタリックなサソリや虫、死者のCGが徘徊する。
撮影された場所は、チェン・ティエンジュオが仏教徒になったチベット仏教寺院のある場所であり、輪廻転生を信じる個人的な記憶にもなっている。タイトルの「牧羊人(ムーヤンレン)」とは、チベットの高原の村で3週間ほど滞在し、ボランティアで子供達にアートを教えていた際、その村の人々が遊牧民で「牧羊人」(中国語の羊飼いの意)だったことに由来している。また、羊飼いが仏教やユダヤ教、キリスト教などの宗教で様々な例えになっていることにも着想を得ている。仏教においては釈迦が激しい修行の末に倒れて、羊飼いの少年に助けられ、ミルクと寝床を捧げられている「出山釈迦」。また、アベルやモーセ、ダビデは羊飼いであり、キリスト教では、イエス・キリストを「善き羊飼い」と称したりする。そして、羊飼いは捧げものをする人物、羊は供儀の象徴でもある。羊飼い、すなわち「牧羊人」とは人と神をつなぐ媒体であり、現代においてはアーティストのような場所と人、人と人をつなぐ存在といってよいだろう。
既視感という言葉を使ったが、隠喩ではなく、ストレートにチベット仏教やヒンドゥー教をモチーフに扱い、最新のCGなどとミックスしていること、オウム真理教以降、日本では忌避されがちな宗教的モチーフを正面から扱っていること、中国のバブル経済が崩壊すると言われている現在、次の表現に移行しているように見えることなど、いろいろ新鮮な発見があった。特に新作は、パンデミックの影響もあり、新しい時代の「死者の書」であり、メメントモリとなっているといえるだろう。また、今まで展示をしたことがないという絵が、決して上手いとはいえないが、身体性を残しており、より切実なものに見えた。もちろん、LGBTのような今日的なテーマもあるが、今の日本人が置き忘れた表現も多数あると思える。会期は残り少ないが、見ておいて損はないだろう。