アーカイブ 理性と感性を揺さぶる重力との対話:植松奎二の時空を超えた旅 「ナンセンスな旅への招待ーみることの夢」 鹿児島県霧島アートの森 黒木杏紀評

🔳展覧会概要
植松奎二 個展 「ナンセンスな旅への招待ーみることの夢」
会期:2022年7月15日(金) ー 9月11日(日)
会場:鹿児島県霧島アートの森

鹿児島県の北部に広がる霧島連山のふもと、標高700メートルの高原に位置する霧島アートの森。その雄大な自然と現代アートが共鳴する空間で、2022年7月、美術家・植松奎二による個展「ナンセンスな旅への招待ーみることの夢」が開催された。

美術館エントランス

まず、タイトルにある「ナンセンス」という言葉であるが、一般的には「意味のないこと。ばかげたこと。つまらないこと」を指す。しかし、学生時代からこの言葉を用いてきた植松にとっては、少し意味が違うようだ。作家は次のように語る。「僕は世界との関わりの中に夢や希望、好奇心と想像力と創造力を含んだ新しい意味を見つけ出したい。そこにはナンセンスな思考やナンセンスな面白さがある。ここで云っているナンセンスとは『想像力をかき立てるナンセンス』です」。

本展は、この言葉を道しるべに鑑賞者を文字通り「ナンセンス」であり、かつ根源的な「みることの夢」へと誘うのである。

会場風景

知覚を裏切るインスタレーション

アートホールに足を踏み入れると、まず鑑賞者はその空間全体がひとつの巨大な装置と化したかのような感覚に襲われる。天井から吊るされた巨大な木材がワイヤーによって絶妙な均衡を保ち、あるいは重い石がまるで浮いているかのように配置されている。これらの作品群は、常に私たちを支配しているはずの「重力」という絶対的な法則を、一時的に宙吊りにする。安定と不安定、静と動の境界線を綱渡りするかのような作品を前にすると、私たちは自らの身体感覚や空間認識が揺さぶられるのを感じる。

《見えない力 ― 天と地の間に》 2022年

重力からの解放

その感覚を象徴するのが、最初に鑑賞者を迎える大きな一枚のドローイング作品《浮く石》だ。巨大な自然石が、まるで無重力空間にいるかのように床からわずかに浮き、水平に静止している様子が描かれている。この作品は「『とある巨大な石が地面から浮いていたら面白いだろう』との発想から生まれた」と植松は語り、鑑賞者に重力という絶対的な力の存在を改めて意識させると同時に、その束縛から解放された際の詩的な光景を出現させる。

《浮く石》 2017年  リアルサイズで17トンを想定して描かれた。右の石は溶岩

また、本展のために制作された新作《水の夢—落下/循環》は、重力をより繊細に可視化する。天井から吊られたパイプの先端から、水が一定の間隔で眼下の水盤へと落下していく。私たちは落下する水そのものだけでなく、それが生み出す波紋と音、そして静寂と緊張感に満ちた「間」を知覚する。ここでは、見ることのできない重力の力が、水の落下という現象を通じて、時間と空間の中に一つのリズムとして刻印されるのだ。

《水の夢—落下/循環》 2022年

空間を彫刻する—木とワイヤーのインスタレーション

植松の作品は単体で完結せず、展示空間そのものを彫刻する。特に、木材とワイヤーを用いた大規模なインスタレーション《見えない力 ― 天と地の間に》は圧巻である。複数の長い角材が、ワイヤーの張力のみによって空中に固定され、危ういほどの均衡を保つ。ワイヤーは単に木材を支える道具ではなく、木材と建築物(床、壁、天井)との間に存在する「見えない関係性」と「緊張感」を可視化する線となる。鑑賞者は、その張り詰めた線によって再構成された空間を体験することで、普段は意識することのない空間の成り立ちや、そこに潜む力動的な関係性を身体で感じ取ることになる。

《見えない力 ― 天と地の間に》 2022年

《見えない力 ― 天と地の間に》 2022年

霧島の自然と哲学者の言葉

植松奎二は1947年に兵庫県で生まれ、1975年からはドイツに渡り、現在は大阪とデュッセルドルフを拠点に国際的な活動を続けている美術家である。1988年にはヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選出されるなど、その評価は国内外で非常に高い。彼の制作の根底には、自然や地球、宇宙といった世界の構造と、その中における私たちの存在との関係性を探求する一貫したテーマがある。

展示風景 《枝とともにーエネルギーに触れる》 2021-2022年

展示風景

本展の開催にあたり、植松は霧島や桜島を訪れ、火と土、水と空気が形を変えながら膨大なエネルギーの転換を繰り返す様に深い感銘を受けた。そして、その経験は、フランスの哲学者ガストン・バシュラールの「想像力の源泉は物質である」(※1)という言葉と強く結びついたという。霧島の地が持つ原初的なエネルギーは、物質を通して見えない力を探求してきた植松の芸術と共鳴し、新たな創造のきっかけとなったのだ。

《浮く石―紀行》 2021年

新作《水に夢―落下/循環》では、蛇口から水盤へと水が落ちる瞬間を捉え、見えない重力を可視化することで、この地で得たインスピレーションを昇華させている。それは、言葉や思考、視覚が一体となった小さな宇宙空間を展示室の中につくり出し、私たちを知覚を超えた発見の場へと導く試みであった。

《水の夢—落下/循環》 2022年

植松奎二:人と世界の構造を問い続けるアーティスト

1969年の初個展以来、植松は常に「見えないもの」、すなわち重力や張力といった普遍的な力を通して、世界と私たちの関係性を明らかにしてきた。彼の作品は、一見するとミニマルでコンセプチュアルな様相を呈しているが、その核心にあるのは、人間と地球、そして宇宙に対する根源的な問いかけである。

本展でも展示されたドローイングや写真作品は、彼の思考のプロセスを垣間見せる上で重要なものとなっている。緻密な計算と直感によって描かれたドローイングは、それ自体が完成された作品であると同時に、大規模なインスタレーションの設計図でもある。そこには、物質と空間がどのように均衡を保ち、どのように関係性を結ぶべきかという、作家の哲学が凝縮されている。

会場風景 壁一面のドローイング

部分拡大 ドローイング

霧島アートの森は、豊かな自然環境の中に国内外の優れたアーティストたちの作品が恒久設置されているユニークな美術館であり、訪れる者はアートと自然の対話を楽しむことができる。このような場所で植松の作品が展示されることは、彼の芸術が持つ「人間と自然(世界)の関係性を問う」というテーマをより一層際立たせる効果があった。屋内展示であるアートホールでの緊張感に満ちた体験と、屋外に広がる開放的な自然環境との対比は、私たちに改めて人間存在の不思議さと、それを取り巻く世界の広大さを実感させた。

《浮くかたちー赤》 2000年

ナンセンスの先にある真実

植松奎二展「ナンセンスな旅への招待ーみることの夢」は、単なる彫刻展やインスタレーション展ではない。それは、私たち鑑賞者一人ひとりが持つ常識や既成概念を揺さぶり、世界を「みること」の意味を根底から問い直すための知的で詩的な旅であった。作品が提示する危ういバランスと静かな緊張感は、見えない力の存在を肌で感じさせ、私たちが生きるこの世界の構造に対する新たな視点を与えてくれる。この「ナンセンス」な旅の果てに私たちが見出すのは、論理を超えたところにある、より深く、豊かな世界の真実なのである。

《まちがってつかわれた机―水/ナウマン象の化石/浮石》 2022年

《まちがってつかわれた机ー地球》 2009年

 

美術家 植松奎二

注釈
(※1)
ガストン・バシュラール(1884–1962)は、科学哲学から出発し、のちに想像力と物質の詩学を探究したフランスの哲学者

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。