アーカイブ 六甲の森に響くアートのこだま:「六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012」神戸・六甲山 開催レポート 黒木杏紀

■開催概要
六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012
会期:2012年9月15日(土)~2012年11月25日(日)
会場:六甲ガーデンテラス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲山カンツリーハウス、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲山ホテル、六甲ケーブル、六甲ヒルトップギャラリー

晩夏の名残と初冬の気配が交差する神戸・六甲山。その雄大な自然を舞台に、現代アートの祭典『六甲ミーツ・アート 芸術散歩』が2012年もまた、私たちを新たな発見の旅へと誘った。2010年に始まり、今年で3回目を迎えるこの試みは、単なる作品の野外展示ではない。六甲山の地形、歴史、植生といった固有の文脈(コンテクスト)とアーティストたちの感性が交感し、そこでしか生まれ得ない体験を創出することを目的とする、野心的なキュレーションの実践である。

招待作家16組、公募からの選出16組、総勢32組のアーティストが、山上の各施設に点在する作品群を提示。鑑賞者はハイキングさながらに山を巡り、木々の香り、風の音、変わりゆく光の中でアートと出会う。それは、ホワイトキューブという無菌室的な空間での鑑賞とは全く異質の、五感を総動員する身体的な体験だ。本稿では、この「芸術散歩」で出会ったいくつかの優れた作品を分析し、自然とアートが織りなす豊饒な対話の可能性について考察したい。

新世代の息吹:公募が拓く表現の地平

この芸術祭の大きな魅力の一つは、ベテラン作家と並んで、公募によって選ばれた新進気鋭の才能に光を当てる点にある。彼らの瑞々しい感性は、時に我々の固定観念を揺さぶり、場所に新たな意味を与える。

巨人の視点、小人の宇宙 ― 今村遼祐『森と街灯』

2012年の公募大賞グランプリに輝いた今村遼祐のインスタレーション『森と街灯』は、その発見のプロセス自体が作品体験の核心を成していた。六甲高山植物園の岩陰、その草むらの奥深くに、鑑賞者は小さな光点の集合体を見出す。それはまるで、夜の街並みを上空から眺めているかのような、あるいは自分が巨人になってミニチュアの都市を覗き込んでいるかのような、不思議なスケール感の転換を引き起こす。注意深く目を凝らさなければ見過ごしてしまうほどのささやかな介入でありながら、この作品は鑑賞者の知覚を鋭敏に研ぎ澄ます。日常的な風景に潜むミクロな宇宙の存在を示唆し、足元の草葉一本、石ころ一つにも生命の息吹が宿っているかのようなアニミズム的な感覚を呼び覚ますのだ。それは、自然を支配し客体化するのではなく、その一部として人間が存在するという、根源的な問いを私たちに投げかける、静かで力強い作品であった。

今村遼佑《森と街灯》

覗き込む身体、増殖する物語 ― 横田健司『65rooms』

一方、建築家でもある横田健司の『65rooms』は、鑑賞者の身体に積極的に働きかけることで、その批評性を発揮していた。芝生の上に設置された1メートル四方の巨大な木棚は、8×8の64の小部屋にグリッド状に区切られている。そして、一つ一つの小部屋には、異なる素材やオブジェによってミニマルな情景が作り込まれている。全てを観るためには、鑑賞者は膝をつき、地面に這いつくばり、さまざまな角度から覗き込むという行為を強要される。この一連の身体的動作は、受動的な「鑑賞」から能動的な「探求」へと我々の意識を切り替えさせる巧みな仕掛けだ。作家の狙い通り、鑑賞者はいつしか童心に返り、次々と現れる小さな物語の断片に夢中になる。64の部屋に加え、この作品と対峙し、可笑しな格好で覗き込んでいる自分自身の姿こそが「65番目の部屋」である、という作家の意図は、アートが作品単体で完結するのではなく、鑑賞者の関与によってはじめて完成するという、現代アートの本質を的確に突いている。

横田健司《65 rooms 》

横田健司《65 rooms 》

円熟の技、自然への挑戦:招待作家たちの饗宴

招待作家たちの作品は、長年のキャリアに裏打ちされた確固たる世界観と、六甲山という特異な場所とのスリリングな対峙を示していた。

森の奥から現れしもの――加藤泉と野外彫刻の原始的生命力

本展のメインビジュアルにも採用された加藤泉の木彫作品『無題』は、強烈な存在感で鑑賞者に迫った。高山植物園の緑の中に、まるで土の中からぬっと生えてきたかのように佇むその人型の彫像は、愛らしくもグロテスクであり、古代のトーテムポールや土偶を彷彿とさせるプリミティブな生命力に満ちている。加藤にとって初となった本格的な野外展示において、彼の作品は新たな相貌を見せた。木という素材が、生きた木々に囲まれることで、その物質性を超えて周囲の自然と共鳴し始める。それは、自然とアートが対等な立場で向き合い、互いに影響を与え合う緊張感に満ちた光景だ。風雨に晒され、やがては苔むしていくであろうその姿は、生成と腐敗を繰り返す自然のサイクルに組み込まれた、新たな生態系の一部となることを予感させた。ホワイトキューブの静寂の中では決して感じることのできない、力強い「気配」がそこにはあった。

加藤 泉《無題》

加藤 泉《無題》

日常と非日常の交差点 ― しりあがり寿のシニカルな観察眼

異色の漫画家、しりあがり寿は、その独特のユーモアと批評精神をインスタレーションという形で展開した。六甲ガーデンテラスのレストランの一角に設けられた『レストランの秘密』は、鑑賞者を彼の奇妙な思考実験へと引き込む。テーブル上のモニターに映し出されるのは、人生の甘さ、しょっぱさ、苦さをテーマにした4コマ漫画の映像。日常の何気ない風景に潜むペーソスやアイロニーをすくい上げる視線は、彼の漫画作品と通底する。さらに奥の厨房へと進むと、そこではプロ野球選手の育成という「妄想」が繰り広げられている。これは、六甲山から吹き下ろす「六甲おろし」をその応援歌に持つ阪神タイガースへの、関西という土地柄を踏まえた絶妙なオマージュであり、日常に潜む非日常的な妄想を可視化する試みだ。彼の作品は、アートが必ずしも高尚なものである必要はなく、日常の延長線上にある笑いや批評精神からも生まれうることを示し、芸術の裾野を広げる役割を果たしていた。

しりあがり寿《レストランの秘密》

しりあがり寿《レストランの秘密》

闇と光が紡ぐ記憶の風景 ― クワクボリョウタ『LOST #7』

前年の公募大賞グランプリ受賞者であるクワクボリョウタは、代表作の『LOST』シリーズで再び私たちを魅了した。暗闇の中に敷かれたNゲージの模型列車が、ヘッドライトの光で前方の風景を照らし出しながら進む。その光が日用品やありふれたオブジェに当たると、壁には巨大で幻想的な影絵が立ち現れる。それは、見慣れた日常が全く別の貌を見せる驚きと、どこか懐かしい風景に出会ったかのようなノスタルジーを同時に喚起する、詩的で魔法のような体験だ。鑑賞者は、光と影が織りなす儚い風景の中に、自らの個人的な記憶や原風景を投影する。彼の作品は、物理的な空間のみならず、鑑賞者の内面世界に深く作用し、記憶という名の広大な領域を旅させる。暗闇の中で静かにその光景に見入る体験は、喧騒の中で多くの作品とすれ違う芸術祭において、瞑想的ともいえる深い静寂の時間を提供していた。

クワクボリョウタ《LOST #7》

クワクボリョウタ《LOST #7》

芸術散歩の先に:記憶としてのアート体験

『六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012』は、アートが「モノ」として存在するだけでなく、「コト」すなわち体験として私たちの記憶に刻まれるものであることを改めて証明した。山道を歩き、息を切らし、天候の移ろいを感じながら作品と出会うという一連の身体的プロセスは、鑑賞という行為に唯一無二の時間性と場所性を与える。それは、六甲山という土地が持つ自然の力と、アーティストたちの創造力が拮抗し、時に融合することで生まれる奇跡的な瞬間だ。

この芸術祭は、現代アートの新たな可能性を提示すると同時に、神戸・六甲山の文化的価値を高め、地域の活性化にも貢献する重要な社会的役割を担っている。作品の点と点を結んで歩く「散歩」は、やがて鑑賞者自身の内なる思考の道程となり、六甲山で過ごした時間は、風景と共に血肉化されたアート体験として長く記憶に残るだろう。この試みが継続されることで、六甲山はこれからも多くの人々にとって、新たな発見と創造的思索の場としてあり続けるに違いない。

初出 「現代アートのレビューポータル Kalons」2012年 11月 15日公開

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012

 

 

 

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兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。

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