アーカイブ 虚構の考古学、未来への聖火 ― 張騰遠が描く希望の黙示録|張 騰遠 Chang Teng-Yuan “The words of painting” Gallery Nomart 黒木杏紀評

台湾人アーティスト 張騰遠 Chang Teng-Yuan

■展覧会概要
張 騰遠 Chang Teng-Yuan “The words of painting”
会期:2018年7月7日(土)-8月4日(土)
会場:Gallery Nomart http://www.nomart.co.jp/gallery/

ポストヒューマンの寓話を通して、現代社会の深層を鮮やかに、そして批評的に描き出すアーティストがいる。台湾を拠点に国際的な注目を集める張騰遠チャン・テンユァンCHANG Teng-Yuan、以下CHANG)だ。

2018年7月、大阪のGallery Nomart(以下、ギャラリーノマル)で開催された張騰遠の個展「The words of painting」は、彼が10年にわたり紡いできた物語の一つの到達点であり、同時に新たな地平への出発を告げる記念碑的な展覧会であった。本稿では、この複層的かつ示唆に富んだ展覧会を解き明かし、CHANGが構築する世界の射程と、その未来に向けられた眼差しを考察する。

展示風景 画像提供=ギャラリーノマル

パロットマンと滅亡後の地球

CHANGの名を世界に知らしめたのは、2008年から続く「Parrot Man Series(パロットマンシリーズ)」である。その設定は壮大だ。世界の終焉から数千年後、地球に飛来した未来人「パロットマン(オウム人間)」が、滅びた人類の文明や生物の痕跡を調査・研究する「地球考古学」。このSF的な物語をキャンバスに展開する。白衣をまとった鳥類(オウム)の頭部を持つパロットマンは、我々の世界の遺物を不可解なオブジェクトとして発掘し、分類し、時に誤解する。その姿は、コミカルでありながら、我々が自明のものとしてきた価値観や文化が、絶対的なものではないという事実を突きつける、痛烈な風刺でもある。

アニメや漫画の要素を大胆に取り入れたポップなビジュアルと、一度見たら忘れられない極彩色のパレット。しかし、その軽やかな表現の裏には、現代文明への鋭い洞察が潜んでいる。国立台湾美術館での大規模な個展(2013年)や、現代アートの潮流を映す台北ビエンナーレへの選出(2016年)は、彼が単なるポップアーティストではなく、現代社会への批評的視座を持つ知的な作家であることを証明している。ロンドン、ニューヨーク、そして東京と、彼の活躍の場が世界に広がる中で開催された本展は、シリーズ開始10周年という節目に、作家自身の思索の深化を提示するものであった。

羅針盤としての五つの言葉

本展を読み解く上で不可欠なのが、CHANG自身が掲げた五つのキーワード「Information/Connection/Operation/Relation/Love」である。これらは単なる展覧会の主題ではなく、各版画作品のタイトルであり、彼の創作哲学そのものを指し示す羅針盤であり、そして相互に密接に結びついている。

《Information/Connection/Operation/Relation/Love》

例えば、作品《Information》を見てみよう。描かれるのは、現実と虚構の境界を象徴する川のほとりで、手足の長い奇妙な豚(情報マスター)が、上流から流れてくる「情報」を分析する光景だ。漢字文化圏では、「豚」は鈍く愚かな者を指すたとえとして用いられることがあり(例:「豬頭」「豬腦袋」)、強烈な皮肉が込められているといえよう。川底には「Information」の文字が反転して沈み、我々が日々浴びる情報の真偽、その危うさを暗示する。ここで注目すべきは、本作品シリーズのメディアが「版画」であるという点だ。

《Information》

版画は、その歴史において「情報」の複製と伝達を担う重要なテクノロジーであった。グーテンベルクの活版印刷が宗教改革を促し、社会を大きく変革したように、かつて印刷技術によって拡散される情報は絶大な力を誇った。しかし、インターネットが世界を覆い尽くした現代において、情報はあまりに容易に、そして大量に生産・消費される。その結果、フェイクニュースや誤情報が蔓延し、何が真実で何が虚構なのか、その境界線は著しく曖昧になった。CHANGは、この《Information》という作品と「版画」というメディアを接続(Connection)させることで、情報化社会の本質的な問題を鮮やかに浮かび上がらせる。

《Soothsayer  Information Master》(算命仙資訊大師)

この展覧会が、国内有数の版画工房を併設し、その表現の可能性を追求し続けるギャラリーノマルで開催されたことは、偶然ではない。メディアの特性とテーマが共鳴する場を選ぶという作家の意識が、作品にさらなる奥行きを与えているのだ。CHANGの作品は、このように鑑賞者の思考を促す知的で批評的な仕掛けに満ちている。

鑑賞者を試す、多重の視点と時間軸

本展の構造は、極めて複雑である。鑑賞者は、作品を読み解くうちに、自分が多重構造化された世界に迷い込んだことに気づかされる。そこには、少なくとも四者の視点が存在する。まず、創造主である描き手としての「CHANG」。次に、物語の主人公である「パロットマン」。そして、作品と対峙する私たち「鑑賞者」。最後に、10年という歳月を経て、作家が自身を投影するまでになった存在、すなわち「CHANGとパロットマンが融合した視点」である。

さらに時間軸も重層的だ。現在の私たちが生きる「今」。作家が制作に没頭した「過去」。そして物語の舞台である「地球滅亡から数千年後の未来」。これに加えて、各視点固有の時間感覚が交錯し、鑑賞体験は一層複雑なものとなる。この構造を意識せずに表層的なビジュアルだけを追うと、混乱に陥るかもしれない。CHANGは、ただ「見る」ことだけでなく、能動的に構造を読み解き、複数の視点と時間軸を往還する「観る」という行為そのものを、私たちに試練として課しているかのようだ。それは、複雑化し、容易に全体像を掴むことのできない現代世界を生きる我々の姿とも重なる。

考古学者から、未来を創造する預言者へ

シリーズ開始以来、パロットマンの役割は「地球考古学者」であった。しかし、本展において、彼の役割は劇的な変化を遂げる。彼はもはや過去の遺物を発掘し、研究するだけではない。新たな使命を帯び、未来を創造する旅へと踏み出すのだ。その変容は、会場で圧倒的な存在感を放つ二つの大作に集約されている。

一つは《The Journey to the east》だ。翼のようなウィングスーツを装着したパロットマンが、巨大なヒトデから生まれ出た「資源」をどこかへ運ぼうとしている。CHANGによれば、このヒトデは一か所に留まりすぎた富の象徴だという。これは、世界の富の大部分がごく一部の富裕層に偏在する現代の西欧中心的な社会構造への、痛烈な揶揄に他ならない。富の再分配という現代社会の喫緊の課題を、SF的な寓話の中に描き込んでいる。

《The Journey to the east》 青い物体が巨大ヒトデ

部分拡大《The Journey to the east》 翼のようなウィングスーツを装着したパロットマン

そして、もう一つの大作が、本展のクライマックスと言える《The Future Field》である。画面いっぱいに広がる壮大な山、川、海の風景。その遥か前方、明るい光が差す「未来の地」に向かって、パロットマンがひた走る。その姿は小さいながらも、確かな意志に満ちている。彼の右手には、聖なる火のように輝くシンボルが高々と掲げられている。それは、新たな世界を建設し、未来を創造するための希望の灯火だ。

《The Future Field》真ん中下にパロットマン

部分拡大 《The Future Field》未来への希望(ドラえもんの手)を手に持って走るパロットマン

この旅立ちが唐突なものでないことは、会場に散りばめられた他の作品が証明している。不気味にこちらを見つめる三つ目は、直感やインスピレーションを意味する「第三の目」。《Operation》や《Branch of beings》で描かれるタコは、外部から取り込んだ経験や知識を、美しい花へと変える「変換装置」のメタファーだ。奇妙な石の枕を描いた《軟太湖石》は、太湖石(※1)のような困難な状況も、愛(Love)と情熱によって乗り越えられることを示唆する。

そして、《The Future Field》でパロットマンが掲げた聖火。その手の形は、日本の国民的キャラクター「ドラえもん」の手だとCHANGは話す。四次元ポケットから未来の道具を取り出し、仲間を助けるその手は、優しさ、夢、そして希望の象徴に他ならない。

展示風景  /  上2点「第三の目」が描かれた作品 /  右下2点《軟太湖石》

《Branch of beings》 外部から取り込んだ経験や知識を、美しい花へと変える「変換装置」のメタファー、タコ

五つのキーワードを羅針盤とし、インスピレーション(第三の目)を得て、経験を力に変え(タコ)、困難を乗り越える愛と情熱(軟太湖石)を携え、そして未来への希望(ドラえもんの手)をその手に掴む。パロットマンは、人生という旅に必要なすべてを携えて、新たな創造の旅へと出発したのだ。

展覧会DM  五つのキーワードを羅針盤とするパロットマン

10年の旅路の果てに、そして始まりへ

張騰遠が「パロットマンシリーズ」と共に歩んだ10年間は、彼自身の言葉を借りれば「いつも迷子のようだった」という旅であった。未知の惑星(アート界)に降り立ち、滅びた文明の遺跡(先行する芸術様式や思想)を発掘・研究するように、彼は創作の世界を探求してきた。その孤独で真摯な探求の時間は、そのままパロットマンの「地球考古学」の物語と重なり合う。本展「The words of painting」は、その10年間の思索と実践の集大成である。

だが、それは決して終着点ではない。本展でCHANGは、パロットマンを過去を振り返る「考古学者」から、未来を創造する「預言者」へと昇華させた。それは、彼自身がもはや先人の遺産を研究するだけでなく、自らが新たな物語と価値を創造していくのだという、力強い決意表明に他ならない。ポップな色彩とキャラクターという親しみやすい入り口から、鑑賞者を情報化社会、格差問題、そして人間存在の根源的な問いへと導き、最終的に未来への希望を提示する。この壮大な旅路を一つの展覧会として凝縮させた手腕は見事である。

《The Future Field》で光の中へ走り出したCHANGとパロットマン。彼らがこれから紡ぎ出す新たな物語は、混迷を深める現代世界において、私たちが拠り所とすべき一条の光となるに違いない。

 

■初出 台湾の美術誌『FOCUS(焦点藝術)』2018年10-11月号72-73頁掲載

■掲載 パンのパン04 近現代美術とコンテンツとインターネット特集号(上) 74-75頁掲載 | 発行元 きりとりめでる | 2019.11発行

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

注釈
(※1)参考ページ
太湖石の発見者は唐代の詩人、白居易(白楽天)であると言われ、宋代には峰に見立てて庭園に飾ったり、書斎の装飾品として用いられたほか、絵画や工芸品に表わされるなど、大変愛好された。この大流行の背景には、単にその珍奇な形が喜ばれたというだけでなく、太湖石に道教的世界観が付与されたことが要因として挙げられる。すなわち、太湖石に複雑に空いた孔は、別世界への入口であると考えられ、孔がいくつも空いた太湖石は小宇宙の集合体とみなされるようになる。
学芸の小部屋 -戸栗美術館-https://www.toguri-museum.or.jp/gakugei/back/1005.php(最終確認2025年8月12日)

■展覧会紹介ページ Gallery Nomart | Exhibition
■張騰遠HP CHANG Tengyuan HP – CHANGTENGYUAN HP

 

 

 

 

 

アバター画像

兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店で各種メディアプロモーション・イベントなどに携わった後、心理カウンセラーとしてロジャーズカウンセリング・アドラー心理学・交流分析のトレーナーを担当、その後神戸市発達障害者支援センターにて3年間カウンセラーとして従事。カウンセリング総件数8000件以上。2010年より、雑誌やWEBサイトでの取材記事執筆などを続ける中でかねてより深い興味をもっていた美術分野のライターとして活動にウェイトをおき、国内外の展覧会やアートフェア、コマーシャルギャラリーでの展示の取材の傍ら、ギャラリーツアーやアートアテンドサービス、講演・セミナーを通じて、より多くの人々がアートの世界に触れられる機会づくりに取り組み、アート関連産業の活性化の一部を担うべく活動。

Amazon プライム対象