福田匠の展覧会を初めて見た時、今まで自分が認識していた世界がとても小さなものだったと感じた。濃密な空気と圧倒的な世界観をもって場を支配する作品を前に、そこに宿る何かとの一体感。それは自由で無邪気、気ままで喜びに満ち溢れた体験で、同時にとても安らかなものだった。まるで自分自身が本来いたところに戻るような、「魂が帰りたがっていた場所」へと導かれるような感覚。まさに芸術に触れるよろこびの体験そのものだった。
1981年和歌山に生まれた福田は、西洋的なものから日本的なものに興味をもったところから世界観を広め、仏教や能などにも興味を持つようになった。また日本の近代美術史に残る肖像画の名作《エロシェンコ氏の像》を生み出した大正期を代表する洋画家・中村彝(つね)らが大正から昭和にかけて活躍した近代洋画の流れ、日本でも広範囲に及んだフォーヴィズムといった絵画の潮流にも関心を示している。
2014年には、森に関連する素材などを用いた連作《森の技法》(立体)を発表。福田の作品は、趣味で収集していたアンティークの様々な断片と、動物が生きていた姿をそのままにとどめた剥製や骨、卵、巣、植物、そして写真などを独自の感性で構築し直すという手段を通じて制作される。必然性を持って組み合わされたかのようなオブジェの端正な造形、枯れた質感、抑制のきいた色彩は、緊迫感とともに厳かで静謐な雰囲気を醸し出す。アンティークの古い写真と手紙の断片、古い紙ものとドローイングなどを組み合せたコラージュは、相互作用によって元々の素材の性質から変容し、異様な異質性を発揮したものとなっている。そこには不定形の流動的エネルギー現象の痕跡が浮き上がっているようである。かつて内に生命を内包し幾世もの時間深い眠りについていた古物たちは、作家との対話により再び目覚め、まだ誰も知らぬ神のみはかりをそっと囁いてくれるようだ。
一方、2015年には油彩画にも本格的に取り組み始めるようになり表現の場を一層広げた。主題には母子像やキリストの磔刑、僧侶、偶像の残欠、涅槃像、人馬など、人物のかたちが多く宗教的な要素が見受けられるが、実際には聖性を描いているのではなく、かたちそのものに魅せられて描いていると福田は言う。図像の立ち上げには実在する情景をスケッチするわけではなく、これまで印象に残った図版、ウェブサイトや鑑賞した図像の脳裏にある残像の引用からイメージを連想させ、絵画に定着させている。何十回となく絵具を塗り重ねては削り取った絵肌の質感と幾層もの色彩の重なりが独特の表現力となり、モチーフと相まって物語性を生んでいる。一見には、近代洋画家に見られる筆跡にも近い印象を抱かせるが、特徴的なのは描く事が終わりではなく、最後の仕上げに納得いくまで画面を削り出す行為を経て完成としている点である。その作品の印象からは、中央アジアにある石窟壁画にも通じる剥落したものにも近しい感覚をも想起させるだろう。
こういった作品の背景にあるものはなんだろうか。
2012年に刊行された福田の作品集『存在と恩寵(L’EXISTENCE ET LA GÂRCE)』がある。作品集の題名の恩寵とは「(神・主君の)恵み、いつくしみという意味である。作品名にも《信仰と身体》、《失われた儀礼のために-白の祭式》、《祝福の装飾》、《依代》、《木霊》、《妙薬》、《魂流しのための器》、《聖体》と儀式めいた言葉が並ぶが、宗教的なことを意味するのではないようである。当初、福田は習俗や民話、儀式、信仰などの民俗学や神話などに関心を寄せている。加えて西洋的なものから日本的なものを意識するようになることで世界観が広がりはじめた。日本や中国、中央アジアに目を向けプリミティブなものなどにも関心を持ち、また仏教(天台宗)や日本の能に興味持つようになる。
2014年の個展 『森の技法』 では、天台宗の思想 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかじょうぶつ)」 に影響を受け、人間には知覚できない捕食・被食・分解といった森の循環を支える流動エネルギー、すなわち森の現象的、造形的、神秘的な要素を抽出しそれらの可視化を試みている。「草木国土悉皆成仏」とは、人間だけでなく心識をもたないとされる草木や国土などを含め、ありとあらゆる存在が仏性を有し成仏ができる、という教えである。この個展に寄せ、「現代人よりも遥かに感覚が鋭敏だった古の人々は、森が放つ深く美しい鼓動に神や精霊などを見出し、それらを森の技法、すなわち〈理〉として身体で実感していたのであろう。森羅万象のなかにある霊的な存在を畏れ、尊び、崇めること。古の人々がかつてそうしてきたことの意味を、我々は見つめなおさなければならない。」(※1)と福田は書き表している。このことからも、森の息づきや構造といった自然の摂理だけでなく、人間の想像の範囲を超えた空間や概念に対する畏怖の念を伺い知ることができる。
また、福田が魅力を感じている能は、超自然的なものを題材としており、死者を重要な登場人物とする世界の演劇史上例をみない演劇である。能の曲は全てレクイエム(鎮魂歌)であり、華やかで楽しい演目であっても、死者の世界から現世を眺めるという視座に立つ能の舞台には、鎮魂の祈りが込められているという。能が完成した室町時代、戦乱や飢饉ともなれば大量の戦死者や餓死者があふれる状況で人々は常に死と隣り合わせで暮らしており、いつ死んでもおかしくないという無常観の中に生きていた。こうした時代だったからこそ死者の世界はとても身近なものであり、死と生の世界を行き来する物語が生まれたのである。能が600年以上の時を超えて継承されてきたのは人類にとって普遍的なテーマに取り組んできたからである。
さきにみられる天台宗の思想「草木国土悉皆成仏」の影響のごとく、能の世界観も作品の根底を流れる要素のひとつとしてみられるかもしれない。福田の凄まじく美しい作品の背景には、今の人間の存在の在り方を問うような力、もしくは大きな潮流が宿っているのではないだろうか。そして、そこには大きな深い祈りが存在しているように思えるのである。その祈りの世界こそが、本文の冒頭で心に留めた「魂が帰る場所」ではなかったか。最後に「ブッダの言葉THE TEACHING OF BUDDA」から一節を記す。深い祈りの言葉である。「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」(※2)。
追記:現在の福田は、記事執筆当時とは絵画のスタイルが異なり、具象から抽象画へと新たな可能性の表現を探求中である。現在の作品にご興味がある方は丹ゆうTANYU art galleryまで。
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(※1) 個展『森の技法』へ寄せて-福田匠(パンフレット)より一部抜粋
(※2) 「ブッダの言葉THE TEACHING OF BUDDA」中村元訳、大山勇写真、佐々木一憲解説、新潮社、p.15
参考:Facebook/Kankiri-openers 2017年5月12日投稿より「ファーストアクション」(雅景錐|京都)、WEBサイト削除のためFacebook参考(2023年11月6日確認)
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福田匠(絵画・立体) プロフィール
■主な展覧会
・2017年「OPENERS2017」(アートスペース感|京都)、「ファーストアクション」(雅景錐|京都)
・2015年「かたちの在り方」(MAISON GRAIN D’AILE|大阪)、(hase|愛知)
・2014年「森の技法」(森岡書店|東京)、(MAISON GRAIN D’AILE|大阪)
・2013年「存在と恩寵 L’EXISTENCE ET LA GRACE」(hase|愛知)
→(参考サイト)Hase blog (2023年11月6日確認)
■主なアートフェア
・2016年「ART in PARK HOTEL TOKYO 2016」(パークホテル東京|雅景錐より出展)
■出版物
・2015年 柴田元幸監修文芸誌MONKEY(小説家村上春樹、漫画家松本大洋、アートディレクター葛西薫らと並びセレクションされる)
・2012年 福田匠作品集「存在と恩寵 — L’EXISTENCE ET LA GÂRCE 」
■現在、福田匠は兵庫県丹波篠山市で「丹ゆう」(TANYU art gallery)を開設