光で見通す近現代の美術史とイギリス美術
「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」
会期:2023年10月26 日(木)~2024年1月14日(日)
会場:大阪中之島美術館
2023年10月26 日から2024年1月14日まで、「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」が大阪中之島美術館で開催されている。同展は、2023年7月12日から10月2日まで、東京の国立新美術館で開催され、今回、大阪に巡回された。国立新美術館のような天井の高い美術館で開催される大規模な展覧会が、大阪でも見られるようになったことは喜ばしいことだろう。
特に今回は、大規模改修のために一時的に展示できなくなった作品が巡回しているわけではない。その点、印象派を中心とした著名画家を集めた、いわゆる「ブロックバスター」と称される展覧会ともやや趣を異にしている。イギリス政府の美術コレクションを収蔵、管理している、ロンドンのテート・ブリテン、テート・モダン、テート・リバプール、テート・セント・アイヴスの4つの国立美術館の連合体「テート」(テート美術館)が所有する7万7千点を超えるコレクションから、「光」をテーマに厳選された117点が出品されている。テート・ブリテンのコレクションを代表するジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーやジョン・コンスタブルから、現代を代表するオラファー・エリアソンやジェームズ・タレルらの作品が一堂に会し、近現代の美術史を一望できるようになっているのだ。
もとももとは上海の美術館のために考えられたパッケージで、結果的に、上海、ソウル、メルボルン、オークランド、東京そして大阪へ巡回したという。おそらく狙いとしては、テート美術館のアジア戦略であり、アジア・太平洋におけるプレゼンスを上げるために企画されたのだと思われる。それだけに非常に練られた展覧会だと感じた。
人が入る展覧会といえば印象派を中心としたものになるだろうが、もちろんそれはどこでもある程度持っているものだし、美術館の特徴を表すのも難しい。また、テート・ブリテンだけではなく、テート・モダンまでのコレクションとなると、近代美術から現代美術(現代アート)まで網羅することになる。しかし、マルセル・デュシャンの登場以降、コンセプチュアルになり、近年ではメディアもテーマも多様化している現代アートとオーソドックスな絵画や彫刻の形式を維持している近代美術をつなげるのは難しい。さらに、今日のポストコロニアリズムやアファーマティヴ・アクション、移民、気候変動といった社会正義をテーマにした作品では、帝国主義の中心地であったイギリスのネガティブな側面が出てしまう可能性が高い。
近代から現代まで通じたテーマで、イギリスの所有するコレクションのポジティブな側面をアピールするものとして考えられたのが「光」ということになるだろう。それならば、テートが誇るターナーの作品と、光をテーマに多くの作品を制作しているオラファー・エリアソンをつなげることができる。おそらく私がそのようなミッションを与えられたら同じように考えたかもしれない。とはいえ、それを実現するために、これだけのコレクションが揃えられるは素直に感心するしかない。この展覧会の出品作だけで、近代色彩学の教科書をつくることも可能だろう。
近代色彩学と書いたが、この展覧会のテーマは全体としては光というよりも、「光と色」といってよい。白色光をプリズムで分光することで、すべての色に分かれるというニュートンの光学実験が近代色彩学のはじまりで、その科学認識が前提にあるからだ。それ以前は、アリストテレスも唱えた古代ギリシア以来の色彩観の中にいた。つまり、色彩は白と黒の間に生じるということである。それは現代に生きるわたしたちにとってもそのように思っている人はいるかもしれない。しかし、ニュートンは、プリズムによって光が異なる波長に分けられることで、すべての色が生じるとことに気付いた。逆に、分光したスペクトル(色の帯)をもう一度統合すれば、白色光に戻ると予想し、その実験も行っている。いわゆる光を集めれば白くなる加法混色の原理である。
ニュートンの実験に反発したのがゲーテで、ゲーテは独自で観察を行い、色同士の関係によって知覚が変化するなど、人間の生理や知覚現象から光と色に注目した。両者は、別の角度から、近代色彩学の扉を開き、それが画家に大きな影響を与えていくことになる。ゲーテの理論をさらに実践的にし、異なる色を並置したときの効果を体系化したミッシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの『色彩の同時対比の法則』(1839)や加法混色や減法混色、補色などの理論を著したオグデン・ニコラス・リードの『近代色彩学』(1879)は、印象派や新印象派、ポスト印象派の画家のバイブルとなった。
今回出品されていているターナーの作品はまさにゲーテの『色彩論』(1810)から影響を受けたものだ。《光と色彩(ゲーテの理論)―大洪水の翌朝―創世記を書くモーセ》(1843)とその対となる、《陰と闇―大洪水の夕べ》(1843)である。特に、《光と色彩(ゲーテの理論)》は、カタログには、「ゲーテの色相環の暖色系の色調を見事に表現している」と記されており、記者会見に出席した、テート美術館の国際巡回展シニアプロジェクトキュレーターのローレン・バックリーは、《陰と闇―大洪水の夕べ》は寒色系を表していると解説していた。特にゲーテの理論を厳密に用いたかというと、やや判断が難しいと思ったが明らか影響を見ることはできる。
おそらく、この展覧会の企画は、ターナーのこれらの作品を起点とし、前後に拡張していったのではないか。そこから印象派や新印象派などを端緒とし、色彩科学的な理論を展開したアーティストを取り上げている。
前後にと書いたように、それ以前にも遡っている。ターナーは色彩科学的な理論を用いつつ、いっぽうで主題としては旧約聖書の創世記に記されている「大洪水」などをモチーフにしており、キリスト教的な世界観を崩してはいない。ターナーの作品を起点にしたのは、ターナーが近代とそれ以前の世界観の狭間にいるからでもあるだろう。展覧会の1章では、「精神的で崇高な光」として、旧約聖書に最初に神が生み出した光などをテーマとした、ジョージ・リッチモンド、ウィリアム・ブレイク、ジェイコブ・モーア、ジョン・マーティン、エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズなどを取り上げた。「光」をテーマにすることで、近代以前の宗教的画題も取り上げることができるということが意図にあることがわかる。
近代化した光を取り上げる章としては2章の「自然の光」になる。ここではターナーやジョン・コンスタブル、ジョン・リネルといった19世紀イギリスを代表する風景画家が取り上げられている。ここでの目玉は、今回のテート展のポスターなどにも使用されている、ジョン・ブレットの《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871)だろう。天文学者としても名声を得たブレッドが、ヴァイキング号に乗り込み、イングランド南西の沿岸を1870年の夏に航海した情報、スケッチ、研究などから、洋上の天候を詳細に描いている。科学的な観察の視点を獲得した上で、同時に印象派を超えて、新印象派のような点描に近い方法で海上の色の変化を描き分けている。第一回印象派展よりも前の作品であり、ある意味では先行しているといえる。そこにモネやシスレー、ピサロ、アルマン・ギヨマンなどを並べ、美術史と接続している。さらに新印象派の影響を受けた、イギリス画家、フィリップ・ウィルソン・スティーアなども展示し、イギリスとフランスの交流の歴史に光を当てることを忘れない。
3章は「自然の光」の対として「室内の光」と取り上げる。ここでは、生前にはデンマークを代表する画家と知られ、モノトーンの静謐な絵画で、近年再評価が高まっている、ヴィルヘルム・ハマスホイ、同じく室内を描いたが、親密な家族の空間を描いたウィリアム・ローゼンスタインを取り上げ、陰と陽を対置させている。
4章の「光の効果」では再び芸術と科学の接点としてターナーを取り上げ、あまり見る機会のないロイヤル・アカデミーで教授をしていたターナーの教材として描かれた作品を取り上げている。それとドイツのバウハウスのさまざまな光の実験的な作品を接続する。山脇巌、エトムト・コライン、バウハウスのマイスターであった、モホイ=ナジ・ラースローがバウハウス辞職後、ベルリンに構えたスタジオに加わった、ジョルジュ・ケペッシュのフォトグラムなどを取り上げる。ケペッシュは、1937年、シカゴに招かれてニュー・バウハウスを設立する。後にイリノイ工科大学になる。1947年には、MITの建築科に招聘され、視覚デザインの基礎を担当し、戦後にバウハウスのデザイン理論を伝えている。大阪中之島美術館に近い江戸堀で生まれたハナヤ勘兵衛の1930年に制作された長時間露光の実験的な写真も展示されており、当時の大阪・阪神間の前衛写真のグループが、同時代の西欧と関心を共有しており、かつ先駆的であったことも示されていた。
5章は「色と光」であり、本展のもう一つのテーマともいえる「色」にフォーカスされている。ここでも、バウハウスのマイスターであったモホイ=ナジ・ラースローと、ヨーゼフ・アルバース、ワシリー・カンディスキーなどが取り上げられるが、この章が戦後の現代アートとの接合部分になっている。モホイ=ナジやアルバース、カンディンスキーの実験的な絵画は、バーネット・ニューマンやマーク・ロスコ、ゲルハルト・リヒターといった戦後の幾何学的な巨大な抽象絵画に共通性がみられるし、オップアートと称されるブリジット・ライリーのような対立する配色を連続させて、知覚効果を生む絵画にもつながっていく。一見抽象的に見えても、ニューマンやロスコが背景に旧約聖書的な世界観を持っていることも重要だろう。
6章になると、「光の再構成」として、光自体を扱う現代アートの作家を取り上げている。蛍光灯を用いたダン・フレヴィン、蛍光灯やライトボックスを用いたデイヴィッド・バチェラー、絵画を照明によって無限に変化させるピーター・セッジリー、光や色をテーマにし続けているオラファ―・エリアソンなどだ。ここでもジュリアン・オピーのあまり知られていない都会と農村の光をテーマにした作品やキャサリン・ヤースの写真など、イギリスの作家と接続させている。最後の第7章では「広大な光」として、オラファ―・エリアソンやジェームズ・タレルの巨大なインスタレーションを取り上げ、光と色に包まれる体験を提供する。
光にテーマにしながら、テートのコレクションをふんだんに使い、近現代の美術史を見通すとともに、あまり知られてない作品やイギリスのアーティストを紹介する、という展覧会の構成は、現代アートにあまり馴染みのない鑑賞者にも十分に訴求する内容になっていたように思える。また、色彩科学をいかにアーティストがどのように自身の表現として取り入れていったかということもよくわかり、アート&サイエンス・テクノロジーの見本のようなものでもある。
印象派が好きで、現代アートがよくわからない、という観客に、現代アートの面白さに気付かせる良くできたイントロダクションのようでもあり、そのような人はぜひ見に行くことをお勧めする。仮に同じように日本の所有するコレクションによって、日本の美術館のプレゼンスをあげ、世界の美術史に接続させるような展覧会を開催する、というミッションが与えられたらどういうラiインナップにするだろうか?そのようなことも考えさせられる展覧会だった。