
古民家ギャラリー NishiIma 25
展覧会名:古巻和芳展 客人の宿— 竹斎と敏生とともに The house for Marebito
会期:2025年9月13日~11月2日
場所:Nishiima 25(Gallery- Cafe & Guest house in Tsuyama)
岡山県津山市の城下町、出雲街道に面した一角に、静かに時を刻む古民家ギャラリー「NishiIma 25」がある。江戸時代に建てられた旧片山邸を改修したこの場所は、柱や梁、磨き込まれた床、そしてそこにかつて住まった人々の息遣いまでもが空間の構成要素となっている、「場」の記憶を有する場所だ。
2025年9月13日から11月2日にかけて、この和やかな佇まいを湛えた空間で、現代美術家・古巻和芳による個展「客人の宿-竹斎と敏生とともに The house for Marebito」が開催された。しかし、この展覧会を単に「古巻和芳の個展」と呼ぶことは、その本質の半分も捉えていないだろう。

古民家ギャラリー「NishiIma25」 趣のある坪庭の様子
本展は、古巻和芳という現代のアーティストが、この片山邸に深く根を下ろす二人の「先客」—江戸時代の絵師・飯塚竹斎(いいづか・ちくさい、1796-1861)と、このギャラリーの主宰者の父である彫刻家・桜井敏生(さくらい・としお、1940-2023)—の気配と真正面から向き合い、時空を超えた対話を試みた、極めてサイトスペシフィック(場所限定的)なインスタレーションである。それは「個展」の体裁をとりながら、実質的には三者の魂が共振する「三人展」の様相を呈していた。
古巻は、本展の構想において三者を、この屋敷へ行き来した「客人(まれびと)」として捉えた。「客人」とは、柳田國男の民俗学によれば、時を定めて異界から来訪し、豊穣や幸福をもたらす神的存在を指す。古巻は、200年前にこの地に絵を遺した竹斎、平成の世に娘によって作品が「里帰り」した敏生、そして今回展示を行う自身を、この屋敷を訪れ、留まり、育み、やがて去りゆく「客人」として重ね合わせ、一つの壮大な物語を紡ぎ出したのである。

庭の入口から踊り場を望む 桜井敏生《老牛》2006年 寄木 新制作展出品作品

古巻和芳《光の手ざわり》2020年 桜井敏生「こどもや親子を題材とした作品群」
NishiIma 25という「宿」と二人の「先客」
展覧会を読み解く鍵は、まず会場であるNishiIma 25そのものにある。主宰者である美術家・桜井由子氏が運営するこの空間は、ギャラリーであると同時にカフェやゲストハウスとしても機能し、文字通り国内外からの「客人」を迎え入れる「宿」でもある。この「宿」には、二人の強力な「主」とも言うべき存在が常駐している。一人は、飯塚竹斎。江戸時代後期の津山藩士でありながら、南画の技法に優れた絵師でもあった人物だ。片山邸には彼の筆による襖絵が今も残されている。一階の中庭に面した床の間には、梅の花の精である羅浮仙(らふせん)と隋の趙師雄という男との儚い邂逅を描いた図が、そしてニ階には津山の風土を思わせるゆったりとした山水画が、それぞれ襖の表裏にわたって描かれている。これらは「展示作品」である以前に、この家の「しつらえ」として存在し、空間の空気を決定づけている。

1階の中庭に面した床の間 羅浮仙(らふせん)と隋の趙師雄の邂逅《羅浮仙》

ニ階 襖絵の山水画
そしてもう一人が、彫刻家・桜井敏生。津山にほど近い鏡野町の出身で、東京を拠点に活動したが、娘である由子氏によって、その作品群は常にNishiIma 25の企画展の傍らに配置されてきた。由子氏の父への思慕の念が、敏生作品をこの地に強く結びつけている。敏生の彫刻は、子供、女性、動物などをモチーフとし、そのいずれもが生命への深く、穏やかな慈しみに満ちている。奇をてらわぬ誠実な造形は、片山邸の歴史ある佇まいと不思議なほどしっくりと馴染み、敏生本人が亡き後も、その気配は邸内の至る所に色濃く漂っているのだ。

彫刻家・桜井敏生「こどもや親子を題材とした作品」

彫刻家・桜井敏生「こどもや親子を題材とした作品」
現代の「客人」・古巻和芳の応答
この二人の「先客」が待つ「宿」へ、三人目の「客人」として足を踏み入れたのが、古巻和芳である。1967年、宝塚市の呉服屋の息子として生まれた古巻は、神戸大学経営学部を卒業後、アーティストとしての道を歩み始めたというユニークな経歴を持つ。1990年代からアサガオやノウゼンカズラといった花をモチーフにしたペインティング作品で注目を集めるが、そのキャリアの転機となったのが、2006年の「越後妻有アートトリエンナーレ」への参加である。ここで発表された「繭の家-養蚕プロジェクト」以降、彼は土地の「記憶」をテーマにしたサイトスペシフィックな作品を、国内外の地域芸術祭などで精力的に発表してきた。

NishiIma 25 一階 古巻和芳《花の向こうへ》2025年
呉服屋の息子であった背景が、養蚕、繭、生糸、そして桑の木へと繋がっていくのは必然だったのかもしれない。近年は、その養蚕に縁の深い桑の木を素材とした木彫作品を手がけており、今回のNishiIma 25との出会いも、彫刻の素材となる桑材の買い付けに津山を訪れたことが発端であったという。古巻が飯塚竹斎の襖絵や桜井敏生の彫刻に強く惹かれたのは、単なる造形的な興味からではないだろう。彼の制作活動の根底には、常に「土地の記憶」や「先人の気配」を掘り起こし、それと交感するという一貫したテーマがある。NishiIma 25という場所は、まさに古巻が追求してきたテーマを体現する場所であり、竹斎と敏生は、彼が対話すべき最良のパートナーであったのだ。

桜井敏生《老牛》2006年 寄木 新制作展出品作品
三部構成で紡がれる「客人(まれびと)」の物語
古巻は、この「宿」を舞台に、三部構成のインスタレーションを展開した。それは「客人」の来訪、滞在(そして生命の育み)、そして去来というひとつの物語を形成していた。
1)一階床の間 「生まれいずる庭」
一階の床の間は「生まれいずる庭」と名付けられた。ここには、竹斎が描いた《羅浮仙》の襖絵が残されている。隋の男が梅の精と出会い酒を酌み交わすという、どこか儚く幻想的な男女の邂逅の物語だ。

古巻和芳《花々が匂う夏》2025年
古巻氏は、この床の間に、一体の木彫の妊婦像《花々が匂う夏》(楠の一木造り、全高75cm)を対置させた。モデルは20数年前、長男を身ごもっていた頃の作家の妻だという。両手をお腹に当て、大地をしっかりと踏みしめて立つその姿は、竹斎が描いた儚い精霊とは対照的に、圧倒的な生命の存在感を放つ。そしてその傍らには、古巻が1990年代から描き続けるノウゼンカズラのペインティング作品《花の蔭から》が掛けられた。この朱色の流れ出すような花は、彼にとって長男が誕生した朝に庭で咲き誇っていた、生命誕生の記憶と分かちがたく結びついたモチーフである。

古巻和芳《花の蔭から》1999年、古巻和芳《花々が匂う夏》2025年
さらに空間を構成するのが、桜井敏生の彫刻群だ。敏生が残した子供や母子をモチーフにした小品が、古巻の妊婦像《花々が匂う夏》とノウゼンカズラの絵画《花の蔭から》に呼応するように配置される。特に、敏生の《Chinami》という小品と古巻の妊婦像は、まるで時を超えた母娘のように不思議な類似性を見せ、観る者を驚かせる。

「生まれいずる庭」展示風景 左:桜井敏生《Chinami》制作年不詳 砂岩・レンガ、中:古巻和芳《花の蔭から》1999年、右:古巻和芳《花々が匂う夏》2025年

左:桜井敏生《Chinami》制作年不詳 砂岩・レンガ 右:古巻和芳《花々が匂う夏》2025年 部分
竹斎の幻想的な「出会い」の場は、古巻の手によって、敏生の慈愛に満ちた眼差しのもと、新たな生命が育まれる「生まれいずる庭」として再生された。それは「客人」たちがこの地に一時留まり、夢見たかもしれない安住の景色であり、健やかな家族の時間であった。
2)二階南側2室 「客人の宿」
二階の二間続きの和室は、展覧会のタイトルでもある「客人の宿」と名付けられた、本展のハイライトとなる空間だ。ここには、竹斎の山水画が襖の表裏を用いて配置されている。ゆったりと流れる河、遠くの山々、そして庵へ向かう橋を渡る来訪者の姿。津山の風景とも吉井川とも言われるその絵は、まさに「客人」の訪れを描いたものだ。
古巻は、この山水画を壮大な「借景」として、近年取り組んでいる木彫作品《Skywalker》シリーズを空間に解き放った。中空にピンと張られた生糸の上を、小さな人型がバランスを取りながら渡っていく。その姿は、竹斎の絵の中で橋を渡る人物と二重写しになる。

古巻和芳《skywalker no.8》、襖絵 飯塚竹斎
手前の部屋に展示されたのは、《skywalker no.8》の少女像だ。特筆すべきは、この像が「桑材」で彫られていることである。古巻が養蚕プロジェクトから彫刻へと移行するきっかけとなった桑材。生糸の上を渡る、桑材の彫刻。それは素材(桑)とそこから生み出されるもの(糸)による「オール桑由来」の構成であると同時に、作家自身の歩みと身体性をも刻印した、極めてパーソナルな作品となっている。

古巻和芳《skywalker no.8》
そして、圧巻は奥の部屋だ。同じく竹斎の山水画を背景に糸を渡るのは、楠で彫られた「おじいさん」の姿をかたどった《skywalker No.28》である。その足元の畳には、桜井敏生が制作した愛らしい動物たちの彫刻群が、まるで行列をなすかのように配置されている。この「おじいさん」こそ、古巻が桜井敏生本人をモデルに、彼のイメージを重ねて彫り上げた像だという。ギャラリー主宰者である由子氏にも告げずに制作されたというこの像は、まさに古巻から敏生への、時空を超えた応答そのものだ。
津山の隣町に生まれながら、ついにこの片山邸を訪れることがなかった桜井敏生。しかしその魂は、彼の作品とこの地に「里帰り」し、今や「マレビト」として、自らが作り上げた動物たちとともに、竹斎の描いた津山の山河を渡っていく—。古巻は、二人の「先客」の作品を緻密に読み解き、自らの作品を媒介とすることで、かくも詩的で感動的な物語を現出させたのだ。

古巻和芳《skywalker No.28》2025年 襖絵 飯塚竹斎

古巻和芳《skywalker No.28》2025年 桜井敏生「動物を題材とした作品」 襖絵 飯塚竹斎
古巻は《Skywalker》シリーズに、「空間を歩む人」であると同時に「時を歩む存在(Timewalker)」という裏テーマを込めているという。糸は過去から未来へと続く時間軸の補助線であり、像はその「永遠に現存する今」に立つ。竹斎が200年前に描いた過去、敏生の気配が満ちる現在、そして古巻が提示する未来。この部屋は、三者の時間が交差し、濃密な「時の対流」が生まれる奇跡的な空間となっていた。
3)裏庭(旧茶花畑跡) 「サンドラの庭で」
物語の終章は、中庭のさらに奥にある裏庭(旧茶花畑跡)で展開される。「サンドラの庭で」と名付けられたこのインスタレーションは、設営時にNishiIma 25に長期滞在していたスイス人女性、サンドラ氏との思いがけないコラボレーションから生まれた。サンドラ氏が酷暑の中で整備したというその庭は、草が刈られ、瓦礫が集められ、花が植え替えられ、日本の伝統的な庭園とは異なる、荒々しくも美しい生命力に満ちていた。古巻は、この庭を最後の展示場所として選び、木彫の《walk on a thread (skywalker No.5)》を屋外に設置した。

サンドラの庭にて 古巻和芳《walk on a thread (skywalker No.5)》

サンドラの庭にて 古巻和芳《walk on a thread (skywalker No.5)》
当初、像は来訪者を迎えるように庭の入り口を向いていたという。しかし作家は途中で構想を変え、像は庭の奥(屋敷)に「背を向ける」ように設置された。それは、この「客人の宿」での役目を終え、再び次の地へと去りゆく「客人」の後ろ姿のようでもある。江戸時代から、現代の津山へ。日本から、スイスへ。時空と国境を超えて様々な人々が行き交う「マレビトの宿」。その締めくくりにふさわしい、静かで詩情豊かな光景がそこにはあった。

NishiIma 25に長期滞在中のスイス人女性サンドラ氏と作家の古巻
時空を超えた対話が宿る場所
古巻和芳展「客人の宿—竹斎と敏生とともに」は、岡山県津山市の古民家ギャラリーNishiIma 25という場が持つポテンシャルを最大限に引き出した。古巻和芳という稀有なアーティストと、彫刻家・桜井敏生の娘であり、この古民家の空間を生み出した美術家・桜井由子が企画に携わることで実現した、まさに奇跡的な展覧会であった。
作家の古巻は、飯塚竹斎の襖絵と桜井敏生の彫刻という、その場所に宿る「常設」の気配を深く読み解き、キュレーターとしての鋭い視点すら感じさせた。そして、自らの作品—《Skywalker》であり、妊婦像《花々が匂う夏》、ノウゼンカズラの絵画《花の蔭から》—を、二人の「先客」の魂と共振させる触媒として的確に配置していった。

西日の入る景色 手前:古巻和芳《空を眺める》2025年 奥:古巻和芳《光のてざわり》2023年
「生まれいずる庭」での生命の賛歌、「客人の宿」での時空を超えた交歓、そして「サンドラの庭で」の静かな別離。三部構成で紡がれた「客人」の物語は、この古民家が単なる過去の遺産ではなく、今もなお新たな記憶と物語を生み出し続ける、生きた「宿」であることを証明して見せた。
私たちは、この「宿」を訪れる「客人」として、アーティスト古巻和芳が仕掛けた時空を超えた対話に立ち会うことになる。それは、土地の記憶を掘り起こし、先人たちの声に耳を傾け、それを現代の私たちへと繋ぎ直すという、古巻和芳のアーティストとしての誠実な実践そのものであり、その活動の重要性と意義を、私たちに強く印象付けた。深く、長く記憶に残る展覧会である。

展覧会イメージ
参考情報
• 古巻和芳個展 プレスリリース 2025
• 古巻和芳個展「客人の宿 – 竹斎と敏生とともに」 展覧会用テキスト
• Nishiima 25 公式ウェブサイト/Gallery- Cafe & Guest house in Tsuyama (最終確認2025年10月24日)
• YouTube: from 古巻和芳展 「客人の宿 – 竹斎と敏生とともに」 at NishiIma 25 / Komaki Kazufusa – The house of Marebito (最終確認2025年10月24日)
• YouTube: 古巻和芳展「客人の庭-竹斎・敏生とともに」Room 1(最終確認2025年10月24日)
