前田信明「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」
会期:2025年5月31 日(土)~ 2025年6月28 日(土)
会場:TEZUKAYAMA GALLERY
東京のコンテンポラリーヘイズで開催された前田信明の展覧会「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」が、大阪のTEZUKAYAMA GALLERYにも巡回して開催されている。ギャラリーの巡回展は珍しいが、両ギャラリーの信頼関係によって成立した。
前田信明という作家を詳しく知ったのは、ポーラ美術館で開催された「カラーズ」展がきっかけである。前田は出品作家として、私はカタログに寄稿する色彩研究者として招聘されていた。また、翌日には、オープニングのトークイベントでは、前田の聞き手を依頼され、これまでのキャリアや作品に関して様々な話をうかがう機会を得た。

「カラーズ」展(ポーラ美術館) 展示風景
前田は、長く地元、九州の熊本を制作拠点にしており、近年、主に東京と韓国を舞台に積極的に発表をしている。関西在住の私には残念ながら触れる機会がほとんどなかった。しかし内覧会で作品を見て、その吸い込まれるような深く、芳醇な色に惹かれることになった。前田の作品は特別に設けられた一室の3面の正面と左面が高さ約204.5cm、幅約188.5cmの絵画が2点、右面に高さ200.7cm、幅185cmの絵画、合わせて3点が飾られていた。前田は経験則から画面の縦横比を1.085:1にしているが、一瞬正方形に見えて若干縦長の矩形は絶妙な緊張感を与えている。いっぽう入口側のもう一つ残った一面にはアニッシュ・カプーアのお椀のような形に塗り跡のない深い赤の彫刻が展示されており、空間の中に穴が開いたような知覚体験を引き起こしていた。
しかし、カプーアと対峙しても前田の作品はまったく遜色がなく、カプーアの強い吸引力を、開かれた色彩によって無力化しているように思える。それはまるで前田の設置した「窓」から強い風が入り込み、対面のカプーアの「通風孔」に流れていくようでもあった。色彩から風が吹く。そんなことがあるのだろうか?
もちろんそんなことはないが、「カラーズ」展のカタログに、前田やカプーアの色彩に関して、ドイツの心理学者、ダーヴィット・カッツが提唱した色の現象的分類の中の、「面色」に相当すると記した。「面色」とは物体の表面の色ではなく、例えば、雲ひとつない青空のように、位置や距離、 表面のテクスチャーをはっきり知覚することはできない現象の色のことである。ただ、色として感じられ、どこまで続くか知覚することはできない。カプーアの彫刻は光を吸収する色によって、表面がわからず、暗い穴が続いているように見える。
いっぽう前田がポーラ美術館で展示した作品は青を基調としたものだった。しかし、その制作プロセスはカプーアとはまったく違ったものだろう。中央には垂直と水平の線があり、表面は均質に見えるが、よく見ると複数の層があることがわかる。アクリル絵具をハケのような筆で、中央の十字の線を超えずに折り返して、何重にも塗り重ねているのだが、それだけではない。着色してからスタジオの庭で雨風に晒す。その際、泥がしみ込んだり、褪せたり、汚れたりするが、それらを水で洗い流して乾燥させ、再び色を塗っていく。
結果として見る鑑賞者には、そのような複雑な制作プロセスはわからないが、単なる青ではない複雑な色、テクスチャーとも言い難い「空気」が入り込んでいるように感じるだろう。私はそれを見て、「水蒸気を含んだ太陽光が散乱する空」と書いた。しかし、実際の空として比較して見れば、ここまで彩度が高く濃い青にはならない。ウルトラマリンといってもよい紫みを帯びた青であり、独特な輝きがある。しみ込み過ぎないように、裏側がコーティングされており、鉱物系の顔料が混ぜられていることで、より輝きを増しているということもあるだろう。

前田信明《UB21-0210》 2021年

前田信明《UB21-0210》 側面
塗り重ねた最後に鉛筆で書いた垂直の線の上から、引っ搔いて線を入れることにより、垂直の線は、さらに向こう側に開かれた光にも、上から垂れ下がる輝く糸のようにも見える。また、作品それ自体も7.5cmほどの厚みと、さらに壁から2cmほど浮かすことで、空中に浮かんでいるような存在感を示している。ここで重要なのがカンヴァスの側面に視点が当てられているということである。カンヴァスの側面は額装すれば見えなくなる部分でもあり、そうでなくとも「見ないもの」という暗黙の了解がある。しかし、これがオブジェならば見せる部分であるし、前田も通常の絵画より厚みを持たせ、さらに浮かすことによって意図的に見せているのである。側面をよく見ると何重にも塗られた異なる色の絵具の跡が残っており、絵画の屹立するプロセスが可視化されているのである。それは70年代にいち早くゼロックスコピー機を使ってプロセス・アートを試みていた前田の創作姿勢が一貫していることの証明にもなっているのだ。
今日、前田は特別な位置にあるといえるかもしれない。1970年に開催された東京ビエンナーレ「人間と物質」展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズに参加し、1972年にはヴェネチアビエンナーレ日本代表にもなった田中信太郎のアシスタントとして参加し、リチャード・セラ、カール・アンドレ、アルテ・ポーヴェラのヤニス・クレリス、もの派の成田克彦らの設営風景を生で見た。そして、同郷である成田克彦と知己を得て、成田の晩年まで交流を続ける。また、アメリカのミニマル・アートの動向に注目し、頻繁にアメリカに行き、桑山忠明とも交流をしてきた。
しかし、前田は大学を卒業後、故郷に帰り、中学・高校の教職をしながら、渡米の機会をうかがっていたが、結婚をし、子供が生まれる中で、熊本を拠点に制作を続けるようになる。その後、急速に立ち上がる韓国のアートシーンに舞台を移すようになった。さらに、近年注目されるパク・ソボをはじめとした、「単色画」の作家たちとの交流も深めていく。
たしかに表面的に見れば、カラーフィールド・ペインティングやミニマル・アート、あるいは、もの派の影響を受けた、還元主義的な作家に見えなくもない。例えば、マーク・ロスコやバーネット・ニューマンだけではなく、輝いて見える引っ掻かれた線は、前田がもっとも惹かれたという、ダン・フレイヴィンの垂直に立てられた蛍光灯の光を想起させられるし、底の浅い箱ともいえる独特なカンヴァスは、ドナルド・ジャットの立方体のオブジェを想起させられる。「カラーズ」展では、前田の作品の手前の部屋には、ジャットや桑山の作品が展示され、隣の部屋にはダン・フレイヴィンの作品が展示され、呼応関係が示されていた。
しかし、熊本という、大陸との距離が近い地理的な影響、日本の中でも有数の地下水が豊富で美しい自然環境、生活環境は、前田の思想と作品を特異なものにしている。前田は「水も絵具である」と言うように、豊富な地下水を使って、晒したカンヴァスを洗ったり、アクリル絵具を塗ったりしている。もちろん降ってくる雨もその循環の一つである。これがオイルペインティングならそういうわけにはいかない。アクリル絵具だから可能なことだ。
熊本の不純物の少ない軟水は、透明感があって濁りが少なく、鮮やかな発色になる。前田があえてカンヴァスを汚し、劣化させるプロセスも、発色のよいアクリル絵具に深みを出すために経験の中から身に付けた独自のテクニックなのだろう。そして、色相の異なる2色から4色の程度を塗り重ねても濁ることはない。そのことによって、絵画のマチエールは、ザラザラとしたものではなく、フラットでありながら、内部に微妙な揺らぎを生み出しているのだ。
このような水と絵具の関係は、水墨画における水と墨の関係に似ている。例えば、北宋画は、硬水であるために画面は墨の滲みが抑えられ、画面がやや沈み、その重厚な画風に影響を与えている可能性がある。また、南宋画は軟水で、墨がにじみやすく、その淡墨の諧調やにじみを活かした画風に影響を与えた可能性がある。比較的南宋に似た気候や水質を持った日本は、文化的な影響だけではなく、自然環境の近さという面でも、類似性があったといえる。
熊本は、年間降水量が多く、豊富な地下水に加えて、大気に大量に水蒸気を含み、太陽光が散乱している。そのような回り込んだ光の質も、知覚と表現に影響を受ける。匂いたつような前田の絵画は、まさに前田が熊本において血肉化したものといってよいだろう。

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾
今回、初めて大阪で開催された個展では、大阪の気風に合わせて比較的鮮やかな作品の展示を試みたという。たしかに「カラーズ」展では見られなかった、様々な色の鮮やかな作品が見られる。いっぽうで小さいサイズは、カンヴァスを、綿ではなく、目の細かい麻を使っているため染みやすくなっており、水蒸気が湧き立つような効果が画面に見て取れる。そのことによって画面が山水を思わせる、東洋的な印象になっているのだ。前田の絵画において鑑賞者は、アメリカの戦後美術において極点に達した抽象絵画に東洋の美を見出すような認識の転回が起きる。それはまるで陽の極に至る流れの中に陰の端緒が生まれ、陰の流れの中に陽の萌芽が宿って循環する「太極図」のようである。

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾

「浸透する色彩 ―Permeating Color, 2025」(TEZUKAYAMA GALLERY) 展示風景 撮影:麥生田兵吾
「カラーズ」展や本展に見られるように、前田にとって絵画を展示することは、空間や人との関係を再構築することに他ならない。壁の大きさ、天井の高さや奥行きといった空間の物理的サイズ、素材、そしてその地域や会場の雰囲気といったある種の見えない空気の中に、計算された大きさ、色彩の絵画を掛けることによって、空間の中に新たな窓、光、あるいは磁場といったものを引き起こす。絵画の中央を横断する垂直と水平の線、側面の厚みと浮いたカンヴァス、異なる色相が空間に敷衍し、張り詰めた緊張感を与える。それと同時に、何層も重ねた画面から、沁み入る色が緊張感を解きほぐす。その意識と空気の流れをつくり出す絶妙な仕掛けこそが、前田作品の核心だろう。
前田の絵画は、アメリカからアジアに政治的、経済的、文化的な影響力が転換する時代の、蝶番のような象徴的な作品といってもよいかもしれない。垂直と水平の線は、「崇高」や十字架といった西洋的な象徴性を想起させるが、同時に空と海をつなぐ垂直の線と水平線、そして、そしてそれらを取り囲む柔らかな光といえるかもしれない。あるいは、垂直の線を西洋、水平線は東洋を象徴的に見ることもできるかもしれない。たしかなことは、前田の絵画は、非人間的で突き放したものではなく、自然と人間の共同作業によってもたらされた豊かな恵みなのである。