東京都写真美術館で開かれている「プリピクテジャパンアワード」という展覧会は、まだ3回目という若いアワードなのですが、筆者の雑感としては、すこぶるすぐれた内容でした。8人の作品が展示されているのですが、この記事では、そのうちの5人について書いておきます。
アワードの今回のテーマは「火と水」。審査員は、森美術館特別顧問の南條史生さんら4人です。写真とサステナビリティに関する国際写真賞プリピクテが日本を拠点とする写真家を対象にしたのが、このアワードとのこと。日本には森山大道や荒木経惟ら国際的な評価を受けている写真家が多数いますが、そのシーズ(=種)とも言うべき素晴らしき写真家の発掘が行われていることが確認できました。また、若い写真家たちが、写真という技法を使って世の中の事象、現実社会とどう向き合っているかということが、よくわかりました。
最初に紹介する写真家は、中井菜央。撮ったのは、新潟県の豪雪地、津南の、雪が生み出す風景です。
ただ美しい雪景色が並んでいるわけではありません。むしろ表現されているのは、豪雪地帯で雪がいかに人々を支配しているかということでしょうか。あるいは、人々がいかに雪と共生しているかと解釈するのも可能かもしれません。
次に紹介する岡田将の作品は、ある意味において、衝撃的です。
写っているのは、なんと、今世界の環境を考える上で大きな問題となっている、マイクロプラスチックの破片。それが、なんとも美しいのです。そもそもプラスチックの原料である石油は、もともとは生物の死骸でした。それが、現代の人間によって加工され、さまざまな過程を経て砕かれ、陸地や川や海を〝 汚染〟し、海洋生物が誤飲するような状況にもなっている。しかし、考えようによっては、海に回帰しているとも言えなくもない。この写真の美しさは、マイクロプラスチックの汚染が単純には考えられない問題であることを示唆しています。
岩根愛は、ハワイの「ボンダンス」(ハワイ版の「盆踊り」と理解しました)を毎夏撮っているそうです。ハワイに日系人が多くいることは昔から知られていますが、4世5世の世代になっても、先祖を迎える仏教行事である「ボンダンス」を続けているというのです。
2011年、ボンダンスで演奏される「フクシマオンド」の起源が、東京電力福島第一原発事故で避難区域となった相馬などの地域であることを岩根は知り、福島を訪ねて写真を撮ったそうです。
ハワイと福島のつながりは、はたして偶然のものだったのでしょうか。福島に、ハワイに住む日系人のルーツがあると考えてもいい。福島の人々がいかに生きているかということにも思いを馳せるべきなのかもしれません。
長沢慎一郎が撮影したのは、小笠原諸島の父島です。
なぜ米国の星条旗が写っているのか? 単に敗戦後、この島が米国の支配下になっていたというだけの理由ではありません。父島はもともと無人島だったのが、1830年にハワイから欧米人やハワイ諸島の人々が入植、その後76年には日本の領土となって日本人が移住した歴史を持っているというのです。それほど歴史的な時間差がある話ではありませんが、日本が支配を始める前に先住民がいたということになります。小笠原諸島は欧米では“Bonin islands”と呼ばれていたそうですが、「無人島」の「無人(mujin)」という言葉の音が変化して”bonin”になったという話もあるそうです。長沢は、一部の住人に出生証明書を見せてもらったところ“race Bonin Islander”と書かれていたそうです。おそらく日本人の多くが知らないだろうこの島の歴史を、長沢の写真は捉えたのです。
水谷吉生が撮ったのは、都市の中で大量発生した鳥、川鵜です。まるで、楽譜のようにさえ見えます。
鳥は森にも都市にも多く住んでいます。都市の中で少しでも木があれば、かなり自由に往来している様子を、誰もが目にしているのではないでしょうか。電線にとまるのも、鳥の極めて自然な行動です。しかし、そのありふれた光景をこうしてすぐれた写真家がカメラで捉えると、非日常性が見えてきます。それは美しく、しかし、どこかに不気味さをたたえているように感じられるのです。現代人はこうした現実と向き合い、自然との対峙や共生のしかたを考えていくべきであることに、思いが向かいます。
※本記事は、つあおのアートノートからの転載したものです。