多面的な感覚が織りなす風景を描く
「In the corner of the page」
会期:9月16日(金)~10月15日(土)
会場:TEZUKAYAMA GALLERY
御村紗也は、京都芸術大学大学院を今年修了した画家であるが、在学時代からすでに多くの展覧会に出品し、完成度の高い作品を制作していた。大学院修了後は、実家のある三重に帰郷し、そこでアトリエを構えて制作を続けてきた。今回は、大学院修了以来、描き続けてきた作品を集めた初個展であり、小作から150号の大作まで約18点が展示された。
御村の絵画は、抽象性は高いが、具体的なモチーフはある。しかし、そのモチーフは、視覚的なものだけではないし、視覚によってのみ描写されているものではない。むしろ視覚のみの感覚を疑っているともいえる。かといって、内面を描写しているわけではないし、絵画の平面性を追求するような還元主義ではない。むしろ視覚のみではない多面的な感覚を、絵画に写し取るために、複数のマテリアルとテクスチャーを重ねている。
御村は日常生活を過ごす中で見た、ふとした風景を写真に撮ったり、ドローイングに描き残したりしている。それは何気ない景色であるが、私たちが生きている中で出会う、美しい、愛おしいと思える何か、である。しかし、その感覚の中で、視覚の割合は多くはない。だからその時みた視点、温度、湿度、音、匂いなどの情報を、マテリアルやテクスチャーを分けてレイヤーをつくり、1つの絵画に結合して、その時の感覚を再現しようとしている。
そのレイヤーを横断するように、具体的な被写体の輪郭線が描かれている。しかし、それは実は描かれているのではない。シルクスクリーンによって刷られたものだ。あくまで再現したいものは、その時、御村が感じた感覚、雰囲気であり、そのためには、生々しい筆跡は、描いた時の感覚が強く表れるためノイズになってしまう。だから、そのような描写時の感覚は、注意深く取り払われている。
藤田嗣治が、細密な線と、「乳白色の下地」「乳白色の肌」によって世界に認められたように、豊かな質感、肌理と精巧な線は、多くの日本人の画家が持つ優れた資質だろう。御村の絵画の持つマチエールは、光沢性、透明性のある白に加えて、ザラザラとした色面など、複数の質感を混ぜており、そこにシルクスクリーンの線が描かれている。藤田以来の強みを生かしながら、複数の感覚を取り入れるという、ある種の感覚のキュビスムのような描き方を行っているといえるだろう。藤田は、日本画のように下図を描き、絵画の中で修正された線はないが、御村の方法はある種の下図をシルクスクリーンで行っているともいえる。
大学院の修了展では、すでに評価の高かった描き方に変更を加え、画面全体を覆う鮮やかな色と抽象度の高く柔らかな線を使うようになった。今回の展覧会のメインとなる作品は、それを発展させたものだ。特に、開かれたイメージになったのは、京都から三重に移り、海岸から見た風景など環境が大きく変わったからでもある。それはあたかも、北フランスを拠点としていた印象派から、南仏に移動して鮮やかな色彩に変容したポスト印象派やフォーヴィスムのような変化にも思える。
ターコイズブルーのような、青と緑の間の美しい色が濃淡を湛えながら画面を覆っており、そこに銀色の線や図形が刷られている。それらは、海をゆく船やヨットの帆、あるいは船の軌跡かもしれない。あるいは、シャーベットオレンジやイエローと薄い青が重なりところに、ドローイングのような曲線的な線が交わる。より抽象性を増し、色と線がゆるやかに共鳴している。京都時代の細かく、直線的な画面構成から、より大胆に包まれるような描き方に変わったことは、まさに環境の変化が大きいだろう。その他に光沢のあるモノトーンの下地に最小限の線を刷った作品など、新たな方法が試みられている。
御村は、視覚のみ頼らず、五感を描いているので、環境の変化がもたらすものは大きい。三重を拠点にしつつも、旅をしたり、多くのレジデンスをすることで、自らの感覚と表現の刷新をし続けていくことを期待したい。