伝説の写真集が指し示す道標
川田喜久治展「地図」
会期:2022年5月14日(土)~6月18 日(土)
会場:The Third Gallery Aya
現在、The Third Gallery Ayaで川田喜久治展「地図」が開催されている。川田喜久治はすでに戦後写真史の中では、教科書にのる写真家で、なかでも「地図」が最も知られている。「地図」は写真としても著名だが、何といっても杉浦康平がデザイン・造本し、1965年に発刊された写真集の評価が高い。どれくらいの評価かというと、一時期写真集のオークションで世界最高値をつけたほどだ。
貴重な写真集だけに、現物を見た人はそれほど多くはないだろう。今回、1965年に美術出版社から限定800部で発刊され初版、2005年に月曜社・Nazraeli Press(アメリカ)から限定1000部で発刊された新装復刻版、2014年にAKIO NAGASAWAから限定800部で発刊された復刻版、2019年にMACK(イギリス)・New York Public Library(アメリカ)から発刊された、川田の手製であり『地図』の構想模型(マケット)の復元である『川田喜久治 地図 マケット版』まで揃ったまさに写真集『地図』の地図といった展覧会となった。
壁面には写真集に収録した写真から、川田自身が焼いたゼラチンシルバープリントの作品が展示されると同時に、近年取り組んでいる和紙に印刷したデジタルプリントまで、作品の変遷をたどれる内容にもなっていた。現在、89歳になる川田だが、大阪で展覧会をする機会がほとんどなかったので、二重の意味で貴重な機会であろう。
近年、森山大道や中平卓馬など、雑誌「プロヴォーク」で活動した写真家の世界的評価が高いが、フォトエージェンシーVIVIOに参加した川田喜久治、東松照明、奈良原一高、細江英公らの活動の再評価の機運も広がっている。先日、開催されていた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」にも、奈良原一高が禅寺などを撮影した「ジャパネスク」のシリーズが展示されていた。その前の世代である、土門拳が主導した社会的なモチーフをテーマにした「リアリズム写真」の中から、社会的なモチーフの中に主観的、私的な見方を取り入れたのが、VIVOの写真家たちといえるだろう。なかでも幼少期に戦争と敗戦を体験した彼らの世代は、戦争に対する思い入れが強い。
奈良原は、1956年にまだ人々が生活していた軍艦島などを撮影した「人間の土地」の展覧会を開催し、実質的なデビューを果たすが、それ以前から東アジア最大の軍需工場であった大阪砲兵工廠跡地や東京、王子の軍需工場跡を撮影した「無国籍地」シリーズを制作している。川田もビキニ沖環礁でアメリカ軍の水爆実験で被ばくした第五福竜丸を取材した写真で最初の個展を開催している。
「地図」も戦後20年を経た1965年、戦争の記憶をたどるものだ。広島県産業奨励館(原爆ドーム)の天蓋、踏みにじられた国旗、特攻隊の遺影、アメリカから持ち込まれたラッキー・ストライク、コカ・コーラの瓶など、敗戦と占領の記憶が集積している。そのコントラストの強いモノクロ写真は、後の森山大道らの作り出すイメージに先行している。特に、国旗や地図、遺影など「しみ」とも称される「地図」の写真は、平面を撮影しているカットも多く、ジャスパー・ジョーンズのアメリカ国旗の作品も想起させられ、「フラットベッド」のような問題意識も垣間見られる。あるいは、写真の再撮影という観点では、リチャード・プリンスを想起させられる。そのように、「地図」が切り開いた地平には、後に様々に花開いていく芸術作品の萌芽があることも重要だろう。
今回、印象的だったのは、粗くハイコントラストだと思っていた写真が、特にデジタルプリントで展示された写真では、柔らかくディテイルまで表現されていたことだ。個人的な視点から捉え直した社会的なモチーフという観点に加えて、「染み」や「皺」を特徴とした平面的な表現と思っていた作品群は、柔らかな質感を称えたものとして現れ、印刷物では見えてこない世界の地図の表象となっていた。これからも、新しい表現の地図となって、アーティストの道標となることを強く予感したのだった。