インターメディアグループとしての具体
2022年2月2日、構想から約40年、準備室開設から約30年を経て、大阪中之島美術館が開館し、約6500点のコレクションの中から厳選した約400点が展示され、その全貌の一端が明らかにされた。日本が景気の良かったバブル時代に購入している作品もあり、現在では数倍の価値になっているものも多い。現在、公立美術館の購入予算は少ないため、いっきに国内有数の美術館へと躍り出た形だ。
コレクションを前提に設計された美術館の展示空間は、さすがに、上手くマッチしており、動線の設計も良くできている。企画展以外にも、コレクションをベースにした展覧会で、豊富な作品が見られるのが楽しみだ。
しかし、大阪中之島美術館の魅力はそれだけではない。開館時に菅谷富夫館長は、新しい美術館像として、3つのポイントを挙げていた。1つは機能として「アーカイブ」、次に行動原理として「連携」、そして「大阪からの視点」である。
アーカイブというのは、膨大なデジタルデータの増加に伴い、誰もが口にする言葉になったが、具体的にそれが何かを言われると、答えるのは難しい。菅谷館長は、「アーカイブは民主主義を体現するものでなければならない」と述べていたが、平たく言えば、誰もがアクセスできる公的な資料といったところだろう。特に、研究者にとって一次資料は成果を上げることに直結するため、囲い込まれることが多かった。大阪中之島美術館では、それをできるだけ開いていく方針であるという。
今回、アーカイブ情報室が開館し、具体的な形として見えてきた。大阪中之島美術館は、実業家、山本發次郎の佐伯祐三を中心としたコレクションの大阪市への寄贈をきっかけに計画が立ち上がったが、多くの貴重な研究資料も寄贈されている。アーカイブズ情報室へ連絡をすれば、その貴重な資料を見ることができる。また、どのような資料があるかも、サイトから検索をして調べることもできるのだ。
なかでも特徴的な点は、近現代の美術・デザインに関する映像アーカイブの閲覧だろう。映像アーカイブは、国内では、東京国立近代美術館フィルムセンターを経て、2018年に国立映画アーカイブが設立されている。また、太秦の映画文化を擁する京都府京都文化博物館には、フィルムライブラリーセンターが存在し、保存・公開が行われている。
しかし、戦後、前衛芸術の中で拡張した表現の映像記録を保存する公的な機関は存在しなかった。大阪中之島美術館には、具体美術協会(具体)の中核メンバーであった吉田稔郎から、具体の活動を記録した8ミリフィルムや16ミリフィルムが寄贈されたことにより、フィルムの保存と公開の環境が整えられるようになった。準備室の頃も、いくつかの機会に上映イベントがあったが、見逃していた。今回、アーカイブ情報室の開室によって、具体の映像アーカイブをタブレットで常時見ることができるようになった。これは画期的なことだろう。
その中に、1970年の大阪万博の際、お祭り広場で開催された「具体美術まつり」もある。筆者は、2017年に、ポンピドゥー・センター・メッスで開催された1970年から現在までのアートをテーマにした展覧会「JPANORAMA」で、カタログに収録する大阪万博に関する原稿を依頼され、同時に会場で上映する映像についても協力をしたことがある。しかし、約11時間もある大阪万博の公式記録映画の中に、「具体美術まつり」は収録されておらず、彼らのパフォーマンスを紹介することは叶わなかった。
具体は確かに、抽象表現主義やアクション・ペインティング、ハプニングの日本的な展開という文脈ですでに世界的な評価を不動のものとしている。しかし、それは具体の一側面に過ぎない。1957年に、アンフォルメルを主導した批評家、ミシェル・タピエと交流したことにより、絵画をもっと描くようアドバイスを受けたと言われている。しかし、具体は、白髪一雄に代表されるプリミティブなアクション・ペインティングだけではなく、テクノロジーを駆使した、インターメディアのパフォーマンス集団としての顔もある。暮沢剛巳によって、すでに指摘されているが、「具体美術まつり」は、インターメディアとしての側面がもっとも現れたイベントだったといってよい[1]。
大阪万博は具体の様々な側面が、みどり館や万国博美術館など、いくつかの場所で展開された。そして、メインとなるお祭り広場での「具体美術まつり」は、最大規模のインターメディア的なパフォーマンスが実施されたのだ。反博運動も盛んであったが、関西を拠点とし、経営者でもある吉原治良は万博推進派であったし、美術展示委員であったこともあり、後から参加した岡本太郎よりも、中心人物であったといえる。初期の実験的表現、中期の絵画への回帰を経て、実験的なアート&テクノロジー集団へと脱皮を図ろうとしていた。吉原は、日本で最初の万博において、その集大成となるイベントとして、「具体美術まつり」を企画したとしてもおかしくはない。
今回、アーカイブ情報室で「具体美術まつり」を見て、その思いは確信に変わった。その構成、規模、演出、今日の眼から見ても斬新で、面白いと思える。中途半端な準備で実現できるとは思えない。『とぶ、光る』『箱』『白い立体』『スパンコール人間』『百一匹』『親子ロボットとプラスチックカー』といった演目名は残っていたが、それがどのようなものであったかわからなかった。それが大阪中之島美術館のアーカイブを見れば詳細にわかる。
例えば、「親子ロボット」とは、磯崎新が設計した演出ロボット、『デメ』の人型サイズを作り、振付けがされているのだ。巨大な風船のようなものに吊り下げられた人間が浮遊する『とぶ、光る』も、お祭り広場の設計を熟知していないとできないので、相当早くから設計を知っていたことだろう。それらのことからも万博への関与の深さがよくわかる。もしポンピドゥー・センター・メッスでこの映像を紹介できていたならば、具体の評価も変わった可能性がある。インターメディアは、実験工房や山口勝弘、E.A.Tに参加していた中谷芙二子などが主に語られるが、大阪万博において具体がインターメディアグループの中核をなす存在であったといえるだろう。大阪中之島美術館のアーカイブ情報室には、大阪万博以前から、百貨店などでインターメディア的展示を行っている映像が残っている。
このような戦後現代美術の映像記録が、多くの研究者や評論家からアクセスが可能になることで、すでに評価のある作家やコレクティブの位置づけも変わってくるだろう。日本ではまだ珍しい大阪中之島美術館のアーキビスト、松山ひとみ氏は、フィルムアーカイブをアムステルダムで研究してきたという。欧米では、視聴覚アーカイブの取り組みも進んでいるが日本はまだまだ取り組まれている美術館・博物館は数少ない。是非、開かれた美術館アーカイブの新しいモデルとなることを期待したい。
[1] 暮沢剛巳、江藤光紀『大阪万博が演出した未来』青弓社 、2014年、pp.204-222。
参考文献