1960年代から70年代の現代日本美術に何が起こったか?
高島直之『イメージかモノか――日本現代美術のアポリア』武蔵野美術大学出版局・2021年
21世紀に入り、現代日本美術の歴史化が急速に進んでいる。その主な理由として、国内的には、太平洋戦争後の流れを指す現代日本美術が既に出発から半世紀以上過ぎ、物故作家も多くなったことで、客観的に対象化しやすくなったことが挙げられる。また国際的には、現代西洋美術のモダニズムが行き詰まり、アートシーンが頭打ちになったことで、未踏野だったアジア・アフリカの近現代の美術史に関心が広がりつつあることを指摘できる。
そうした中で昨今、現代日本美術を代表する動向の一つとして国際的に注目されているのが1968年に成立したもの派である。特に、もの派の原点である関根伸夫の《位相‐大地》をどのように解釈するかが議論の焦点になっている。本書も、そうした現代日本美術の正史構築に寄与しようとする試みであり、最終章における《位相‐大地》の位置付けをクライマックスとしてそこに至るまでの様々な諸運動や諸傾向が丹念に跡付けられている。
本書における著者独自の切口は、20世紀の国際的な美術上の関心が「観念(イメージ)と物質(モノ)の乖離」にあると見る点である。著者によれば、この乖離は、絵画の新技法であるコラージュと、生活に普及する映像メディアによりもたらされた。つまりコラージュでは、画家の主観的描写(イメージ)は、画面に既成の物体(モノ)が貼り込まれることで相対化される。また写真や映画では、書物が培ってきた抽象的観念(イメージ)の偏重は、具象的映像(モノ)が触覚性や所在性を喚起することで改善される。これらの新しい視覚的リアリティは、やがて造形作品の即物性に対する関心を強め、20世紀美術の様々な動向に反映していくことになる。
この問題意識は、現代日本美術においてどのように現れたのだろうか? 本書は、そうした問題意識が本格化する1960年代初期の反芸術の動向の中でハイレッド・センターが頭角を現し、それを受けて1968年にもの派が誕生する経緯を基本線として辿る。すなわち、絵画的イメージと日常的物体が併存する反芸術の思潮により観念と物質にズレが生じ、そのズレを最も劇的に増幅したのが高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之らのハイレッド・センターのハプニング的制作であり、そこで強調された行為性が関根伸夫の《位相‐大地》における表象以前の純粋な実在性へと導き、それが1970年代に多大な影響を与えたという道筋が示されるのである。
本書のもう一つの特色は、そうした芸術動向が絵画彫刻のみならず写真や音楽とも連動していたことを明らかにする点である。例えば、中平卓馬や森山大道(や榎倉康二)等の写真家や、刀根康尚等の音楽家のテキストを分析し、同時代の彼等も同様の問題意識を持っていたことが示される。また、彼等と相互作用しながら、中原佑介、宮川淳、李禹煥等の批評家も同様の問題意識を文筆活動を通じて共有していたことが提示される。さらに、それらがマルセル・デュシャンの「レディメイド」やロバート・モリスの「アンチ・フォーム」等の現代西洋美術とどのような異同を有しているかの照合もまた随所に盛り込まれている。
本書は、「観念と物質の乖離」という現代日本美術の内外を見通し良く整理する明確な分析道具を提出した点で高く評価できる。今後は、そうした問題意識が、1950年代以前や1980年代以後の美術動向とどのように連続するのかについてのさらなる議論が期待される。
※初出 秋丸知貴「高島直之『イメージかモノか――日本現代美術のアポリア』武蔵野美術大学出版局・2021年」『週刊読書人』2022年1月21日号。