自然と技術による認識の革命
人類史を大きく分けると、写真以前と写真以後という、新たな紀元ができるかもしれない。今日における写真の隆盛を考えるとそう思いたくなる。端的に言えば、より現実を再現する写真があるかないかで、史実としての客観性がまるで異なる。なかでも、写真がここまでの力を持ったのは、やはり複製ができるからである。
写真の複製について発明し、最初の写真集『自然の鉛筆』を制作したのがウィルアム・ヘンリー・フォックス・トルボット(タルボット)である。本書は180年前に制作された『自然の鉛筆』の日本初の復刻版である。イギリスの自然(太陽)の光は、180年を経て日本に到達したのである。これは端的に写真の持つ複製の力によるものが大きい。もちろんモノクロであるし、精度は今よりかなり悪いが、写された光景は「想像の余地」なく刻印されている。
フォックス・トルボットという名前を聞いたのは、もう20年前くらいになるだろうか?畠山直哉さんと港千尋さんの授業で、畠山さんが滞在していた、イギリスのレイコック・アビーにある、フォックス・トルボット・ミュージアムの話をしてくれた。その頃は写真史どころか、写真もろくに撮ったことはなく、授業を受けたのも、畠山さんと港さんの話が面白いそうだったからだった。フォックス・トルボットという、ダゲール、ニエプスと並んで、写真史を作った人の話を最初に聞くことができたのは幸運だったといえる。
畠山さんによると、フォックス・トルボットは、サイエンス・ジェントルマンであると言っていたと思う。トルボットは確かに写真における、ネガ・ポジ法やカロタイプというカメラを開発したが、その他にも様々な研究を行っていてるい。領主であったために、領地を貸し出すことで暮らしていたため、労働をする必要はない。その代り、趣味の域を超えた様々な学問を研究していた。現在ではトルボットの写真以外の研究にもフォーカスされており、「研究手帳」の中から、数学、植物学、言語学・語源学、アッシリア研究、古典学、写真の6つのカテゴリーに分けて調査されているという。
本書を読むと、普通の写真集ではないことがよくわかる。つまり、写真、そしてその複製に関する可能性を、写真とセットで文章を掲載することでくまなく紹介しているのである。それはトルボットの全方位的な博識があるからこそ可能なことだろう。また、この頃の写真の用途の想定が芸術写真ではないことがよくわかる。それは、同時期に写真を発明したダゲールの功績に対して、フランス科学アカデミーの終身会長であった、フランソワ・アラゴーが講演を行い、今日に考えられるあらゆる可能性を述べたが、芸術がその中に入っていなかったというエピソードに似ている。
この時、ダゲールは、補償として終身年金を支給してもらう代わりに、ダゲレオタイプという写真製法の特許をフランス政府に譲渡する。そして、写真製法は一般に公開されることになる。ダゲレオタイプが、ほとんど同時期のカロタイプよりも先に普及したのはそのことが理由にもなっている。当時の化学は特許を取得することで莫大な利益を得ることも目的になっていたし、そもそも研究のために資金も必要だった。トルボットも領民からの収入があるとはいえ、ダゲレオタイプに対抗するための継続的な研究開発には資金が不可欠だった。
そのためトルボットも、自身が開発したカロタイプの特許を取得しており高額な使用料を徴収していた。その後、カロタイプのように紙ではなく、ガラス板を使ったネガポジ式写真製法・コロジオン法(湿式コロジオン法)に対しても特許料を主張したため、論議を巻き起こし幾つか裁判になっている。その後、湿式コロジオン法の裁判で、特許侵害が認められなかったため、1854年にカロタイプの特許延長を見送り、特許が解放される。
さしずめ、現在のIT業界の特許紛争のようであるが、写真が最新のテクノロジーであり、莫大な利益をもたらす発明であったということがわからないと、『自然の鉛筆』の意義も見えてこないだろう。『自然の鉛筆』は趣味で出した自費出版のような類ではなく、新しい技術と特許をアピールするプロモーションであると捉えた方がわかりやすい。
写真が芸術となったのは、トルボットから続くフィルム写真が技術の第一線から遠のいたからと考えた方がいいだろう。しかし、現在のデジタルカメラやスマートフォン、SNSなどのデジタル写真を巡る革新は、トルボットやダゲールの時代の熱狂に近いのかもしれない。その意味でも、『自然の鉛筆』は現在に通じる示唆を多く含んでいる。
初出『shadowtimesβ』2016年6月29日掲載