畠山直哉「陸前高田 2011―2014」展

2015年4/30 (木) ~5/13 (水) 大阪ニコンサロン

昨日は、大阪ニコンサロンで、畠山直哉さんの展覧会「陸前高田 2011―2014」に合わせて、伊藤俊治さんとの対談が行われた。昨年末、グラシエラ・イトゥルビデ(メキシコの著名な写真家)さんと畠山さんとの対談で司会を担当した際、来年には陸前高田の作品を一度発表するつもりだ、と聞いていた。

その時、畠山さんは、震災直後から継続的に陸前高田に通い、撮影を続けているが、最近では大型の土木工事が行われるようになり、かつて自分が撮影していた鉱山の風景に似てきており、デジャヴュのような奇妙な気分に襲われると言っていた。

今回発表されたのは、写真集『気仙川』に収録された、震災前の穏やかな風景と、震災後のカタストロフィーを対比させた写真とは少し違い、徐々に風景が変化していく陸前高田の3年9カ月(2011.3.11~2014.12)の記録になっている。

たしかに、3年9カ月の記録の中で、自然エネルギーが無残に人々の営為をなぎ倒していった破滅的な風景から、徐々に瓦礫などが整理され、仮設住宅やコンビ二、弁当屋、祭り、お盆の儀礼など生活感が戻ってくると同時に、大規模な土木工事によって、人工的な巨大なエネルギーで街そのものが新たなものへと変わっていく様子が写し出されている。

対談の中で、畠山さんは、知人のキュレーターなどには、今回の震災に関する作品は、コメントするのが難しいと言われると述べていた。それは、今回のシリーズが、写真的な良し悪しやコンセプト、美学などではない、畠山さん個人の記憶や経験と深く結びついており、一枚の写真に何が含まれているか、言葉の補足がないと理解できないからでもある。

そのような例の一つとして、基礎のコンクリート部分だけを残して破壊された、畠山さんの実家を写している写真は、それだけでは意味が読み取れないことを挙げていた。同時に、言葉によって極端に意味が変わる写真について、居心地の悪さを感じてきたという。畠山さんは、そのような個人史によって大きく見方が変わる風景を、「パーソナル・ランドスケープ」と名付けている。

一方で、畠山さんは言葉は写真を支えるものであるが、写真の構成自体にも「言葉」があることを示唆した。あるキュレーターが、畠山さんの写真を見て「他の震災を撮影した写真家とは異なり、あなたの写真は、場所と特別な関係を持っていることが伝わってくる」と指摘された例をあげ、複数の写真を構成すれば作者の意図がある程度読めてくる可能性を述べた。

僕は、2011年から2014年の一連の写真を見ていて、初期においては記憶や経験に基づいて撮られていたが、風景が人工的な力で様変わりして、記憶の「よすが」もなくなってきて、かつての美学に近い作風になってきたと思った。それが畠山さんの言っていたデジャヴュでもあるだろう。畠山さん自身、2013年以降、人工造成の風景が増え、個人史に還元できない部分が増えてきたと述べていた。

もちろん、震災前の作品のように、風景を客体化して観察するというようなモダニズム的な態度ではないだろう。個人史の中に新たな美学が芽生えたのか、それ以前の美学と融合したのか、どちらともいえるかもしれない。

ただ、一枚一枚は構図も被写体まったく違った写真なのだが、全体を通して見ると、自然の力と人工の力の拮抗や変遷が感じられた。それは畠山さんの初期から現在に至る仕事に通底するテーマでもある。そういう意味では、今回は個人史的な特殊性と元々の関心が結びついた重層的な作品であると思えてくる。

そして、畠山さん自身が混乱の中に巻き込まれながらも、長い時間をかけて新たな風景を獲得していく、強い意志が感じられるものだった。それは、単純に街が様変わりするほどの巨大な土木工事の風景を意味するものではない。時間をかけて風景の変化を俯瞰していく行為そのものである。

それは個人的な動機に立脚しながらも、鑑賞者に対して大きく開かれているように思える。我々は震災に影響を受けた一つの場所に愛着を持っている人がどのように風景の変化を見つめ続けているのか、一言では言えないその思いや「言葉」を、畠山さんの「パーソナル・ランドスケープ」を通して辿ることができる。

自然の近くに住み、恩恵を受けてきた人々が、同じく自然のエネルギーで町を破壊されたこと。津波に対して無力にも思えた人工的な力を再び注ぎ、土地の形が変わるほどの造成をしてまでそこで生きようとすること。それはほとんど物質的な痕跡がなくなった町の唯一の記憶の助けをしてくれるものだったかもしれない。その葛藤を当事者として体験することは不可能だが、感じることはできる。第三者に感じる力を与えるのは、アートの大きな機能の一つかもしれない。

ただ、畠山さんはそのような「共感の力」をもともと狙っていたわけではないだろう。その証拠に演出的な要素はない。しかし、一つ一つ丁寧に自分の記憶や経験、直観や美学によって撮影された膨大な写真から、さらに厳選して構成された写真がいかに雄弁なのかを証明している。多くの畠山さんの作品にも見られる特徴だが、写真を通して時間をかけて注意深く観察することで、自己にも他者にもはじめて見えてくるものがあると改めて感じさせられる展覧会だった。

初出『shadowtimesβ』2015年5月9日掲載

三木 学
評者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹─色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。

Manabu Miki is a writer, editor, researcher, and software planner. Through his unique research into image and colour, he has worked in writing and editing within and across genres such as contemporary art, architecture, photography and music, while creating exhibitions and developing software.
His co-edited books include ”Dai-Osaka Modern Architecture ”(2007, Seigensha), ”Colorscape de France”(2014, Seigensha), ”Modern Architecture in Osaka 1945-1973” (2019, Seigensha) and ”Reimaging Curation” (2020, Showado). His recent exhibitions and curatorial projects include “A Rainbow of Artists: The Aichi Triennale Colorscape”, Aichi Triennale 2016 (Aichi Prefectural Museum of Art, 2016) and “New Phantasmagoria” (Kyoto Art Center, 2017). His software projects include ”Feelimage Analyzer ”(VIVA Computer Inc., Microsoft Innovation Award 2008, IPA Software Product of the Year 2009), ”PhotoMusic ”(Cloud10 Corporation), and ”mupic” (DIVA Co., Ltd.).
http://geishikiken.info/

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