90年代を切り拓いた創作活動の軌跡「タンキング・マシーンーリバース 90年代のヤノベケンジ展」三木学評

90年代を切り拓いた創作活動の軌跡

MtK Contemporary Ar展示風景 撮影:木暮 伸也

2021年5月29日ー7月19日 MtK Contemporary Art

本展は90年代のヤノベケンジにフォーカスし、デビュー作《タンキング・マシーン》(1990)の再制作作品《タンキング・マシーン-リバース》(2019)や《アトムスーツ》(1997)、《アトムスーツ・プロジェクト》(1997、1998)、《アトム・カー(ホワイト)》(1998)などの代表作に加え、構想スケッチや雑誌、カタログなどの豊富な資料によって、その創作活動を振り返ることができるよう構成されている。まるで美術館の展示のように、テーマ性をもってキュレーションされており、空間としても堪能できた。

展覧会場は、京都市京セラ美術館の北東向いにこの春に開廊したMtK Contemporary Artで、アーティストの鬼頭健吾がディレクターとなり、鬼頭と交友関係があり、京都で見たいと思えるアーティスト選んでいくという方針になっている。京都はアーティストが多く在住し、スタジオも多いが、中堅以上の発表場所が少なく、東京のギャラリーや海外の美術館、地方の芸術祭でしか見られなくなっていることも問題意識としてあった。だから、ベテランのアーティストが見せる場所としてふさわしいしつらえを備えたという。京都最大のディーラー、マツシマホールディングスのアート事業として位置付けられており、日本初のsmart専売店「smart center京都, the garden」に隣接し、ショールームと古民家を改装した上質な空間になっている。オープニング展では、鬼頭健吾・名和晃平・大庭大介の3人展「太陽」が開催され、第二弾として90年代、関西でも積極的に発表していたヤノベケンジを取り上げた。

ヤノベが90年代を代表するアーティストの一人であることは間違いない。1990年に、第1回キリンコンテンポラリー・アワードで優秀作品賞を受賞し、華々しくデビューして以降、冷戦が終結し、ドメスティックな「現代美術」から「現代アート」へとグローバル化するアートシーンの中で活躍してきた。キリンコンテンポラリー・アワード(名称や選出方法は年代で異なる)は束芋や淀川テクニック、名和晃平など、様々なアーティストを輩出してきた著名なアワードで企業メセナの先駆的事例でもある。

翌年の1991年には、キリンプラザ大阪で個展「ヤノベケンジの奇妙な生活」を開催し、さらに翌年の1992年には、レントゲン藝術研究所で椹木野衣のキュレーションによる「アノーマリー」展に出品、水戸芸術館でアーティスト・イン・レジデンスを行い、「妄想砦のヤノベケンジ」展を開催している。この頃から企業のギャラリースペースや新しい美術館で現代美術の若手が発表する機会も増えていく。ヤノベはその最も早い例である。1994年にはベルリンに拠点を移し、現在メガギャラリーとして著名なペロタンに属していた。ペロタンは、村上隆を海外に最初に紹介したギャラリーとしても知られ、ヤノベと村上は交互にペロタンで展覧会を開催したりしている。

80年代までは、現代美術の作家の発表場所は、アーティストが場所代を支払う貸画廊がほとんどだった。ヤノベも最初に個展を開催し、《タンキング・マシーン》を発表したアートスペース虹も貸画廊であった。特に京都市京セラ美術館や京都国立近代美術館への近隣には多くの貸画廊があり、著名なアーティストが発表していた。また、80年代に日本のアーティストが海外のアートシーンに注目されるルートは、ヴェネチア・ビエンナーレの日本館やアペルト部門という若手を扱った展覧会への出品が主で、1982年の日本館に選出された川俣正や1988年のアペルト部門に選出された森村泰昌などはその典型的な例だろう。ヤノベは、そのような80年代までのルートではなく、90年代になって開かれた世界に自ら飛び出している。

『美術手帖』の1992年3月号の「ポップ/ネオ・ポップ」という特集では、村上隆、中原浩大との座談が開かれ、漫画やアニメ、特撮などのサブカルチャーを取り入れた動向が紹介されており、ヤノベはもっとも年下ながら先行していた。ヤノベは、1989年のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に短期留学した際、ナショナル・ギャラリーなどで、小学生たちが西洋絵画の巨匠たちの本物を前に、レクチャーを受けている様子に衝撃を受けた。そして、その土俵で戦っても勝てないと感じ、自分が幼少期から影響受けてきたサブカルチャーの美学を取り込むことを決意する。

それがアメリカの脳科学者、ジョン・C・リリーが考案した「アイソレーション・タンク」に着想を得た《タンキング・マシーン》である。「アイソレーション・タンク」は、光や音を遮り、皮膚の温度に保たれた塩水のフローティングタンクに入ることで、視聴覚や皮膚感覚、重力の感覚を遮断する。その中において脳は外部刺激がなくなり、白昼夢を見たり、時間感覚がなくなったり、変性意識状態になるというわけである。ジョン・C・リリーと「アイソレーション・タンク」は、ケン・ラッセル監督の『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』の映画のモデルとなり、日本でも公開されたのでSFファンの間でもよく知られていた。

ヤノベは「アイソレーション・タンク」をベースに、日本の漫画やアニメ、特撮などで使われているフォルムを活かして、彫刻作品にすることを試みた。「アイソレーション・タンク」が羊水の中にいる赤ちゃんの状態に近いため、母胎回帰を意識して、妊娠している女性のような人体モデルにした。ただし、顔を自身のライフマスクにし、ロンドンの蚤の市で購入した第二次世界大戦時に使われていたイギリス軍のガスマスクをつけ、股間部からは塩水を出せるように、ペニスのような蛇口をつけている。つまり、男性でもあり、女性でもある、自身の自画像としての彫刻なのである。1990年のアートスペース虹での個展では、多くの人がタンクの中に入り、今までにない体験型の作品としても話題となった。

《タンキングマシーン-リバース》(2019) 撮影:木暮 伸也

《タンキング・マシーン-リバース》は、2019年、《タンキング・マシーン》の構想から30年経たことを機に再制作されたもので、ロサンゼルスのブラム&ポーで開催された「パレルゴン」展に出品された。初代よりもやや大きく、ガスボンベで内部の塩水を温める装置等も細かく機能性を上げている。今回特別に新たなギャラリースペースが増設され、かつてアートスペース虹で開催された時のように、外側の道路から見えるようなっているのも圧巻だ。

日本の戦後の前衛芸術、具体やもの派などは、抽象表現主義やアンフォルメル、ミニマル・アートやアルテ・ポーヴェラとの比較で語られてきた。ヤノベや村上らに関しても、ポップアートの比較で語ることは可能かもしれないが、むしろ藤田嗣治と比較する方が適当なように思える。藤田が1920年代、浮世絵を中心としてヨーロッパを席巻したジャポニスムの認知を前提に、独自の肌の質感を再現した「乳白色の肌」のヌードで西洋絵画の世界で評価を受けた。ヤノベや村上も、ヨーロッパ、アメリカで浸透してきた日本のアニメや漫画の認知を前提に、現代アートの世界にそれらの視覚言語、造形言語を持ち込んだからだ。

さらに言えば、日本のサブカルチャーで浸透していた終末思想を抜きに語れないだろう。1973年に刊行された五島勉の『ノストラダムスの大予言』が大流行し、「1999年7の月に恐怖の大王が来る」という予言が、「人類が滅亡する」と解釈され、サブカルチャーにも多大な影響を与えたからだ。概ね、核戦争と第三次世界大戦を予言したものと言われており、隠喩的に扱った『風の谷のナウシカ』や直接的に描いた『北斗の拳』など、広くテーマになっていた。この1999年を焦点とした終末思想と、「世紀末」が重なり合い、より恐怖感を煽っていたことも指摘しておきたい。日本の場合は、西暦を取り入れたのが明治以降であり、19世紀末はまだあまり浸透していなかったため、実質的に20世紀末が最初の「世紀末」だったと言ってよい。つまり最初の「世紀末」にキリスト教的な終末思想を同時に受容したことのインパクトだったといえる。漫画やアニメを含む、20世紀末につくられた多くの日本の芸術作品は、一つの「世紀末芸術」だったのである。

ヤノベの場合、《タンキング・マシーン》の後、世紀末社会における「サヴァイヴァル」をテーマにした作品を制作しており、美浜原発事故の影響を受けてつくった放射能防護服《イエロー・スーツ》(1991)などはその典型だろう。ただし、1995年で大きくその状況は変わる。ヤノベがベルリン在住時に、阪神・淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、フィクションや「妄想」の範囲であったものが現実化してしまったからだ。地下鉄サリン事件も、『ノストラダムスの大予言』や終末思想とは切り離せないし、ヤノベらの世代の多くが自身もオウム真理教のようなカルト教団に入って、テロ事件を起こす可能性はあったと告白している。だから1995年以前以後でヤノベの制作モードはかなり転回している。1994年まではバブル経済の余韻があり、まだ楽観的なイメージがある。

阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を受け、ヤノベはフィクションや美術館の中の表現に留まることに危機を感じる。1997年に原発事故後のチェルノブイリに訪問する《アトムスーツ・プロジェクト》は、リアルな世界で自身の作品が「機能」するか身体を投じて確認したい、実際の社会で人々の反応を見たい、「妄想」と現実の折り合いをつけないといけない、という思いから計画されたものだ。そして、放射性物質による内部被ばくを最低限防ぐだけではなく、見えない放射線を体で感じるために、スーツに7つのガイガーカウンタ―を取り付け、放射線を検知するとフラッシュを放ち、轟音が響く「放射線感知服」、すなわち《アトムスーツ》(1997)を制作したのだ。

《アトムスーツ》は、原子力を動力とした『鉄腕アトム』のオマージュでもあり、2本の角をはやしている。あるいは、1954年、日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝したことで知られる、ビキニ沖環礁で行われたアメリカ軍の水爆実験をきっかけにつくられた映画『ゴジラ』に出てくる潜水服などがモチーフになっている。ここでもサブカルチャーで得た美学や文脈が踏襲されていることも付け加えておきたい。それは、あくまで芸術作品として社会の中で機能するか考えていた証左であろう。

放射線やウイルスは、その健康被害だけではなく、目に目えない、耳で聞こえないから、危険性を感覚的に判断できないということも恐怖心が煽られる要素だろう。その意味で、危険性を可視化・可聴化したり、身体で感じられるようにすることは、今日においても有効であろう。《タンキング・マシーン》が感覚遮断を行い、無意識に潜り、夢を見る装置だとしたら、《アトムスーツ》は、現実を拡張して感じる装置だといえる。本展でも、「放射線感知装置」は機能しており、ときおり放射線を検知するとフラッシュが光り、音響が会場に鳴り響くのが印象的だった。

《アトム・カー(ホワイト)》(1998)撮影:木暮 伸也

《アトム・カー》は、チェルノブイリの遊園地跡地にあったゴーカートをモデルにしている。コインを入れると動き、動いている間、冷戦時代のアメリカが国民に向けてつくった、核攻撃を受けた際、自衛するための教育用アニメのBGMが流れる。しかし、遠くに行くには、コインを入れ続けなければならない。つまり、安全性は資本次第であることに対する皮肉となっているのだ。

ヤノベが《アトムスーツ》を着用して訪問したチェルノブイリで撮影された写真作品《アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ》のシリーズや、幼少期に解体現場で遊び、「未来の廃墟」と名付けた自身の創作の原点である大阪万博跡地で撮影された写真作品《アトムスーツ・プロジェクト:大阪万博》のシリーズなども展示されている。その他に、チェルノブイリに訪問した時の出来事を記したドローイングなども展示されていた。感覚を拡張し、現実を凝視するという姿勢への転回は、表現の持つ加害性や危険性と諸刃の剣となる。チェルノブイリの立入禁止区域(ZONE)内で住んでいたサマショール(自発的帰郷者)と言われる住民の人たちと、意図せず出会ってしまい、歓迎されることもあったが、自身の恰好を見て罵倒されたり、3歳児と出会い衝撃を受けるなど、空想ではなく現実ならではの多くの「痛み」を抱えることになったのだ。ヤノベは、自身の表現で人々を傷つけたことを後悔し、21世紀になって世紀末の幻想から解放された後は、それらの経験をもとに、「リヴァイヴァル」をテーマに創作していくことなる。

《アトムスーツ・プロジェクト(チェルノブイリ 保育園4)》(1997) 撮影:木暮 伸也

1996年には、フランスのキュレーターの二コラ・ブリオーの唱えた「リレーショナル・アート」や「関係性の美学」の端緒となった「トラフィック」展(CAPC ボルドー現代美術館)に参加しているが、《タンキング・マシーン》が体験型であったことが一因にある。現在のヤノベは、リレーショナル・アートの文脈で語れることはないが、サブカルチャーの美学の翻案ということだけではなく、次世代のアートの形にまで踏み込んでいたことは強調しておいた方がいいだろう。

現在の世界は、すでにフィクションに留まらず、明らかな危機の状態にある。気候変動による劇的な温暖化や例年酷くなる水害、地震、そしてパンデミックなど、人類の存亡に関わる幾つもの危機の渦中にある。人類が地質や地球環境を大きく変えてしまっている「人新世」の時代と言われるように、アートもそこから無縁ではいられない。1995年にフィクションだけの世界から現実との関係を重視することに舵を切ったヤノベの転回は、現在さらに重要になっているといえるだろう。

長引く社会的な隔離の中で、時間感覚を失ったり、不安に襲われたりする人々も多いだろう。
しかし、本展のあいさつに書かれているように、パンデミック下で研究に没頭することで、歴史的な数々の発見をしたニュートンのような例もある。《タンキング・マシーン》のような隔離は再生や創造のためのスプリングボートの可能性があるというわけである。西洋美術から日本のサブカルチャー、感覚の遮断から感覚の拡張、フィクションからリアルなど90年代を切り拓いてきたヤノベの軌跡からから見えてくることも多いのではないか。

評者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナーほか。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行なっている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹─色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。
美術評論家連盟会員、日本色彩学会会員。

Manabu Miki is a writer, editor, researcher, and software planner. Through his unique research into image and colour, he has worked in writing and editing within and across genres such as contemporary art, architecture, photography and music, while creating exhibitions and developing software.
His co-edited books include ”Dai-Osaka Modern Architecture ”(2007, Seigensha), ”Colorscape de France”(2014, Seigensha), ”Modern Architecture in Osaka 1945-1973” (2019, Seigensha) and ”Reimaging Curation” (2020, Showado). His recent exhibitions and curatorial projects include “A Rainbow of Artists: The Aichi Triennale Colorscape”, Aichi Triennale 2016 (Aichi Prefectural Museum of Art, 2016) and “New Phantasmagoria” (Kyoto Art Center, 2017). His software projects include ”Feelimage Analyzer ”(VIVA Computer Inc., Microsoft Innovation Award 2008, IPA Software Product of the Year 2009), ”PhotoMusic ”(Cloud10 Corporation), and ”mupic” (DIVA Co., Ltd.).
http://geishikiken.info/

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