魂の愛を求めるもう一つの西洋美術史「中村隆夫著『象徴主義と世紀末世界』東信堂・2019年」秋丸知貴評

「昼の精神」の印象主義に対する「夜の精神」の象徴主義

中村隆夫著『象徴主義と世紀末世界』(東信堂・2019年)

秋丸 知貴

象徴主義とは、一体何だろうか?

通常、象徴主義の絵画としては、19世紀後半のモロー、ルドン、クノップフ、クリムト、シュトゥック等が挙げられる。しかし、全体的に憂愁(アンニュイ)調であることを除いて造形様式は千差万別で共通項を取り上げにくい。そのため、従来は単に時間的な括りで曖昧に「世紀末芸術」と呼ばれることも多かった。

一方、同時代に主流化した印象主義の絵画には、明確な共通の造形様式がある。それは、原色の油絵具を斑点状に並置し、網膜上で視覚混合して明るい画面を実現する筆触分割である。この手法は、チューブ入り油絵具の発明で屋外写生が可能になり、強烈で変化しやすい外光を描写するために生み出されたとされる。

著者の美術評論家・中村隆夫は、象徴主義と印象主義が正に同時代現象であることに着目する。つまり、象徴主義をそれ自体ではなく印象主義との相反的対比により特徴づけるのである。

まず、印象主義は物体の表面で瞬く光の反射のみに集中する。それは、目に見える物質世界だけを信頼するという現実主義的態度の表れである。その点で、貨幣経済や科学技術を急速に発達させた同時代の合理主義精神の反映の一つである。印象主義こそは、近代生活を謳歌する明朗快活な新興中産階級(ブルジョワジー)のための美術である。

これに対し、象徴主義は目に見える背後の儚く幽かな精神世界を描こうとする。それは、この世界には此岸的価値ではなく彼岸的価値、換言すれば金額には還元できない価値があると信じる理想主義的態度の表れである。彼等は、近代生活の喧噪には適応できずに病みがちで退廃的ではあるが決して絶望はしていない。言わば、象徴主義は精神的貴族のための美術である。

象徴主義は、世俗的幸福には満足できない。お金で買えるものではなく、失われた宝物や楽園こそを愛惜する。幻滅の多い現実に対しては、耽美こそが救済となる。彼岸への憧憬は、死を魅惑的なものと感受させる。肉欲は悩ましく狂おしいが、魂は一途に永遠の絶対的愛を希求する。これこそ、象徴主義の代表的主題として19世紀末に大流行した「宿命の女(ファム・ファタル)」の含意である。その芸術的昇華の典型を、私達は愛する男の生首と見つめ合う美女サロメに見出すだろう。

厭世は崇高な神聖を求めるが、科学万能の時代にはもはや既成宗教に素朴な信仰心は抱きがたい。そこで、象徴主義は異教的神秘主義とも縁が深くなる。本書は、19世紀末に活躍した神秘主義的思想家ジョゼファン・ペラダンや、彼の主宰した薔薇十字展の日本では数少ない貴重な研究書でもある。

近代化は、印象主義が体現する「昼の精神」により推進された。その恩恵は、計り知れない。しかし、人間の真の幸福には、それと相補的な象徴主義に暗示される「夜の精神」もまた必要なのではないだろうか。本書は、キュビスムやシュルレアリスム等の20世紀美術も視野に入れつつ、そうした象徴主義的心性を広く深く精神史に探る試みである。

 

※初出 秋丸知貴「中村隆夫著『象徴主義と世紀末世界』東信堂・2019年」『週刊読書人』2019年10月18日号。

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評者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

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