共感覚の原理を解明するファイナルアンサー?
数年前、「ドラミファソラシが虹の七色になる」という新聞記事を見た。それは、色聴共感覚の研究結果であった。色聴共感覚とは、共感覚といわれる、感覚器官とつながる脳の感覚野の反応が異なる知覚現象のことだ。そのため感覚の「クロストーク」とも言われる。
例えば、文字に色を感じる色字共感覚や、音に色を感じる色聴共感覚がポピュラーで、研究対象になることが多いが、その他にも無数の共感覚が存在することがわかっている。
アートでは言えば、音楽の印象を抽象的な絵画にしたワシリー・カンディンスキーなどが共感覚を持っていたのではないかと言われているが、「それが本当に存在したのか」、描かれた絵画や手記などから推測するしかない。カンディンスキーは、「薄青(ライトブルー)ハフリュートに、濃紺(ダーク・ブルー)はチェロに似ており、その濃さと深さを増すにつれて、コントラバスの不思議な音色に似てくる。」[i]「ヴァーミリオンは、チューバのような響きをだすが、また力強い太鼓の響きにも比較することができる」[ii]など、楽音から感じる色の印象を記している。
音楽家では、交響詩《プロメテウス:火の詩》(1910)で、音楽と色彩を統合し、キーと連動して虹の7色がスクリーンに投影されるカラーピアノを使用した、アレクサンドル・スクリャービンは、7音階のドを赤、レを黄色、ミを空色、ファを深い赤、ソをオレンジ、ラを緑、シを青に対応付けた。いっぽう、ニコライ・リムスキー=コルサコフは、ドは白、レは黄色、ミは輝きのある青、ファは緑、ソは茶色と緑の中間、ラはばら色、シは暗い青、鉄色とした。
つまり、音から色を感じると言っても、カンディンスキーは楽音、スクリャービンやコルサコフは音階であり、それぞれ対応する色が違うということである。
このような共感覚による創作や研究のブームは、20世紀前半に訪れたがしばらく忘れられ、戦後は知覚現象ではなく、印象や連想の範囲を出ないと思われていた。それが知覚現象として扱われ、神経生理学、脳科学的な研究対象となったのは、fMRI(磁気共鳴機能画像法)のような脳の活動を画像で判断できる機器が登場し、被験者が音を聞いたときに、色を知覚する視覚野が活性化するというような「証明」ができるようになったからである。
かつては10万人に1人といった珍しい知覚現象と思われていたが、近年では23人に1人といった研究もあり、さらに150種類以上の共感覚が確認されており、もはや珍しいものではなくなってきている。それでもまだ自覚されてない方も多いので、共感覚の研究ニュースを知って、初めて自分の感覚に気付くこともある。だから、将来的にはもっと普通の?知覚現象になる可能性はある。そもそも、感覚器官と脳はそれほどすっきりわかれておらず、「クロストーク」するのは当たり前で自覚できる「度合い」の問題かもしれないが、創造性とは深い関係にある。
特に、アーティストや芸術教育を受けた者は、共感覚者の割合が多いとされる研究があり、私が毎年、多摩美術大学の特別授業でアンケートをしている結果からみても、23人に1人という割合よりはるかに多い。また、近年、再びアートシーンでも、共感覚をテーマにした作品が多くなっているように思う。創作活動にとっても、極めて重要な知覚現象であるといってよい。
私も、共感覚をヒントに、画像の色から音楽を作るアプリ『mupic』を開発している。これは音階ではなく、カンディンスキーのように楽音(及び音)と色を対応するシステムにしている。理由は、音階や調に色を感じる共感覚は、音楽の訓練を受けている者に多いことと、転調すれば音階もずれてしまうので、色と音階を対応付けて、画像のイメージを想起させる音楽を生成するのが難しいからである。
https://mupic.jp/
https://apps.apple.com/jp/app/mupic/id1453546845
本書では、日本人による、音階と色の共感覚に絞り、大胆な仮説を説いている。
本書で挙げている共感覚の特徴の例は、①希少性、②特異性、③自動性、④一貫性、⑤発達性起源であるが、「希少性」については、どこまで希少かというのはまだわからない。「特異性」というのはそれぞれ共感覚の内容が異なるということだが、ここでは音階と色の共感覚に絞っている。
「自動性」は不随意的(無意識的)に、感覚が起こること。「一貫性」は毎度、その感覚が変わらないこと。「発達性起源」というのは幼少期からあること。ということであるが、これらは共感覚の前提といえるが、近年では、連想に近い連合型(アソシエイター)といわれる共感覚も提唱されているので、その場合は、もう少し広い定義になるだろう。
本書が特にフォーカスしているのは、「特異性」についてである。スクリャービンやコルサコフの例を挙げたように、それぞれ音階と色の対応も異なるのだが、著者が調査したところによると、全体で見ればドレミファソラシが虹の七色のようになっていることを発見したのだ。つまり、「特異性」よりもむしろ一定のルールがあるということだ。具体的には、ドは赤、レは黄色やオレンジ、ソは水色、ミは緑、ファはオレンジか緑、ラ・シは紫といった具合である。
なぜこのような法則が生まれるのか。著者の推論は、序列である。音階で言えば、ド→ソ→レ・ミ→ファ→ラ・シの順で重要であるという。
色の場合は、1969年にバーリンとケイが、世界の98か国の言語を調べ、「基本の色彩語」という概念をつくった。色知覚はどの人種や民族、言語でも変わらないが、文化によって、7つの段階を経て11色まで進化するとし、その11色の焦点色と言葉を人類にとって普遍的な11の「基本の色彩語」としたのだ。
まず、第1段階が白・黒、第2段階が赤、第3段階が黄or緑、第4段階が緑or黄、第5段階が青、第6段階が茶、第7段階が紫・ピンク・オレンジ・灰色となる。その後、この理論は、改良が加えられ、基本の色彩語は6色程度ではないかとされているが、普遍的な焦点色があり、それが段階を経て分岐していくという根本的な考え方は変わらない。
しかし、著者は日本ではこの段階が異なるのではないかという。それは日本語の青が「青垣」「青々とした緑」「青信号」といったように、緑を含む広い概念であり、日本の古語においても、白黒赤青の4色がもっとも古いとされているからである。そして、第3段階を青とし、第4段階を黄or緑、第5段階を緑or黄と序列を入れ替えている。
たしかに、青と緑はBlueとGreenを合わせたGlue と言われることがあり、もともとは一つの色の概念で分岐したという考え方もある。赤の次の段階にGlueが入るかどうかはわからないが、日本語だけの問題とはいえないと思える。
そして、音階の序列と白黒を抜いた日本語の色の序列を重ね合わせると、ド=赤、ソ=青、レ=黄、ミ=緑、ファ=茶、ラ=紫、シ=桃となる。それぞれの序列によって、音階と色の共感覚のルールが生成されているというわけだ。序列とは、重要性であり、使用頻度とも考えられる。使用頻度が共感覚に影響しているという指摘は、すでになされているが、著者の推論は音階と色に関してさらに精度を上げたものといってよいだろう(ちなみに色の序列の最初にある白黒は、ピッチハイト(pitch height)、絶対的な音の高さに対応するという)。
本書は、共感覚の謎の一つの解明であり、脳科学に加え、音楽理論と色彩理論を詳しく知らないと解けない。筆者がクラリネット奏者であり、音楽理論を熟知していたから可能になったことでもあるだろう。ある種のファイナルアンサーだと思うが、今後、研究や表現など、様々な発展をしていくことを期待したい。
追記
このような最新の研究と大胆な仮説が読めるのが新書の醍醐味だと思うが、新聞記事で見た研究が本になったことを知り、優秀な編集者がいたのだなと思った。それであとがきを見たら、「ひとつの小さな新聞記事から筆者を発見し、丁寧なお便り本書の執筆を勧めてくださった光文社の小松現さん」と記されていた。なるほど、と思い、以前話題となった伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社、2015年)のあとがきを見てみたら、同じく「クールな助言と熱い応援で執筆を支えてくれた光文社の小松現さん」とある。最新の研究と一般読者をつなぐ、このような編集者の存在を改めて感じる本であった。
アイドルグループや仮面ライダー、カモメなどの例えや、音楽理論や色彩理論を、脳科的な見地から解説しながら、共感覚の最新研究を解き明かしていく著者の豊富な知識と筆力には目を見張る。続編を期待したいところである。
[i] カンディンスキー『抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂訳、美術出版社、1958年、p.101。
[ii] 前掲書、p.110。