
《戊戌六月》 72.7cm × 91cm コットンキャンバス・アクリル絵の具 2019年 “35th of the sexagenary cycle June” 72.7cm × 91cm Acrylic on cotton canvas 2019
物語の予感、その先にある探求の入り口
美術家、間泰宏(Hazama Yasuhiro)の作品は、鑑賞者を明快でポジティブな世界へと瞬時に引き込む力を持つ。画面を満たす鮮やかな色彩、迷いのない輪郭線、そして親しみやすいキャラクターたち。そのフラットでグラフィカルな構成は、私たちを現実の重力からふわりと解放し、ある種の物語の始まりを強く予感させる。
多くの鑑賞者は、このポップな世界観の中に、心温まるストーリーやキャラクター同士の関係性を読み解こうと試みるだろう。それは作品との自然な対話の始まりだ。しかし、間泰宏の真価は、その普遍的な入り口の先に、より深く知的な探求の領域を用意している点にある。

《丁酉六月》 72.7cm × 91cm コットンキャンバス・アクリル絵の具 2019年 “34th of the sexagenary cycle June” 72.7cm × 91cm Acrylic on cotton canvas 2019
作家は言う。「私の作品で、キャラクターに見えるものは全て記号です」。この言葉は、安易な物語への没入を制し、鑑賞者を一度立ち止まらせる。意味や役割から解放された「記号」としてのキャラクター。物語が「ありそう」でないという、この意図的な構造転換こそ、彼の作品が現代美術として持つ強度と独創性の源泉だ。表層的な魅力を超え、鑑賞者自身の内なる対話を促すこの仕掛けは、一体どこへ私たちを導くのだろうか。
洋画、詩、ユニット活動 —「記号」へと至る探求の軌跡
間の表現世界の成り立ちを理解するには、彼の経歴をたどることが不可欠だ。1995年に京都精華大学で洋画を専攻し卒業した彼は、絵画の根本的な探求からそのキャリアをスタートさせた。1999年からは詩人の林友紀とのコラボレーションでArtist Unit「田中慎平」としての活動を通じ、物語性の強い「ふわふわ島」シリーズを展開。特定の物語を提示し、鑑賞者と世界観を共有するアプローチで高い評価を得た。

《Like the sound of steps of another me》 38x45cm. acrylic and uretan paint on cotton cloth 2004
しかし、彼の探求はそこにとどまらない。むしろ、物語を構築する経験を経たからこそ、彼はその先へと向かう。すなわち、物語を「与える」ことから、鑑賞者が自らの物語を「紡ぎ出す」ための場を創出することへのシフトである。キャラクターを意味から切り離し、純粋な「記号」として画面に配置する現在の手法は、この思慮深い芸術的判断の帰結に他ならない。
それは、作家が鑑賞者の主体性と想像力に深い信頼を寄せていることの証だ。洋画で培った造形力、他ジャンルとの協業で得た複眼的な視点。それらすべてが、あらゆる解釈に対して開かれた、究極にシンプルな絵画空間の創造へと昇華されている。
絵画という名の「地図」— 鑑賞者に委ねられた羅針盤
「キャラクターは記号であり、物語はない」。このコンセプトを核に据えるとき、彼の絵画は一枚の「地図」としてその機能性を明らかにする。
私たちが手にする地図は、記号とイメージの集合体であり、それ自体に物語はない。だが、その情報を頼りに、私たちは目的地へと到達できる。間の作品も同様だ。作家の感情の痕跡であるマチエールや筆触を抑制した画面は、極めてニュートラルな情報媒体として存在する。そこに描かれたキャラクターたちは、特定の意味を主張することなく、ただ鑑賞者の視線を受け止めるためのインデックスとして機能する。

Black and White シリーズ HAZAMA YASUHIRO

《Black and White シリーズ 002》 HAZAMA YASUHIRO
この絵画という「地図」が指し示す目的地、それは鑑賞者自身の内なる風景に他ならない。作品と対峙する中で生まれる「喜び」「安らぎ」「気づき」、時には「寂しさ」や「戸惑い」といった微細な感情の波紋こそが、自分自身を理解するためのコンパスとなる。彼の作品は、作家からのメッセージを解読する課題ではなく、鑑賞者が自らの現在地を確認し、進むべき道を探すための個人的なツールとして開かれている。その明快さは、誰もが安心して心の旅に出ることを許容する、懐の深い優しさの現れだ。
現代における吉祥のかたち — 幸福を映す鏡として
間は、自身の芸術的挑戦を「民衆の幸福への思いを描き続けた花鳥画に学び、現代人の幸福への願いを描く」ことにあると語る。この言葉は、彼の制作の根底に流れる哲学を指し示している。彼の作品は、伝統的な吉祥画が担ってきた役割を、現代的なアプローチで再構築する試みと捉えることができる。
ただし、それは特定の幸福の形を提示するものではない。むしろ、彼の絵画は、鑑賞者一人ひとりが持つ多様な幸福のかたちを映し出す「鏡」として機能する。複雑な現代社会を生きる私たちが、心の奥底で求めるもの、大切にしている価値観。それらを、作品は静かに肯定し、その存在を明るみに出す。

《Untitled》 15.8×22.7cm. acrylic on wood panel 2020
無垢でポジティブなエネルギーに満ちたその世界観は、日々の喧騒の中で見失いがちな、本来の自分を取り戻すきっかけを与えてくれる。作品を通じて、鑑賞者は自らの内なる物語の断片を発見し、それを自身の力で再構築していく。それは、アートが媒介となって起こる、極めて個人的で、かつ創造的な体験なのである。
鑑賞者と共鳴する絵画、その静かなる強度
美術家・間泰宏の芸術は、作家自身の内なる探求と、鑑賞者の精神世界へ開かれようとする芸術的意志が、極めて洗練された形で統合されている。一見、軽やかでポップなその表現の奥には、鑑賞者一人ひとりの生と深く共鳴しようとする、静かでありながら強靭な構造が貫かれているのだ。彼の描く「地図」は、不確実な現代を生きる私たちにとって、自分自身の道を見出すための信頼すべき道しるべとなる。それは、絵画というメディアが持ちうる可能性への、誠実で力強い応答なのである。

《いちご狩り》 33.3cm × 24.2cm キャンバス・アクリル絵の具 2019年”Strawberry picking” 33.3cm × 24.2cm Acrylic on cotton canvas 2019
画像提供:City Gallery 2320
撮影者:岩澤有徑
🔳間泰宏 プロフィール (city gallery 2320 HP内)http://citygallery2320.com/WW/about.hazama.html
初出 間泰宏作品集「HAZAMA YASUHIRO」2020年4月発行