
笹川治子 Haruko Sasakawa 「Case.D」 DM画像 画像提供:Yoshimi Arts
展覧会名:笹川治子個展「Case.D」
会期:2012年9月1日(土)- 9月20日(木)
会場:Yoshimi Arts (大阪市西区)
2011年の東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所事故は、科学技術への信頼を根底から揺るがした。私たちが当たり前のように享受してきた文明の豊かさ、その足元がいかに危ういものであったかを突きつけられた出来事であった。
その翌年、2012年9月1日から20日まで、大阪のギャラリーYoshimi Artsは、この問いに鋭く切り込む笹川治子の個展「Case.D」を開催した。本展は、文明社会が内包する危うさと虚構性を、批評的な視点と手作業によるインスタレーションで暴き出す試みであった。
未来の科学館、あるいは文明の廃墟
会場に足を踏み入れると、そこは未来の科学館を思わせる空間が広がる。しかし、輝かしい未来を予感させるものではない。ロゴマーク「D」が印刷されたチケット、整然と並ぶパネル、都市の模型、展望鏡。それらの展示物は、どこか空々しく、張り子のような手触りを残している。白い空間は、文明社会の脆弱さを白日の下に晒すかのようだ。そこには科学技術の輝かしい発展への期待よりも、むしろ不安感と危うさが漂っていた。
Yoshimi Artsは、作家の意図を「この社会で起こる出来事に対し批評的な視点を持ち、それらを記号的に可視化し、また、現象を様々な局面に置き直し、脱力的に表現することでリアリティーを表出する試み」と解説する。デジタルハリウッドで3DCGを学び、東京藝術大学大学院の先端芸術表現科を修了するなど、作家はデジタルカルチャーの最先端に精通している。その経歴を持つ彼女が、あえて「脱力的」とも言えるアナログな手法でテクノロジー社会の本質に迫る点に、笹川の制作の核心がある。
切り取られた真実 ― 《フォトショップ》
作品《フォトショップ》は、その象徴的な一例だ。同名の画像編集ソフトウェアがそうであるように、小さな木枠の中に提示されるイメージは、歪められ、一部分が切り取られ、あるいは見せたくないものが覆い隠されている。どこまでが本物で、どこからが偽物か。その境界は意図的に曖昧にされる。私たちは常に、加工され、編集された断片的な情報しか与えられていないのではないか。この作品は、全体像が見えなければ真実には到達し得ないという、現代社会における情報のあり方を鋭く突きつける。

《フォトショップ》 ミクストメディア 手前はガイドパーテンション 画像提供:Yoshimi Arts
理想郷の末路 ― 《フィクショナルビュー》
ジオラマ作品《フィクショナルビュー》は、本来あるべき理想の都市の姿を、まるで廃墟のように描き出す。山肌は削り取られ、無個性な箱モノが立ち並ぶ風景には、福島の原子力発電所を彷彿とさせる施設も含まれる。自然を支配し、人間の手で理想郷を築こうとする傲慢さへの痛烈な皮肉が込められている。模型の中を闊歩するおもちゃの怪獣は、人間の心に潜む支配欲や欺瞞の象化であろうか。この光景は、目に見えないだけで、実は私たちの精神世界の現実なのかもしれない。作家が、鑑賞者に忘れさせないために、あえて福島のイメージを作品に含めたという事実は、この虚構の風景に痛切なリアリティーを与えている。

《フィクショナル ビュー》 ミクストメディア 画像提供:Yoshimi Arts
虚構を見つめる群衆《プロジェクション》
映像の光に見入る黒い人影の群れをかたどった作品は、個の尊重が叫ばれる一方で、誰もがメディアの前に無個性な大衆と化していく現代の姿を映し出す。テレビやインターネットから一方的に垂れ流される情報を、疑うことなく受け入れる私たちの姿そのものではないか。それは、人間性を介さない情報が、いかに容易に私たちをコントロールしうるかという警告でもある。

《プロジェクション》 映像・ボード・黒パネルによるインスタレーション 画像提供:Yoshimi Arts
どれほど科学が発展し、精緻なシステムを構築しようとも、それを作り、運用するのは不完全な人間である。人間そのものが危うさを抱えている限り、絶対的な安全や安心は存在しない。笹川は、あえて木材や塩ビ、紙といった素材を用い、手作業で張り子のような構造物を作ることで、その事実を突きつける。科学という壮大なテーマを手でなぞり、作り直すことで、逆説的に浮かび上がるのは、人間の存在そのものの不確かさだ。
科学技術の進歩は、必ずしも人類の幸福に直結しない。本展は、その自明の理を改めて私たちに突きつける。だがそれは、文明の単純な否定ではない。進歩の追求の裏側で、私たちが何を失い、何を見つめ直すべきなのか。倫理観か、人間性か、あるいは他者への想像力か。その答えを、笹川の作品は静かに、しかし鋭く問いかけてくる。
初出 「現代アートのレビューポータル Kalons」2012年11月2日公開