近代化の過程で生み出された多様な建築群
京都市京セラ美術館開館1周年記念展
「モダン建築の京都」
会期:2021年9月25日(土)〜12月26日(日)
会場:京都市京セラ美術館
2021年9月25日から12月26日まで、京都市京セラ美術館の開館1周年記念として、「モダン建築の京都」展が開催されていた。「モダン建築」というのは、日本の建築史的には微妙な言い方かもしれない。日本の場合、近代化と西洋化が同期しているため、明治以降の新しい意匠と構造による近代建築を、近代洋風建築と言ったりする。その中には、いわゆる歴史主義建築と言われるギリシア・ローマ等から意匠をとった建築と、そこから切り離されたセセッションや国際様式、モダニズム建築が含まれているが、戦後となると近代建築の定義から漏れてしまうこともある。ここで紹介されている「モダン建築」は、近代和風建築に加えて、明治の歴史主義建築から、戦後モダニズム建築までを補う言葉といってもいいかもしれない。
日本は極短い間に、19世紀までの各様式を模倣し、さらに様式から脱皮したモダニズムを模倣したので、それを一括りとする概念が難しい。英名のタイトルは「MODERN ARCHITECTURE IN KYOTO」となっており、そうなるとモダニズム建築以前の建築は含みにくい。「モダン建築の京都」展をあえて定義すれば、明治以降から高度経済成長期までの、歴史主義建築からモダニズム建築、近代和風建築まで含む、広義のモダン・ムーブメントの影響下にある京都の建築群の展覧会ということになるだろう。京都を中心に活躍する名だたる建築史家が参加しているので、もちろんこのような定義の揺れは含意のことだろう。
このような大がかりな「モダン建築」の展覧会が京都で開催されるのは初めてかもしれない。京都のパブリックイメージは、寺社仏閣や町屋かもしれないが、「モダン建築」も量、質とも日本有数である。本展は、それらを一堂に会して紹介する、満を持しての展覧会といってよいだろう。もちろん、それは会場となった当の京都市京セラ美術館が、1933年に竣工した「モダン建築」であることが大きい。
近年、美術館における建築展が増加しているように思える。2014年には、金沢21世紀美術館で「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」展、2018年には森美術館で「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」、2019年~2020年には国立国際美術館などで「インポッシブル・アーキテクチャー:建築家たちの夢」などが開催されており、建築あるいは建築の構想を展覧会として見せるということが一般的になっている。それはある種、建築家が社会的に「アーティスト」として承認されるようになっている証左でもあるだろう。何をもって「アート」か、何をもって「アーティスト」かという議論はさておき、美術館というアートを保証する制度、展覧会というアートを表象する形式で、建築及び建築家が取り上げられていることは間違いない。
世界的に言っても、日本のアーティストよりも、日本の建築家の方がはるかに認知度が高く、ステータスも高いかもしれない。安藤忠雄の世界的な活躍と認知は言うまでもない。2010年以降、建築家のノーベル賞と例えられるプリツカー賞には、SANAAの妹島和世と西沢立衛、伊東豊雄、坂茂、そして、2019年には戦後の日本の建築界の世界的評価にもっとも貢献した一人ともいえる磯崎新が選出されており、隈研吾だけではなく、藤本壮介や田根剛ら中堅の建築家の世界的な活躍も続いている。2017年には、坂茂が設計したポンピドゥー・センター別館のポンピドゥー・センター・メス展で、戦後の日本の建築や都市計画を紹介する「ジャパン-ネス Japan-ness 1945年以降の日本の建築と都市計画」展が開催され、日本の建築家のユニークな営為が再注目されることになった。
しかし、建築展は常に難しい課題を抱えている。つまり、展示されるどれ一つとっても建てられた建築の代わりにならないということである。建築展で展示されるのは、模型、図面、写真、記録映像、構想のスケッチ、メモ、パース、内部に飾られていた家具、近年ではCGによる映像など多岐にわたるが、それは実体を展示できない不可能性の裏返しだといってもよい。どこまで言っても真実には近づけないからだ。それを逆手にとったのは、そもそも建てられた建築ではないものを取り上げた、「インポッシブル・アーキテクチャー:建築家たちの夢」展だったといえる。実体がないから完成図は想像の中にしかない。
「モダン建築の京都」展は、その意味で、建築展の不可能性をうまく解決している。もちろん、そこに展示されているのが「本物」ではない、という条件は変えられない。紹介されている建物は、京都市京セラ美術館を含めて、すべて現存する建築であり、見に行くことが可能なのだ。展覧会では、現存するモダン建築のうち全7章36の建物が紹介されている。さらに、オフィシャルブックには、100の建物が選出され、エリア別に解説されている。
「京都は、建築を巡りながら日本の近代化の過程を肌で感じることができる大変興味深い都市なのです」「生きた建築博物館といっても過言ではない」「古建築と庭園だけではない京都のもうひとつの魅力に触れて旅するための一助」[i]と記されているように、展覧会を見て、オフィシャルブックをもって実際に見に行くということが狙いといってよいだろう。そのためにオフィシャルブックは、展覧会図録の役割だけではなく、ハンドブックとして携帯できるようにつくられている。
そのような「生きた建築博物館」となった理由は何だろうか?「第2次世界大戦の空襲がほとんどなかったこともあって、他の街と比べても、京都は洋風建築が数多く残る街として知られる」[ii]と笠原一人(京都工芸繊維大学助教)氏は述べている。ただし、耐火性の優れたレンガや鉄骨、鉄筋コンクリート造の多くの洋風建築は、木造を焼くために特化された焼夷弾の延焼から免れている。それは大阪市街地に残る洋風建築に顕著である。もう一つの要因は、関東大震災のような巨大地震がなかったこと。そして、観光都市であり、経済効率よりも景観保存が重視されたことも大きいだろう。実際、大阪でも経済が成長したときには、古い洋風建築は、効率性の高いビルに建て替えられている。そのような幾つもの幸運が、京都を平安時代から現在までの建築が一堂に見られる「生きた建築博物館」にしたといえる。
それだけにそれらを網羅的に紹介するのは難しく、テーマ別に分類されている。1章「古都の再生と近代」、2章「様式の精華」、3章「和と洋を紡ぐ」、4章「ミッショナリー・アーキテククトの夢」、5章「都市文化とモダン」、6章「住まいとモダン・コミュニティ」、7章「モダニズム建築の京都」である。
特に京都は、明治以降、天皇の東幸によって天皇の居住地ではなくなり、さらに寺院の地位も低下したため、大胆な産業改革をしなければならなかった。第四回内国産業博覧会やそれに伴ってつくられた平安神宮、水不足を解消するためにつくられた琵琶湖疎水などはその代表例だろう。「モダン建築の京都」の誕生は、その大胆な構造転換の結果だといえる。
他にも、本展ではユニークな建築が多く紹介されており、例を挙げると和風でありながら、空調や採光の技術がふんだんに取り込まれた藤井厚二設計の自邸であった聴竹居や、洋風の核心ともいえるキリスト教系の建築群、社会主義運動を推進した立野正一が創業したフランソワ喫茶店、戦後の住宅不足を解消するためにつくられた堀川団地などなど、建築の様式や構造だけではなく、背景に持つ思想、用途が驚くほどバラエティに富んでおり、しかもそれが現役で残っているということに驚かされる。会場には、聴竹居の地形も含めた模型やウォークスルー映像が流されおり、どのような設計を想定していたかよくわかる。
クライマックスは、大谷幸夫設計による国立京都国際会館である。1966年に竣工されたこのダイナミックな鉄筋コンクリート造による建築は、東京オリンピックから大阪万博開催の間に建てられ、万博で花開くメタボリズム建築までの道筋をつけただけではなく、実際に日本万国博覧会参加国政府代表者会議が4回開催されている。近年では、1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)において、「京都議定書」が採択されたことで知られている。会場では、記録映像が流されており、当時の空気感が出ている。このような建築のドキュメント映像は、今後の建築展には欠かせないものになるだろう。
いずれにせよ、本展の監修者、オフィシャルブックの編著者である石田潤一郎(京都工芸繊維大学名誉教授)氏をはじめ、日本の一級の建築史家が集まり、非常に広い視野から練り上げられた展覧会であったといえるだろう。京都が「モダン建築」のもっとも重要な舞台であることを雄弁に名乗り出たのではないだろうか。
[i] 石田潤一郎、前田尚武編著 『展覧会オフィシャルブック・モダン建築の京都100』Echelle-1、2021 、はじめに。
[ii] 同書、p.125。