アートユニットYotta、車と焼き芋の美学
木崎公隆(Yotta)
今年(2015年)の冬、電飾でデコトラのように改造したセンチュリーの焼き芋販売車が東京中の話題をさらった。ツイッターやSNSで目撃情報が相次ぎ、一体あれは何なのだ?と一瞬にして情報が駆け巡った。
単なる焼き芋屋さんが派手な趣味をしているというわけではない。Yotta(ヨタ)という木崎公隆と、山脇弘道からなる二人組のアートユニットである。2010年にYotta Groove (ヨタ グルーヴ)名義で結成された。自らのアイディンティティを顧みる「イッテキマスNIPON」シリーズとして、13mの巨大なバルーン製のこけし《花子》をおおさかカンヴァス2011や六本木アートナイト2012で発表するなど、活動の幅を広げてきた。
そして2013年、Yottaにに改名して再始動する。Yottaとは、ギガ、テラなど、国際単位系(SI)の最大値の接頭辞であると同時に、落語などで出てくる架空の人物の代表格、与太郎から名付けられた。与太郎の噺が「爆笑もの」であることが彼らの姿勢を暗に示している。
この冬、Yottaは、かつての高級セダンの代表格のようなセンチュリーを大胆にも焼き芋仕様に改造し、ド派手な電飾を施して《金時》と名付け、究極のミスマッチなスタイルで東京中を巡回した。実は《金時》は2010年に六本木アートナイト2010で発表されたものだが、今回大幅なバージョンアップを再公開した。
《金時》はもちろん、アートとしての活動なのだが、焼き芋を売ることもそこには含まれている。彼らの活動はあっという間に有名になり、岡本太郎賞を受賞して関西に帰ってきた。Yottaのメンバーは大阪在住なので、いわば出稼ぎに行っていたのだ。
木崎くんはアートスクールの後輩でもあり、《金時》が世の中を騒がしている頃、別件で一度会おうと話していた。今回、関西に凱旋し、Yottaのエピソードも聞くことになったので、良い機会なのでここに書いておこう。
まずは誰に受けたのか?だ。もちろん、街中を走りまわしているのだから、アート関係者にアピールしているわけではない。SNSの反応からもアート関係者ではない人々にも受けたということは明白だ。
特に車好きがとても関心が高かったことのことだ。センチュリー(世紀)は、1967年に、豊田佐吉の生誕100年にちなんで名づけられた。企業の社長用の車などによく使われ、かつての高級車のアイコンであった。モデルは1990年に発売されたVG45型で、エンジンはV型8気筒、排気量は4200cccで1997年に大幅改定されるまでの初代タイプで現在でも人気がある。現在のセンチュリーや、軽トラックやバンではなく、昭和のクラシカルなフォルムを残す超高級セダンを改造したところが受けた点でもあるだろう。
ただ「改造」と書いてきたが、《金時》は改造車ではない。木崎は陸運局をはじめ、管轄する機関を調査し、法規的な問題がないかすべて洗い出している。車検に通るために、《金時》の電飾は、荷台に積んでいるだけの「荷物」なのだ。
しかし、同時に目立つことは、移動販売車にとっての重要な機能とも言え、デコトラなどを引用した装飾性は理に適っている。トランクの上の「竹槍マフラー」も単なる見世物でなく、ちゃんとした煙突としての機能を持っている。単なる装飾性に陥らないところは彼らが拘っているポイントだろう。
また、セダンであるセンチュリーでは、水洗の調理施設を設置できない。それでは飲食を販売するための調理許可は下りない。しかし、焼き芋はただ暖めるだけなので物販扱いになっているという。だからセダンで販売できるということなのだが、そこには法規だけではない周到な計算がある。
セダンのトランクの上に置いている鉄製の焼窯にも工夫が凝らされている。トランクの下には燃料タンクがあるので高温度化は当然危険である。しかし、懇意にしている工場と相談し、温度が下にいかないよう特別に断熱性を考慮して設計された焼窯なのである。
そして肝心の味である。車を凝りに凝っても味がおいしくないとただの見世物になってしまう。徳島県産のサツマイモ、「鳴門金時」の中でも高級ブランドである「里むすめ」を選び、くだんの焼窯で焼いているため格別においしく作れるらしい。《金時》の名前の由来は、鳴門金時と坂田金時に由来しているとのことだが、落語家にも金時の系譜があり、日本の名前のある種の表象といえるだろう。
岡本太郎賞の審査では、美術評論家の椹木野衣氏は焼き芋の美味しさに感心し、日本美術史家の山下裕二は車好きのためセンチュリーの改造に感心したらしい。審査委員たちもアート外の文脈で唸らせているところがにくい。
音も意外に重要だという。例の「石焼き芋~」というメロディをリミックスして流しているのだが音楽は人との関係を縮める効果があるとのことだ。確かに、公共における音はある種の暴力性と親和性の間にある。この絶妙な間を見出すことも重要な戦略だろう。
さらに採算である。アート・プロジェクトの場合、プロジェクトフィーはだいたい芸術祭や展覧会などから支給されるため、自主採算ではない。しかし、《金時》の場合は、街中を作品が周遊しながら、そして焼き芋によって利益も上げるという、アクロバティックな解決法を提示している。売値は600円、1日平均50本は売れていたという。原価については書かないでおくが、十分と言わないまでも商売として成立していたことを示す数字だろう。
90年代後半から、現代アートは、作品を見せてそのまま完結するのではなく、観客とある種の関係性を結ぶことを前提とした作品が増加している。代表的な作家に、床に平面的に並べた飴を持ち帰らすフェリックス・ゴンザレス=トレス、展覧会場でタイカレーを振舞うリクリット・ティラバーニャなどが挙げられる。これらのアーティストの方法を、キュレターであり評論家の二コラ・ブリオーは著者『関係性の美学』(1998)の中で「リレーショナル・アート」と定義し、2000年代以降のアートやアート・プロジェクトに大きな影響を与えてきた。
しかし、それはあくまで美術館や芸術祭という限られた空間と時間において成立するものである。日常的な法規やルールに溶け込み、換骨奪胎する形で、アートファンでも何でもない人々を、いつの間にかアートの領域に引きずり込むYottaの方法は、脱構築的ともいえるし、免疫系に排除されないで騙すように入り込むウイルスのような方法であるといえるだろう。
戦後の日本は、アートに対して寛容な国でも、市場のある国でもない。しかし、それを逆手に取る形で、日本風の擬態をとりながら、大衆文化にアートを入り込ませるYottaの方法はありそうでなかった形態として興味深い。そして、なにより「与太話」として終わりそうなアイディアを実行するユーモアが痛快であるといえる。
初出『shadowtimesβ』2015年4月28日