東京・表参道の根津美術館で開催中の特別展「将軍家の襖絵」は、東山御物(ひがしやまごもつ)などの収集で知られる室町時代の足利将軍家の襖絵を見せようという企画展なのですが、出かけてみると、あっと驚く展示内容でした。というのは、足利将軍家の邸宅にあった襖絵はまったく現存していないのに、この企画展が成立しているからです。
いったいどういうことなのか? 室町時代の将軍家には、連歌会や茶会を開き、能・狂言を鑑賞する場である「会所」と呼ばれる建物があったそうです。何とも優雅な空気が醸し出されそうな建物ですよね。
そして、第6代将軍、足利義教および第8代将軍、足利義政の「会所」については、残っている史料から、部屋の構造や襖絵の絵柄などがわかるそうです。この展覧会では、現代まで残っている当時の屏風などの絵の展示によって会所にどんな絵が描かれていたかを類推することで、そのかなり具体的な空気がわかるように見せているのです。これはもうスゴ技と言うしかありません。この展覧会には、「屏風絵でよみがえる室町の華」という副題がついています。意味がよくわかりますよね。
襖絵はもともと部屋の間仕切り、すなわち家屋のパーツとして存在していますから、家自体が何らかの事情で消滅すれば一緒になくなってしまうことが多いのに対して、たたむことができて持ち運びのしやすい屏風は現代まで比較的残りやすいということも、この展覧会が教えてくれました。
実際にいくつかの作品を見てみましょう。
雪舟が描いた山水画などは、将軍家の邸宅を飾るのにとてもふさわしいものと言えそうですよね。この時代は、中国から輸入した絵画が特に珍重され、日本の絵師が描く場合は中国の絵師の図様のスタイルに倣(なら)って描くのをよしとしていたそうです。
次の絵の右下にサインが見える夏圭(夏珪)は、南宋時代の画院で活躍した山水画家。この展覧会に出品されたこの絵自体は、その夏珪の様式に基づいて雪舟が描いたものです。そもそも、夏珪の様式は、中国に渡った雪舟が学んで日本に持ち帰ったのだとか。この絵をじっと眺めた後に、ぜひ、こうした図柄が描かれた襖絵に囲まれた部屋の中に自分がいることを想像してみるといいのではないでしょうか。ひょっとしたら、室町時代の将軍の気分になれるかもしれません。
前島宗祐の《四季耕作図屏風》は、農村風景を描いた作品です。なぜこんな図柄の絵が将軍家の会所にあったと考えられるのか? やはり由来は中国にあります。中国では、農民の労苦を皇帝に知らしめるために、水稲耕作や養蚕・機織りの場面を描いた「耕織図」という図柄の絵がその邸宅にあったというのです。そして、皇帝の邸宅にあるものなら、将軍家の邸宅を飾るにもふさわしいという論理が生まれます。
舶来物や舶来の観念を大切にする日本人的発想とも言えそうですが、細部を眺めると、これがまたなかなか味わい深いのです。どうでしょうか? 実に精緻な描写だと思いませんか。そして、やはり美しい。将軍家の邸宅を飾るのにふさわしい絵だと思います。
4人で足踏み式の水車を回して水を田んぼに汲み上げている、いわゆる灌漑の風景も、なかなか感慨深いですよね。人物は生き生きと、あぜ道や稲や水の流れはすべてが精緻に描かれている。実に入念な描写です。
ほかにも、中央アジアの韃靼人(だったんじん)を描いた絵があったり、まるでこの世のものとは思えないほど美しく楽しい花鳥図があったり。室町時代の将軍家の会所は、豊かな内容の図柄の襖絵に満ちていたことが想像できます。
なかなか有意義で稀有な内容の企画展です。ご興味のある方は、ぜひ足を運ばれるとよろしいかと思います。
※この展覧会で使っている「襖絵」という言葉には、壁貼付絵等を含む障壁画が含まれているとのことです。
※写真はすべて、プレス内覧会にて主催者の許可を得て筆者が撮影したものです。
※本記事は、「ラクガキストつあおのアートノート」から転載したものです。
【主な参考文献】
「将軍家の襖絵」展図録