森の中の開かれた美術館
「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ―新収蔵作品を中心に」
会期:2022年4月9日(土)~9月6 日(火)
会場:ポーラ美術館
現在、ポーラ美術館で、開館20周年記念展「モネからリヒターへ―新収蔵作品を中心に」が開催されている。「モネからリヒターへ」と題されているように、新収蔵作品の目玉はゲルハルト・リヒターだ。出品された《Abstraktes Bild (649-2) 》(1987)は、昨年、10月6日に香港で行われたササビーズのイブニングセールで約30億円で落札され、話題となったので覚えている方も多いだろう。その最初のお披露目の場ともなった。ドイツ出身の画家、ゲルハルト・リヒターは、今年90歳を迎え、存命する画家の中で最高の評価を得ているといってもよい。今年は日本で16年ぶり、東京では初となる大規模個展が東京国立近代美術館でも開催されており、リヒターイヤーとなっている。
実は、箱根にあるポーラ美術館にうかがったのはそのためではない。昨年開催された「フジタ 色彩への旅」展以来、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の色彩と質感について継続的に調査を続けており、その撮影の立ち合いと成果報告のためのミーティングが目的であった。ポーラ美術館の担当学芸員からフジタの色彩について分析依頼があったのは、すでに2年前になるが、軽く引き受けたものの、関西に住む筆者にとってポーラ美術館はあまりなじみがなく、公共交通で行くと非常に手間がかかることを知らなかったのだ。それ以降も筆者の色彩分析の技術では解明できない要素について、いくつかの研究機関と連携して研究を進めている。今回は、小田原駅から40分近く箱根登山バスにゆられ、片道5時間かけてポーラ美術館ににたどり着いた。
そいうこともあって、20周年記念展は、調査の合間に駆け足でさっと見ただけなのであるが、その充実ぶりには驚かされた。モネを中心とした印象派のコレクションが素晴らしいのは知っていた。昨年巡回された「ポーラ美術館コレクション展 印象派からエコール・ド・パリ」では、コロナ禍で流通が滞り、海外の著名な美術館所蔵の展覧会が軒並み延期や中止になる中、いわゆる「ブロックバスター」と称される展覧会なみの人気を誇っていたのが印象的であった。
もともとコレクションの中心は、ポーラ創業家2代目の鈴木常司(1930-2000)が、1950年後半から約40年かけて収集した美術品で、印象派や20世紀の西洋絵画が主として、日本の洋画、日本画、版画、彫刻、ガラス工芸、東洋陶磁、日本の近現代陶芸、化粧道具など多岐にわたるという。それらを基盤として、「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトに、2002年にポーラ美術館が開館し、開館記念展「光の中の女たち」が開催された。
もともと「印象派」がテーマにした「光」と、女性像を多く集めていたため、そのようなタイトルになったが、そこからコレクションが増えた今、再び「光」をテーマにし、現在と接続されている。象徴的なのは、移ろう光を描いたモネと、シャイン(光、仮像)を表現するリヒターであろうが、その骨格を豊かに肉づけるものとして、幅広い作品が揃っている。
展覧会は、全20セクション、2部構成というから、私設美術館としても国内最大規模であることがよくわかる。1部は鈴木常司のコレクションとそれを拡充するもの、2部は鈴木常司のコレクションまったく含まれていない。戦後の国内外の作家を集めている。
特に、近年美術史においても男性偏重が指摘されて世界的に改善する動きが起きているが、能力に比較して埋もれていた女性作家たちに光を当てているのが全体を通してもう一つの新しい体系の核になっている。印象派のベルト・モリゾ、抽象表現主義の第二世代と言われたジョアン・ミチェル、にじみを活かしたステイニングと言う技法を使い、同じく抽象表現主義の第二世代として著名なヘレン・フランケンサーラー、オップアートのブリジット・ライリー、陶芸でゴミや雑誌などの日常品を精巧につくり、近年再評価されている三島喜美代、場所のコンテキストを読み取った、サウンド・インスタレーションを発表するスーザン・フィリップス、そして、昨年から今年にかけて、ポーラ美術館で個展をしたロニ・ホーンなどである。まだ全体の比率は少ないとはいえ、国内で、近年の動向を反映して、ここまで国内外の女性作家を精力的に集めている美術館は少ないだろう。
また、戦後の前衛作家のコレクションも充実している。具体の白髪一雄、ハイレッド・センター時代の中西夏之、もの派の李禹煥、アンフォルメルの今井俊満、斎藤義重、戦後の日本人の抽象絵画では先行世代にあたる山口長男、猪熊弦一郎、オノサトトシノブ、難波田龍起など、戦後の絵画の動向も網羅的に見ることができる。
さらに、杉本博司のプリズム分光を撮影したシリーズと、抽象的な色彩体験ができるアニッシュ・カプーアの彫刻が共鳴し、彫刻、絵画、写真が光によって連続性を帯びる。さらに、美術史的には直接的に関係のない、ヴェルヘルム・ハマスホイの窓の光で読書をする無彩色の絵画《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》(1899)と、モノクロ写真をぼかして描いた、リヒターのフォトペインティング《グレイ・ハウス》(1966)を並べ、窓の光や建物といったモチーフによって両者をなげている。
最後に、リヒターの《Abstraktes Bild (649-2) 》(1987)とモネの《睡蓮の池》(1899)を並べ、近代と現代の絵画が光を通じて連続性があることを示している。確かに、デュシャン以降、現代アートは、複製品や既製品、工業製品を使用することが多くなり、手よりコンセプトが重視されるようになったが、知覚するための光は消し去ることができない。抽象表現主義の先駆者として、モネが再発見されたように、デジタル画像が氾濫する現在において、光によって「リヒターからモネへ」辿ろうとする意欲的な展覧会であるといえよう。
その中に、独自の絵肌を実現したフジタも含まれるが、筆者らもフジタがどのように肌の質感を再現するに至ったか、新しい光学的な手法で研究を進めている。実は、フジタを調査する最中、別の光の美術史の体系が見えてきた。それはまさに「モネからリヒターへ」通じるものであるが、新しい美術史の系として成果を発表できるように進めていきたい。ポーラ美術館では、今年後期に開かれるピカソ展でも外部研究機関との共同研究で新たな事実がわかったことが発表されたが、筆者のような外部の研究者を受け入れたり、若手の作家に対する助成や発表機会を支援したり、体験型の鑑賞方法を提示するなど、さまざまな側面から門戸が開かれていることがポーラ美術館の特徴になっていると思う。今後も日本における21世紀の美術館のロールモデルとなっていくのではないか。