近現代に大阪が果たした文化的役割の見直しとこれからの役割
「Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり」展
会期: 2022年2⽉2⽇(⽔)~ 3⽉21⽇(⽉・祝)
会場:大阪中之島美術館
大阪中之島美術館の開館記念展「Hello! Super Collection 超コレクション展 – 99のものがたり – 」が人気だ。1983年、山本發次郎コレクションの寄贈を受け、大阪市制百周年記念事業として美術館建設の構想が始まってから約40年、1990年の美術館準備室の設置から約30年を経た待望の美術館の開館ということもあるが、それだけではないだろう。40年間に集めた作品は6000点を超える。本展はその中から厳選した400点、99のストーリーを選んだというから「珠玉」といっても過言ではない。
ただし、90年代から準備室主催の展覧会は定期的に開催されており、2004年には、大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室が開設されているので、大阪在住の愛好家はコレクションの一部を見た人もいるだろう。とはいえ、ここまでまとまっているのは初めてには違いない。連日、大阪で長蛇の列が並ぶほどの展覧会というのはなかなか開催されないので、今回の現象はエポックといってもいい。たしかに名品は多いが、近現代を中心とした作品展で、印象派がないなかで、これだけの評判を呼んでいる事実は大きい。ブロックバスターと言われる、著名な海外コレクションというわけでもないからだ。
大阪は美術が盛んな土地とは言い難い。特に近現代の美術において大阪が果たした役割は、見落とされがちであった。というのも、大阪には戦前から公立の美術大学に相当するものがなく、私立も中心部にはない状態が続いているので、作り手のアーティストだけではなく、研究者の層が薄く、発掘されたり研究される機会が限られていた。京都の場合は、公立の京都市立芸術大学、国立の京都工芸繊維大学があり、さらに私立の京都芸術大学、京都精華大学、嵯峨美術大学などがあり、近代美術の美術館として、京都国立近代美術館も擁している。アーティストだけではなく、研究者も多く、その発表場所にも恵まれており、相乗効果があるといってよいだろう。
ただし、戦前においては、1925年の第二次大阪市域拡張以来、人口日本一の時期があり、関東大震災以降、経済・文化的な拠点として大きな役割を果たしてきた。「大大阪」と言われた大正末期から昭和初期の記憶は、まずは大阪に残された近代建築から見直しがはじまったといってよいだろう。多くの近代建築が、古いだけではなく、当時の文化や記憶を残す豊かな意匠を持つものとして、新しい視点で活用されるようになった。
いっぽう、美術やデザインについての見直しは遅れていたかもしれない。美術館で常時見られるわけではなく、研究論文もさることながら、一般書籍においても多く出版されているわけではないからだ。ただし、そのような「大大阪」時代の様子は、NHKの朝の連続テレビ小説などで知られてきたかもしれない。その意味では、近代大阪への関心や機運醸成はすっかり整っていたといえるだろう。
今回の展覧会の一つの「顔」であり、同時に、美術館設立の起点でもある佐伯祐三もまさに「大大阪」時代の人物である。ただし、1920年代のパリに二度滞在し、パリで客死しているので、大阪で活躍したというわけではないが、実業家の山本發次郎が30年代に佐伯の先品を収集し、埋もれていた佐伯の評価を高め、美術館建設まで計画した。その夢はかなわなかったが、大阪中之島美術館の開館の契機となったのだ。今回、3章構成の展覧会の中の最初の章である「Hello! Super Collectors」の1番目となるのは、山本のコレクションだ。山本は禅僧の書画を収集しており、その素朴さと力強さに似たものを佐伯に見出し、佐伯のコレクションを始めている。だから、最初のコーナーには、佐伯の絵画と一緒に、白隠や仙厓、良寛などの書画がかけられており驚かされる。白隠は500年に1人と言われる臨済宗中興の祖で、今や奇想の画家としても著名だが、戦前の認知はもっと低かった。その点でも、いかに山本の目が優れていたか確認できる。単に自分の趣味に基づいた個性的なコレクションというだけではない。
佐伯だけではなく、「大大阪」時代に活躍した大阪の画家の作品が多数展示されている。公立ではない私塾ではあるが、洋画研究所を運営していた赤松麟作や小出楢重はその代表格だろう。国枝金三の《中之島風景》(1927)、青木宏峰(大乗)の《中之島風景》(1923)、池田遥邨の《雪の大阪》(1928)、小林柯白の《道頓堀の夜》(1921)など、その時代の大阪の風景が多数展示されているのも魅力である。
戦前の写真のコレクションが充実しているのも特筆すべきだろう。大阪はカメラの愛好家が多く、浪華写真倶楽部や丹平写真倶楽部などアマチュアの写真倶楽部が活動していたことでも知られている。ソラリゼーションやフォトグラム、コラージュなどを駆使した前衛的な作品群は、大阪のアマチュアの写真家が、バウハウスなどの世界的な動向をいち早く取り入れていることを示している。その文化は、戦後になって岩宮武二を経て森山大道らに継承されたといってよいだろう。また、アマチュアではなく、プロであり、当時は珍しい女性の写真家として1920年代から大阪で活動していた山沢栄子の作品もコレクションされている。山沢栄子はポートレート写真として知られていたが、晩年には抽象的な作品を多数発表しその活動が再評価されている。それもどこか戦前の前衛写真と響きあっており、同じ水脈から出てきたものといえるかもしれない。
さらに、現在では世界的な美術グループとして知られる具体美術協会(具体)を設立した、吉原治良の作品の寄贈があり、吉原の作品が一堂に介していることも大きい。具体は、かつて大阪中之島美術館の近隣にあった蔵を改造したグタイピナコテカを拠点にしており、中之島とのゆかりも深い。吉原がキュビスム、シュールレアリスムといった西洋の流行を消化する段階を経て、藤田嗣治のアドバイスもあり、独自の作風を確立していった様子がわかる。戦後の「円相」の作品は、山本發次郎の好んだ禅画にも通じており、大阪人の根底にある感性の共鳴を感じる。また、ミッシェル・タピエと吉原を引き合わせたという、アンフォルメルの画家、今井俊満の作品も多数そろえている。
もちろん、佐伯と同時代を生きたモディリアーニやエルンストに加え、2000年までの現代アートの名品がそろい、再び大阪ゆかりの森村泰昌やヤノベケンジにまでたどり着く。近現代のデザインコレクションもなかなかお目にかかれない優れた作品がそろっている。今後、アーカイブ室もオープンし、企業やNPO等のアーカイブと連携しながら、新しい研究が進んでいくという。今回、美術館運営で初めて採用されたPFIコンセッション方式は、運営を民が担う。そのために、入場料や利用料で運営資金を賄う必要があり、実験的な現代アートの展覧会は難しいかもしれない。しかし、それは隣接する国立国際美術館と連携したり、棲み分ければいいいだろう。
大阪中之島美術館の開館を機に、美術だけではなく、写真・版画・デザインなどの大阪の広範囲な創造的活動や歴史の中で果たした文化的役割が見直されるとともに、新たな視点を導入したネットワーク拠点になっていくのではないだろうか。